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第十六話 愛は喜怒にて結び、縄解き難し
愛は喜怒にて結び、縄解き難し 四
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「なるほど、理解した」
レオはふんぞり返ったまま腕を組み、しみじみと言った。
「なかなか苦労したようだな」
「はい、少し」
キャメロはテヘッと照れるように首をかしげた。おそらくこれが彼女の素なのだろう。生まれつきの仕草が男を惑わすとは、これ以上ないほどアイドルに向いている。
しかし大変だったんだなぁ。ぼくはてっきりアイドルなんて、ただかわい子ぶってキャピキャピしてるだけだと思ってた。それが、家族を助けるために苦労して、しかもその結果ファンに付きまとわれるなんて、見た目じゃわからないけどかなりの重荷を背負っている。
「ねえレオ、助けてあげようよ」
ぼくはレオの肩に手を置き、言った。すると、
「ああ、もちろんだ。ただ、金はしっかりもらうぞ」
レオは厳格に言った。それを聞いた途端、ぼくは、あちゃ、と思った。
そうだ、これは慈善事業ではない。仕事だ。当然お金が必要になる。しかもレオはさっき、リリウムちゃんに使った分を盛大にぼったくってやると宣言していた。
こんな状況のひとから、いったいいくら取るつもりだろう。ぼくはもしあまりにバカげた金額だったら、ひとこと言ってやろうと身構えていた。
が——
「そうだな……これくらいでどうだ」
とレオが提示した金額は驚くほど安かった。庶民が節約して半月暮らせる程度のはした金だ。ぼくは彼女がいままでこんなに安く仕事をするのを見たことがない。最安値でも数ヶ月分の給料ほどだった。アルテルフも口をあんぐり開けている。
それを聞いたキャメロはホッとして、
「お願いします」
と言った。
「ああ、ではおまえはここで待っていろ。我々は準備を進める。アルテルフ、おまえは飲み物でも持ってきてやれ」
そう言ってレオは腰を上げ、部屋をあとにした。ぼくとアルテルフはあとを追い、扉を閉めて少しのところで言った。
「あのっ、安過ぎませんか!?」
アルテルフは驚くよりも焦っていた。
レオは歩きながら答えた。
「まあな。だがまあ、今回は魂を使わんしいいだろう」
「それでも安いですよ! 数少ない収入なんですから、せめて十倍は取っていただかないと!」
家計を預かるアルテルフとしては見逃せない珍事だろう。いくら蓄えがあるとはいえ、レオの金遣いは安心できない。
しかしレオはさらりと言った。
「いいんだ、わたしの判断は間違っていない」
それよりおまえは仕事をしろ。そう言ってレオはぼくといっしょに書庫へ向かった。アルテルフは半ば呆然とし、
「ぴょー……」
と口をとがらせて厨房の方へと向かった。
「さて……」
レオは書庫に入ると、ずらりと並ぶ本をじっと眺め、背表紙に視線を滑らせた。ぼくはその背後で、懐疑的にレオを見ていた。
だって、おかしい。レオは他人に気遣いなんてしないはずだ。他人がどうなろうが知ったこっちゃないし、金はできる限りぼったくる。しかも昨日アイドルであんなことがあったばかりだから、なおさらぼったくりそうなものだ。
それが、どうして……
「アーサー、おかしいか?」
「へっ?」
レオはぼくに背を向けたままで、そう言った。ぼくが疑問を持っていることがわかっているようだった。
「わたしがアイドルから大金をせしめるどころか、タダ同然の代金で仕事を受けたことがそんなに不思議か?」
「う、うん……」
「だろうな」
レオはふふ、と笑った。そして、言葉を続けた。
「おまえ、わたしが仕事に私情をはさむと思うか?」
「ええと……そう思ってたけど、そうじゃないんだね。あれが適正価格なの?」
