魂売りのレオ

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第十二話 暗中

暗中 七

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 もし女が危機におちいっていたら、いのちを賭けてでも救え。
 それがコジャッブの父の教えだった。
 コジャッブはそのとき「もちろんだ」と答えた。それは当然だと思ったし、いつかそうなったら間違いなく自分はそうすると思っていた。だが同時に、そんなときが来るなどとは微塵みじんも思っていなかった。
 そのときが来た。
 吹っ飛ばされ、大地に背を打ちつけたコジャッブは、ゆっくりと立ち上がり、その光景を見た。
 魔物と化したジバルはエリダヌスのえりを引き寄せ、その首筋に刃を当てていた。
 そいつは言った。
「男よ、その剣でいのちを断て。そうすればこの娘を決して傷つけたりはしない」
 コジャッブは動けなかった。
 あれでは手の出しようがない。かといって死ぬのは怖い。それも、自らの手で刃を突き刺すのだ。想像するだけでも恐ろしい。
「いや……」
 エリダヌスがうめいた。それは、あらゆることへの感情だろう。彼女はもはや弓を落とし、一切のみじろぎをやめていた。
「考えても無駄だ。おまえはわざわいなのだ。世のために死ね。死は終わりではない」
 魔物は説得でもするような言い回しで死を求めた。そいつは本当に娘を傷つけたくないようだった。
 が、聞こえていない。
 コジャッブの耳は極度の緊張で機能していなかった。その代わり、存在しない音と色を感じていた。
 ——逃げなさい。
「アクア様……」
 ——あなたの一番大切なものは”あなた”よ。あんな娘、見殺しにしてさっさと逃げてしまいなさい。
「そんなっ……騎士のおれがそんなバカなことを!」
 ——あなたは魔術師よ。魔術師はひとを裏切り、あざむき、おとしいれるの。いいじゃない、あんな女。
「で、できるかよそんなこと!」
「なんだあの男は……」
 乗っ取られたジバルの顔が怪訝けげんそうに言った。
「だれと話している……気がおかしくなったか?」
 魔物はじっとコジャッブの異常を見守った。どうもおかしい。その様子はなにかの演技ではなく、本当に横に立つ人物と話しているように見える。
「おい、聞こえないのか! おい、おい!」
 魔物は強く問いかけた。もしまともな返事がなければ娘を捨てて直接殺そうと思った。たとえあれが罠であっても、片手で殺すだけの力がジバルの肉体にはあった。
 が、その意識がエリダヌスを忘れさせた。
「うっ!?」
 突如、大地が光った。
 足元が大きな六角形の輝きを放った。
「これは!」
 気づかなかった。それは、エリダヌスが地面に射った五本の矢と、彼女が落とした弓を頂点とする”傷”であった。
 ”傷”は呪術の効果を高める一種の魔法陣である。呪術の素人でも、傷の中になら絶大な効果を発揮できる。なんと彼女は錯乱さくらんしたふりをして、すでに次の手を打っていたのだ。
 父の死を前にしてこれである。並の胆力たんりょくではない。
 エリダヌスは魔物に聞かれないよう、口の中で静かに魔除けのまじないを唱えていた。それは現実には存在しない、不可思議の光でもって魔物を襲った。
「うっ、うっ!」
 魔物はもだえた。ジバルの肉体から上へ上へと追い出されそうになり、黒い湯気のようにじわじわ漏れた。
 が、こいつはジバルを倒すほどのバケモノである。
「させん!」
 魔物はまじないの重みを振り切り、襟をつかむ腕をブンと振った。
「きゃあっ!」
 エリダヌスの服がやぶけ、素肌の肉体がしたたかに大地へ打ちつけられた。
 服が千切れるほどの強引な投げだ。身動きが取れないほどの痛みを負った。美しい肌は土に汚れ、石や木の枝で傷だらけになった。
「あ……う……」
「もうまじないは効かん」
 魔物は地上に突き刺さる矢を蹴飛ばし、コジャッブに目を向けた。まだだれかと会話しているようだった。
「抵抗はやめろ。あの男を殺し、それで終わりにする」
 魔物はそれで片付くと思った。女はこれ以上歯向かわないと思った。
 だが——
「うるさい……」
 エリダヌスは痛みに打ち震えながらもうつ伏せの身を起こし、背中越しに振り向いた。そして一切の怯えなく、
「父さんの男らしい声でそんな弱っちいしゃべり方すんじゃないわよ、このへなちょこ! 耳障りなのよ!」
(なんと!)
 魔物は度肝を抜かれた。なんと強い娘か。しかも乳房を隠そうともせず立ち上がり、地に刺さる矢を抜いて振りかざしてきた。
 当然、腕をつかんで止めた。しかし魔物の精神は驚愕きょうがくで揺れていた。
 すると、
「おい、コジャッブ! なにをしている!」
 ジバルの口が叫んだ。
「女がいのちがけで戦ってるってのに、おめえはなにをしてんだ! このクソバカやろう!」
「父さん!?」
 エリダヌスは叫んだ。それは紛れもなく父の声だった。
 魔物のこころが弱ったおかげで、押しのけられていたジバルの魂が肉体を取り戻したのだ。
 荒く、汚く、力強い男の咆哮ほうこうだった。その怒号は森じゅうの樹々を揺らした。
 そして、男の魂をも。
「はっ!」
