魂売りのレオ

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第十話 呪術師ライブラ

呪術師ライブラ 七

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 ぼくらは街をあとにした。
 まだ夜明けは遠い。
 防壁で囲われた街なかと違い、熱のこもらない土草の大地は夜気で冷え、風が冷たかった。
 レオは魂を持ち帰らなかった。
 母と子の魂はあの部屋の中にあった。しかし、
「かごに捕らえれば眠りにつく。しかし外に出して少しすれば、記憶が戻り絶望に狂うだろう。それがたとえ魂だとしても、わたしはいやだ。だからあのままにしておこう。そして、風の吹くままにしておこう」
 そう言って家を出た。
 魂は放っておけば消えてしまう。それはおそらく大気に溶け、この世に散っていくのだと思われる。
 まれに霊となり残り続ける場合もあるが、それは多くの念を得て存続できるようになった場合だ。もしかしたら彼女もそうなるかもしれないが、レオは悲しみのない結果になるようお祈りをした。
「なんの効果もないがな」
 魔法でも、呪術でもない、ただのお祈り。レオは神を信じているけど、一個人が祈ったところで神が助けてくれるはずがないと考えている。だから、ただの気持ちだ。
 でもぼくはそれがうれしかった。たとえ無意味でも、ぼくは祈るべきだと思う。
「さて、帰ろうか」
 レオは馬の姿に戻ったデネボラにまたがった。肩には小さな蜘蛛のゾスマが乗っている。
「さ、おまえも乗れ」
 ぼくはレオが伸ばした手をつかもうとした。そのとき、
「やあ、いま帰りかい?」
 無人の荒野に女がひとり、馬を引いて立っていた。
 紫がかった黒髪で、癖っ毛がうねっている。
 目つきはキッと強いが、目鼻立ちよく、遠目からにも美しい。
 歳は二十代後半だろう。全身から濃い闇のにおいが漂っている。
「ライブラ……」
 ぼくは伸ばした手を戻した。
 レオも馬の背から降りた。
「おまえ、気づいていたのか」
 とレオが言った。いつになく真剣な顔をしていた。
「いや、知ってたわけじゃないさ。でもたぶん、どこかにいるんじゃないかと思ってねぇ」
「なぜそう思った?」
「勘さ」
 ひゅおお、と風が吹いた。
 上空では、目に見える速さで雲が流れている。
 空気に湿気があり、雲が厚い。
 雲の流れに合わせて星々が見え隠れする。
「それで、なんの用だ」
 レオは固い声で言った。
 呪術師と関わる人間は、彼らの仕事を詮索してはいけない決まりがある。それは法律ではないが、おそらく法よりも重い。さもすればいのちのやり取りに発展する。
 街に来る道中、ぼくはそんなことを聞かされていた。だから絶対にライブラにバレてはいけない。そのときは、殺すか、殺される覚悟が必要になる——と。
「なぁに、ちょいと話がしたくてねぇ」
 そう言ってライブラはぼくらに向かって歩き出した。
 雲が流れ、月が見え隠れする。
 月光が薄まり、景色がゆっくりと明滅する。
 前進するライブラの姿が影と色を繰り返す。
 かっぽ、かっぽ、というひずめの音が夜道を鳴らす。
 それがぼくらの目の前で止まった。
 景色は闇だった。
「手ぶらなんだね」
「それがどうした」
 レオは警戒を隠そうとしなかった。レオは最強の魔術師だが、相手も一流の呪術師。戦えばどうなるのか、ぼくには検討もつかない。仕事を見られた呪術師がなにもせずぼくらを返すとは思えない。
 しかしライブラは機嫌がよかった。
 月が顔を出し、ライブラの笑顔が見えた。
「いやね、あたしゃてっきりあんたが魂を持ち帰ったかと思ってねぇ。でも手ぶらってとこを見ると、なにもなかったようさね」
 ライブラは肩をすくめてキシシと笑った。どうやら敵意はないらしい。
「あたしも勘にゃあ自信があったんだけど、どうにもはずれてくれたようさねぇ」
「魂というのは……」