「いや、わたしはとことん私情をはさむ。今回の内容はあんな値段で受けていい仕事ではない」
「えっ!?」
「あれはアルテルフが正しい」
「でも……なんでアイドルからあんな安値で? レオはこないだアイドルにこっぴどく裏切られたばかりじゃないか」
「まあ、そう思うのも無理はないが……」
お、とレオは一冊の本を手に取り、
「あった、これだ。わたしは魂に関わる呪術はほぼ暗記しているが、細かいものだとちょくちょく忘れているからな」
そう言って埃を払い、「呪術・念の覚え」というタイトルをまじまじ見つめた。
ふふふ、と笑い、言った。
「わたしはこう見えて、家族想いが好きだ」
「……レオが?」
「ああ。あの女は家族を貧困と苦境から救うために、本来好きな男と過ごしたであろう長い青春を捨ててまで戦った。美談だと思わないか?」
「そりゃまあ……」
「それが正しかったかどうかは、のちの人生で決まることだから、是非は知らん。ただ、わたしは話を聞いて、あいつに負担をかけたくないと思ってしまったんだ。アルテルフは不満だろうが、たまにはこんなわがままもいいだろう」
「……」
「フフッ……恨み欲望ばかり持ち込むうちの客に、あんなきれいなものはそうないぞ」
ぼくは声も出ないほど驚いていた。いや——感動していた。
レオに人情があるなんて知らなかった。身内以外にこんなにやさしくするなんて、策略以外で見たことがない。
「めずらしいだろう。わたしがまさか、あんな礼儀もろくにわきまえない小娘を気に入るなんて」
「……うん。正直夢でも見てるんじゃないかと思うほどだよ」
「はははっ! おまえ、妻にそれはないだろう」
「ご、ごめん」
「ま、それに別のことにも興味があるしな」
「別のこと?」
「うむ。今回わたしの作戦がすんなりうまくいったとして、ヤツらはどんな顔をするのか、見てみたいと思ってなァ」
そう言ってレオはクックック……と笑った。あ、これはいつものレオだ。悪だくみが顔ににじみ出てる。
……でもヤツらっていったいだれだろう。この感じだと、たぶんキャメロじゃないんだろうし、ううん……
「さて、必要なものは手に入ったし、行くぞ」
レオはそう言って部屋を出た。ぼくはキャメロにひどいことをしないとわかって安心したけど、結局はだれかを傷つけるつもりなんだろうなぁ、と思い、ちょっとだけ複雑な気持ちでついていった。
そうしてぼくらは再び応接間に戻ってきた。
キャメロは紅茶をすすりながら、
「あ、おかえりなさい」
と、うれしそうに笑ってぼくらを迎えた。
レオに向けていい態度じゃない。レオは他人が自分と同等の立場で話すことを許さない。それがわかっているからこそアルテルフは顔を青くしたが、レオはとくに気にせず、いつも通りどっかりソファに座り、言った。
「さて、まずはおまえにつきまとう男を炙り出そう」
レオは本の目次を開き、目的の題を見つけると、パラパラとページをめくった。
そして片面に魔法陣が描かれ、もう片面に説明が書き連ねられているページにきゅっと癖をつけ、ついでにアンティークを重石にして閉じないようにした。
「おまえ、この魔法陣に手を触れろ」
「この絵に……ですか?」
「そうだ。少々背中に寒気が走るが、わたしがいいと言うまで手を離すな。いいな?」
「わ、わかりました」
そう言ってキャメロは、本の中の魔法陣に手を押しつけた。
レオは文字を眺め、呪術を唱えはじめた。するとキャメロの手からじわじわと黒い炎のようなオーラが登り、彼女の背中を覆った。
へえ……こんなんでいいんだ。呪術って、もっとちゃんと準備して、自分で描いた文字や魔法陣じゃないとできないのかと思ってたよ。
でも後日レオに訊いたら、問題ないどころかむしろこの方がうまくいくと言っていた。
