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第六話 獣人は川の神を殺さんと願う
獣人は川の神を殺さんと願う 二
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ぼくらは応接間のソファに座っていた。
ふだんレオは庭先で客の相手をするが、天候の悪い日やそのときの気分でこの部屋を使う。あまり広くはないが小綺麗で、サイドボード周りにレオの亡き父が集めた絵画や工芸品がささやかに飾られている。
ぼくは普段着に着替え、レオはウィスキー片手にふんぞり返って足を組み、その足をテーブルの上に投げ出していた。
「まったく、いいところで邪魔しおって。さっさと終わらせてさっきの続きをするぞ」
それはちょっと困るなぁ。そりゃ本音を言えばぼくも気はあるけど、せめてみんなが寝静まってからじゃないといやだよ。今日の客が一日かかる仕事を持ってきてくれるとちょうどいいんだけど。
そんなことを思っていると、扉の向こうで、
「こちらでーす!」
と元気な声が聞こえてきた。
「レオ様、お客様でーす!」
「通せ」
「はーい!」
ぎいっと軋む音とともに扉が開き、アルテルフが顔を出した。
「どうぞー!」
そして客が部屋に足を踏み入れた。それを見た途端、
——えっ?
ぼくは思わず声を漏らしそうになった。
女だった。見た感じ二十代前半といったところか。服は旅人衣装で、つややかな黒髪。澄んだ黒目が美しく、野性味のある日焼け肌にキリッとした顔立ちがよく似合い、凛とした強い眼差しをしている。なんとも頼りがいがありそうな面持ちで、こんなひとが姉だったら、と思うような好印象がある。
が、耳が人間ではない。
——獣耳!
話には聞いたことがある。しかしまさか実在するとは思わなかった。ほかはすべてふつうの人間と変わりないのに、耳だけが獣のそれという異質な人種。俗に獣人、獣耳と呼ばれている。
むかしは世間と同居し、おもに奴隷や突撃兵として使われていたが、扱いのひどさや差別に耐えきれず、団結して街から脱走、以降消息を知る者はない——と本には書かれている。
長年姿を見た者はなく、もはや滅んだというのが定説だったが、ぼくの目の前にいる女は紛れもなく獣耳だ。ある意味伝説と邂逅したと言っても過言ではない。あのレオでさえ固まって目を丸くしている。
女はぴしっと正座し、両手をひざの前で重ねて床につけ、深々と頭を下げて言った。
「突然の来訪、申し訳ありません」
実に丁寧な言葉遣いだった。思わずぼくもぺこりと頭を下げてしまった。
女は顔を上げ、言った。
「わたくしはウォルフと申します。見ての通り、さもしい獣耳です。本来なら健常者様の前に顔を出すなど許されることではありませんが、どうしても頼みたいことがあって参らせていただきました。失礼ですが、あなたが”魂売りのレオ”様でしょうか」
「……」
レオは応えなかった。というよりいぶかしんでいた。一切身じろぎをせず、じっとウォルフを見つめ、眉間にしわを寄せている。
「あの……」
とウォルフが声をかけるが、やはり動かない。眉間のしわが、わずかづつ濃くなっていく。
が、急にふっと力を抜き、
「……話を聞こう。とりあえずそこに座れ」
「は、ありがとうございます。それでは失礼いたします」
ウォルフは言いながら再び頭を下げ、ソファに腰掛けた。
それにしてもバカに丁寧だな。獣耳はむかし奴隷だったと聞いているけど、だからってここまで慇懃になるものかな? まあ、ぼくは彼らがどんな扱いを受けたかなんてろくに知らないからそう思うのかもしれないけどさ。
しかしレオもその辺は気になるのか、
「おい、あまり固くなるな。大丈夫だ、ここはいろんな人種が客として来る。人間以外もな。だから安心して肩の力を抜け。もっと気楽に話せ」
と、レオとは思えないほどやさしく言った。