「いや、いいのさ。今夜の覗きは不問にしといてあげるよ。でも次は許さないからね」
「母親と赤ん坊のか?」
 ぎくり、とライブラの笑顔がこわばった。目が見開き、瞳が揺れている。
 月が隠れた。
 ライブラの姿は影となり、開いた口だけがかろうじて視認できた。
「……死んだのかい?」
 ぼそりと言った。
 小さな声だった。
「母親が子のいのちを……そしてそのあと自らのいのちを絶った」
 レオは言った。
「おそらく、心中だろう」
「そうかい……やっぱりそうなっちまったかい……」
 影の口が閉じた。
 じっと動かなくなった。
 なにを考えているのか。なにを想っているのか。一切の表情を隠したシルエットは、ただ、立ちすくむ。
 ——ひゅおお……ひゅおお……
 風だけが音を鳴らした。
 暗い空気が立ち込めた。
 それは、月が隠れたからだけではないように思う。
「はっ。ははは」
 影の口が笑った。
「バカだねぇ。だからやめときゃよかったのさ。子供まで巻きぞえにして、実家にでも逃げりゃよかったのに。それを、呪術師なんか呼んじまって。いったいどこで召喚術を知ったのかねぇ」
「あの女、なにがあった?」
 レオが訊いた。
「本当なら依頼人の話はしないんだけどさ。死んじまったんじゃ秘密にする理由はないさね」
 ライブラはやけに流暢りゅうちょうに話した。
「夫が悪い男だったのさぁ。まだ子供が小さいってのに夜遊びにふけっちまって、そのうえ家に帰りゃ細かいことがどうだの、夜泣きがうるさいだのでカミさんに暴力振るってね。相当酒好きだったそうだよ」
「それで殺したのか」
「どっちかの実家に住みゃあよかったんだろうけどねぇ。そうすりゃ夫も暴力は振るわなかったかもしれないし、ばあさんがいりゃ子育てもだいぶ違うわな。でもふたりは離れることを選んだのさ。それが運命の分かれ道ってわけ。女は弱いからねぇ。やられっぱなしだったんだねぇ」
「だがなぜ心中なんかを選んだんだ……」
「さあねえ。罪の意識か、それとも、やっぱり愛していたから。夫だけ殺すってわけにゃいかなかったんだろうねぇ。なにせ殺意が小さ過ぎたからねぇ」
 殺意が小さ過ぎた? それなのに夫を殺した?
 ……どういうこと?
「ひとってのは、なにかしらに依存するものなのさ。趣味だったり、仕事だったり、家族だったりね。あの女はきっと夫に依存してたんだろうねぇ」
 ふぅぅ、とため息が聞こえた。影はわずかに上を向いた。
「愛していた。共に生きたかった。でも殺したいほど憎かった。それでいろいろ悩んだ結果、こんなバカな道を選んだんじゃないかな」
「そうか……それであの魂を買ったのか」
「似ていたからね。夫を恨みきれず、許すこともできず、苦しんでいた。そんな魂だから、共鳴させればうまくいくと思ったのさ。あの女の念じゃ生きた人間を殺すほどの力はなかったからねぇ」
「それで、うまくいったと」
「そういうことさぁ」
 そう言って影は背を向けた。そして馬のくらに手をかけ、あぶみに足をかけながら、
「ま、いろんなことがあるさね。また入り用になったら買いに行くから、そんときゃまた安くしておくれよ」
 と乗ろうとしたところで、
「待って!」
 ぼくは呼び止めた。するとライブラは思案するように動きを止め、ストンと降りた。
「なにさ」
 背を向いたままの言葉だった。
「ねえ、ライブラ。殺意が小さかったってことは、あのひとは、本当はあんなことしたくなかったの?」
「そうかもしれないね」
「呪いに使うにはパワーが弱かったから、わざを使ったの?」
「そう言ったさ」
「じゃあ、じゃあさ……もしかして、君のわざを使えば、あんなことにならないようできたんじゃないの? 夫が家族を大切にするようコントロールできたんじゃないの?」
「……夫をたわけじゃないからはっきりとは言えないけど、ま、あたしならできただろうねぇ」
 そんな……そんな……
 救えたんだ。助けられたんだ。あんなひどいことをしないで済んだんだ。
 あのひとたちは、しあわせになれたんだ!
 それなのに、それなのに……!
