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第六話 獣人は川の神を殺さんと願う
獣人は川の神を殺さんと願う 八
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ぼくらは改めて用意された里の料理を味わっていた。
相変わらずレオはウォルフを気に入っているらしい。料理ができ次第ほかの獣耳には出て行ってもらい、昨夜とおなじように隣に座らせている。ほんの数十分前には殺意を向けられていたっていうのに、よくもまあ仲よくできるよ。
とはいえぼくも料理を口にしたら、そんなこと忘れてしまった。繊細で、ときに大胆な味わいは、ひと口ごとに感心を覚えるほどで、どれも絶品と言うほかない。これで芋酒を飲むともっと風味が増すという。
しかし芋酒は飲ませてもらえなかった。
「まだだ。まだ仕事が残っている。だから今夜だ。今夜も泊めてもらうとして、そのときに盛大に振る舞ってもらおう」
うう、やっと飲めると思ったのに。レオばっかりずるいなぁ。早く仕事が終わって夜になってほしいよ。
「さて、川の神のことだが」
レオは料理をつまみながら言った。
「あれは殺してはならん」
「えっ、どしてだべ……」
ウォルフは体をこわばらせ、田舎言葉で言った。標準語を使わないのは、レオがその方がいいと言ったからだ。
レオは言った。
「おまえは川の神が水害を起こしていると思っているようだが、実際はその逆だ。川の神はおまえたちが全滅しないよう流れを抑えてくれている。もしあれを殺せば被害はとんでもないことになるし、川の魔物が外に出て暴れかねない。感謝こそすれ、恨むなどもってのほかだ」
「……」
ウォルフは黙った。なにかを言おうとして口を開きかけたが言葉が出ないようだった。
「弟と妹が流されたそうだな」
そう言ってレオは酒をぐびりとやった。ウォルフはまたなにか言おうとして、しかし出なかった。ただためらいの吐息だけが漏れた。
フーッ、とレオは細い酒気を吹き、静かに言った。
「忘れろ」
「……」
「こればかりはどうしようもない。天の決めることだ」
その言葉にウォルフはフッとうつむき、小さく肩を震わせた。
「……んだどもよぉ」
絞り出すようにつぶやいた。途端、全身がガクガクと震え、力いっぱいつぶったまぶたの隙間から涙がボロボロとこぼれた。
「んだども、つれえべえ……あいつらやっと病気しねえ歳になって、ちっとずつ魔法も覚えはじめて、これからだったんだべ。やっとこれからってとこだったんだべ。んだのに、んだのによぉ!」
ウォルフはこころをかなぐり捨てるように首を振り、床にひざまずいてレオの肩をがっちりつかんだ。そしてぼろぼろの瞳をまっすぐに向け、なげき叫んだ。
「おれ、忘れるなんてできねえ! どしてあんな小っちぇえ子らが死ななきゃなんねえべ! どしてあいつらのこと忘れられるべ! おれ、おれ……なんかを恨みでもしねえといらんねえべよ! 川の神がなんだべ! 天がなんだっぺ! おれ、このままじゃぜんぶ恨んじまうべ!」
ウォルフは苦しんでいた。
悲しんでいた。
怒っていた。
恨んでいた。
憎んでいた。
そして、助けを求めていた。
「来い」
レオはウォルフの背を抱き、引き寄せた。
「わたしが忘れさせてやる」
そして哀しげにウォルフの頭を撫でた。
「悲しみも、憎しみも、わたしが忘れさせる。だから安心しろ。いまは泣けばいい」
「うっ、ううっ! うううう!」
ウォルフはレオにしがみつき、おうおうと泣いた。レオはそれをやさしく撫で続けた。
「アーサー様、レオ様はおやさしいですね」
「……うん」
ぼくはレグルスの言葉に同意した。本当にやさしいと思った。
……しかしどうも引っかかる。ちょっとやさし過ぎやしないか? 泣いてるところを慰めたり、刃を向けられたのに殺さなかったり、金を払えないのに仕事を進めたり……ふだんのレオなら絶対に考えられない。どう考えても裏がある。なにかたくらんでるんじゃないのか?
