魂売りのレオ

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第六話 獣人は川の神を殺さんと願う

獣人は川の神を殺さんと願う 五

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「うむ、いい朝だ」
 レオは高床の上で伸びをし、はずむような声で言った。
「早寝早起きなんて久しぶりだ。たまには悪くないものだな」
 そりゃあよかった。うらやましい限りだよ。
「なんだおまえ、寝不足か?」
 ……少しね。
「寝不足は体に毒だぞ。しっかり寝ないとな。しかし雨がやんで助かったな。傘をさしていたら剣を持つ腕が鈍るだろう」
 そうだね……それは本当によかった。
「お、ウォルフが来たぞ。こっちに向かってくる。早速メシを用意させ、仕事へと取りかかろう」
 ぼくらは簡単な朝食を作ってもらい、早々に谷へと向かうことにした。
 目的は、川の神を殺すこと。
 この里は毎年水害が起こり、何人もひとが亡くなっている。その害を成しているのは川の神だという。
 レオは、魂を捧げて水害を止めてもらうよう交渉すべきだと主張した。しかし住民のウォルフはかたくなに拒んだ。
「ヤツを殺さずして夜明けは訪れません。話なんかせずに始末してください」
 そう唱えるウォルフの目には殺意がギラギラと輝いていた。明るい未来を目指すにしては、どうにも暗い。ぼくには彼女がなにか暗澹あんたんとした感情を抱いているように見える。なぜそこまで殺すことにこだわるのだろう。毎年の人柱では魂を買うお金がないから、とは言うけど、なーんか納得いかないんだよなぁ。どうも殺意がありすぎるというか、なんというかね。
 とにもかくにも出発となった。ぼくとレグルスは腰に銀混じりの剣を履いている。銀は”かたちのないもの”に唯一触れることのできる物質だ。この剣なら魔物はもちろん、場合によっては現象さえ斬ることができる。レオがいれば大抵の相手は虫けらだけど、いざというときは自分の身を守らなくてはならないし、そもそも神とあだ名される存在がどれほどの力を持っているのかぼくは知らない。レオは、
「なに、わたしはこの世で最も強いんだ。心配することはない」
 なんてのん気に言うけど、ホントに大丈夫かなぁ?
 ぼくらはウォルフの案内の元、谷の近く、川が三本に別れるきわまで向かった。するとウォルフは、
「ここまでです」
 谷の入り口まであと数分というところで足を止めた。
「ここから先は魔物の世界です。申し訳ありませんが、わたしは恐くて近寄れません」
「なに、おまえは来ないのか? てっきり案内してもらえるのかと思っていたが」
「すみません。しかし案内というなら、わたしでは不適格でしょう。なにせ臆病でして、恐くて谷に入ったことがないのです」
 あれ? 昨日谷の様子を話してくれたと思ったけどな。入ったことなかったの?
「あれは……聞きづてに話した限りでして……あそこに行けるのは屈強な男どもだけですから」
 ふうん、そうなんだ。まあ、女の子じゃ無理もないよね。なにせ魔物がいるっていうんだから。
「そうか。なら仕方がない。我々だけで行こう」
「よろしくお願いします。かならずヤツを殺してください」
「ああ。だがまずは話をしてからだ。神を殺して余計悪くなってしまっては、元も子もないからな」
「いえ!」
 ウォルフは丁寧な語り口から一変し、怒鳴り散らすように言った。
「ヤツは魔物です! 話なんかしようにも耳も貸さないはずです! それどころかきっといい加減なことを言って、こころを惑わすことでしょう! 絶対に殺してください!」
 ウォルフはたけっていた。全身からブワッと殺気が舞い、背に荒々しい炎が宿っていた。
「いいですか! 絶対に話などしてはいけません! 絶対に話など聞いてはいけません! ヤツは嘘つきです! ヤツはろくでなしです! 見つけたらすぐ殺してください! レオ様は天下随一の魔術師なのでしょう!?」
「それはまあ、そうだ」
「ならその腕を見せてください! どうかわたしの悲願を果たしてください!」
「……わかった、期待しておけ」
 そう言ってレオはフフ、と笑った。なんとなく意味のある笑いだった。
 やがてぼくらは谷に入った。
 そこは谷というより川だった。
 山と山をえぐって作ったような谷間は、貴族の館がすっぽり収まるほどの広さで、一面に川が流れている。川を通すためだけにある道と言っても過言ではない。
 左右に歩道はなく、切り立った岩壁いっぱいまで水が流れている。そのかわり水中に巨岩が点在しており、まるでここを通れと言わんばかりに平たい表面が水面から飛び出している。人間が大の字で寝てもお釣りがくるほどの広い足場だが、水平なものばかりではなく、また滑りやすい。常にしぶきを浴びて湿った岩石は、表面がなめらかで、ところどころ苔むしている。ときには思い切って飛び移らなければならない場所もあり、うっかりすれば滑り落ちそうだ。
 見たところ水深は深い。おそらくだがひとの背丈よりもある。連日の雨の影響か、流れも早い。
「なるほど、ウォルフの言った通りだな」
 レオは広い岩石の上に飛び乗り、ふふふと笑った。
「笑ってる場合じゃないよ。落ちたら大変だよ」
「すまん。しかしおかしくてな」
