魂売りのレオ

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第十一話 悪徳! 海の家

悪徳! 海の家 六

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 それからの数日間、ぼくらはひさびさの旅行を満喫した。
 海に行けば海水浴。沖に船を出しては釣りをして、港町を歩けば海産の食べ歩き。ひとが集まるから賭場や劇場があって、地元の伝説を元にした演劇を見たりもした。
 ぼくらは最高にたのしんでいた。近場では味わえない食や景色、そして毛色の違う文化が新鮮だった。
「いやはや、いいところだ。本当に来てよかったな」
 とレオが言うと、みんな揃ってうなずいた。あの無愛想なゾスマでさえ、
「ここならまた来たいね」
 と言うくらいだった。
 しかしたのしい時間はあっという間に過ぎるもので、気がつけば帰宅予定日の前日を迎えていた。
 もっとここにいたい気もするが、なにせアクアリウスに留守番を頼んでいるし、いつまでも仕事をしないわけにいかない。ぼくらは余すことなく街を堪能しようと朝から晩まで遊び歩いた。
 そんなぼくらが夜ホテルに着くと、部屋に一通の手紙が届いていた。
 ——なんとかレオさんたちの滞在期間中に間に合いました。明日の朝、カニ・クラブにご来訪下さい。キャンサーより。
「ほう、もうできたのか。恐ろしく早いな」
 それはキャンサーからの手紙だった。
 彼は新たな商法の準備をしていた。
 でもこんな短期間で終わるだろうか。話を聞くに、少なくとも半月はかかる内容だ。しかしレオは、
「いや、あいつならやれる。あいつの金儲けに対する情熱なら不可能を可能にする。そのためなら目いっぱい無理をし、他人にも強要し、なんとしてでも達成するだろう」
 と妙に納得していた。
 そして翌朝、ぼくとレオはカニ・クラブを訪れた。
 まだ店は開いていない。従業員が顔を出すまでいくらか時間があった。
「さすがは元職人だ。わたしの言った通りのものを作ったな」
 レオはその道具や商品を見て感心していた。
「へへえ、これくらいなんちゃことないでやんす」
「しかしよく間に合ったな。いくらなんでも早すぎないか?」
「ま、小道具に関してはあっしの仕事でやすから、そこは問題ありやせん。問題は商品でやんす。初日にデザイナーを見つけられなければ無理でやんした」
「それにしたって早い」
「港町とはいえ、この国は服飾が盛んでやすからね。裁縫師さいほうしは山ほどいるでやんす」
 とキャンサーは鼻息荒く自慢げに言った。たしかに胸を張るだけのことはしていた。
 だが、不意に気弱な顔を見せた。
「これで本当に大丈夫なんでやすか?」
「ああ、あとは営業するだけだ」
「しかしずいぶん金も使いやしたし、もし不運が続いたら……」
 キャンサーは不安なようだった。だって、こんな店いままで見たことがない。前代未聞の商売だ。客が得するようになっているから集客にはなるだろうけど、下手をすれば大損する可能性がある。
 しかしレオは自信たっぷりだった。
「なあに、やってみればわかる。人間というのは驚くほど愚かだ。そしてつまらない欲に振り回され、大事な金を平気で捨ててしまう。それを間近で観察できるぞ」
 そう言ってレオが笑った。
 そして、開店時間が来た。
 次第にビーチにひとが集まり、そこかしこでわいわいと騒ぐ声があふれた。
 朝はあまり客が来ない。食事を求めるのは昼前ごろからで、この時間に来るのは買い忘れたビーチグッズを慌てて手に入れようというおっちょこちょいか、準備しないで海の家で集めればいいだろうと考えるうつけ者だ。
 そんな客たちが来た。
「らっしゃいでやんす!」