「は……わかりました」
ウォルフはそう言って小さく頭を下げた。しかし目から力が抜けていない。なんとなく強い意志を感じる。よほど重大な依頼を持って来たのだろう。
そんなぼくの勘は当たっていた。
「……実は、里を救ってほしいのです」
ウォルフはためらいを吐き出すように話しはじめた。
獣耳の里は辺境にあった。
世間からは遠く、崖だらけの山を越えなければたどり着くことのできない盆地に彼らは住んでいる。
人口は二百を超えない。ひとは生まれるが、医療と呼べるものが儀式や民間療法しかないため、五人に四人は大人になれない。
さいわい大きな川が三本もあり、また四方に山もあるため食料には困らない。
しかしその川がひとを殺す。
毎年この時期になると雨が続く。すると山は崩れ、川があふれる。
山の被害は少ない。狩りと比べ魚を獲る方がいのちの危険が少ないため、彼らは川魚を主な栄養源としている。だから自然と、山から離れたところを住みかにし、天候の悪い日には近寄らない。
しかし洪水からは逃れられない。三本の川はそれぞれかなり太く、その本流はさらに太い。あふれれば濁流となって盆地全域を飲み込んでしまう。
「土地が悪いのはわかっています。しかしわたしたちは俗世には出られません」
世間に顔を出せばどうなるかわかったものではない。先祖は畜生の扱いを受けたと聞かされている。まれにかぶりもので耳を隠し街に出ることもあるが、もし耳を見られたらと思うと気が気でない。
安息の地を探すも、住みやすいところはどこもひとで埋まっている。なればあの呪われた土地に生きるしかない。だが毎年の水害でひとは流される。里はめちゃくちゃになる。悲しみは繰り返し、雨季のたびに怯えて狂いそうになる。
仕方がないとはいえ、このままにしておけない。例年通りならそろそろ雨が土砂降りになり、また悲劇が起こる。
ウォルフは祈った。先祖を祀る石碑にひざまずき、どうか水害を止めてくださいと強く願った。
すると、
「魂を捧げるのです」
頭の中で声がした。
「人柱を立て、川の神に祈るのです。それは魂で代用できます」
だれ?
「わたしは黒猫です。魂売りのレオ様とともに、魔の森に住んでいます」
魂売りのレオ様?
「レオ様は一流の魂売りで、天下随一の魔術師です。魂を買うなら魂売りが一番です。わたしは魔の森の入り口で待っています」
そう言って声の気配は途絶えた。
ウォルフは迷ったが、声の言うことを信じることにした。先祖の墓に祈ってまさか邪悪なものにだまされることはないと思った。それに、ほかに手立てはなかった。
そうして覚悟の元、魔の森を訪れた。すると声の通り、一匹の黒猫が彼女を待ち構えていた。
「なるほど、人柱か」
レオはうん、とうなずき、言った。
「まあ、それほど大きな川なら有効かもしれん」
人柱——それは古くから伝わるまじないの一種で、天災を避けるために人間を生きたまま埋めるという恐ろしい儀式だ。
効果のほどは定かではない。昨今ではあまり聞かなくなったが、地方ではまだ行っているところもあるという。
貧民や罪人の家から美しい処女を選んで洗い清め、”聖女”と名を冠して土中や水中、防壁の中に埋める。すると天災や事故が治まり、平和が訪れる——と彼らは信じている。ぼくは正直疑っているし、だれかを犠牲にして得る幸福なんてまがいものだと思うが、レオは”有効”だと言う。
「大きな川にはたいがい神が住んでいる。川の神がいけにえを受け入れ、よしとすれば水害は止まるだろう」
「神? 川に神様がいるの?」
「ああ。と言っても世間で言う神ではない。土地土地を支配するあるじのことだ。そのあるじを土地の神と呼ぶ」
「ふうん?」
ぼくはよくわからなかった。だって神って言ったらこの世界や人間を創ったあの神様のことだろう? なのに土地の支配者をわざわざ”神”って呼ぶなんて変だよ。だったらレオもこの館の”神”になるじゃないか。ぼくの亡くなった父さんもぼくんちの”神”だ。
