魂売りのレオ

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第六話 獣人は川の神を殺さんと願う

獣人は川の神を殺さんと願う 七

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 ここは谷の中心部だ、と魔物の長は言った。
 元々広い川だが、そこだけさらに広い。そして岩石の足場から離れたところにぽつんとひとが座れるほどの岩があり、そこに小さなカエルがぴょっこり佇んでいる。
 ぼくはひと目で直感した。あれが川の神だ。
 なにか違う。どう見ても半透明なだけのアマガエルなのに、その辺りだけ音が消えてしまったかのようにじゃくとしている。
 異質。だが、心地よい異質。
 レオは先日、土地のあるじを神と呼ぶと言った。そのときぼくは、なぜ神と呼ぶのかわからなかったけど、いまならわかる気がする。あんなに小さいのに、ぼくよりはるかに大きい。
 魔物のちょうは水面を進み、カエルの前で言った。
「川の神よ……」
「わかっているよ」
 カエル——川の神が言った。
「よく案内してくれたね。よくわたしのために戦ってくれたね。ありがとう」
「川の神よ……おお、おお……」
 長は泣いている——そう感じた。川の神の声はいままで聞いただれの声よりもやさしかった。
「さあ、下がっていなさい。こわいことになるといけないからね」
 川の神がそう言うと、長は川に溶けるように消えた。
「さて……」
 川の神はぼくらに目を向け、言った。
「まずお礼を言わせてもらえないかな」
「礼?」
 レオは怪訝そうに言った。
「礼を言われる筋合いなどないが……」
「いいや、感謝しているよ。だれも傷つけないでくれてありがとう」
 ぼくはそのひとことで川の神の偉大さに圧倒された。たったひとつの言葉の中に、彼がどれほどやさしく、どれほど深い愛の持ち主か見て取れた。
 なんて大きい。なんてあたたかい。
「なるほど」
 レオはフッと笑い、言った。
「あの水柱はあなたの指示か」
「ああ、その通りさ」
「あれなら直接死には繋がらない。うまくやれば無傷で里まで追い返せる」
「わたしは殺しが好きではないからね。物事はできるだけ穏便に済ませたい」
「同感だ」
 ふたりはフフフと笑った。その向かい合うあいだを、どこからか葉っぱが一枚、やわらかい風に乗って通り過ぎた。
 のどかだった。まるでここだけ時間がゆっくり流れているようだった。
「それで、わたしと獣耳の里を救うと言っていたが、いったいどんな話をしに来たんだい?」
「おや?」
 レオはキョトンとし、
「まだなにも言ってないが……見てたのか?」
「ああ、見ていたよ」
 川の神はなつかしむように言った。
「驚いたよ。こんな大きな魔力の持ち主は見たことがなかったからね」
「ほう……だがあのままいけば、わたしはヤツらを殺していたかもしれないぞ」
「そのときは出るつもりだったさ。でも君には殺気がなかった。それに獣の神もいたしね。少し見てみようと思ったんだ」
「なるほど」
「それじゃあ魂売りのレオさん、話を聞かせてもらえないかい?」
「ああ。実は——」
 レオはこれまでの経緯を話した。獣耳のウォルフという女が、川の神が水害を起こすから殺してくれと頼んでいること。しかしレオは人柱を立てるべきだと思っていること。そしてそれでもウォルフは殺すことに執心していること。
 川の神はそれをうん、うん、とひとつひとつうなずきながら聞いた。目を細め、一言も逃さず聞こうという丁寧な態度だった。
「なるほど、それで”アネキ”はわたしを殺しに来たんだね」
「どういうことだ?」
「アネキは言っていたよ。よくも弟を、妹をって。どうやら身内が流されたらしい」
「それでか……」
 話を聞いて、ぼくもウォルフが川の神を殺すことにこだわる理由がわかった。敵討かたきうちだ。川の神の起こす水害で家族を失い、復讐に燃えていたんだ。
 どうりで目の奥が暗いはずだ。だって、彼女の目的は正義なんかじゃない。あるのは怒りと悲しみだけなんだから。
「ねえ、神様」
 ぼくは言った。
「どうして水害を起こすの?」
「どうして?」
 川の神は言った。
「それは勝手に起きるからだよ」
「えっ?」
 勝手に起きる? 川の神が起こしているんじゃないの?