「なんでだよ!」
 ぼくは怒鳴った。かあっと頭に血が昇り、抑えきれないほどの怒りが爆発した。
「じゃあなんで殺したんだよ! 救えたんだろ!? それなのに、なんで言われた通りにしちゃったんだよ!」
「頼まれたからさ」
 ライブラは微動だにせず答えた。ふだん通りの声だった。
「ふざけるな! おまえが機転を利かせればあんなことにはならなかったんだ! なにが一流だ! おまえなんか三流以下だ!」
「ほう? 言ってくれるねぇ。あたしのどこが一流じゃないってのさ」
「一流っていうのは言われた通りにするんじゃなくて、自分で考えて最善の結果を出すひとのことを言うんだ! 頼まれて”はいそうします”なんてのはドサンピンのすることだ! おまえなんて最低の呪術師だ!」
「アーサー、それは違う」
 レオがぼくの肩を引いた。
「ヤツは一流だ。わたしが保証する」
「なに言ってるんだよ! レオはいつもそう言ってるじゃないか! レオはいつもそうしてるじゃないか!」
「そうさねぇ……」
 ライブラがつぶやくように言った。
「それも、ひとつの一流だろうねぇ」
 そこに、レオが重ねた。
「ああ。だが、言われたことを正確にこなすのも一流だ」
 ど、どういうことだよ……だって、レオはいつもそう言うじゃないか。
 レオは静かに言った。
「いいか、アーサー。これをすれば一流という法則はない。頼んだこと以上のことをしてほしい客もいるし、頼まれたこと以外しないでほしい客もいる。万人が納得するベストというのは存在しない。だが一流の仕事をする者はかならずポリシーがある。だれにケチをつけられても変えることのないこだわりがある。そのかたちが、わたしとライブラでは違うんだ」
「でも、だって!」
 ぼくは納得できなかった。だって、そんなのどうだっていい。あのひとを助けられたのに助けられなかったことがくやしくて仕方がないんだ。
「あんた、怒ってるんだね」
 ライブラが言った。
「依頼人のこころを変えて、依頼内容を変えさせるべきだったと、そう思ってるね」
「そうだよ! あたりまえだろ!」
「でもあたしゃ、それじゃいやなのさ」
「どうして!」
「ははっ。そんなに怒っちゃよくないよ。あんたは本来温和で、怒るのなんて大きらいだろ? そうなんだろ?」
 ライブラはほんのりとビブラートの効いた声で言った。すると、
「え……?」
 ぼくのこころが変わった。
 悲しみはある。くやしさや悲痛はありありと残っている。
 だが、怒りが消えた。粉砂糖がお湯にすうっと溶けていくように、あとかたもなくなってしまった。
「あ、あれ……? あれ……?」
 怒りがない。いきどおらない。重い荷物を持とうとしたら紙みたいに軽くて力がすり抜けたときのように、こころが肩透かしをくらっている。
「どうだい、こころを変えられる気持ちは」
「うわ……うわ……」
「いやだろう?」
 いやだった。
「つらいだろう? 苦しいだろう? 悲しいだろう?」
 その通りだった。
「か、返して……ぼくの怒りを返して」
 ぼくは震えながら懇願こんがんした。怒りに燃えながら怒りをかき消されるのはひどく悲しかった。
「そうさ。こころを変えられるっていうのはこんなにつらいのさ。あたしゃ身を持って知ってるんだ。だからあたしは、どうしても必要なとき以外、呪いでこころを変えないのさ」
 ライブラはフッと笑った。
「わかってたさ。あの女がきっと心中するだろうってのは。あたしの勘は間違いないんだ。だけど、それでも、あたしは絶対にわざを使わないのさ」
 そう言ってライブラは馬に飛び乗った。
 ぼくは納得したわけじゃなかった。助けられるひとを見殺しにした時点で納得なんかできるはずがない。
 だけど、なにも言えなかった。
 彼女の声はとてもさびしそうだった。
 ひゅおお、と風が吹いた。
「さて、そろそろ帰るよ。あたしゃ酒が飲みたくてしょうがないよ」
 雲が流れ、月が辺りを照らした。
 ライブラのうしろ姿が淡く色づいた。
「なあ、ライブラ」
 レオが言った。
「酒ならうちにたらふくある。いっしょに飲まないか?」
「……」
 ライブラは沈黙した。答えあぐねいているようだった。
 だが、ぼそりと言った。
「いや、ひとりで飲むよ。ひとりが好きなのさ」
「そうか……」
 馬が動いた。
 ゆっくりと、うしろ髪を引かれるように、躊躇ちゅうちょするような歩みで。
 それがふと止まった。
「ねえ、アーサー」
 ライブラの背中が言った。
「あたしも……あんたのような気持ちで生きられたら、もう少し…………」
 もう少し……?
「……いや、なんでもないさね。バカだねぇ。ホント、バカだよ」
 そう言って再び馬が歩き出した。
 こんどは止まらなかった。
 明滅する月明かりの中、ライブラは最後まで顔を見せることなく、遠く、小さくなっていった。
 ぼくはそのうしろ姿を見送りながら言った。
「……ねえ、レオ」
「……なんだ、アーサー」
「ライブラは泣いていたのかな?」
 ぼくにはそう見えた。とても悲しい背中だった。
「……さあな」
 レオは言った。
「だが、本当はいっしょに酒を飲みたかったんだろうな。でも、やはりひとりで飲みたいんだろうなぁ」
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