「その場その場で書けば、文字の汚さや絵図の誤りが術に影響するかもしれん。だが元々完成されたものなら、元が間違ってない限り百パーセント正しいものが使える。呪文を唱える形式のものなら本を閉じた状態でも選んで使えるし、こんなに便利なものはないぞ」
なんでも呪術師ならみんな陣だけを詰め込んだ本を携帯しており、いろんなわざを即座に使えるようにしているらしい。詠唱も魔法陣も使わない魔術師には必要ないが、レオのように呪術も併用するなら、そういうひともいるんだとか。(ていうか”魔法陣”なのに魔法じゃなくて呪術って変じゃない? まあ、どうでもいいけど)
後日談はさておき、黒いオーラがキャメロの背中から炎のように立ち昇った。
「う、う……」
キャメロは目をつぶり、小さく震えていた。先ほどレオが言った寒気を感じているのだろう。顔にあぶら汗が浮いている。
それはやがて五つの火柱になった。そしてふわりと浮かび上がり、五つの黒い火の玉となってレオの手元へと流れていった。
「……よし、もう離していいぞ」
とレオが言うと、キャメロは、はぁ、とため息を吐き、疲れ切った顔で背もたれに寄りかかった。
「よくがんばったな。いまおまえの体から負の念を集め取った」
「負の念……ですか?」
「ああ。おまえには見えないだろうが、ここに五つのオーラがある。それはおまえにこびりついた念だ」
「念……」
「人間は強い感情を持つと”念”というこころのエネルギーを飛ばす。その想いが強ければ強いほど、濃く、多量の念が飛び、相手の魂に付着する。おまえは七年間アイドルをしていたな。その長い年月のあいだに、はっきりと手に取れるほどの濃密な念が、おまえの魂に染み込んでいたんだ」
「な、なんか怖いですね……」
「負の念ならな」
レオが言うには、念には大まかに分けて”正の念”と”負の念”があるらしい。
正の念は相手をよく思ったり、好意、がんばってほしいなど、気持ちのいい感情を覚えた際に出るもので、俗に陽の気といって、太陽のようにポカポカしたあたたかいものだという。
逆に負の念は、相手を悪く思ったり、悪意、侮蔑、恨みといった、耳にするだけていやな気持ちのする感情が飛んだもので、俗に陰の気などといい、これを多く受けると精神に支障をきたすという。
「おまえに送られていたのは、元々正の念と欲求の念だ。ファンからの応援したい気持ち、自分を見てほしいという欲望、このふたつが混じってたっぷり溜まっていた。しかし……」
レオは手元にある五つの念の球に目を向けた。
「アーサー、おまえには見えるだろう。この念を見てどう思う」
「ええと……なんだかドス黒くて、見てると不安になる色をしてる」
「そうだろう。恐ろしいことに、念は送り主の感情でころっと変わってしまうんだ。裏返る、とでも言おうか。それまでよい感情を持っていた相手に恨みや殺意を抱いてしまうと、蓄積された正の念が一気に負の念に変わり、受け手に過大な負荷を与える」
「やだ……怖いです」
話すにつれて、キャメロの顔色がみるみる青くなっていった。そりゃそうだ。だってそれが自分の体内で起きているんだ。恐ろしくないわけがない。
だが、レオはクスリと笑うように言った。
「案ずることはない。おまえはずいぶん守られているよ」
「……守られてる、ですか?」
「ああ。おまえは多くのひとに笑顔を振りまいた。ファンはもちろん、愛する男、関わる業者、そして、家族に。その念は相手に届いている。そして、逆に相手からの念もおまえに届いている。笑顔を送った分、いや、それ以上の笑顔がおまえに返ってきている。負の念だけならとっくに自殺してもおかしくない濃さだが、それをはるかに上回る正の念が魂の髄まで染み込んで、前を向かせてくれているんだ」
「そ、そうなんですね。あはは!」
キャメロはうつむいた表情から一変、うれしそうに笑った。いい顔だなぁ。単に美人ってのもあるけど、それ以上に明るいのがいいよ。これなら多くの男が夢中になるのもわかる。アイドルに興味のないぼくでも応援したくなっちゃう。