「だって、雨が降れば水かさが増すのは当然だよ。むしろわたしは里が壊滅しないよう害を弱めているんだよ」
「そんな……じゃあなんで完全に止めないのさ! だって人柱を立てれば止めてくれるんでしょ!?」
「ああ、たしかに十分な量の魂をもらえれば止めてもいい」
「なんで魂をもらわないとダメなの?」
「この子たちがいる」
 川の神は川下に顔を向けた。そこには無数の”かたちのないもの”たちが、不安そうに水面から顔を出していた。
「彼らは精、あるいは魔物だ。この世界を織り成す、なくてはならないものだ。草木や土、水や風は魔力を生む。ひとや獣もそうだ。ありとあらゆるものから魔力が生まれている。その魔力をかてに生きるのが彼らだ。もし彼らがいなければ世界は大変なことになってしまう。あふれた魔力は空気を焼き、大地を燃やし、海を熱する。だから彼らには元気でいてもらわなくてはならない。彼らの活力のためにも、少しくらいはひとが流れてくれないと困るんだ。人間の魂は高いエネルギーを持っているからね」
 それを聞いてぼくは衝撃を受けた。まさかみきらわれる魔物にそんな役割があったなんて……
「わたしもできれば獣耳たちに死んでほしくない。お隣さんだからね。でもそうしないと、魔物たちが外に出て魂を求めてしまうかもしれない。ひとが獣を食べるように、魔物にも生活がある。わかってくれるかな?」
 そう言って川の神は悲しげに微笑んだ。ぼくは言葉もなかった。
 知らないことだらけだった。世界は単純に見えて複雑だった。生き物が食物連鎖の中で生きているのは知っていたけど、まさかそこに見えないものたちも関わっていて、それがそんなにも重要な存在だなんて思いもよらなかった。
「獣の神もそういった苦心をしていたんじゃないかな?」
 と川の神が言うと、レグルスは照れるように頭を掻き、
「いえ、わたくしは暴れん坊を押さえつけることくらいしかしていませんでしたから……」
「ははは、そうかい。君は力がありそうだからね。でも、目に見えるものも、見えないものも、慕ってくれるとかわいくてしょうがないだろう」
「はい、彼らの平和のためによく走り回って吠えたものです」
「そうだろう、そうだろう。わたしもそうだ。わたしは本当のことを言うとね、この子たちがかわいくてしょうがないから、こうして神なんて面倒なことをやっているんだよ。彼らには悪鬼になってほしくないからね」
 途端、川下からうめき声が上がった。
「川の神!」
「おお、おお!」
「我らが神!」
 かたちのないものは涙を流さない。しかしぼくには、泣いているのがはっきりとわかった。そこには無数の愛があった。
「そういうことだ」
 レオがぼくに言った。
「川の神を殺す——それがどれだけ恐ろしく、間違ったことかよくわかったろう」
「うん」
「なら我々がすべきことはわかるな」
「魂を捧げることだね」
「うむ」
 そうしてレオは川の神と話し、交渉した。年に五つ以上の魂を人柱として流す。そう持ちかけると川の神は大いによろこび、ならば今後一切の水害を封じると約束してくれた。
「君がおだやかな人間で助かったよ。おかげでだれも死なずに済んだ」
「なに、これも仕事だ」
「ありがとう。元気でね」
「お互いにな」
 無事交渉を終えたぼくらは川の神に別れの挨拶をし、里へ戻ることにした。
 しかしぼくにはひとつ気になることがあった。
 ウォルフは里には金がないと言っていた。払えるのは今年の分で精一杯。じゃあ来年からはどうするんだろう。
「なに、問題ない」
 レオは言った。
