魂売りのレオ

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第十二話 暗中

暗中 六

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「コジャッブ、下がってろ」
 ジバルが重い声で言った。
「あいつはちっと、強えぞ」
 彼がそう思ったのは、魔物がクマに憑依しているからだった。
 魔物は恐ろしいが、実にか細い。肉体を持たない分、”かたちあるもの”に比べてはるかに弱い。
 というのも”かたちあるもの”は体内に蓄積したエネルギーで体を動かせるし、記憶や意識を脳に保存できる。思考をするのは魂だが、それを魔物のように生命を使って保持する必要がない。
 対して魔物はすべてを魂そのものを消費して行わなければならない。だから動物に憑依するにも、強い精神のものにはそう簡単に入り込めない。
 が、今回現れたのはクマの憑依だ。それもかなり大きい。これほど強靭きょうじんな生き物に憑けるのは、よほどのパワーを持った者でなければ不可能である。
 そいつはゆっくりと二本足で歩き、近づいてきた。のっし、のっし、とまるで大柄な人間がするように。
 そして、コジャッブの前に立つジバルの正面、およそ十歩のところで止まった。
 それは魔物の力で姿を変えていた。
 両腕が岩に覆われている。おそらく”生えた”のだろう。魔物には、憑依したものを変形させる力がある。
 そいつはぐつぐつと鍋が煮えるような声で言った。
「おまえが人間の番人だな」
「それがどうした」
「うしろの男をよこせ」
「なに?」
「その男はわざわいをはらんでいる。いまのうちに殺しておかねば、きっと森に危害を加える。その男をよこせ。もしくは殺せ」
 この言葉に一番驚いたのはコジャッブ自身である。
(わざわいをはらんでいる? おれが? どういうことだ?)
 彼はわけがわからずなにも言えなかった。その代わり、ジバルが唾を吐き捨て、啖呵たんかを切った。
「バカ言うんじゃねえ! こいつはいい男だ! わざわいなんかあるもんか!」
「いいや、森の神が言っている。その男を殺さねばならぬと」
「けっ! なにが神だ! てめえふざけたことぬかすと承知しねえぞ!」
 ジバルはいまにも斬りかかりそうにたけっている。対して魔物は冷静だ。
「わたしはおまえを殺したくない。おまえが街を守っているおかげで、バカな魔物が人間と軋轢あつれきを生まずに済んでいる」
 野生の姿にして、恐ろしく知的である。そいつは魔物がひとを襲えばいずれ人間の逆襲が来るであろうことを予測していた。
 これにはさすがのジバルも戸惑いを覚えた。ふつう魔物は肉体を得るととにかく牙を向けてくるが、こいつは違う。本気で対話をしている。それが、理屈でなく、感覚でわかる。
 が、彼は気が短い。
「うるせえ! こいつはおれの息子だ! 文句があンならぶっ殺してやる!」
 そう叫ぶや否や、うおおっと雄叫びを上げながら突っ込んだ。そして上段に剣を持ち上げ、力いっぱい叩き込んだ。
 ガキン! と硬い音が鳴り響いた。
 剣は岩の腕で防がれていた。
「やめろ、おまえを殺したくない」
 と魔物は言った。その証拠なのか、反撃をせず、鍔迫つばぜり合いをしている。しかもゆっくりと押し返している。
 それは意思表示である。言語に直せば、
「わたしはおまえより強い。それなのに対話を求めている」
 というメッセージだ。
 しかしそれがわかるジバルではない。それにもしわかったら、より怒りを燃やしただろう。
「殺したくねえだと!? ふざけやがって! ぶっ……ぶち殺してやらあ!」
 ジバルは猛獣のような怒号を発した。そして一歩後退し、本気の連撃を繰り出した。
 それは刃の大嵐。触れるものはおろか、近くにあるものさえ剣圧で切り込みが入るほどである。彼らの傍にあった樹木はみるみる傷だらけになり、細いものは切り倒されてしまった。
 人間わざではない。これが彼の、本当の本気だ。しかし魔物は動かなかった。一秒に十振り近い猛撃をすべて受け止め、一歩も身を退かなかった。
 そして反撃した。
 岩の両腕を鈍器として振り回した。常人には見えない速度で、一撃一撃が大槌よりも重い。ただでさえ強いクマの体は、おそらく魔物の力で強化されているのだろう。その威力はあのジバルを真っ向から後退させるほどである。
 そこにわざなどない。どちらも腕力に任せた必殺の連打であった。
「ジバル!」
 コジャッブは押され気味のジバルを助けるため前に出ようとした。が、
「来るな!」
 ジバルの怒鳴り声が止めた。
「おれの剣に近寄れば死ぬ! それにてめえの剣ははがねだろうが!」
 ぐっ、とコジャッブは歯軋はぎしりし、踏みとどまった。離れた木を切り倒すほどの剣である。魔物にコーティングされた肉体ならともかく、生身の人間では”なます”にされてしまう。
 それに鋼では心許ない。憑依した魔物を倒すには、銀か魔法で心臓を貫かねばならない。
 魂の芯は心臓に宿る。魔物が生き物に憑依したときも同様である。
 鋼で心臓や手足を切り裂いても、肉体が傷つくだけで、魔物は痛みひとつ感じない。
(くそっ……ジバル、がんばれ!)
 コジャッブは強く念じた。歯がゆいが、祈ることしかできなかった。
 だが祈って勝率が上がるならだれも苦労はしない。相手は強靭なクマをベースに、強い魔物が憑依したものである。
 祈りも虚しく、横殴りの殴打おうだがジバルを吹っ飛ばした。