「さて……話の続きだが」
レオは気を取り直すようにウィスキーを飲み、言った。
「いまわたしは呪術によって、おまえの中から負の念だけを抽出し、手元に並べた。体が軽くなった気がしないか?」
「はい、言われてみれば」
「ふふ……そうだろう。それでだ。あくまで取り出したのは、つかみ取れるほど深くこびりついた念だけ、そして今回は負の念をざっくり抜き取ったわけだが……おまえ、今回のこと以外でひとに恨まれるようなことはあるか?」
「うーん……たぶんないと思いますけど」
「それならいい。もしかしたらライバルアイドルに敵意を向けられたりしていなかとも思ったが、見たところこの五つの念はすべて男だしな。このまま進めて問題ないだろう」
レオはパタンと本を閉じ、言った。
「アルテルフ、デネボラを呼んでこい。それからおまえは外出の準備だ」
「はーい」
命令を受け、アルテルフはパタパタと出ていった。レオはそれを見届け、キャメロに振り返り、
「さて、おまえはこれから数日、我々と過ごしてもらう。今回の件を、だれも殺さず穏便に済ますためだ。いいな?」
「はい。あ、でもその前に家族と夫に伝えなきゃ」
「それはいまから、わたしのしもべがやっておく。うちには他人の思考を読み取って、場所を探ることのできる者がいてな。家まで行って、伝えさせる。その際おまえに直筆の手紙を書いてもらいたいのだが……字は大丈夫か?」
「はい、うちは両親から字を教わっているので」
「よし、これでいい!」
レオは満足そうに両腕をソファの背もたれに回し、両脚をテーブルにガツンと乗せ、
「さあて、ひさびさに気持ちのいい仕事ができそうだ。それにおもしろいものも見れるしな」
そう言って天井に笑顔を向けた。彼女が仕事を受けるときに、こんなにさわやかな顔をしているのははじめてだった。
レオはふんぞり返ったまま腕を組み、しみじみと言った。
「なかなか苦労したようだな」
「はい、少し」
キャメロはテヘッと照れるように首をかしげた。おそらくこれが彼女の素なのだろう。生まれつきの仕草が男を惑わすとは、これ以上ないほどアイドルに向いている。
しかし大変だったんだなぁ。ぼくはてっきりアイドルなんて、ただかわい子ぶってキャピキャピしてるだけだと思ってた。それが、家族を助けるために苦労して、しかもその結果ファンに付きまとわれるなんて、見た目じゃわからないけどかなりの重荷を背負っている。
「ねえレオ、助けてあげようよ」
ぼくはレオの肩に手を置き、言った。すると、
「ああ、もちろんだ。ただ、金はしっかりもらうぞ」
レオは厳格に言った。それを聞いた途端、ぼくは、あちゃ、と思った。
そうだ、これは慈善事業ではない。仕事だ。当然お金が必要になる。しかもレオはさっき、リリウムちゃんに使った分を盛大にぼったくってやると宣言していた。
こんな状況のひとから、いったいいくら取るつもりだろう。ぼくはもしあまりにバカげた金額だったら、ひとこと言ってやろうと身構えていた。
が——
「そうだな……これくらいでどうだ」
とレオが提示した金額は驚くほど安かった。庶民が節約して半月暮らせる程度のはした金だ。ぼくは彼女がいままでこんなに安く仕事をするのを見たことがない。最安値でも数ヶ月分の給料ほどだった。アルテルフも口をあんぐり開けている。
それを聞いたキャメロはホッとして、
「お願いします」
と言った。
「ああ、ではおまえはここで待っていろ。我々は準備を進める。アルテルフ、おまえは飲み物でも持ってきてやれ」
そう言ってレオは腰を上げ、部屋をあとにした。ぼくとアルテルフはあとを追い、扉を閉めて少しのところで言った。
「あのっ、安過ぎませんか!?」
アルテルフは驚くよりも焦っていた。
レオは歩きながら答えた。