「おまえ、わかってないな」
「わかろうとはしてるよ」
「……まあいい。とにかく神と呼ばれるものがいるんだ。神と呼ばれるほどの力を持ったなにかがな」
「なるほど」
ぼくはまだわからなかったけど納得することにした。あんまり頭が悪いと思われるのはいやだからね。一応騎士だしさ。
「とにかく、ウォルフは人柱のいけにえに使う魂を買いに来たってことだね」
「……まあ、そういうことだ」
レオはそう言ってウィスキーのグラスをかたむけた。なにか言いたげだったが、とにかくそういうことらしい。
が、
「いえ……」
ウォルフは静かに言った。
「そうではないのです」
「ほう?」
レオはいぶかしげにウォルフを見つめた。話の流れからして魂を買いに来たとしか思えない。そうでないならいったいなんだというのか。
ウォルフは思い詰めるような強い視線を足元に向けた。そして唾を飲み込み、まっすぐ顔を上げ、言った。
「あれを殺してほしいのです」
「なに?」
レオの眉がぎゅっと吊り上がった。怒りではない。その言葉のおそろしさに険しくならざるを得なかった。
「おまえ、正気か?」
「はい」
「川の神を殺すということが、どういうことだかわかっているのか?」
「あれは神などではございません」
ウォルフの目には不穏な光があった。怒りか、あるいは怨嗟か、そのどちらかを連想させるような暗い炎が黒ぐろと瞳の内側で燃えているのが見えた。
「あれは魔物です。神の名を語り、水害を起こしてわたしたちのいのちをもてあそぶ悪魔です。どうかあれを殺してください」
「バカを言うな。そんなことをすれば川どころか周辺の土地にまで悪影響が起きかねない」
「それでも!」
ウォルフは感情の爆発で立ち上がりかけた。が、ぐっと耐えるように沈み込み、静かに言った。
「……それでも、殺してほしいのです」
「……」
「これ以上、里の者が無下に殺されるのを見ていられないのです……」
ウォルフの声は震えていた。目には涙が浮かんでいた。だが、こぼさない。目からあふれる怒りや悲しみを、一滴も体の外に漏らすまいと耐えている。そんなふうに見えるほどの執念にも似たなにかを感じる。
仲間を失う苦痛を山ほど味わってきたのだろう。並の正義感じゃない。もはや修羅のにおいさえ香り漂う。
レオはしばし黙った。あごに手を置き、なにか考えているようだった。
「すみません……」
ウォルフは目を薄く閉じ、まだ震えの残る声で言った。
「つい、感情的に……」
「かまわん」
「……ありがとうございます」
そう言ってウォルフの口元が笑みを浮かべた。
……なんて強いひとだろう。苦しみの中で笑えるひとほど強い者はいない。精神力だけならレオよりも上かもしれない……
「だが、神を殺すのは危険だ。おとなしく魂を使って人柱を立てるのが賢明だと思うが」
と、レオが言った。すると、
「……人柱では間に合いません」
ウォルフは小さく首を振り、言った。
「わたしたちの里にはお金がありません。そもそも俗世のような通貨のやり取りがありません。わたしたちは耳を隠し、いつかなにかあったときのために街へ行商に出て、少しづつお金を蓄えました。しかし、人柱を立てるとしたら毎年になるのでしょう?」
「場合にもよるがおそらくな。その覚悟はしておいた方がいい」
「代金はどれほどでしょうか」
「そうだな……どうしたものか」
レオは腕を組み、悩ましげに言った。
「殺すか、人柱を立てるか……どちらにしろ、いちど会って話さなくてはならんからなぁ」
「あれは魔物です。話などせず殺していただきたい」
「……まあ、それも考慮しておく。それで済めば一番手っ取り早いからな。ともかく目安がほしい。年に何人くらい流される?」
「……少ない年で数人、多い年だと十人以上です」
「なるほど……するとおそらく魂は五つもあればいいだろう。なら出張料も含めて——」