……いや、考え過ぎか。いつわりでこんなあたたかい笑顔ができるはずないもんね。そういえばレオも家族を失っている。なんでそうなったかは知らないけど、状況としてはかなり近いものがある。だからめずらしく同情してるんだろう。しかしまあ、ぼくも疑り深くなったよ。ああいやだ。
やがて食事が終わり、レオはウォルフ同伴で再び谷に行くと言った。なんでも里の人間と契約を結ばせ、約束を確実にするらしい。
「川の神には魂を年に五つ以上捧げることで納得してもらった。しかしそれでは金がかかる。わたしもタダで商品を売る気はない。だが解決策はある。要は人柱を立てればなんでもいいんだ」
ええ? なに言ってるんだろう。ひと死にをなくすのが目的なのに、それじゃ元も子もないよ。
「ウォルフ、おまえたちは里の近くを通る旅人を襲っているな」
「うんだべ」
「そいつらは皆殺しにしているな」
「そりゃそうするに決まってるべえ」
「それを使え」
「え?」
「次からはうまく殺さないよう捕らえ、生きたまま谷まで連れて行くんだ。それを沈めれば人柱になる」
「ああ、なるほどだっぺえ!」
ち、ちょっと待ってよ! それってすごく恐ろしいことじゃないか! 第一旅人にはなんの罪もないよ!
「それがどうした。いままでも殺してきたんだし、どうせこれからも殺すんだ。ならできる限り有効活用した方がいい」
「でもそんなの法が許すわけないよ!」
「安心しろ。獣耳の里は法の外だ。それにわたしには関係ない」
な、なんてこと考えるんだ……やっぱりレオは最悪だよ! 天国でも女神でもなく地獄って表現がお似合いだ!
ぼくは猛反対した。しかし川の神はその案を快諾した。
「すばらしい考えだ。それならきっとこの子たちも前より元気になるし、里も繁栄するし、いいことづくめじゃないか」
なにがいいことづくめなんだろう。殺される旅人のことは考えないのか? みんな頭おかしいよ。あーあ、契約しちゃった。知らないよホント。
「しかしご家族のことは残念だったね」
川の神は契約が済むと、ウォルフに言った。
「でも安心して。すべてのいのちはひとつなんだよ。肉体があっても、肉体を失ってばらばらになっても、すべてはめぐり、無数の、そして一本の川として流れ続けるんだ。だから君も、世界も、散っていったご家族もみんないっしょなんだよ」
ぼくにはなにを言ってるのかまっっったくわからなかった。しかしウォルフにはなにか通じるものがあるらしく、
「おれ……あんな無礼なことして……申し訳なかったべえ!」
と涙ながらに頭を下げた。それに対し、
「これからはともに生きていこうね、お隣さん」
川の神は寛容な微笑みで応えた。実に満足そうな笑顔だった。
獣耳の里は救われた。川の神も救われた。そしてどうやらウォルフも救われた。
すべては丸く収まった。ぼくはどうしても納得がいかないけど、とにかく里の平和は守られた。
でももうそんなことどーでもいい!
仕事が終わった!
夜が来た!
やっと芋酒が飲める!