「まあな。だがまあ、今回は魂を使わんしいいだろう」
「それでも安いですよ! 数少ない収入なんですから、せめて十倍は取っていただかないと!」
家計を預かるアルテルフとしては見逃せない珍事だろう。いくら蓄えがあるとはいえ、レオの金遣いは安心できない。
しかしレオはさらりと言った。
「いいんだ、わたしの判断は間違っていない」
それよりおまえは仕事をしろ。そう言ってレオはぼくといっしょに書庫へ向かった。アルテルフは半ば呆然とし、
「ぴょー……」
と口をとがらせて厨房の方へと向かった。
「さて……」
レオは書庫に入ると、ずらりと並ぶ本をじっと眺め、背表紙に視線を滑らせた。ぼくはその背後で、懐疑的にレオを見ていた。
だって、おかしい。レオは他人に気遣いなんてしないはずだ。他人がどうなろうが知ったこっちゃないし、金はできる限りぼったくる。しかも昨日アイドルであんなことがあったばかりだから、なおさらぼったくりそうなものだ。
それが、どうして……
「アーサー、おかしいか?」
「へっ?」
レオはぼくに背を向けたままで、そう言った。ぼくが疑問を持っていることがわかっているようだった。
「わたしがアイドルから大金をせしめるどころか、タダ同然の代金で仕事を受けたことがそんなに不思議か?」
「う、うん……」
「だろうな」
レオはふふ、と笑った。そして、言葉を続けた。
「おまえ、わたしが仕事に私情をはさむと思うか?」
「ええと……そう思ってたけど、そうじゃないんだね。あれが適正価格なの?」
「いや、わたしはとことん私情をはさむ。今回の内容はあんな値段で受けていい仕事ではない」
「えっ!?」
「あれはアルテルフが正しい」
「でも……なんでアイドルからあんな安値で? レオはこないだアイドルにこっぴどく裏切られたばかりじゃないか」
「まあ、そう思うのも無理はないが……」
お、とレオは一冊の本を手に取り、
「あった、これだ。わたしは魂に関わる呪術はほぼ暗記しているが、細かいものだとちょくちょく忘れているからな」
そう言って埃を払い、「呪術・念の覚え」というタイトルをまじまじ見つめた。
ふふふ、と笑い、言った。
「わたしはこう見えて、家族想いが好きだ」
「……レオが?」
「ああ。あの女は家族を貧困と苦境から救うために、本来好きな男と過ごしたであろう長い青春を捨ててまで戦った。美談だと思わないか?」
「そりゃまあ……」
「それが正しかったかどうかは、のちの人生で決まることだから、是非は知らん。ただ、わたしは話を聞いて、あいつに負担をかけたくないと思ってしまったんだ。アルテルフは不満だろうが、たまにはこんなわがままもいいだろう」
「……」
「フフッ……恨み欲望ばかり持ち込むうちの客に、あんなきれいなものはそうないぞ」
ぼくは声も出ないほど驚いていた。いや——感動していた。
レオに人情があるなんて知らなかった。身内以外にこんなにやさしくするなんて、策略以外で見たことがない。
「めずらしいだろう。わたしがまさか、あんな礼儀もろくにわきまえない小娘を気に入るなんて」
「……うん。正直夢でも見てるんじゃないかと思うほどだよ」
「はははっ! おまえ、妻にそれはないだろう」
「ご、ごめん」
「ま、それに別のことにも興味があるしな」
「別のこと?」
「うむ。今回わたしの作戦がすんなりうまくいったとして、ヤツらはどんな顔をするのか、見てみたいと思ってなァ」
そう言ってレオはクックック……と笑った。あ、これはいつものレオだ。悪だくみが顔ににじみ出てる。
……でもヤツらっていったいだれだろう。この感じだと、たぶんキャメロじゃないんだろうし、ううん……
「さて、必要なものは手に入ったし、行くぞ」
レオはそう言って部屋を出た。ぼくはキャメロにひどいことをしないとわかって安心したけど、結局はだれかを傷つけるつもりなんだろうなぁ、と思い、ちょっとだけ複雑な気持ちでついていった。