 キャンサーの挨拶が幾度か鳴って、休憩室で待機するぼくとレオは来客を知った。
 覗いてみると、若者のグループが三組いた。彼らはどうやら水着や敷き物を求めているらしい。とくに女性が水着選びで時間を食っており、男衆はそれをはやし立てつつも、さっさと終わらせて海に出たいという色を漂わせていた。
 そんな男たちのひとりがあるものに気づいた。
「あれ、この辺のヤツ売り物じゃないの?」
 そこにはさまざまな物品が置かれていた。
 水着などのビーチグッズ、釣り竿、魚料理の絵、海とは関係ないインテイリア、そしてボートや船舶の模型。
 それらには値札がない。そのかわり番号の札が置かれていた。そして水着に美男や美女のイラストが刺繍ししゅうされており、インテリアやボートには絵が入っていた。
「そうでやんす。そいつは今日からはじまった新商品でやんす」
「だが値札がないぜ。これじゃいくらかわからない」
「ああ、値段は一律おなじでやんすよ。ほら、これでやんす」
 そう言ってキャンサーはカウンターに置かれたひとつの装置を見せた。
 俗に”ガラポン”と呼ばれるそれは一種のくじ引き装置だ。六角形の箱から小さな管がひとつ飛び出しており、ベアリングをつけて支柱に挟んで立ててある。側面の取っ手を回せば箱が回転し、中で球をかき混ぜながらランダムな球を吐き出す仕組みだ。
「こりゃ、くじ引きってことか?」
「そうでやんす。こいつを回して数字の書かれた球が出たら、その数字の商品をひとつゲットでやんす」
「へえ、おもしろそうじゃん!」
 その客が騒ぐのを聞いて、周りの人間も集まってきた。みなふだん触れないくじ引きというものに興味津々で、中にはよく仕組みもわかってないのにやろうとする者までいた。
 しかし男のひとりが「ちょっと待て」と止めた。
「これ、確率はどのくらいなんだ?」
「へえ、ここに書いてある通りでやんす」
 そこにはこう書かれていた。
 ——金色(1~3)0、03パーセント。
 ——赤色(4~6)1パーセント。
 ——緑色(7~10)5パーセント。
 ——青色(11~20)10パーセント。
「金色の一から三はめったに出ないでやんす。でも当たれば船がもらえるでやんすよ」
「船!?」
「あの模型がサンプルでやんす。大きい船、小型ヨット、ふたり乗りボート、どれもうちの専属イラストレーターがデザインを入れてくれるでやんすよ」
「はあ、そりゃすごい。でもおれたちは船なんていらないしなぁ。それよりこっちの水着とかの方がいいぜ」
「ああ、そっちは緑球でやんす」
「おれ、これほしいなぁ」
 と、ひとりの男が言った。すると、仲間らしき女が、
「えー? こんなのほしいの?」
「いや、なんか気に入っちゃってさ」
「だって男ものの水着に女の子の絵が刺繍されてるんだよ。それにすっごくいやらしい! ほとんど裸みたいな格好だし、おっぱいなんて顔より大きいじゃない」
「だけどこう、なんかいいなぁ」
「ぼくはこっちの方がいいな」
「どれどれ?」
「ほら、この背が小さくて元気そうな子。胸がないのがいいよ」
「おれはこっちだな。凛とした感じのお姉さん」
「ちょっと男たち、いくらなんでもいやらしくない? どれもきわどい衣装の変態イラストじゃない。こんなのほしがるなんて恥ずかしくないの?」
 と気の強そうな女が嫌悪感丸出しで言った。そんな中、別のおとなしげな女がきゃあきゃあ言った。
「あたしこれほしいー!」
「え、あんたまで? なにがほしいって言うのよ」
「ほら、このイラストの男。超かっこいい~!」
「あ、ホント! ちょいワルな感じがめっちゃ刺さるわ!」
「このひとに押し倒された~い」
「わかるー!」
「ねえねえ、わたしはこっちがいいなー。ほら、この子猫みたいな男の子。かわいがりたーい」