レオは代金を提示した。それは一般的な兵士が一年かけて稼げるかどうかという大金だった。
しかしぼくの経験上、レオにしてはだいぶ安く感じた。なんせ貴重な魂を五つも使ううえに、わざわざ人里離れた僻地まで足を運ばなければならない。ふだんのレオなら倍はふっかける。
「こんなところだろう。高いか?」
ウォルフは息を飲み、
「……なんとか払えるでしょう。もっとも、それが限界です。それ以上はどうにもなりません」
「そうか……よし、ならば行こう。距離はどれくらいだ。ここに来るのに何日かかった?」
「徒歩で一週間ほどです」
「なに? 歩いて来たのか?」
「はい。わたしたちは家畜を持てませんから」
「そうか、考えてみればそうだな。山があると言ったが、山越えにはどれくらいかかる?」
「慣れていれば半日です」
「ふむ……これは馬車を借りよう。あまりチンタラ歩いているうちに里が流されてしまっては元も子もないからな」
レオはグラスに入っていたウィスキーを飲み干し、立ち上がった。そして、
「アルテルフ、仕事だ」
壁際で佇むアルテルフに言った。
「おまえは街まで行って四頭立ての馬車を借りて来い。それとデネボラに四日分の保存食を用意させ、ゾスマに客の相手をするよう言い、レグルスに旅支度をするよう伝えておけ」
「え、レグルスですか?」
アルテルフは一瞬きょとんとし、不服そうに言った。
「あたしはー?」
「おまえは館で待機していろ」
「ええー? めずらしいとこ行くんでしょー! あたしも行きたーい!」
「ダメだ。今回は危険だからな。それより早くしろ。あまりだらだらしていては雨が強くなってしまう」
「ぴょ~……」
アルテルフは口を尖らせ、不満たらたらで部屋を出て行った。あの子は遠出が好きだからなぁ。とくに地方のめずらしい料理なんかに目がない。行きたかったろうに。
しかしなぜ今回はレグルスを選んだんだろう。虎の変げであり、屈強な戦士たる彼女を同行させるということは、やはり荒っぽいことになるのかな? 川の神を殺すとかどうとか言ってたけど……
「ウォルフ、おまえはわたしのしもべが来るからそいつの言う通りにして待っていろ。それからアーサー、我々も旅支度だ。今回は剣を履いていけ」
「剣? じゃあやっぱり川の神と戦うの?」
「まだわからん。が、いざというときに素手ではどうしようもない。とにかく持っていけ」
「うん、わかった」
「さあて……」
レオは首をこきこき鳴らし、ふふ、と笑った。
「久々におもしろい旅になりそうだ。いい酒が飲めるといいがな」
ふだんレオは庭先で客の相手をするが、天候の悪い日やそのときの気分でこの部屋を使う。あまり広くはないが小綺麗で、サイドボード周りにレオの亡き父が集めた絵画や工芸品がささやかに飾られている。
ぼくは普段着に着替え、レオはウィスキー片手にふんぞり返って足を組み、その足をテーブルの上に投げ出していた。
「まったく、いいところで邪魔しおって。さっさと終わらせてさっきの続きをするぞ」
それはちょっと困るなぁ。そりゃ本音を言えばぼくも気はあるけど、せめてみんなが寝静まってからじゃないといやだよ。今日の客が一日かかる仕事を持ってきてくれるとちょうどいいんだけど。
そんなことを思っていると、扉の向こうで、
「こちらでーす!」
と元気な声が聞こえてきた。
「レオ様、お客様でーす!」
「通せ」
「はーい!」
ぎいっと軋む音とともに扉が開き、アルテルフが顔を出した。
「どうぞー!」
そして客が部屋に足を踏み入れた。それを見た途端、
——えっ?
ぼくは思わず声を漏らしそうになった。
女だった。見た感じ二十代前半といったところか。服は旅人衣装で、つややかな黒髪。澄んだ黒目が美しく、野性味のある日焼け肌にキリッとした顔立ちがよく似合い、凛とした強い眼差しをしている。なんとも頼りがいがありそうな面持ちで、こんなひとが姉だったら、と思うような好印象がある。
が、耳が人間ではない。
——獣耳!