その夜、ぼくとレグルスはやっと芋酒を口にした。猪肉の煮つけ、川魚の塩焼き、その他さまざまな料理とともに、酒好きのレオをうならせた例の名酒を合わせ飲んだ。
「おいしいね、レグルス!」
「はい、アーサー様! そのままでもよいですし、料理と合わせるともっとよろしい! ああ、わたくしめはしあわせでございます!」
レグルスはそう言ってコップを空にし、「ふにゃぁ」とぼくの肩に頭を乗せた。しらふの彼女なら絶対にしない行為だ。だいぶ酔っ払っている。
レオはというと、ウォルフにずいぶん肩を寄せて酒を飲んでいた。
「ふむ、このお湯割りというのは実にいいな。薄まっているはずなのに、より香り高く感じる」
「うんだべ。芋酒は飲み方で味が変わって飽きねえべえ。ほかにもレモンを絞って入れるとか、炭酸水と混ぜるとか、いろいろあるっぺよ」
「それはいい。またあとで試すとしよう」
レオはうれしそうに言い、ウォルフにどんどん酒を注がせた。また、ウォルフにも飲ませた。その様子はずいぶんと仲睦まじく、レオの目は妙にやさしかった。
なんだろうなぁ。まるで恋人を別の男に取られたような気分だ。まあ、相手は女だし、こんな気持ちになるのは変だけどさ。……それにしても、
「ふにゃあん、アーサーしゃまぁ。わたくし暑いでしゅ~」
なるほど、レオの言った通りレグルスの酒癖はかなり悪い。言葉遣いはぐにゃぐにゃだし、抱きついて胸は押しつけるし、顔はぐりぐりうずめてくるし、そのうえ、
「にゃあ、にゃあ、おねがぁい、頭なでなでしてにゃあん」
なんて言ってくる。ああ、これがあのレグルスか……もはや別人じゃないか。お酒って怖いなぁ。ぼくは人格が変わる前に眠くなっちゃうからこうはならないけど、もし飲めたらどうなっていたんだろう。え? ああ、なでなでね。よーしよし。いい子いい子。
そんなこんなでだいぶ飲んだ。
「ふわぁ、もうダメ。ぼく眠いや」
ぼくはお先に失礼させてもらうことにした。だって下戸だもの。水割りを二杯も飲んだらへろへろだよ。さっきからあくびが止まんない。
ぼくは客室の隣、灯りの消えた寝室に移って扉を閉めた。ああ、体が熱い。服なんか着てらんないや。レグルスがいるのになんだけど、今日はぼくも脱いじゃおう。
ぼくは翌朝のことも考えずさっさと全裸になり、布団に潜り込んだ。わあ、気持ちいい! すべすべで、ひんやりしてていい感じだ。
ぼくは目をつぶり、意識がおぼろげになりかけた。するとだれかが扉を開ける音が聞こえた。閉じたまぶたの向こうに、ほんのり光を感じる。
「アーサーしゃまぁ、わたくしめもごいっしょさせてくだしゃあい」
ああ、レグルスか。君もずいぶん酔ってたからね。うん、いいよ。気持ちよーく寝よう。
そう思っていると、レグルスは歩く気配もなく、なにやらがさごそと音を立てた。
「あれっ、レオさん、レグルスさんったらあんなところで服を——もごもご」
「しーっ、黙って見ていろ」
レオとウォルフがなにか話している。なんだろう。まあ、どうでもいいや。
——が、どうでもよくなかった。
「ごいっしょ~」
という声とともに、ぼくの布団になにかが入り込んだ。
「えっ!?」
ぼくはなにかと思って目を開くと、
「れ、レグルス!?」
「ふにゃあ~」
な、な、な、わあー! は、裸! レグルス裸ぁー!
「ち、ちょっと、なにしてるの!」
「しゅきぃ~。アーサーしゃましゅきぃ~」
「ちょ、わっ! レオ! レオー!」
ぼくは大声でレオを呼んだ。だって、レグルスったら力が強くて跳ね除けられない。ぼくは騎士だ。愛するひと以外と愛し合うなんてやってはいけない。だけど、ああ……この肌! この胸の感触! この美貌! このにおい! いくらぼくが強靭な意思を持つ騎士だからって、これじゃあ拒めない!
「呼んだか?」
「呼んだよ!」
レオは酒を片手に、のん気に枕元へ座った。なぜかウォルフの腕をつかんで連れて来ている。
「助けてレオ! このままじゃ浮気しちゃうよ!」
「ほう。すればいい」
「すればいいって……なに考えてるのさ!」
「おまえな、レグルスはわたしの使い魔だぞ。魂の一部だぞ。つまりわたしじゃないか」
「そ、そう言われても……」
「いやなのか?」
「そんな、いやだなんて……でもぼくはレオの……」
レオはフフ、と笑い、レグルスに顔を近づけて言った。
「おい、レグルス」
「ふにゃ?」
「おまえ、アーサーを犯すつもりか?」
「ふにゃ……ふにゃあ……」
「なら覚悟しろよ。なにせアーサーは絶倫だ。いやよいやよと言いながら、はじまってしまえば最低五回は濃いのを出さないと収まらん。ましてや禁欲五日目だ。となればもう、血を見た猛牛のように突っ込んでくるだろう。先に仕掛けたのはおまえなんだから、途中で泣き言を言うんじゃないぞ」
「……にゃあ!」
ち、ちょっとレオ! 待って! 止めて! ぼくはレオの、レオの……わああ!
