魂売りのレオ

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第七話 狙われた魔術師

狙われた魔術師 三

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「そうしてぼくはレオに介抱されて、いまこうしてる」
「そんな……」
 コジャッブはいつからか涙を流していた。
「そんなひでえ話があるかよ……」
「ホントだよね。母さんの誕生日だってのにさ」
「ちくしょう!」
 コジャッブはテーブルに拳を叩きつけた。
「だれだ! フェルカドさんを殺したのは! だれがフェルカドさんの家を襲撃したんだ!」
「コジャッブ……」
「おれはフェルカドさんに憧れていたんだ!」
「父さんに?」
「ああ。おれはおまえの父さんの平和を愛する強い背中に憧れて剣士になったんだ。よそでは戦争、戦争、殺し合いだってのに、この国が平和なのは、あのひとがだれよりもやさしかったからだ。それでいて悪党には容赦ない剣さばきを見せる本物の男だった。おれはあのひとみたいになりたくて……なりたくてよぉ……」
 そうかぁ、コジャッブがそんなに父さんに憧憬どうけいしていたなんて知らなかった。
 たしかに彼の剣はやさしい。倒すための剣ではなく、護るための剣だ。悪党を殲滅せんめつするときも彼は致命傷にならないよう気をつけてるきらいがあったし、敵の剣を力で跳ね飛ばして、蹴りや頭突きで無力化する場面をぼくはなんども見ている。
 男らしいパワフルな風貌だけど、その心根は慈愛に満ちている。そんな彼が吠えた。
「アーサー! なぜ報復しねえ!」
「……」
「だれかがおまえの家族を皆殺しにしたのはわかってるんだろ!? ならなぜ探し出して鉄槌を下さねえ! 悔しくねえのかよ!」
「……」
 そりゃ悔しいさ。思い出しただけで殺してやりたいと思うさ。だけど……
「わたしが止めたんだ」
 ふと、レオが言った。
「リスクが大きすぎるからやめろ、とな」
 それを聞いたコジャッブはギリっと奥歯を噛み、
「リスクがなんだ! 男だせ! いのちと誇りを天秤にかけりゃ、魂に誓って戦うべきだろ!」
「バカだな」
「なに!?」
「相手は私用で大量の兵を用意できるようなヤツだぞ。まず私軍を持っている。そしてそんな大人数を動かしてただの火事で済ませるということは、軍の規律、統率が取れているのはもちろん、隠密能力や情報操作にも優れている。兵がひとりも事実を漏らさないというのも恐ろしい。それを相手にするのがどれほど難しいことか、わからんわけではあるまい」
「けど……」
「それに相手はひとりとは限らん。複数いる可能性が高い。すると正しい情報をつかむことも難しくなる。おまえ、もし間違って善良な臣下を殺してしまったらどうするつもりだ?」
「ぐう……」
 コジャッブは湧き上がった怒りがぐにゃりとヘタるように肩を沈めた。彼の体内で行き場のない感情がぐちゃぐちゃ音を立てているのがわかる。
 ぼくは静かに言った。
「ありがとう、怒ってくれて」
「アーサー……」
「ぼくもね、本当に悔しいんだ。レオが止めなかったら、もしかしたら城に突っ込んで全員斬り殺してたかもしれない。そこできっと死んでたと思う。けど、母さんが言ったんだ。生きて——って。だからぼくは生きることを最優先にしようと思うんだ。それがどれだけ男らしくないとしてもね」
 この考えは間違ってるかもしれない。騎士としてひどく情けないことかもしれない。でも、父さんが逃がしてくれたんだ。母さんが守ってくれたんだ。だからぼくは、どんなにみっともなくても生きなくちゃいけない。
 それをわかってくれたのか、
「……そうか」
 とコジャッブは微笑んでくれた。それでぼくもようやくニッコリ笑うことができた。
「じゃあたくさん子供を産まなきゃなあ!」
 コジャッブは陰鬱いんうつだった空気を吹き飛ばすようにぼくの背中を叩き、
「せっかく繋いだいのちだ。マイナー家の魂を残していかねえとよ。つってもこんなに美人のカミさんじゃ、いやでもぽんぽこ生まれちまうか! あっはっは!」
 げっ! コジャッブ、それはタブーだ! それは子供のできないレオの神経に突き刺さる言葉だ! 笑ってる場合じゃないよ!
 ああ……レオがイラついてる。ほとんど素の表情だけど、眉間がぎゅうってなってる。しかもポケットからウィスキーの小ビンを取り出して、うわ、一気飲みした! それをテーブルにドンと叩きつけて、
「しかしのどが渇いたな! ふつう客が来たら酒のひとつでも出すのが礼儀だが、ここの部屋主はそんなことも知らんらしい!」
「え? あ、ああ。すまねえちょっと待っててくれ」
 コジャッブは目を丸くして応え、グラスを取りに席を立つ際、ぼくの耳にこっそりひそひそ、
「なんでカミさん怒ってるんだ?」
「不妊なの」
「あちゃー」
 と苦い顔をした。まあ、君は知らないから悪くないんだけどね。でも君がぼくの親友でよかった。あとで聞いたら、
「おまえの友達でなかったら殺していたぞ」
 と言うんだから物騒極まりない。まさか冗談だと思うけどさ。……冗談だよね?
