魂売りのレオ

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第六話 獣人は川の神を殺さんと願う

獣人は川の神を殺さんと願う 三

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 馬車での旅は四日間に及んだ。
 そのあいだレオはやけにウォルフにやさしかった。隣に座り、体調を気遣ったり、なんと「座りっぱなしで疲れただろう」と言って体を揉んでやったりした。あのレオがだ。他人と見れば虫けら扱いし、客に絶対気を遣うことのないレオがマッサージだなんて、とてもじゃないが信じられない。
 そしてふだんなら絶対にしない個人情報の詮索までした。
「歳はいくつだ? 男の経験は? 家族はいるか?」
「十六です。男はまだ知りません。家族は……みな流されました」
「そうか、いやなことを訊いてすまない」
 すまない? すまないだって? レオが謝るだって!? いやぁ、驚きだ。雪でも降るのかもしれない。
 ……それにしてもウォルフは十六歳なのか。ずいぶん大人っぽく見えるなぁ。きびしい環境だと若くして顔つきが大人びるって聞いたことあるけど、よほど苦労してるんだろう。なにせ毎年ひとが死ぬようなところに住んでるんだもんね。
 そんなこんなでぼくらは四日目の午前中、山のふもとまでたどり着いた。
「レグルス、お疲れ様。四日間も大変だったでしょ」
 ぼくは御者ぎょしゃを務めたレグルスにねぎらいの声をかけた。
「いえ、ただ手綱たづなを握っていただけです」
 そう言ってレグルスは微笑んだ。しかしレグルスが御者をできるなんて知らなかったよ。なんでも使い魔になる前は密林の王として君臨していたらしく、
「わたくしが睨めばたいがいの獣は従うのです。手綱の扱いなどという高等技術が、わたくしのような不器用者にできるはずないじゃないですか」
 とのことだった。とはいえ四日間も御者を務めればどうやったって疲れが溜まるはずだ。ぼくはレグルスの腰を揉んであげようと提案した。すると、
「えっ、わ、わ、わ、わたくしめの腰にアーサー様のお手を、ふ、触れ、触れ、はひぃ!」
 と慌てて逃げてしまった。そんなに遠慮しなくたっていいのになぁ。
 そんなぼくらを尻目に、レオは腕を組んで真剣な顔をしていた。
「さて、馬車をどうするか……」
 馬車では山を越えられない。しかし馬を置いて離れるわけにもいかない。魔法を使えば馬を逃さないようできるが、そのあいだの世話はできないし、今日も雨が降っている。
「帰りもあることだ。病気になっては困るし、野生獣やせいじゅうも怖い。なにかいい方法がないものか……」
 とレオがうなっていると、
「それなら大丈夫です」
 とウォルフが言った。そして山に向かって大股開きで立ち、両手をほほの横に添えて叫んだ。
「おめえらー! 降ーりてくっぺー!」
 えっ!? なんだそのしゃべり方は! すごくなまってるし、語尾がのっぺり上がってるし、ひどい田舎言葉だぞ!