「まったく、好きもののくせに清純なふりなぞしおって。しょせんは下半身に逆らえんのではないか。しょうがないな、男というヤツは」
ぼくはそのままこころを飲み込まれてしまった。騎士道精神は目の前の欲望によってぐにぐにと押し潰されてしまった。
意識が獣へと変わりゆくさなか、おぼろげにレオとウォルフのやり取りが聞こえた。
「あ、あのぉ、おれそろそろ帰るべえ……」
「待て、どこへ行く」
「いやあー、どうもお邪魔なようだっぺからよお。明日また見送りにくるべから、そんじゃまた……」
「待てと言ってるんだ」
「ちょ、離すべ! どして止めるべ! こんなとこいたら迷惑になっから帰るっつってんだべ!」
「おまえ、まさかこのまま帰れると思うのか?」
「は!?」
「わたしに四日も長旅をさせ、二日も仕事をさせて、酒とメシだけで済むと思っているのか?」
「は、離すべ! おれ帰るっぺ!」
「なにを怯えている」
「おめえさんの目だっぺ! なんだべその目、おれになにするつもりだべ!」
「なにって、決まっているだろう」
「ひっ! そ、それは……」
「すごいだろう。魔法で作ったんだ。ちゃんとくっついて快感を味わうことができる。ほれ、おまえの分もあるぞ」
「離せ! 離せえー!」
「おいおい、そんなに怯えるな。よけい昂ってしまうではないか」
「おれは女だぞ! なに考えてるべ!」
「女だからだ。わたしは男が好きではないからな。しかしおまえはかわいい。おまえは美しい。特別に妾にしてやろう。はぁ、はぁ……」
「やめろおー! おれは違う! ちくしょう、どして力がうまく入らねんだべ!」
「わたしが魔法を使っているからに決まってるじゃないかぁ! はぁ、はぁ! ほら、逃げろ! 逃げてみろ! もっと抵抗しろ! はぁー! はぁー! 昼に言っただろう! 悲しみも憎しみもわたしが忘れさせてやるって! 約束通り忘れさせてやる! おまえのこころをわたしでいっぱいにして、そんなもの消し飛ばしてやる! あははは! あはははははははははー!」
相変わらずレオはウォルフを気に入っているらしい。料理ができ次第ほかの獣耳には出て行ってもらい、昨夜とおなじように隣に座らせている。ほんの数十分前には殺意を向けられていたっていうのに、よくもまあ仲よくできるよ。
とはいえぼくも料理を口にしたら、そんなこと忘れてしまった。繊細で、ときに大胆な味わいは、ひと口ごとに感心を覚えるほどで、どれも絶品と言うほかない。これで芋酒を飲むともっと風味が増すという。
しかし芋酒は飲ませてもらえなかった。
「まだだ。まだ仕事が残っている。だから今夜だ。今夜も泊めてもらうとして、そのときに盛大に振る舞ってもらおう」
うう、やっと飲めると思ったのに。レオばっかりずるいなぁ。早く仕事が終わって夜になってほしいよ。
「さて、川の神のことだが」
レオは料理をつまみながら言った。
「あれは殺してはならん」
「えっ、どしてだべ……」
ウォルフは体をこわばらせ、田舎言葉で言った。標準語を使わないのは、レオがその方がいいと言ったからだ。
レオは言った。
「おまえは川の神が水害を起こしていると思っているようだが、実際はその逆だ。川の神はおまえたちが全滅しないよう流れを抑えてくれている。もしあれを殺せば被害はとんでもないことになるし、川の魔物が外に出て暴れかねない。感謝こそすれ、恨むなどもってのほかだ」
「……」
ウォルフは黙った。なにかを言おうとして口を開きかけたが言葉が出ないようだった。
「弟と妹が流されたそうだな」
そう言ってレオは酒をぐびりとやった。ウォルフはまたなにか言おうとして、しかし出なかった。ただためらいの吐息だけが漏れた。