「があっ!」
「ジバル!」
 打たれたのは左肩だった。常人ならそのまま右肩までぐしゃぐしゃに潰れていただろう。しかし骨格から規格外の大男が鍛え上げた筋肉は、致命傷を左肩の骨折だけで済ませた。
 とはいえ、この接戦においては致命傷とおなじである。
 魔物は大地に放り出されたジバル向かって飛びかかった。空中で頭上高く腕を振り上げた。
「やめろおーーッ!」
 コジャッブははしった。なんとかして止めようとした。
 だが到底間に合う距離ではない。ジバルの死は間近であった。
 そこに、
 ひゅんっ——
 と音が飛んだ。次の瞬間、
「ぐおっ!」
 魔物の右目に一本の矢が突き刺さった。そして空中でバランスを崩し、大地を転がった。
 コジャッブが振り向くと、太い樹の横でエリダヌスが弓を構えていた。
 さすがはあの父の娘である。美しいかおをして、戦いを知っていた。
 彼女はひたすら息を潜めていた。樹のうしろで気配を消し、矢の届く瞬間を待ち構えていた。参戦しようと思えばいつでもできたが、あの相手では意味がないと理解していた。
 なんと強い娘か。実の父が肩を砕かれても声ひとつ上げず、しっかりと奇襲を心得ているのである。
 当然矢じりは銀であった。
 憑依が銀で傷つけられたとき、魔物も痛みを共有する。
「ぐおお、ぐおお!」
 魔物は目を貫かれた痛みで仰向けに転げ回った。視界も同様に半分失っていた。
「父さん、いまよ!」
 娘は二の矢を構えながら叫んだ。
「おう!」
 父は倒れそうな痛みを無視して立ち上がり、動く右手で剣を振り上げた。そして、
「おっねこのやろおーーッ!」
 全体重を込めて魔物の胸を突いた。狙いは心臓である。
「うがあ!」
 魔物は両の手で剣を支えた。硬く変質した胴体はそう簡単に貫けない。心臓までは届かなかった。
「うおおおがああアアアーーッ!」
 ジバルは叫んだ。使えないはずの左手も加え、全身で押し込んだ。すさまじい激痛が肩を襲うが、それでも力を込めるのをやめなかった。
 凄絶せいぜつ——とはこのことを言うのだろう。コジャッブは遠く眺めていながら、全身の震えが止まらなかった。毛穴という毛穴が開き、瞳孔は大きく開いていた。
「行けっ! 行けー! ジバルー!」
 彼は叫んだ。叫ばずにいられなかった。
「見てろクソ息子オーーッ! これが魔物退治だアーーッ!」
 その瞬間、ずぶりと剣が沈んだ。
 魔物が声にならない声を上げた。
 だが直後、
「ウガアアアアーーッ!」
 魔物は渾身の力で立ち上がり、ジバルをひっくり返した。
「ジバル!」
「父さん!」
 ふたりは叫んだ。声を上げたのはふたりだけだった。
 ジバルは目を見開き、呆気に取られたようにポカンと口を開いていた。
 その両肩に、岩の両手がしがみついた。
 そして、
「おおおおおおッ!」
 ジバルは断末魔を上げた。
 彼ののどに、魔物のあぎとが食らいついた。
 闇の中でもはっきり見えるほどの鮮血がぶしゅうっ、と吹き出した。
「ああっ!」
 エリダヌスの手から弓がこぼれ落ちた。
 魔物の首周りには二本の矢が突き刺さっていた。襲われる直前エリダヌスが放ったものである。
 が、止まらなかった。
 彼女の父親は、もう声を上げなかった。
「と……父さん……」
 エリダヌスはひざから崩れ落ちた。ボロボロと涙があふれた。
 コジャッブは黙って全身を固く震わせていた。自分を息子と呼んだ男を死なせてしまったこと、そしてなにもできず見殺しにした自分の弱さに胸の中で悲鳴を上げ、その声が体じゅうを駆け巡っていた。
 が、戦いはこれで終わりではない。
 ジバルと魔物の動きが止まった。
 両者、ビクリとも動かない。
 しかし、コジャッブとエリダヌスは見た。
 魔物の口からすうっと黒い影が現れるのを。
 それがジバルの体内に流れ込んでいくのを。
 ピクリ、とジバルの指が動いた。
 クマの腕に生えた岩がぼろぼろと崩れ、生の毛皮が露出した。
 重みで剣がずぶずぶとクマの体内に飲み込まれていく。
 そのつかを、ジバルの右手がつかんだ。
 そして、ズバッとクマを切り裂きながら、強引に取り出した。
 そいつは立ち上がり、言った。
「すごい男だった。残念なことをした」
 潰れかけたジバルの声。だが、口調が違う。
「娘よ、どこかへ行け。わたしは不要な対立は避けたい」
 直後、キン、と硬い音がした。そいつの目の前で矢が防がれていた。
「ふざけるなあっ!」
 エリダヌスは弓を構え直していた。
「黙れくそやろお! よくも父さんを……よくもおっ!」
 エリダヌスはやたらめったらに矢を射った。頭に血が昇っていた。ろくに狙いが定まっていない。何本かは胴体に向かったが、当然すべて防がれ、あとは大地へ突き刺さった。
「無駄なことを……」
 魔物となったジバルはゆっくりと歩いた。行き先は娘であった。彼女は矢を射尽くし、弓だけを前に構えて震えていた。
「エリダヌス!」
 コジャッブは魔物に向かって剣を振り上げた。しかし、
「ふん!」
 魔物の剣のひと振りで弾かれ、吹っ飛ばされてしまった。あのジバルの巨体が、さらに膨れ上がっていた。
「娘よ、退かぬようだな。なら人質になってもらおう。どうしてもあの男には死んでもらわねばならんのでな」
 肩の折れた左腕がずいっと娘のえりをつかんだ。それは、コジャッブを逃げられないようにする呪縛であった。
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