「こっちもよくない? ちょっとキツそうな執事!」
「わー、いい!」
「でもこれ、絶対ふたりきりのときはデレてくるタイプだよね!」
「そうそう! 意外とやさしくてー、おせっかいでー!」
「おいおい、女どもよお。おまえらだって夢中じゃねえか」
「なによ、こっちはちゃんと服着てるでしょ。変態イラストとは違うのよ!」
「この料理の絵は……あ、レストランの食券がもらえるんだ。いいなー。でも赤球じゃそう簡単には当たらなさそうだね」
「釣り竿も赤かー。でもこの女の子の絵が入ってるのほしいぜー」
 彼らはおおいに盛り上がった。というのも、こんな商品を見るのははじめてだったのだ。
 この国には道具に絵を入れる習慣がない。マークや装飾、目鼻のない女人にょにんの彫りなど入れることはあっても、美麗な男女のイラストを入れることはまずない。
 どれも情欲を誘うものだった。男女ともに人気役者でもこれほどの容姿はいないという絵で、女の絵は性欲を、男の絵は恋愛感情を抱かせる魅力があった。
 注目を得るという点では現時点で大成功だった。
 しかし、まだ金を払うところまでは至っていない。
「なあ、おまえら冷静に考えろよ。この確率でこの値段だぜ」
 と、ひとりがくじの値段を指差して言った。それは海の家で一般的に売られるホットドッグなどの軽食とおなじ価格だった。それは観光地価格で、ふつうの食事に比べやや割高である。
「単純に考えて緑球が二十分の一だろ。てことは水着がほしけりゃそれだけ払わなきゃならねえんだ。だけどふつうの商品を見てみろ。くじ四回分くらいだぞ。ならふつうのを買えばいいじゃねえか」
 もっともな意見だった。いくら魅力的とはいえ、金額と価値が吊り合っていない。運試しには少々値が張りすぎる。
 しかしキャンサーの言葉でその考えは払拭された。
「安心してくだせえ。はずれてもその値段分買い物できるでやんす」
「なに!?」
「たとえば五回連続で引いて、五回目に当たりがでたら、それは交換でやんす。そのうえで、それまでのはずれ四回分の代金を一般商品に充てられるでやんす。足りない分は現金を足してもいいでやんす」
「そ、それじゃあホットドッグを食べたいと思ったら、このくじを引けばホットドッグか当たりのどっちかが手に入るってことか!?」
「その通りでやんす。もしホットドッグ四つ分の値段の水着がほしければ、このくじをはずれが四回出るまで回せばいいでやんすよ。もっとも、余剰分はお返ししないのでそれだけは勘弁でやんす」
「おいおい、こりゃ回すしかねえだろ!」
「待ってろよ貧乳娘! 絶対に手に入れてやるからな!」
「その子の名前はペタコちゃんでやんす」
「うおおー! ペタコちゃーん!」
 とうとう彼らはくじを回しはじめた。しかし彼らはくじの恐ろしさを知らなかった。
 ある者はほんの数回で緑球を当てた。だがある者は二十分の一の緑玉を四十回回しても出ず、財布の中身が空になって友人に借りてまで引く始末だった。
 また、くじの内容も絶妙にいやらしい。
 たとえば緑球で出る水着は男女それぞれ四種類ずつあり、それぞれ別のキャラクターがひとりずつ描かれているか、全員集合のものがある。
 が、絵柄が選べない。
 7、8、9、10の四つの緑球はそれぞれ別絵柄の水着で、そのうちの8番がペタコちゃんの男性用水着と子猫風少年のビキニだ。つまり特定のキャラクターがほしければ、二十分の一からさらに四分の一、すなわち八十分の一という恐るべき確率を引かなければならない。
「うおおー! 頼む! ペタコちゃん出てくれー!」
 貧乳好きの彼はすでに七度も緑球を出していた。しかしどれも別のキャラクターで、回数は百回を超えていた。いらないものは友人に譲るなどしてよろこばれたが、彼がほしいのはペタコちゃんただひとりだった。