フーッ、とレオは細い酒気を吹き、静かに言った。
「忘れろ」
「……」
「こればかりはどうしようもない。天の決めることだ」
その言葉にウォルフはフッとうつむき、小さく肩を震わせた。
「……んだどもよぉ」
絞り出すようにつぶやいた。途端、全身がガクガクと震え、力いっぱいつぶったまぶたの隙間から涙がボロボロとこぼれた。
「んだども、つれえべえ……あいつらやっと病気しねえ歳になって、ちっとずつ魔法も覚えはじめて、これからだったんだべ。やっとこれからってとこだったんだべ。んだのに、んだのによぉ!」
ウォルフはこころをかなぐり捨てるように首を振り、床にひざまずいてレオの肩をがっちりつかんだ。そしてぼろぼろの瞳をまっすぐに向け、なげき叫んだ。
「おれ、忘れるなんてできねえ! どしてあんな小っちぇえ子らが死ななきゃなんねえべ! どしてあいつらのこと忘れられるべ! おれ、おれ……なんかを恨みでもしねえといらんねえべよ! 川の神がなんだべ! 天がなんだっぺ! おれ、このままじゃぜんぶ恨んじまうべ!」
ウォルフは苦しんでいた。
悲しんでいた。
怒っていた。
恨んでいた。
憎んでいた。
そして、助けを求めていた。
「来い」
レオはウォルフの背を抱き、引き寄せた。
「わたしが忘れさせてやる」
そして哀しげにウォルフの頭を撫でた。
「悲しみも、憎しみも、わたしが忘れさせる。だから安心しろ。いまは泣けばいい」
「うっ、ううっ! うううう!」
ウォルフはレオにしがみつき、おうおうと泣いた。レオはそれをやさしく撫で続けた。
「アーサー様、レオ様はおやさしいですね」
「……うん」
ぼくはレグルスの言葉に同意した。本当にやさしいと思った。
……しかしどうも引っかかる。ちょっとやさし過ぎやしないか? 泣いてるところを慰めたり、刃を向けられたのに殺さなかったり、金を払えないのに仕事を進めたり……ふだんのレオなら絶対に考えられない。どう考えても裏がある。なにかたくらんでるんじゃないのか?
……いや、考え過ぎか。いつわりでこんなあたたかい笑顔ができるはずないもんね。そういえばレオも家族を失っている。なんでそうなったかは知らないけど、状況としてはかなり近いものがある。だからめずらしく同情してるんだろう。しかしまあ、ぼくも疑り深くなったよ。ああいやだ。
やがて食事が終わり、レオはウォルフ同伴で再び谷に行くと言った。なんでも里の人間と契約を結ばせ、約束を確実にするらしい。
「川の神には魂を年に五つ以上捧げることで納得してもらった。しかしそれでは金がかかる。わたしもタダで商品を売る気はない。だが解決策はある。要は人柱を立てればなんでもいいんだ」
ええ? なに言ってるんだろう。ひと死にをなくすのが目的なのに、それじゃ元も子もないよ。
「ウォルフ、おまえたちは里の近くを通る旅人を襲っているな」
「うんだべ」
「そいつらは皆殺しにしているな」
「そりゃそうするに決まってるべえ」
「それを使え」
「え?」
「次からはうまく殺さないよう捕らえ、生きたまま谷まで連れて行くんだ。それを沈めれば人柱になる」
「ああ、なるほどだっぺえ!」
ち、ちょっと待ってよ! それってすごく恐ろしいことじゃないか! 第一旅人にはなんの罪もないよ!
「それがどうした。いままでも殺してきたんだし、どうせこれからも殺すんだ。ならできる限り有効活用した方がいい」
「でもそんなの法が許すわけないよ!」
「安心しろ。獣耳の里は法の外だ。それにわたしには関係ない」
な、なんてこと考えるんだ……やっぱりレオは最悪だよ! 天国でも女神でもなく地獄って表現がお似合いだ!