「さささ、奥さん。酒です!」
 コジャッブは見るからに作り笑いで酒をグラスに注ぎ、
「ああー、こんなきれいなひとがうちで酒を飲んでくれるなんてうれしいなー」
 と言うと、レオは、
「ふん、許してやる」
 とグラスに手をつけた。ナイス、コジャッブ。そのひとことが効いたよ。
「しかしアーサー」
 レオは高級酒を水みたいに飲み、おかわりを要求するようにグラスを持つ手を伸ばしながら言った。
「おまえ、セカンドネームがあったのか」
「あ、うん」
「考えてみれば近衛兵長の家系だ。それなりの地位があって当然だが、なぜ隠していた」
 高い身分の家系にはかならずセカンドネームがついている。ぼくの家も”マイナー家”として都で知られていた。
 でもぼくは幼いころ、はじめてレオと会ったときから身分を隠していた。だって、ぼくは偉そうに思われるのがきらいだ。できることならみんなといっしょがいいし、あんまりそういう扱いを受けたくない。ぼくはたまたま名家に生まれただけなんだから。
「アーサーはそういうのきらいだからな」
 コジャッブはレオのグラスに酒をそそぎながら言った。
「実力もないのにひとの上に立ちたくないって言ってたもんな。まあ、おまえの剣の腕なら十分偉ぶる資格はあったけどよ」
「やだよ、ぼくはただの人間だもの。入隊したときだって特別扱いされたくないから隠してたんじゃないか」
「そういうおまえだからおれは気に入ったんだろうな。ま、おまえんちに遊びに行って、フェルカドさんがいたときは驚いたけどよ」
 レオは酒を飲み、静かに聞いていた。しかし突如フフフとほくそ笑み、
「そうか……レオ・マイナー、マイナー夫人か……フフフ」
 とニヤニヤしながら言った。ああ、そうだね。君はひと前で偉ぶるのが大好きだもんね。セカンドネームが付いてさぞうれしいだろうなぁ。
「ところでさ、君はどうしてこんなところで魔術師をしているの?」
 ぼくは話の区切りを見て、ずっと訊きたかったことを尋ねた。すると、
「あ、そうそう。おれね、騎士やめたんだ」
「どうして?」
「そりゃおまえ、フェルカドさんがいなくなったからさ。それになんだかキナ臭くなってよ」
「キナ臭くなった?」
「ああ。どうも王は侵略戦争を考えているらしい」
「ええっ!?」
 ぼくは立ち上がって声を上げた。そんな、まさかぼくらの国が侵略!?
「それまでフェルカドさんが止めてたからな。ま、当然の流れかもしれねえ。おれはそういうのやりたくないから早々に出て行ったんだ」
 なるほど、たしかに父さんは言ってた。王も臣下もみんな戦争に前向きだって。そうするとこれからこの国は戦争になるのか。いやだなぁ……
「そんでよ、おれは故郷に帰って畑でもやろうと思ったんだ。そしたらたまたまこの街の魔術師団の団長に声をかけられてさ、魔法の才能があるからやってみないかって言うんだ」
 なんでも彼はむかしから風を操る力があったらしい。暑い日や、濡れた服を乾かしたいときなど、こんなときにいい風が吹いたらなぁ、と思うといつもその通りになった。やった、ラッキー程度にしか思っていなかったが、実はそれは魔法が起こした風だった。
 それで去年のいまごろ、実家に向かう真夏の道中、無意識に風を起こしていたところを団長に見そめられ、もうすぐ入団して一年になるという。
「どうも筋がいいらしくってさ。団長がこんど仮面に模様を入れないかって言うんだ」
 それを聞いたレオが”えっ?”と顔を上げ、
「たったの一年でか!」
 と言った。よほど驚くことらしい。
「すごいことだぞ。なんせ飛び級だ。魔術師は地位や実力で仮面の派手さが決まるが、最初は白仮面からはじまり、一年経てば色付きの仮面になり、ある程度腕が認められれば模様や絵を入れる。師匠クラスになればさらに装飾で飾り付けるんだが、ともかく色付きをすっ飛ばして模様付きなんてそうはない。おまえ、相当期待されてるな」
 へへへ、とコジャッブは照れて頭をかいた。まさか彼がそんな才能の持ち主だなんて思いもよらなかった。いいなぁ、ぼくは魔法の才能がないからうらやましいや。
「でもいいことばかりじゃねえんだ」
 コジャッブは困ったような顔で言った。
「最近、なんだか狙われてるみてえでよ」
「狙われてるって?」
「いのちをさ」
「なにそれ、どういうこと?」
「それがよ、団長がおれを模様付きにするって発表して以来、危ねえことが多いんだ」
 彼はぼくにも飲み物を用意し、自分も酒を軽くあおりながら話しはじめた。

 はじめは単なる不運だと思った。
 突然馬車が暴走してかれそうになったり、道沿いの家のベランダから花瓶が落ちてきたりと、偶然で片付くことだった。
 しかし魔法の気配がした。魔法を使うと魔力が発生し、それがにおう。熟達の魔術師ならどんな小さな魔力でも発生源の目安くらいつくが、コジャッブはその域にははるか遠い。どこかで魔力が発生したくらいにしかわからない。