「わたしはプロの魂売りだぞ。依頼を受けて、はい言われた通りにしますじゃ素人もいいとこだ。里も救う、川の神も救う、そしてウォルフも救う。それがプロというものだ。大丈夫、すべて丸く収まる。わたしがそうだと言ったらそうなるんだ」
 やがてぼくらは里に戻った。
 ウォルフは川が三つ又に分かれるきわで待っていた。あれから数時間は経っている。そのあいだずっと待っていたのだろう。彼女はぼくらを見るなり駆け寄り、迫るいきおいで訊いた。
「どうでしたか!? 川の神を殺していただけましたか!?」
 レオはふふんと笑い、思わせ振りに言った。
「知りたいか?」
「もちろんです!」
「そうか。しかし我々は腹が減った。そろそろ昼だしな。まずはメシを食わせてもらおう」
 そう言ってレオは再び里長さとおさ大家たいかに向い、食事の用意をさせた。
 それにしてもウォルフは手際がよかった。なにせすでにランチの用意がしてあったんだ。なんでも仕事を終えたぼくらをねぎらうために準備していたという。
 ぼくらは席に着き、里料理を前にのどを鳴らした。相変わらずいいにおいで、ついヨダレが垂れそうになる。
 しかし、ナイフとフォークがない。そして酒はあるがコップがない。
「いつでも食べられるようにしてあります。しかし、まずはお話ください。谷ではどうだったのか。川の神を殺すことはできたのかを」
「ふむ……」
 レオは腕を組み、言った。
「話してもいいが、そろそろ金を見せてもらおう」
「……まずは話を聞いてからです」
「なぜだ。仕事を済ませたんだ。対価を払うのは当然だろう」
「しかしまだ依頼をこなしていただいたかわかりませんから」
「そうか、そうだろうなぁ」
 レオは笑った。ふふふ、はははは、あははははは!
「まったく、ヘタクソにもほどがある」
「な、なにをおっしゃいますか?」
「おい、ウォルフ。おまえこのメシ食ってみろ」
「えっ!?」
「昨日言っていたな。有名になっては困るから、自慢の逸品をだれにも見せられないと。きっと我々に見せても困るのだろう。ならおまえが食うといい。食ってみろ。すべての皿を口にしてみろ」
「う……」
 ウォルフは顔を青くして後じさった。なんてことだ。レオの言っていた通りだ。
 レオは谷をくだる途中、ぼくらにこう言った。
「おまえたち、里でメシを出されても絶対に手を出すなよ」
「どうして?」
 ぼくがそう訊くと、
「毒が入っているからだ」
「ど、毒!? なんでそんな……」
「我々を殺すために決まっているだろう」
「そんな、でもどうして……」
「金がないからだ」
「え? だって館で話したときは払えるって……」
「おまえ、どうしてそれが真実だとわかるんだ?」
「……」
「ウォルフは言っていた。里には金がない。里には俗世のような金銭の流通がないと。それが、どうしてあんな大金をふたつ返事で払えるなんて答えたと思う?」
「……」
「簡単だ。殺してしまえばタダだからだ」
「でも……いくらなんでもそんなことするかな?」
「するさ。あいつは川の神を殺そうとしたんだぞ。それにこれまでも一族ぐるみで盗賊行為を働いている。ヤツらひとを殺すことなんて屁とも思ってないんだ」
 ぼくはそれを聞き、レオの予測が外れてほしいと思っていた。しかしウォルフの顔色が答えだった。
「どうした、食ってみろ。自慢の料理だろう」
「う、うう……」
 ウォルフはうなった。ギリギリと歯ぎしりし、両の手を握って震わせた。そして、
「おめえらー! 殺せえー!」
 と、太い声で叫んだ。途端、どたどたと音を立てて屈強な男たちが窓や扉を破り、飛び込んできた。その数、十余人じゅうよにん。手には剣を構えている。
 ぼくとレグルスは立ち上がり、腰のものを構えた。殺気が全身に伝わってくる。空気が痺れ、肌がピリピリと痛く感じる。