ぼくは猛反対した。しかし川の神はその案を快諾した。
「すばらしい考えだ。それならきっとこの子たちも前より元気になるし、里も繁栄するし、いいことづくめじゃないか」
なにがいいことづくめなんだろう。殺される旅人のことは考えないのか? みんな頭おかしいよ。あーあ、契約しちゃった。知らないよホント。
「しかしご家族のことは残念だったね」
川の神は契約が済むと、ウォルフに言った。
「でも安心して。すべてのいのちはひとつなんだよ。肉体があっても、肉体を失ってばらばらになっても、すべてはめぐり、無数の、そして一本の川として流れ続けるんだ。だから君も、世界も、散っていったご家族もみんないっしょなんだよ」
ぼくにはなにを言ってるのかまっっったくわからなかった。しかしウォルフにはなにか通じるものがあるらしく、
「おれ……あんな無礼なことして……申し訳なかったべえ!」
と涙ながらに頭を下げた。それに対し、
「これからはともに生きていこうね、お隣さん」
川の神は寛容な微笑みで応えた。実に満足そうな笑顔だった。
獣耳の里は救われた。川の神も救われた。そしてどうやらウォルフも救われた。
すべては丸く収まった。ぼくはどうしても納得がいかないけど、とにかく里の平和は守られた。
でももうそんなことどーでもいい!
仕事が終わった!
夜が来た!
やっと芋酒が飲める!
その夜、ぼくとレグルスはやっと芋酒を口にした。猪肉の煮つけ、川魚の塩焼き、その他さまざまな料理とともに、酒好きのレオをうならせた例の名酒を合わせ飲んだ。
「おいしいね、レグルス!」
「はい、アーサー様! そのままでもよいですし、料理と合わせるともっとよろしい! ああ、わたくしめはしあわせでございます!」
レグルスはそう言ってコップを空にし、「ふにゃぁ」とぼくの肩に頭を乗せた。しらふの彼女なら絶対にしない行為だ。だいぶ酔っ払っている。
レオはというと、ウォルフにずいぶん肩を寄せて酒を飲んでいた。
「ふむ、このお湯割りというのは実にいいな。薄まっているはずなのに、より香り高く感じる」
「うんだべ。芋酒は飲み方で味が変わって飽きねえべえ。ほかにもレモンを絞って入れるとか、炭酸水と混ぜるとか、いろいろあるっぺよ」
「それはいい。またあとで試すとしよう」
レオはうれしそうに言い、ウォルフにどんどん酒を注がせた。また、ウォルフにも飲ませた。その様子はずいぶんと仲睦まじく、レオの目は妙にやさしかった。
なんだろうなぁ。まるで恋人を別の男に取られたような気分だ。まあ、相手は女だし、こんな気持ちになるのは変だけどさ。……それにしても、
「ふにゃあん、アーサーしゃまぁ。わたくし暑いでしゅ~」
なるほど、レオの言った通りレグルスの酒癖はかなり悪い。言葉遣いはぐにゃぐにゃだし、抱きついて胸は押しつけるし、顔はぐりぐりうずめてくるし、そのうえ、
「にゃあ、にゃあ、おねがぁい、頭なでなでしてにゃあん」
なんて言ってくる。ああ、これがあのレグルスか……もはや別人じゃないか。お酒って怖いなぁ。ぼくは人格が変わる前に眠くなっちゃうからこうはならないけど、もし飲めたらどうなっていたんだろう。え? ああ、なでなでね。よーしよし。いい子いい子。
そんなこんなでだいぶ飲んだ。
「ふわぁ、もうダメ。ぼく眠いや」
ぼくはお先に失礼させてもらうことにした。だって下戸だもの。水割りを二杯も飲んだらへろへろだよ。さっきからあくびが止まんない。
ぼくは客室の隣、灯りの消えた寝室に移って扉を閉めた。ああ、体が熱い。服なんか着てらんないや。レグルスがいるのになんだけど、今日はぼくも脱いじゃおう。
ぼくは翌朝のことも考えずさっさと全裸になり、布団に潜り込んだ。わあ、気持ちいい! すべすべで、ひんやりしてていい感じだ。
ぼくは目をつぶり、意識がおぼろげになりかけた。するとだれかが扉を開ける音が聞こえた。閉じたまぶたの向こうに、ほんのり光を感じる。
「アーサーしゃまぁ、わたくしめもごいっしょさせてくだしゃあい」
ああ、レグルスか。君もずいぶん酔ってたからね。うん、いいよ。気持ちよーく寝よう。
そう思っていると、レグルスは歩く気配もなく、なにやらがさごそと音を立てた。
「あれっ、レオさん、レグルスさんったらあんなところで服を——もごもご」
「しーっ、黙って見ていろ」
レオとウォルフがなにか話している。なんだろう。まあ、どうでもいいや。
——が、どうでもよくなかった。
「ごいっしょ~」
という声とともに、ぼくの布団になにかが入り込んだ。
「えっ!?」
ぼくはなにかと思って目を開くと、
「れ、レグルス!?」
「ふにゃあ~」
な、な、な、わあー! は、裸! レグルス裸ぁー!