そうしてぼくらは再び応接間に戻ってきた。
キャメロは紅茶をすすりながら、
「あ、おかえりなさい」
と、うれしそうに笑ってぼくらを迎えた。
レオに向けていい態度じゃない。レオは他人が自分と同等の立場で話すことを許さない。それがわかっているからこそアルテルフは顔を青くしたが、レオはとくに気にせず、いつも通りどっかりソファに座り、言った。
「さて、まずはおまえにつきまとう男を炙り出そう」
レオは本の目次を開き、目的の題を見つけると、パラパラとページをめくった。
そして片面に魔法陣が描かれ、もう片面に説明が書き連ねられているページにきゅっと癖をつけ、ついでにアンティークを重石にして閉じないようにした。
「おまえ、この魔法陣に手を触れろ」
「この絵に……ですか?」
「そうだ。少々背中に寒気が走るが、わたしがいいと言うまで手を離すな。いいな?」
「わ、わかりました」
そう言ってキャメロは、本の中の魔法陣に手を押しつけた。
レオは文字を眺め、呪術を唱えはじめた。するとキャメロの手からじわじわと黒い炎のようなオーラが登り、彼女の背中を覆った。
へえ……こんなんでいいんだ。呪術って、もっとちゃんと準備して、自分で描いた文字や魔法陣じゃないとできないのかと思ってたよ。
でも後日レオに訊いたら、問題ないどころかむしろこの方がうまくいくと言っていた。
「その場その場で書けば、文字の汚さや絵図の誤りが術に影響するかもしれん。だが元々完成されたものなら、元が間違ってない限り百パーセント正しいものが使える。呪文を唱える形式のものなら本を閉じた状態でも選んで使えるし、こんなに便利なものはないぞ」
なんでも呪術師ならみんな陣だけを詰め込んだ本を携帯しており、いろんなわざを即座に使えるようにしているらしい。詠唱も魔法陣も使わない魔術師には必要ないが、レオのように呪術も併用するなら、そういうひともいるんだとか。(ていうか”魔法陣”なのに魔法じゃなくて呪術って変じゃない? まあ、どうでもいいけど)
後日談はさておき、黒いオーラがキャメロの背中から炎のように立ち昇った。
「う、う……」
キャメロは目をつぶり、小さく震えていた。先ほどレオが言った寒気を感じているのだろう。顔にあぶら汗が浮いている。
それはやがて五つの火柱になった。そしてふわりと浮かび上がり、五つの黒い火の玉となってレオの手元へと流れていった。
「……よし、もう離していいぞ」
とレオが言うと、キャメロは、はぁ、とため息を吐き、疲れ切った顔で背もたれに寄りかかった。
「よくがんばったな。いまおまえの体から負の念を集め取った」
「負の念……ですか?」
「ああ。おまえには見えないだろうが、ここに五つのオーラがある。それはおまえにこびりついた念だ」
「念……」
「人間は強い感情を持つと”念”というこころのエネルギーを飛ばす。その想いが強ければ強いほど、濃く、多量の念が飛び、相手の魂に付着する。おまえは七年間アイドルをしていたな。その長い年月のあいだに、はっきりと手に取れるほどの濃密な念が、おまえの魂に染み込んでいたんだ」
「な、なんか怖いですね……」
「負の念ならな」
レオが言うには、念には大まかに分けて”正の念”と”負の念”があるらしい。
正の念は相手をよく思ったり、好意、がんばってほしいなど、気持ちのいい感情を覚えた際に出るもので、俗に陽の気といって、太陽のようにポカポカしたあたたかいものだという。
逆に負の念は、相手を悪く思ったり、悪意、侮蔑、恨みといった、耳にするだけていやな気持ちのする感情が飛んだもので、俗に陰の気などといい、これを多く受けると精神に支障をきたすという。
「おまえに送られていたのは、元々正の念と欲求の念だ。ファンからの応援したい気持ち、自分を見てほしいという欲望、このふたつが混じってたっぷり溜まっていた。しかし……」