 コジャッブは夢から覚めた。そして目の前の現実を見て狼狽ろうばいした。
「急げ、コジャッブ! おれはもう死んでる! おそらくもう戻れねえ! 魔物が肉体を乗っ取り直す前に、早く! エリダヌスを——」
 そう、言いかけたときだった。
 ぐしゃり!
 と音が聞こえた。
 コジャッブは凍りついた。エリダヌスの目が震えた。
 知らずとも、それがなんの音かわかった。
「恐ろしい親子だ」
 ジバルの口調が変わった。
「わたしは見くびっていた。娘など殺さずとも、男だけを殺せると思っていた」
 それは魔物の憑依だった。先ほどの湿った音は、かたちのない、魂の潰される音だった。
「と……父さん……」
 エリダヌスは声を失い、呆然と泣き崩れた。父の完全なる死をまのあたりにして、ギリギリ保っていたこころがボッキリ折れてしまった。
「やむを得ん。無益な殺生はしたくないが、邪魔者には死んでもらおう」
 魔物は剣を構え直した。そしてゆっくりと振り上げ、ひと息にエリダヌスの首をはねようとした。
 その瞬間!
「うおっ!」
 ものすごい突風が吹いた。それはジバルの強靭な肉体をも軽々吹っ飛ばし、ぶつかった太い樹をへし折らせた。
 だが、エリダヌスは飛ばされない。髪の毛一本そよいでいない。
(これは……!)
 魔物は驚愕した。この風は正確に魔物の位置にだけ吹き抜けたのだ。
「させねえよ……」
 悠然と、男が歩いた。
「これ以上、させねえよ!」
 それは嵐をまとっていた。
 ただの風ではない。魔力の風だ。それも殺意に満ちあふれ、触れるだけで痺れるような魔の暴風であった。
「おまえ、魔術師か!」
「そうだ!」
 コジャッブは応えると同時に突風を放った。魔力で生み出した風は、魔物にもダメージを与える。それは風というより巨大な殴打であった。
 が、ジバルの愛剣は銀混じりである。
 魔物は風を断ち切った。銀には魔を打ち払う力がある。
 しかしコジャッブは止まらなかった。
 次々と嵐を送った。ゆっくり近づきながら、ありったけの魔力をぶつけた。
 だが、届かない。すべて防がれてしまう。
「これでどうだ!」
 彼はがむしゃらに炎を放った。彼が使える唯一直接的な攻撃魔法だ。
 しかしやはり打ち払われた。炎が飛び散り、乾いた枯れ葉が燃え上がった。
 魔法は通じない。となればもう剣で戦うしかない。鋼の剣でも魔力を込めれば魔物を傷つけられる。
(くそっ……やるしかねえのかよ!)
 コジャッブのこころが萎縮いしゅくした。殺意が薄く濁った。
 それは強敵と戦う恐怖からではない。ひとの肉体を切り裂くという強烈なタブーが重くのしかかっていた。
 枯れ葉を燃やした炎が、枯れ枝や古木に移り、ぶわっと燃え上がった。
 暗い夜を、炎の波があかあかと照らした。それはまばゆい輝きなどではない。死のにおいのする、闇に溶けるような揺らめきだ。
 わずかに静寂が訪れた。
 じりっと緊張が音を立てた。
 そして、
「おおおッ!」
「うらあああーーッ!」
 両雄、激突した。お互い矢のようにまっすぐ駆け出し、一直線にぶつかった。
 ガキン! ガキン! と剣が打ち合った。
 魔物は右手だけで剣を振るった。片腕とはいえ尋常ではない腕力だ。それに対しコジャッブは力の差を埋めるため、腕に暴風をまとっていた。
 それでやっと互角。だが、互角ではいけない。
 魔力とは、魂をこころのフィルターを通して放出したものである。すなわち生命そのものと言っていい。
 彼は全力で魔法を使っていた。いのちを削ってのぶつかり合いだった。
 そのうえ彼は恐れをいだいていた。弱気をくぐった魔力は威力が薄まり、余計に魂を捨てなければならない。
 対して魔物は肉体のエネルギーしか使っていない。ある意味疲れ知らずで、いざ動かなくなれば自身の魔力でおぎなえる。
 圧倒的不利な戦い。しかし退くわけにはいかない。ここで退けばエリダヌスが殺される。ここで退けばジバルのかたきが討てなくなる。
 だが、魂と体力を全力で消費しているのだ。息切れは恐ろしく早い。
「うあっ!」
 コジャッブの体が大きく跳ね飛ばされた。
 大地を転がり、立ち上がるが、動けない。なんとか剣だけは構えたが、もうまともに歩く体力さえ残っていない。
「やっと……やっとか」
 魔物は息荒い声使いをした。体力などないはずなのに、汗だくのような声色だった。
「これで森は守れる。終わりだ!」
 魔物が大振りに剣をかざし、トドメを刺そうとした。
(ち、ちくしょう!)
 コジャッブはぎゅっと目をつぶった。死を覚悟するしかなかった。
 そのとき——!
「負けないで! コジャッブさああん!」
「はっ!」
 エリダヌスの叫びが届いた。それは、彼の全身を激しく打ちつけた。するとまるでエネルギーのかたまりを浴びせられたように魂が燃え上がった。
「うおおおおお!」
 それはほんの一瞬、十分の一秒にも満たないわずかのあいだ、コジャッブの全力を許した。
 ガラ空きの魔物の胸に飛び込んだ。
 そして、ありったけの魔力を剣に込め、心臓へとぶち込んだ。
「おおおっ!」
 魔物ののど奥から叫びが漏れた。ジバルの声でも、クマの声色でもない、今夜はじめて聞く何者かの声だった。
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