「ち、ちょっと、なにしてるの!」
「しゅきぃ~。アーサーしゃましゅきぃ~」
「ちょ、わっ! レオ! レオー!」
ぼくは大声でレオを呼んだ。だって、レグルスったら力が強くて跳ね除けられない。ぼくは騎士だ。愛するひと以外と愛し合うなんてやってはいけない。だけど、ああ……この肌! この胸の感触! この美貌! このにおい! いくらぼくが強靭な意思を持つ騎士だからって、これじゃあ拒めない!
「呼んだか?」
「呼んだよ!」
レオは酒を片手に、のん気に枕元へ座った。なぜかウォルフの腕をつかんで連れて来ている。
「助けてレオ! このままじゃ浮気しちゃうよ!」
「ほう。すればいい」
「すればいいって……なに考えてるのさ!」
「おまえな、レグルスはわたしの使い魔だぞ。魂の一部だぞ。つまりわたしじゃないか」
「そ、そう言われても……」
「いやなのか?」
「そんな、いやだなんて……でもぼくはレオの……」
レオはフフ、と笑い、レグルスに顔を近づけて言った。
「おい、レグルス」
「ふにゃ?」
「おまえ、アーサーを犯すつもりか?」
「ふにゃ……ふにゃあ……」
「なら覚悟しろよ。なにせアーサーは絶倫だ。いやよいやよと言いながら、はじまってしまえば最低五回は濃いのを出さないと収まらん。ましてや禁欲五日目だ。となればもう、血を見た猛牛のように突っ込んでくるだろう。先に仕掛けたのはおまえなんだから、途中で泣き言を言うんじゃないぞ」
「……にゃあ!」
ち、ちょっとレオ! 待って! 止めて! ぼくはレオの、レオの……わああ!
「まったく、好きもののくせに清純なふりなぞしおって。しょせんは下半身に逆らえんのではないか。しょうがないな、男というヤツは」
ぼくはそのままこころを飲み込まれてしまった。騎士道精神は目の前の欲望によってぐにぐにと押し潰されてしまった。
意識が獣へと変わりゆくさなか、おぼろげにレオとウォルフのやり取りが聞こえた。
「あ、あのぉ、おれそろそろ帰るべえ……」
「待て、どこへ行く」
「いやあー、どうもお邪魔なようだっぺからよお。明日また見送りにくるべから、そんじゃまた……」
「待てと言ってるんだ」
「ちょ、離すべ! どして止めるべ! こんなとこいたら迷惑になっから帰るっつってんだべ!」
「おまえ、まさかこのまま帰れると思うのか?」
「は!?」
「わたしに四日も長旅をさせ、二日も仕事をさせて、酒とメシだけで済むと思っているのか?」
「は、離すべ! おれ帰るっぺ!」
「なにを怯えている」
「おめえさんの目だっぺ! なんだべその目、おれになにするつもりだべ!」
「なにって、決まっているだろう」
「ひっ! そ、それは……」
「すごいだろう。魔法で作ったんだ。ちゃんとくっついて快感を味わうことができる。ほれ、おまえの分もあるぞ」
「離せ! 離せえー!」
「おいおい、そんなに怯えるな。よけい昂ってしまうではないか」
「おれは女だぞ! なに考えてるべ!」
「女だからだ。わたしは男が好きではないからな。しかしおまえはかわいい。おまえは美しい。特別に妾にしてやろう。はぁ、はぁ……」
「やめろおー! おれは違う! ちくしょう、どして力がうまく入らねんだべ!」
「わたしが魔法を使っているからに決まってるじゃないかぁ! はぁ、はぁ! ほら、逃げろ! 逃げてみろ! もっと抵抗しろ! はぁー! はぁー! 昼に言っただろう! 悲しみも憎しみもわたしが忘れさせてやるって! 約束通り忘れさせてやる! おまえのこころをわたしでいっぱいにして、そんなもの消し飛ばしてやる! あははは! あはははははははははー!」
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