魂売りのレオ

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第七話 狙われた魔術師

狙われた魔術師 二

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 コジャッブはぼくの元にたどり着くなり犬のように抱きついて来た。
「ああ! 生きておまえに会えるなんて!」
「ぼくもだよ!」
 ぼくはコジャッブのでかい体を抱き返し、涙を流した。
 コジャッブは男と呼ぶにふさわしい体つきで、顔も相応にたくましく、しかしさわやかな風のにおいのする勇猛な騎士だ。ぼくと同時期に騎士団に入隊し、都でともに悪党や暴動を鎮圧してきた戦友で、剣の腕はぼく以外に負けたことはない。
 そんな彼も泣いていた。
「まったく、おれはおまえが死んじまったとばっかりよぉ……」
「な、泣かないでよ。ぼくまで泣いちゃうじゃないか」
「なに言ってやがる、一番の泣き虫のくせによぉ」
「な、泣き虫なんかじゃ……」
「おいおい、おれの前で強がるなよ。おれだって泣いてるんだ。別に知り合いに見られてるわけじゃ……」
 と言いかけたところでコジャッブは、ハッと息をのみ、ぼくから素早く離れた。
「だれかいる……」
 コジャッブは涙を腕で拭い、戦いの目になった。そして視線だけでキョロキョロ辺りを見回し、
「だれかがおれたちを見ている……」
「ほう、ずいぶん勘のいいヤツだな」
 レオが感心した声で言った。途端、
「だれだ!」
 とコジャッブがレオに身構えた。
「なるほど、アーサーの友達か。それにこの勘のよさ。これなら認識されても納得がいく。赤の他人にわたしの魔法が破られるはずがないからな」
「う……」
 レオを凝視するコジャッブがめまいを起こした。
「だれだ……顔が、見えてるのに……」
「覚えられないんだろう? そういう魔法だ。覚えようとしても疲れるだけだぞ」
「そうか……”顔を覚えられない魔法”か。あんたいったい……」
「名乗ったら魔法が解けてしまう。魔術師ならそれくらいわかるだろう?」
「……」
 コジャッブはぼくを守るように前に立ち、
「アーサー、せっかくの再会だがたのしいお話はできそうにないぜ。どうやらとんでもない魔術師がおれを狙ってるらしい」
「へ?」
 ぼくは彼の言ってることがよくわからなかった。狙ってるって、なんで?
「気配でわかる。こいつは並の魔術師じゃねえ。バケモノだ。このままじゃ巻き込んじまう。逃げろ」
「逃げろって、だれから?」
「目の前の人間からだ。おまえにはわかんねえだろうけど、ここに視線に止まらない魔術師がいるんだ。そいつはおれのいのちを狙ってる。だから逃げろ」
「はぁ?」
 なんだそれ。レオが君のいのちを狙うわけないじゃないか。ぼくは言ってやったよ。
「彼女はぼくの最愛のひとだよ」
「えっ!?」
「ぼくらは”顔を覚えられない魔法”をかけて演劇を見に来たんだ。ぼくも彼女も素性を知られたくないからね。……あれ? でもなんで君はぼくがわかったの?」
「な、なんだそれ? どういうことだ?」
 コジャッブはぼくとレオに視線を行ったり来たりさせ、釈然としない顔をした。
 そこにレオが言った。
「おまえ、さっき我々に目を止めた白仮面か?」
「そ、そうだ……アーサーがいたからびっくりしたんだ」
「ほかに我々に気づいたヤツはいるか?」
「いや、いないと思うが……」
「そうか……」
 レオはホッと肩から力を抜き、フーッと細い息を吐いた。
「なら問題はない。ひと目のつかないところに行ってゆっくり話そう。ここじゃ名前もろくに呼べんからな」
 レオの提案により、ぼくらはコジャッブのアパートに移動した。
 彼の部屋は狭くて質素だった。ひと間の中に水場があり、クローゼットとベッドで部屋の半分は埋まっている。あとは小さなテーブルと、ちょっとした物入れがあるだけで、部屋というより飼育小屋という言葉が似合いそうなおもむきだ。金のない若者がよくこんな部屋に住む。しかし魔術師なら下っ端でも高い給料をもらっているはずだが、コジャッブは、
「おれは寝泊まりできればなんでもいいんでね」
 と、むしろそれが美徳だとでも言いたげに笑ってみせた。
「でも酒だけはいいのを買うぜ」