レオは手元にある五つの念の球に目を向けた。
「アーサー、おまえには見えるだろう。この念を見てどう思う」
「ええと……なんだかドス黒くて、見てると不安になる色をしてる」
「そうだろう。恐ろしいことに、念は送り主の感情でころっと変わってしまうんだ。裏返る、とでも言おうか。それまでよい感情を持っていた相手に恨みや殺意を抱いてしまうと、蓄積された正の念が一気に負の念に変わり、受け手に過大な負荷を与える」
「やだ……怖いです」
話すにつれて、キャメロの顔色がみるみる青くなっていった。そりゃそうだ。だってそれが自分の体内で起きているんだ。恐ろしくないわけがない。
だが、レオはクスリと笑うように言った。
「案ずることはない。おまえはずいぶん守られているよ」
「……守られてる、ですか?」
「ああ。おまえは多くのひとに笑顔を振りまいた。ファンはもちろん、愛する男、関わる業者、そして、家族に。その念は相手に届いている。そして、逆に相手からの念もおまえに届いている。笑顔を送った分、いや、それ以上の笑顔がおまえに返ってきている。負の念だけならとっくに自殺してもおかしくない濃さだが、それをはるかに上回る正の念が魂の髄まで染み込んで、前を向かせてくれているんだ」
「そ、そうなんですね。あはは!」
キャメロはうつむいた表情から一変、うれしそうに笑った。いい顔だなぁ。単に美人ってのもあるけど、それ以上に明るいのがいいよ。これなら多くの男が夢中になるのもわかる。アイドルに興味のないぼくでも応援したくなっちゃう。
「さて……話の続きだが」
レオは気を取り直すようにウィスキーを飲み、言った。
「いまわたしは呪術によって、おまえの中から負の念だけを抽出し、手元に並べた。体が軽くなった気がしないか?」
「はい、言われてみれば」
「ふふ……そうだろう。それでだ。あくまで取り出したのは、つかみ取れるほど深くこびりついた念だけ、そして今回は負の念をざっくり抜き取ったわけだが……おまえ、今回のこと以外でひとに恨まれるようなことはあるか?」
「うーん……たぶんないと思いますけど」
「それならいい。もしかしたらライバルアイドルに敵意を向けられたりしていなかとも思ったが、見たところこの五つの念はすべて男だしな。このまま進めて問題ないだろう」
レオはパタンと本を閉じ、言った。
「アルテルフ、デネボラを呼んでこい。それからおまえは外出の準備だ」
「はーい」
命令を受け、アルテルフはパタパタと出ていった。レオはそれを見届け、キャメロに振り返り、
「さて、おまえはこれから数日、我々と過ごしてもらう。今回の件を、だれも殺さず穏便に済ますためだ。いいな?」
「はい。あ、でもその前に家族と夫に伝えなきゃ」
「それはいまから、わたしのしもべがやっておく。うちには他人の思考を読み取って、場所を探ることのできる者がいてな。家まで行って、伝えさせる。その際おまえに直筆の手紙を書いてもらいたいのだが……字は大丈夫か?」
「はい、うちは両親から字を教わっているので」
「よし、これでいい!」
レオは満足そうに両腕をソファの背もたれに回し、両脚をテーブルにガツンと乗せ、
「さあて、ひさびさに気持ちのいい仕事ができそうだ。それにおもしろいものも見れるしな」
そう言って天井に笑顔を向けた。彼女が仕事を受けるときに、こんなにさわやかな顔をしているのははじめてだった。
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「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
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