 事故未遂は決まってひと混みの中で起こる。そのときかならずどこかで魔法の気配がする。それが四日も続いたころ、思えば危険は昇格発表の日から起きていると気づいた。
 もしかしたら、だれかにいのちを狙われているのかもしれない。
 ない話ではない。魔術師の世界では暗殺などよくあることで、特別な力があるとおごり高ぶった彼らが邪魔者を排除するのは、ある意味常識的行為だ。
 彼らが排除するのはいつも仕事上の邪魔者である。
 ひとりで企業した若者はもちろん、ときには縄張りを争う他の団と正面から殺し合いに発展することまである。
 そしてまれに身内を狙う場合もある。
 魔術師団において、仮面の種類ごとの数は比率が決まっている。ちょうの仮面はひとつとして、たとえば装飾付きは全体の二割、模様付きは三割、残りは色付きか新人の白仮面と決めたとし、この比率でいくとコジャッブの所属する団は団長を除き十四名いるから、模様付きは三、四人ということになる。
 そこで彼が昇格すれば、その分だれかが降格する可能性がある。
 そんなとき、身内殺しが起こり得る。
 まさかな、と彼は思った。そういうことがあると話は聞いていたが、よもや自分が標的になるなど考えてもいなかった。
 しかし五日目の夜、確信に変わった。
 彼は夜道をひとり歩いていた。周囲にはだれもいない。
 しかし行き先に”見えない者”がいた。
 そいつは全身真っ黒なローブに身を包み、仮面も黒一色で、なにもしなくても夜道では見えにくかった。
 そこでさらに”見えなくなる魔法”を使い、常人からは見られなくなっていた。
 コジャッブの勘のよさを見くびってのことだろう。それが彼のいのちを救った。
 気づかれたと知った黒装束は咄嗟に火炎魔法を発生させ、コジャッブを殺そうとした。だがそのとき彼はすでに魔力で体を覆い、身を守っていた。
 彼の周囲で散り散りに弱火が弾けるのを見て、黒装束は瞬時に立ち去った。暗殺とは見られてすることではない。自分しか相手を認識していない安全下においてすることである。黒装束の判断は正しかったと言えよう。
 敵が去り、再び夜道にひとりとなったコジャッブは、その恐ろしさに震えた。この世界に入ってしまったことを後悔した。
 翌日、団長にこのことを相談した。すると、
「よくあることではないか」
 と当然のように言われた。
「魔術師たるもの、同業にいのちを狙われて当然と思わなければならない。わたしもなんど危ない目に遭ったか数え切れん。それを乗り越え、こいつを狙うと逆に危ない目に遭うと気配だけでわからせられるようになって、はじめて一流なのだ」
 彼はそれを聞いて愕然がくぜんとした。てっきり守ってもらえるとばかり思っていた。しかし、
「バカを言うな。それも修行ではないか。真の魔術師が少ないのは、そうやって殺し合いしのぎ合い、いかなる状況でも生き抜く本物しか残らないからなのだ。それくらい自分でなんとかしなさい」
 と放置されてしまった。
 彼は悩んだ。いっそ魔術師を辞めてしまおうかと思った。
 しかし給料がいい。兵士時代もそこそこいい額をもらっていたが、いまはその倍近くもらっている。おかげで実家への仕送りもはかどり、自身もいいものを食っている。高い店売り女の味も覚えてしまった。
 それに魔術師という特別な職は簡単には捨てられない。ひとはなにかを得ると、それを失うのが恐くなる。ときに地位を守るため悪党になることさえある。
 いのちと欲望の天秤だ。他人からすればいのちを優先すべきだとあたりまえに言えるが、当の本人はそうはいかない。ここですっぱり辞められるほどできた人間など、そういるものではない。模様付き仮面は白仮面の倍も金がもらえるという。
 あと一週間で入団一年になる。その日に昇格となり、もしかしたらだれかが降格処分になる。現状、模様付き仮面は四人おり、だれがそうなるかは当日までわからない。もし彼が死ねば格付け変更は起きないと思うのは当然のことだろう。変更後でも、殺せばきっと元の地位に戻る。状況判断から、模様付きが彼のいのちを狙っていると見て間違いない。
 コジャッブは戦わねばならない。だれが自分を殺そうとしているのか見つけ出さなければならない。そうしなければ、いつかかならず殺される。死ぬまで追い続けられる。
 昇格発表の日から二週間経つが、一日置きにはなにかしらの危険が起きている。さすがに五日目の夜のような大胆な行動はないが、あと一瞬遅ければ死んでいたというような事故がいくつもあった。
 生きるか死ぬか——いや、殺すか死ぬかという境地に彼は立たされていた。
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