 彼は安住まいには不釣り合いな高級酒のビンを取り出し、ドンとテーブルに置いた。
「ほう、若造のくせにずいぶんいい酒を飲むじゃないか」
 そう言ってレオは顔を覚えられない魔法を解除した。すると、
「わっ!」
 コジャッブが顔を真っ赤に染め上げた。そりゃそうだ。レオはこの世で一番きれいなんだ。そうならない方がおかしい。
「す、すげえ美人だ。名前は?」
「わたしはレオ。アーサーの妻だ」
「妻!? ホントに!?」
「嘘をついてどうする」
 レオがそう言って微笑むと、コジャッブはぼくの首根っこを腕で抱えて、
「おまえ! やったな!」
 と、うれしそうにがなり立てた。
「こんな美人をつかまえて! 堅物とばかり思ってたらやっぱり女が好きなんじゃねえか!」
「お、男なんだからあたりまえだろ」
「なに言ってんだよ! おまえ何人もの女に言い寄られてもぜんぜんなびかなかったじゃねーか! おれはてっきりホモかと思ってたぜ」
「ほう?」
 レオが興味深そうに顔を寄せ、
「アーサー、おまえモテモテだったのか?」
「違うよ。ただ女の子がやたら寄ってくるだけで……」
「それを世間じゃモテモテと言うんだぞ」
 あ、そうなの? じゃあぼくモテモテだったんだ。はえ~。
「レオさん、こいつ女がすげえ寄ってくるってのにぜんぶ断ってたんだぜ。だからみんなホモだホモだって笑ってたんだよ」
「違うよ! ぼくは女がいいよ!」
「じゃあなんでいやがってたんだよ。国一番の美女も振ったって話じゃねーか」
「そりゃあ、だって……ぼくは騎士として自分を高めたかったし、それに……」
「それに?」
「もしだれかといっしょになってたら、レオと再会したときに困るから……」
 それを聞いたレオの顔がボッと赤くなり、
「ば、バカ!」
 と言ってうしろを向き、ポケットからウィスキーの小ビンを取り出しクイっとやった。どうやらレオはこういうのに弱いらしい。自分が言うのは平気なくせに、言われるのには慣れていない。
「おいおい、見せつけてくれるなぁ。こっちが恥ずかしくなるぜ」
「き、君が言わせたんだろ」
「まあまあ。それよりアーサー、いままでどうしてたんだ? てっきり火事で死んだと思ってたぞ」
「火事……」
 それを聞いたぼくのこころから明かりがフッと消えた。
「火事で死んだ……ってことになってるの?」
「おれたちはそう聞いている」
「だれが言ったの?」
「国王だ。朝わざわざ軍に来て集会を開いて、全員の前で発表した」
「……そう」
 ぼくはあの日のことを思い出していた。ぼくの家族が殺された日。炎と刃がすべてをズタズタにした、決して思い出したくない、血にまみれたあの日。
「アーサー、なにがあった」
 コジャッブは睨むような目で言った。ぼくの顔色を察してのことだろう。おちゃらけた気配が消え、敵地に飛び込む兵士のような重い空気を抱えていた。
 ぼくはきっと、ぼくのきらいな顔をしていた。恨み、憎しみ、悲しみ、殺意、そんな真っ暗な気持ちが混ぜこぜに練り合わさった、ぼくの一番きらいな顔を……
「なにかあったんだな」
 コジャッブはぼくの肩をつかみ、まっすぐに眼差しを向けた。彼の眉は苦悶くもんを描いていた。
「火事で親戚一同亡くなったと聞かされたが、そうじゃないんだな?」
 ぼくはコクンとうなずいた。
「教えてくれ! なにがあった! おまえはなんで顔を隠して暮らしてるんだ! なぜ生きていたのに軍に顔を出さなかった! どうして!」
「……コジャッブ」
 ぼくはためらうように言った。
「……君はぼくが生きていることをだれにも言わないよね?」
「……秘密なんだな。わかった、だれにも言わねえ」
「あの日なにがあったか、知っても黙っててくれるよね?」
「そうする」
 ぼくはうん、とひとりうなずき、暗い気持ちが胃のからゆっくり体を染めていくのを感じながら、静かに言った。
「あの日、ぼくらは襲われたんだ」

 アーサーの父、フェルカド・マイナーは近衛兵長このえへいちょうだった。
 王を護る騎士という立場上、彼は王の傍にいることが多かった。とくに晩年は国王の病没による代替わりが起こり、若くして王となった新王の世話役としても動いていた。
 フェルカドは温厚かつ平和的な男だった。