話には聞いたことがある。しかしまさか実在するとは思わなかった。ほかはすべてふつうの人間と変わりないのに、耳だけが獣のそれという異質な人種。俗に獣人、獣耳と呼ばれている。
むかしは世間と同居し、おもに奴隷や突撃兵として使われていたが、扱いのひどさや差別に耐えきれず、団結して街から脱走、以降消息を知る者はない——と本には書かれている。
長年姿を見た者はなく、もはや滅んだというのが定説だったが、ぼくの目の前にいる女は紛れもなく獣耳だ。ある意味伝説と邂逅したと言っても過言ではない。あのレオでさえ固まって目を丸くしている。
女はぴしっと正座し、両手をひざの前で重ねて床につけ、深々と頭を下げて言った。
「突然の来訪、申し訳ありません」
実に丁寧な言葉遣いだった。思わずぼくもぺこりと頭を下げてしまった。
女は顔を上げ、言った。
「わたくしはウォルフと申します。見ての通り、さもしい獣耳です。本来なら健常者様の前に顔を出すなど許されることではありませんが、どうしても頼みたいことがあって参らせていただきました。失礼ですが、あなたが”魂売りのレオ”様でしょうか」
「……」
レオは応えなかった。というよりいぶかしんでいた。一切身じろぎをせず、じっとウォルフを見つめ、眉間にしわを寄せている。
「あの……」
とウォルフが声をかけるが、やはり動かない。眉間のしわが、わずかづつ濃くなっていく。
が、急にふっと力を抜き、
「……話を聞こう。とりあえずそこに座れ」
「は、ありがとうございます。それでは失礼いたします」
ウォルフは言いながら再び頭を下げ、ソファに腰掛けた。
それにしてもバカに丁寧だな。獣耳はむかし奴隷だったと聞いているけど、だからってここまで慇懃になるものかな? まあ、ぼくは彼らがどんな扱いを受けたかなんてろくに知らないからそう思うのかもしれないけどさ。
しかしレオもその辺は気になるのか、
「おい、あまり固くなるな。大丈夫だ、ここはいろんな人種が客として来る。人間以外もな。だから安心して肩の力を抜け。もっと気楽に話せ」
と、レオとは思えないほどやさしく言った。
「は……わかりました」
ウォルフはそう言って小さく頭を下げた。しかし目から力が抜けていない。なんとなく強い意志を感じる。よほど重大な依頼を持って来たのだろう。
そんなぼくの勘は当たっていた。
「……実は、里を救ってほしいのです」
ウォルフはためらいを吐き出すように話しはじめた。
獣耳の里は辺境にあった。
世間からは遠く、崖だらけの山を越えなければたどり着くことのできない盆地に彼らは住んでいる。
人口は二百を超えない。ひとは生まれるが、医療と呼べるものが儀式や民間療法しかないため、五人に四人は大人になれない。
さいわい大きな川が三本もあり、また四方に山もあるため食料には困らない。
しかしその川がひとを殺す。
毎年この時期になると雨が続く。すると山は崩れ、川があふれる。
山の被害は少ない。狩りと比べ魚を獲る方がいのちの危険が少ないため、彼らは川魚を主な栄養源としている。だから自然と、山から離れたところを住みかにし、天候の悪い日には近寄らない。
しかし洪水からは逃れられない。三本の川はそれぞれかなり太く、その本流はさらに太い。あふれれば濁流となって盆地全域を飲み込んでしまう。
「土地が悪いのはわかっています。しかしわたしたちは俗世には出られません」
世間に顔を出せばどうなるかわかったものではない。先祖は畜生の扱いを受けたと聞かされている。まれにかぶりもので耳を隠し街に出ることもあるが、もし耳を見られたらと思うと気が気でない。
安息の地を探すも、住みやすいところはどこもひとで埋まっている。なればあの呪われた土地に生きるしかない。だが毎年の水害でひとは流される。里はめちゃくちゃになる。悲しみは繰り返し、雨季のたびに怯えて狂いそうになる。
仕方がないとはいえ、このままにしておけない。例年通りならそろそろ雨が土砂降りになり、また悲劇が起こる。
ウォルフは祈った。先祖を祀る石碑にひざまずき、どうか水害を止めてくださいと強く願った。
すると、
「魂を捧げるのです」
頭の中で声がした。
「人柱を立て、川の神に祈るのです。それは魂で代用できます」
だれ?
「わたしは黒猫です。魂売りのレオ様とともに、魔の森に住んでいます」
魂売りのレオ様?