 ウォルフはぼくらの視線を感じ取ったらしく、恥ずかしそうに言った。
「あははは……ひどいなまりでしょう。でも里の言葉でないと疑われますので……」
 ……い、いいなぁ。こんなきれいで凛々しいひとが、田舎っぽいところを見せて恥ずかしがるのって。こういうのはじめてで、なんかドキドキしちゃうよ。
 ぼくがそんなくだらないことを考えていると、山のあちこちの茂みががさがさと揺れ、なにかが降りて来た。
 それはひとだった。フードをかぶった男が五人、どれも旅人衣装を着ており、よく引き締まった体をしている。
姉貴あねきイ、やっと戻って来たかァ」
「ここんとこ雨が続いたからよー、いつ帰ってくっか心配したべえー」
 彼らはウォルフを”姉貴”と呼んだ。どう見ても男たちの方が年上に見えるが、そこは獣耳のしきたりがあるのかもしれない。
 ウォルフが言った
「おう、おめーら。なんもなかったかア?」
「だいじぶだ、問題ね」
「川もまだあふれてねっぺよ。でもよォ、だいぶ水位が高くなってっぞ」
「うんだべか。間に合ってよかったア」
「それより聞いてくれよ姉貴イ。この前すんげえー立派な馬車捕まえてよー。中開けたらこれが……」
 と、男がなにか話そうとすると、
「おい!」
 ウォルフがなまり声で怒鳴った。
「客の前でいつまでくっちゃべってんだ! おれはおしゃべりのためにおめーら呼んだんじゃねーぞオ!」
「す、すまね」
 言葉をさえぎられた男はしゅんと頭を下げた。やはりウォルフの方が格上らしい。
「おめーら、この馬車世話しとけェ。おれたちは里行くから」
「すっと、このひとらが魂売りだべか?」
「うんだべ」
「ずいぶん若いっぺな。だいじぶかー?」
「おれだって若いべ! あんま失礼なこと言うんでねえ!」
 とにかく馬車を任せたぞ——とウォルフは彼らに指示し、ぼくらに山道を案内した。
「先ほどはお恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
「ははは、かまわんさ。しかし疲れないか? わざわざ口調を直して。わたしはかまわんぞ?」
「いえ、わたしは街に行くことがあるので慣れていますから」
 そうかぁ、慣れてるのかぁ。でもぼくは田舎言葉の方がかわいくていいなぁ。
 ……それにしてもあのひとたちはなんだったんだろう。山に隠れひそんでいたみたいだけど……
「あれは見張りです」
 歩きながらウォルフは言った。
「わたしたち獣耳はかつて差別され、支配されてきました。俗世の人間に見つかればどうなるかわかりません。なのでああして見張りをつけ、山を登ろうとする者がいれば、魔法で魔物がいるかのように見せて追い払うのです」
 へえ、苦労してるんだなぁ。ぼくはレオといっしょにのんびり暮らせてしあわせだよ。まあ、ぼくもぼくでいろいろあったけどさ。
 しかし登山は大変だ。ウォルフやレグルスは平気みたいだけど、ぼくとレオはだいぶ苦戦してしまった。けっこう早い時間から登りはじめたっていうのに、山頂に着くころにはもう陽がかたむきはじめていた。
「まだ着かんのか。わたしはもうヘトヘトだ」
 ただでさえ崖だらけで歩ける場所が限られているっていうのに、雨でぬかるみ滑りやすくなっていた。困難なことこのうえない。ついでに体じゅう泥だらけでうっとうしい。
「申し訳ありません。でもやっと折り返し地点まで来ました」
「あと半分もあるのか……」
「お疲れでしょう。しかしご覧ください。ここからの景色は目を見張るものがありますよ」
「ほう、これは……」
 レオは高みからの景色を眺め、ため息にも似た声を漏らした。
 絶景だった。ちょうど雨がやみ、雲間からすだれ状に光の帯が差し込む美しい空の下、山々に囲まれた広大な里が一望できた。
「これは見事だ……」
 レオは泥に汚れるのも忘れて座り込み、その風景に見とれた。
「そうでしょう」
「ああ、だが……これでは水害に苦しむのも無理はない」
 四方を山に囲まれた盆地はかなり大きかった。ただの平地なら広く使っても千人は住めるだろう。しかし川がある。山あいの谷に本流があり、それが三つ又に分かれて里を四つに分断している。一本一本が太い。川と川のあいだもそれなりに幅はあるが、川があふれれば当然流れが襲う。
 そのため家屋かおくはどれも高床の平屋ひらやになっていた。ウォルフが言うには収納できる縄ばしごで登り降りするらしい。
 しかしぼくは疑問に思った。なぜ山を登ったのだろう。三つの川は下流こそ山の洞窟に入っていくようだが、上流は谷道から来ている。ならそこを通ればわざわざ山なんか登らないで馬車で来れたんじゃないか?