「なにが?」
「あいつの嘘が下手くそ過ぎて笑ってしまうのだ」
「嘘? 嘘ってどういうこと?」
「なあ、昨夜あいつがなんと言ったか覚えてるか? あんな危ないところ夜は危険だ——そう言って、この谷の情景を見て来たかのように話してくれたな」
「そうだったね」
「だが今日は谷に入ったことがないと言ったな」
「うん」
「それで、今日になって人づてに聞いたと言ったな。ならなぜ昨日あのようにはっきりと言った?」
「ううん……」
「わたしなら、そのような場所だと聞いている——と説明する。だがあいつは、わたしが川の神までの道のりを訊いたのに対し、実際に見なければわからないようなことを明確に話した。つまり、あいつは今日嘘をついたんだ」
「考え過ぎじゃないの?」
「そうかもしれん。だが、ほかにも臭いところがいくつもある」
「たとえば?」
「獣耳の服装だ。なぜか旅人服ばかりだが、それをあいつは旅人からお古をもらったと言っていたな」
「うん」
「おまえ、本当にそう思うか?」
「違うの?」
「一着、二着ならわかる。だが百や二百だぞ。服をくれと言われて渡す人間がどれだけいると思う。里全体に供給するまでいったい何人に声をかければいい。そもそもヤツらは獣耳だ。耳を見られればどうなるかわからんというのに、まさかそこらじゅうで服をくれと言って回っているのか?」
「……」
「そもそも獣耳は他者との交流を断っているんだぞ」
「そう言われるとおかしいね……でもじゃあ、どうやって服をもらったんだろう」
「おそらく殺して奪い取ったんだろう」
「殺して!?」
 ぼくはその言葉に驚いてうっかり足を滑らせそうになった。
「アーサー様!」
 レグルスが咄嗟とっさにぼくの肩を支えてくれたおかげで転ばずに済んだ。危ない危ない。
「ありがとう、レグルス」
「いえ、ご無事でなによりです」
 本当に助かった。なにせ転んだら川に転落するかもしれない。この流れの強さならあっという間に溺れてしまうだろう。
「大丈夫か? 気をつけろ」
「うん……それより、殺して奪うってどういうこと? 獣耳が人殺しをしてるってこと?」
「そうだ」
「なんで……」
「里のためだろう」
「どうしてそんなことを……」
「なあ、我々が山のふもとに差し掛かったとき、ウォルフは言っていたな。山の見張りが魔法を使って魔物がいるよう見せかけ、里にひとが近づかないようにしていると」
「うん、言ってた」
「だが世の中には冒険や狩りを好む人間が山ほどいる。前人未到の地というだけで危険をかえりみず踏み込もうとするヤツや、手強い魔物と聞いただけで剣や魔法をブッ放したくなるヤツがいる。それなのにどうして魔物をちらつかせるだけで、何十年、何百年と俗世に見つからずにいられる?」
「それは……」
「答えは簡単だ。皆殺しにしているからだ。近くを通ったひとや馬車を余すことなく襲い殺してしまえば、だれもあの山の裏側に獣耳の里があることを知らずに済む」
「……そんな乱暴なことってあるの?」
「わからん。だが状況から推測すればそれが一番可能性が高い。おそらくヤツらは旅人を襲い、服や荷物をまるごと奪っているんだろう」
 ぼくは耳を疑った。そんなまさか、一族郎党が強盗集団だなんて……
「まあ、戦えるのは一部かもしれんがな。ともかくそういうことだ。そしておそらく、この依頼自体も嘘が混じっているだろう」
「依頼にまで!? じゃあ洪水なんか起きないってこと?」
「いや、それはどうだか。なにせこれだけ広い川だ。水害は事実だろう」
「じゃあどこに嘘が?」
「それを確かめるためにも川の神に会わねばならん。おい、足元に気をつけろよ。だいぶ苔が濃くなってきた」
 そう言ってレオはどんどん岩を飛び進んで行った。ふだん運動しないのに、レオはこういう度胸がある。ぼくは騎士だっていうのにおっかなびっくりだよ。女は強いって言うけどホントだなぁ。ぼくのうしろをついてくるレグルスも危なげないしさ。まあ、彼女は虎だからこういうの得意なのかもしれないけど。
 疑念をいだきつつも、ぼくらは谷を進んだ。正面を見れば視界のすべてに川が映るほどの広い谷。たまに鳥や魚が飛ぶ以外は、生き物の気配を感じない。
 しかし、進むにつれて妙な気配が漂いはじめた。レオと過ごすことでいわゆる霊感の強くなったぼくには、この感じがどんなものかわかる。
 ——殺気だ。
 殺気が漂っている。どこから、というわけではない。川一面から殺気が蒸気のように沸き上がり、空気を満たしている。
 ウォルフは、谷に入れば魔物に襲われると言っていた。それが真実かどうかはわからないが、この気配は紛れもない事実だ。
「そろそろ来そうだな」
 そう言ってレオが足を止めた。レオが立ち止まった場所はかなり広い岩場の真ん中で、なにかあったときに転んでも即転落とはならない。
 つまり、ここで戦おうと決めたわけだ。
「さあて、どんなヤツが出てくるかたのしみだな。アーサー、レグルス、水に注意しろよ。魔物はその土地の力と同化していることが多いからな」
 そう言った矢先だった。
 ぼくらの正面、水面からなにか顔を出すものがあった。それは半透明でありながら、たしかなふたつの目でぼくらをじっと見据えていた。
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