「レオ様は一流の魂売りで、天下随一の魔術師です。魂を買うなら魂売りが一番です。わたしは魔の森の入り口で待っています」
そう言って声の気配は途絶えた。
ウォルフは迷ったが、声の言うことを信じることにした。先祖の墓に祈ってまさか邪悪なものにだまされることはないと思った。それに、ほかに手立てはなかった。
そうして覚悟の元、魔の森を訪れた。すると声の通り、一匹の黒猫が彼女を待ち構えていた。
「なるほど、人柱か」
レオはうん、とうなずき、言った。
「まあ、それほど大きな川なら有効かもしれん」
人柱——それは古くから伝わるまじないの一種で、天災を避けるために人間を生きたまま埋めるという恐ろしい儀式だ。
効果のほどは定かではない。昨今ではあまり聞かなくなったが、地方ではまだ行っているところもあるという。
貧民や罪人の家から美しい処女を選んで洗い清め、”聖女”と名を冠して土中や水中、防壁の中に埋める。すると天災や事故が治まり、平和が訪れる——と彼らは信じている。ぼくは正直疑っているし、だれかを犠牲にして得る幸福なんてまがいものだと思うが、レオは”有効”だと言う。
「大きな川にはたいがい神が住んでいる。川の神がいけにえを受け入れ、よしとすれば水害は止まるだろう」
「神? 川に神様がいるの?」
「ああ。と言っても世間で言う神ではない。土地土地を支配するあるじのことだ。そのあるじを土地の神と呼ぶ」
「ふうん?」
ぼくはよくわからなかった。だって神って言ったらこの世界や人間を創ったあの神様のことだろう? なのに土地の支配者をわざわざ”神”って呼ぶなんて変だよ。だったらレオもこの館の”神”になるじゃないか。ぼくの亡くなった父さんもぼくんちの”神”だ。
「おまえ、わかってないな」
「わかろうとはしてるよ」
「……まあいい。とにかく神と呼ばれるものがいるんだ。神と呼ばれるほどの力を持ったなにかがな」
「なるほど」
ぼくはまだわからなかったけど納得することにした。あんまり頭が悪いと思われるのはいやだからね。一応騎士だしさ。
「とにかく、ウォルフは人柱のいけにえに使う魂を買いに来たってことだね」
「……まあ、そういうことだ」
レオはそう言ってウィスキーのグラスをかたむけた。なにか言いたげだったが、とにかくそういうことらしい。
が、
「いえ……」
ウォルフは静かに言った。
「そうではないのです」
「ほう?」
レオはいぶかしげにウォルフを見つめた。話の流れからして魂を買いに来たとしか思えない。そうでないならいったいなんだというのか。
ウォルフは思い詰めるような強い視線を足元に向けた。そして唾を飲み込み、まっすぐ顔を上げ、言った。
「あれを殺してほしいのです」
「なに?」
レオの眉がぎゅっと吊り上がった。怒りではない。その言葉のおそろしさに険しくならざるを得なかった。
「おまえ、正気か?」
「はい」
「川の神を殺すということが、どういうことだかわかっているのか?」
「あれは神などではございません」
ウォルフの目には不穏な光があった。怒りか、あるいは怨嗟か、そのどちらかを連想させるような暗い炎が黒ぐろと瞳の内側で燃えているのが見えた。
「あれは魔物です。神の名を語り、水害を起こしてわたしたちのいのちをもてあそぶ悪魔です。どうかあれを殺してください」
「バカを言うな。そんなことをすれば川どころか周辺の土地にまで悪影響が起きかねない」
「それでも!」
ウォルフは感情の爆発で立ち上がりかけた。が、ぐっと耐えるように沈み込み、静かに言った。
「……それでも、殺してほしいのです」
「……」
「これ以上、里の者が無下に殺されるのを見ていられないのです……」
ウォルフの声は震えていた。目には涙が浮かんでいた。だが、こぼさない。目からあふれる怒りや悲しみを、一滴も体の外に漏らすまいと耐えている。そんなふうに見えるほどの執念にも似たなにかを感じる。
仲間を失う苦痛を山ほど味わってきたのだろう。並の正義感じゃない。もはや修羅のにおいさえ香り漂う。
レオはしばし黙った。あごに手を置き、なにか考えているようだった。
「すみません……」
ウォルフは目を薄く閉じ、まだ震えの残る声で言った。
「つい、感情的に……」
「かまわん」
「……ありがとうございます」
そう言ってウォルフの口元が笑みを浮かべた。
……なんて強いひとだろう。苦しみの中で笑えるひとほど強い者はいない。精神力だけならレオよりも上かもしれない……
「だが、神を殺すのは危険だ。おとなしく魂を使って人柱を立てるのが賢明だと思うが」
と、レオが言った。すると、
「……人柱では間に合いません」
ウォルフは小さく首を振り、言った。
「わたしたちの里にはお金がありません。そもそも俗世のような通貨のやり取りがありません。わたしたちは耳を隠し、いつかなにかあったときのために街へ行商に出て、少しづつお金を蓄えました。しかし、人柱を立てるとしたら毎年になるのでしょう?」