「それは無理です」
 ウォルフは言った。
「あそこは一面の川です。水深も深く、とても通れる道ではありません。一応足場となる岩が飛び飛びで沈んでいるので、人間だけなら抜けられるかもしれませんが、やはり危険です。あそこにはヤツがいますから」
 ヤツ——すなわち川の神が谷の本流にいる。そして下手に近づけば殺されてしまうという。
「さあ、里までもうすぐです。通りやすい道がありますからついて来てください。夕食前には降りられるはずです」
 そう言ってウォルフは案内を再開した。
 はたして彼女の言う通りになった。
 ぼくらは山を降り、里に足を踏み入れた。まさに夕食どき。空はぎりぎりオレンジ色で、秒ごとに陽の光がじわじわ薄まっていく。ふつうならみんな食卓に着く時間だ。
 だが道は里の人間でいっぱいだった。どうやら野次馬らしい。ウォルフが魂売りを連れて来たという見張りの報告を聞いて、獣耳たちは外の人間をひと目見ようと、夕食をほっぽり出して群がっていた。
「戻って来たべかあ。おかえりー」
「あれまあー、ハイカラなひとたちだべえ。そのひとが魂売りっちゅうやつだべか?」
 みんなひどくなまっていた。ずっと外界と遮断されているせいで言葉に独自性が出たのだろう。都から離れれば離れるほど言葉は世間とズレるが、ここは最果てと言っていい。
「こらー、おめえらうるせえぞー! 大雨降ったらどーすべ! 流されっちゃうべー! さっさと家戻れー!」
 ウォルフは彼ら同様なまった言葉で言い放ち、手をしっ、しっ、と振った。
「ちっとくれえいいべー。おれたちも都会の人間が見てえべやー」
「お客さんだぞ! 失礼だっぺー! 散れ! 散れ!」
 ウォルフが必死に追い払うものの、彼らは道を少し開けるだけで、やはり物珍しそうにたかっていた。自分たちの方がめずらしいくせに……
 しかしおんなじなんだなぁ……めずらしいものがあれば見物に来て、注意されても言うことを聞かない。都会も田舎もおんなじだ。見れば耳以外ぼくらと変わらないじゃないか。むしろこっちの方が健康的な体をしている分立派かもしれない。
 男はみんな痩せて締まった体をしてるし、女も精悍せいかんな顔つきが多い。自然とともに生きているからだろう。みんな肌が焼けていい色で、気の強そうな女ばっかりだ。いいなぁ、ぼく好みだ。ここは天国かもしれない。
 ただ、ひとつ気になることがあった。
 服だ。大半が旅人衣装を着ている。ウォルフもそうだったが、どうして旅人服ばかりなんだろう。
 もっとも全員ではない。中には貴族が着るような高級ドレスをまとう女もいるし、医療従事者の服もあれば、なんと魔術師のマントを羽織はおる者もいる。しかも男が女物の服を着たり、細身の美女が武術家の服を着たりと、かなりちぐはぐだ。
 そして子供服がない。子供はみんな大人物のそでを短くしたものをすっぽりかぶり、下はというと、はしゃいだときなどにちらりと股間に布が巻きつけてあるのが見えた。
「どうしてこういう服装なの?」
 ぼくはあんまり不思議に思ってウォルフに訊いた。すると、
「ああ、これは……旅人にもらったのです。里には製糸技術も服飾技術もありませんから、お古を譲ってもらうんです。だから旅人衣装ばかりなんですよ」
 なるほど、そういうことか。苦労してるんだなぁ。でも服をくれる親切なひとがいてよかったね。世の中捨てたもんじゃないよ。
 ぼくらは群衆をかいくぐり、里の長が住むという大きな家に登った。ほかの家がふた部屋くらいしかなさそうな小ささなのに対し、ここだけはふつうの一軒家くらいある。そのせいか高床の柱も太く、数が多い。
 中に入ると、いかにもといった感じの老人が出迎えてくれた。
「おめえさん方ァ、よく来てくだすったア。田舎なもんで大したもんは用意できねえけど、ゆっくりしてってくだせえー」
 ぼくらは客室に案内され、これから夕食だと言われた。
「大丈夫なのか?」
 レオは言った。