 当時他国では侵略戦争が多発しており、当国の王もまたそれを進めようとしていた。
 だがフェルカドがそれを止めていた。争いでひとのしあわせを奪うことはなによりも醜い、それより国民の繁栄を一に考えるべきというのが彼の意見だった。
 しかし他の臣下は、小国を攻め植民地にすべきだと訴えていた。
 その考えはあながち間違いではなかった。自国が望まずとも他国は戦争を望んでいる。
 よそはどんどん植民地を増やして国土国力を増強し、いずれ世界を支配しようという気概を見せていた。当国は戦力的に見てかなりの強国だが、このままでは追い越されるのは時間の問題だった。
 国のためか、あるいは権力を握ろうという策略か——いまとなっては知るよしもない。
 臣下の一部が結束し、近衛兵長フェルカド・マイナー抹殺をくわだてた。
 それは彼の妻、ポラリスの誕生日に行われた。
 その晩、マイナー家には親戚一同が集まっていた。妻をなによりも愛するフェルカドは、息子のアーサーにさえ、
「悪いけど君は二番だ。ぼくの一番はいつだってポラリスなんだよ」
 と言うほどの愛妻家で、彼女の誕生日にはかならず全員を呼んでプレゼントを用意させた。
 その愛につけ込まれた。
 彼らはさほど大きくない家のそこそこに広いリビングに集まり、誕生日を祝う歌を合唱していた。
 すると突然煙が上がった。
 家の外側からぐるりと火を着けられた。
 彼らの大半はパニックになった。さすがの近衛兵長フェルカドと騎士アーサーは冷静に剣を構えたが、木造の壁から火の手が上がり、周囲が叫びわめいていれば、どうしても焦りが生じる。
 この状況がだれかの策謀なのはすぐにわかった。外に出れば伏兵がいることは容易に想像できた。しかし中にいたところでいずれ焼け死んでしまう。煙を吸い過ぎれば動くこともできなくなる。
 やがて親戚のひとりが外に飛び出した。フェルカドは止めたが、それで止まるものではなかった。
 そして玄関の外で白刃はくじんが鳴った。それが開戦の合図だった。
 フェルカドはアーサーに妻ポラリスを連れて逃げるよう言いつけ、単身おもてに飛び出した。
 彼の剣は無双である。温厚ゆえに戦うことは少ないが、いざやいばを握れば一軍をもほふると噂された。
 が、噂は噂に過ぎない。
 彼は見事、妻と息子が馬に乗って駆け出す退路を作った。だが家の周りを囲う兵の数は百を超えていた。
 ひとりの人間が敵う数ではなかった。
 アーサーは見た。
 実の父の背から剣が生える姿を馬上より見送った。
 彼は叫んだ。涙でなにも見えなくなった。
 その不注意になった手綱を握る手を、背後から母の手が覆った。
「行くのよアーサー! あなたは生きなくちゃいけないの!」
 母は前を見ていた。涙は風に流れた。
 やわらかい母の手は、堅く、強く押さえつけていた。
 ふたりを乗せた馬は都を立ち、当てもなく駆けた。
 どこへ行くというのか。どこへ行けばいいのか。ただただ走り続けた。
 背後から追っ手の来る気配はない。遠い空には朝日がにじんでいる。
 一面の平原、その先には森が見えた。
 母の手綱はなぜかその森を選んだ。それは、むかし彼らがそこを訪れた記憶からか、もしくは偶然か、あるいは——子を想う愛が奇跡的に正解を選ばせたのかもしれない。
 森に入ってすぐ、馬が倒れた。
 そして母も倒れた。
 アーサーは夢中で気がつかなかった。母の背と馬の胴体には幾本もの矢が突き刺さっていた。
 やはり、愛の成した奇跡なのであろう。とっくに絶えているはずのいのちは、自身より大切なものを守るため、かりそめの生を得ていた。
 ポラリスは泣きじゃくるアーサーに言った。
「あなたは生きて……わたしと、あのひとの、愛の結晶……」
 そして——愛してる——と口が動いて、二度と覚めない眠りについた。
 そこから先、アーサーはあまり覚えていない。ただ当てもなく森をさまよった。
 やがて彼は、森の中に大きな館を見つける。
「ここは……」
 はじめて来た場所ではない。かつて幼いころ来たことがある。また来たい、またここに住む少女に会いたいと強く願っていた思い出の地。
「レオ……」
 そうつぶやき、彼はそこで倒れた。
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