「場合にもよるがおそらくな。その覚悟はしておいた方がいい」
「代金はどれほどでしょうか」
「そうだな……どうしたものか」
レオは腕を組み、悩ましげに言った。
「殺すか、人柱を立てるか……どちらにしろ、いちど会って話さなくてはならんからなぁ」
「あれは魔物です。話などせず殺していただきたい」
「……まあ、それも考慮しておく。それで済めば一番手っ取り早いからな。ともかく目安がほしい。年に何人くらい流される?」
「……少ない年で数人、多い年だと十人以上です」
「なるほど……するとおそらく魂は五つもあればいいだろう。なら出張料も含めて——」
レオは代金を提示した。それは一般的な兵士が一年かけて稼げるかどうかという大金だった。
しかしぼくの経験上、レオにしてはだいぶ安く感じた。なんせ貴重な魂を五つも使ううえに、わざわざ人里離れた僻地まで足を運ばなければならない。ふだんのレオなら倍はふっかける。
「こんなところだろう。高いか?」
ウォルフは息を飲み、
「……なんとか払えるでしょう。もっとも、それが限界です。それ以上はどうにもなりません」
「そうか……よし、ならば行こう。距離はどれくらいだ。ここに来るのに何日かかった?」
「徒歩で一週間ほどです」
「なに? 歩いて来たのか?」
「はい。わたしたちは家畜を持てませんから」
「そうか、考えてみればそうだな。山があると言ったが、山越えにはどれくらいかかる?」
「慣れていれば半日です」
「ふむ……これは馬車を借りよう。あまりチンタラ歩いているうちに里が流されてしまっては元も子もないからな」
レオはグラスに入っていたウィスキーを飲み干し、立ち上がった。そして、
「アルテルフ、仕事だ」
壁際で佇むアルテルフに言った。
「おまえは街まで行って四頭立ての馬車を借りて来い。それとデネボラに四日分の保存食を用意させ、ゾスマに客の相手をするよう言い、レグルスに旅支度をするよう伝えておけ」
「え、レグルスですか?」
アルテルフは一瞬きょとんとし、不服そうに言った。
「あたしはー?」
「おまえは館で待機していろ」
「ええー? めずらしいとこ行くんでしょー! あたしも行きたーい!」
「ダメだ。今回は危険だからな。それより早くしろ。あまりだらだらしていては雨が強くなってしまう」
「ぴょ~……」
アルテルフは口を尖らせ、不満たらたらで部屋を出て行った。あの子は遠出が好きだからなぁ。とくに地方のめずらしい料理なんかに目がない。行きたかったろうに。
しかしなぜ今回はレグルスを選んだんだろう。虎の変げであり、屈強な戦士たる彼女を同行させるということは、やはり荒っぽいことになるのかな? 川の神を殺すとかどうとか言ってたけど……
「ウォルフ、おまえはわたしのしもべが来るからそいつの言う通りにして待っていろ。それからアーサー、我々も旅支度だ。今回は剣を履いていけ」
「剣? じゃあやっぱり川の神と戦うの?」
「まだわからん。が、いざというときに素手ではどうしようもない。とにかく持っていけ」
「うん、わかった」
「さあて……」
レオは首をこきこき鳴らし、ふふ、と笑った。
「久々におもしろい旅になりそうだ。いい酒が飲めるといいがな」
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純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。
交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密
まさき
青春
俺は今、東大院生の実験対象になっている。
ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。
「家庭教師です。住まわせてください」
突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。
桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。
偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。
咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。
距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。
「データじゃなくて、私がそう思っています」
嘘をついているような顔じゃなかった。
偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。
不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。
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