「いつ大雨が降って水害が起こるかわからんのに、メシなんぞ食ってていいのか?」
 レオの心配はもっともだ。山の天気は変わりやすい。いまはパラパラの小雨だけど、数分後に突然どしゃ降りになってもなんら不思議はない。
 だがウォルフは反対した。
「あんな足場の悪いところ、夜行けば間違いなく川に落ちて飲み込まれます。たしかに雨は心配ですが、ここは大事をとって明日にすべきです」
 それに夕食の準備ももうできてますから——とウォルフが言うと、里の若い男たちが四角い木のトレイに夕食を乗せて運んで来た。
 わっ、いいにおい! お腹空いたなぁ。ぼくら登山でお昼食べてないんだよなぁ。
「ねえ、危ないんじゃ今日はやめた方がいいよ。地元のひとがそう言ってることだしさ」
 ぼくがそう言うと、
「ふむ……」
 レオはウォルフをじっと見つめ、あごに手を置き思案げに言った。
「ウォルフ、あの谷の足場はどんなふうなんだ? 足場になる岩が沈んでいると言っていたが、川の神まですんなり行けるのか?」
「それは無理でしょう。岩自体はかなり大きなもので、広く水面より上に出ているので足場になりますが、水平なものばかりではありませんし、中には助走をつけなければ飛び移れないところもあります。そのうえ魔物が襲ってくるんです。昼でさえ危険なのに、夜なんてとんでもありません」
「そうか……」
「こう言ってはなんですが、失敗してもらっては困るのです。無事ヤツを殺してもらわなくては、わたしたちの将来に関わります」
「……そうだな。わかった、明日にしよう」
 よかったぁ。そんな危ないところ夜になんか行きたくないよ。それにごはん食べたいしさ。ああ、お腹空いた。
「ところでお酒は飲まれますか?」
 とウォルフが言った途端、レオの目が輝いた。
「酒があるのか」
「はい、サツマイモから作った芋酒です。外の酒と比べるとクセがありますが、里の料理によく合います。常温で飲んでもいいですが、ロックにしたり、水やお湯で割ってもおいしいですよ」
「ほう、お湯で……はじめて聞く飲み方だ。……まあ、とりあえず常温でもらおう。わたしははじめて飲む酒は薄めない主義だ」
 へえ、そうなんだ。レオはいつもウィスキーをロックで飲んでるけど、そんな主義があるなんて知らなかった。
「ぼくは氷を入れて、水で薄めてもらおうかな」
 ぼくは嬉々として言った。すると、
「おまえはダメだ」
 とレオが止めた。なんで?
「おまえは下戸げこだろう。明日にさわったらどうする」
 まあ、そうだけどさ。でもふだん飲めないお酒ならちょっと飲んでみたいよ。
「あの……わたくしもダメでしょうか?」
 レグルスがおずおずと言った。彼女も興味があるらしい。しかし、
「あたりまえだ。おまえはとくにだろう」
「そ、そうですよね……あはは」
 あれ、レグルスも下戸なのかな?
「下戸ではないが、こいつは酒グセが悪い。間違っても今夜は飲ませられん」
「そっかぁ。残念だね、レグルス」
「はい……でも仕方がありません。ご迷惑をおかけするわけにもいきませんし」
「しょうがないね。いっしょに我慢しよ」
 ぼくがそう言うと、レグルスはなぜかぱあっと明るくなって、
「ごいっしょに……! は、はい!」
 と照れるような笑みを浮かべた。悲しむべきところなのに、むしろうれしそうにさえ見える。いい子だなぁ。きっといやな顔を見せないよう笑顔を作っているんだろう。
 そこに、レオが言った。
「明日ならかまわんぞ」
「え、本当?」
「ああ」
 やったあ。なんたって伝説とも呼べる”獣耳”の酒だ。それに芋の酒なんてはじめて聞くし、下戸のぼくでも飲まなきゃ帰れないよ。
「やったね、レグルス」
「はい! えへへへ」
 わあ、ホントにうれしそうな笑顔! よっぽど飲みたかったんだね。いやぁ、よかったよかった。明日がたのしみだなぁ。
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