 そしてヤツらは手を伸ばし、
「はあ!」
 と叫んだ。
 男たちの表面が青や緑に輝き、ぼくらは飛んでくるであろう魔法に身構えた。しかし、
「あんれ!?」
「出ねえ! 出ねえべ!」
 なにも起きなかった。それどころか、
「あれ、動けねえ!」
 獣耳の戦士たちは体が動かなくなっていた。
「どしてだ! どして動けねえべ! どして魔法が出ねえべ!」
「まったく、アホどもが」
 レオは椅子の背もたれにのんびりくつろぎ、あくび混じりに言った。
「わたしが魔力を充満させていることくらい見破れんのか」
「なに!?」
 レオはヤツらの突入後、すぐに魔力を放っていた。濃い魔力が全身を覆うと魔術師は魔法を出せない。
「き、気づかなかったべえ!」
「肌が痺れただろうに。殺気に振り回されるからだ。このド素人どもめ」
 ああ、それで肌がピリピリしたのか。ぼく殺気かと思っちゃった。でもほら、ぼくは魔術師じゃないからね。しょうがないしょうがない。
「おまえだけは気づいていたようだがな。さすが年上の男たちに”姉貴”と呼ばれるだけはある」
 言いながらレオはウォルフに目を向けた。
 ウォルフは黙っていた。突入を合図してからひと言もしゃべっていない。それどころかピクリとも動いていない。
 ただ、恐怖で顔を固くしていた。蒼白になり、動かないのか、動けないのか、仁王立ちの体をぶるぶると震わせていた。
 おそらく見たのだろう。感じたのだろう。レオの力を。レオが一瞬で濃密な魔力を充満させ、さらに一瞬で十人以上の人間に”動けない魔法”をかける様を。
「どうした。おまえには魔法をかけてないぞ。少しはやる気を見せたらどうだ」
「む、無理だべ……」
 ウォルフは震え声で言った。
「敵うはずねえ……」
「なんだ、おまえ長なんだろう?」
「おれ、こんな禍々まがまがしい魔力見たことねえ……真っ赤なんてもんでねえ。地獄だべ、地獄の色だべ……」
「おいおい、こんな美女に地獄の色だなんて失礼だろう。もっと天国とか、女神の色とか言ったらどうだ」
 レオは笑っていた。かごの中の虫けらをからかって遊んでいるようだった。
「うう……」
 ウォルフはひざから崩れ落ち、地べたにへたり込んだ。力なくこうべを垂れる姿からは、もはやわずかの戦意も感じられなかった。
「せめて……」
 ウォルフはうつむいたまま言った。
「せめて最期に教えてくれえ……川の神はどうなったべえ……」
「最期?」
 レオは不思議そうな声で言った。
「なんだおまえ、死ぬのか?」
「へ?」
 ウォルフは顔を上げた。
「おめえ、おれたちを殺さねえっぺか?」
「殺してなんになる」
「だって、わかってるべ? おれたちは金なんて払えねえっぺ。それに、仕事だけさして殺そうとしたっぺよ。そんなん、殺されねえ方がおかしいべ」
「おい、わたしの話を聞いてなかったのか?」
 椅子にふんぞり返るレオの腹から”ぐぅー”と音が鳴った。
「わたしはまずメシを食わせろと言ったんだ。殺してしまったらこの里の料理が食えないじゃないか」
 ウォルフはポカンとしていた。殺されるとばかり思っていたところでこれじゃ、そうなるのも無理はない。レオはテーブルに、クロスさせた足を乗せ、言った。
「わかったらさっさと食えるものを持ってこい。食いながら話してやる。なに、いまさら金を取る気はない。もちろん対価はもらうが、それも悪いようにはせん。わたしが仕事をするからには、すべて完璧に丸く収まるんだ」
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