 ちなみに青球はつまらない小物ばかりである。どれも安物で、その辺で売っている小さなパンと同程度の価値だ。これが出るたびにキャンサーは内心ほくそ笑んだ。
 そして最もくじを凶悪たらしめているのは完全確立抽選であることだった。
 ふつうくじを引けばそのくじは戻さない。が、ここでは出た球をまた箱に戻す。つまり、いくら引いても確率は一定なのである。
 ぼくとレオはその様子をわずかに開いた扉から覗き見ていた。
「フフフ……あんなたかだか絵が入れてあるだけの水着に金を注ぎ込んで……バカ丸出しだな」
「うわぁ、まだ引くよあのひと。いいかげんあきらめればいいのに」
「それができれば苦労せん。あの男はたった一着の水着のために大金を注ぎ込んでしまった。もしこれでやめてしまえばこれまで使った金がパーになってしまう。そう思うともう引き下がれないのさ」
「あ、赤球が出たよ!」
「ほう、釣り竿か。あれは男か女、すべてのキャラクターが入れてある大当たりだ。ここらがいい妥協点じゃないのか?」
「あっ! また回してる!」
「どうしても貧乳娘の水着が履きたいんだな。あれだけの金があれば女郎屋で上等な貧乳が買えただろうに。わははは! まったく愚かだなぁ!」
 レオはとてもたのしそうだった。たかだか水着一着のために大の大人が冷や汗をかく姿はある種の狂気をはらんでいた。
 しかしそれでも金を払うのをやめない。延々と苦しみ、震える手でくじを回し続ける。
 ひとの不幸をよろこぶ彼女にとって、これ以上のショウはないだろう。
「ああ、酒がうまい! 今日は最高の日だ! 海に来てよかったなあ!」
 な、なんて性格が悪いんだ……ぼくはなんだか恐いよ。あのひとどうかしちゃってるもの。お願いだ、早くペタコちゃん出てくれ!
 結局お目当てが出たのは二百回に迫るころだった。そうしてやっとしあわせになったはずの彼は疲れ切っていた。引きつった笑みを浮かべ、あああ、とうめきながらがっくりうなだれていた。
「おい、おまえ今回の旅行どうするんだ? そんなに金使っちまって……」
「い、言わないでくれ……」
 彼らは大量の商品を手にビーチへと向かった。旅行ということである程度大金を持っていたんだろうけど、見たところ半月は暮らせる金額をひとりで使っていた。いくらなんでも異常だ。
「ま、この店の肉にはキノコが入っているからな」
 とレオに言われてハッとした。そういえば例のキノコには中毒性があり、精神を高揚させるってこの前言ってた。はずれが出るたびにけっこう食べてたからなぁ。つまり、それでまともな判断力を削がれていたんだ。
「もっとも、そうでなくとも狂っていたかもしれんがな。なにせくじはギャンブルとおなじだ」
「どういうこと?」
「運によって結果が得られる。ギャンブルそのものじゃないか」
 ああ、そうか。たしかにそうかもしれない。あれはひとを狂わせるからなぁ。
 ぼくも以前レオといっしょにカジノに行ったとき、ずいぶん熱くなってしまった。冷静で強い精神を持つ騎士のぼくがだ。キャンサーもいちどギャンブルで身を滅ぼしている。ギャンブルにはそれほどの魅力がある。
 そうか。これは商店に見せかけたカジノなんだ。
 やってることは公平だ。ルールもちゃんと明示しているし、はずれても損がないようになっている。
 だけどとてもじゃないけど”まとも”とは思えない。むしろ凶悪、下手な犯罪よりも邪悪だ。
 レオは実にうまそうに酒を飲み、あごに垂れたしずくを腕で拭いながら言った。
「ふふふ……どうしたアーサー、そんな青い顔をして。なにか恐ろしいものでも見たか」
「うん……とても恐いものを見たよ。震えるくらい恐いものをね」
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