魂売りのレオ

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第二十一話 言の刃

言の刃 七

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「言葉ってのは難しいのさ」
 ライブラはあたたかい紅茶をすすり、言った。母子ぼしが落ち着いたあと、サラさんは再び紅茶を淹れ直し、いまはゾスマとムールくんも席について話を聞いている。
 ライブラは言った。
「言葉にはね、使っていい場面、使っていい相手ってのがあるのさ。たとえば子供に“お父さんとお母さんどっちが好き?”なんて訊くバカがいるだろ?」
 え? それのなにがバカなの?
「クロちゃんあんた、もしそう訊かれたらどう答える?」
 ええと……そんなの選べないよ。答えられないや。
「だろ? ビーフとチキンどっちがいいとか、春と夏どっちとか、そんなんならいくら訊いてもいいけど、子供に両親のどちらかなんて訊くのは絶対にダメなんだ。子供が困っちまうからね」
 なるほど、困っちゃうな。
「でもそれを言うヤツは、悪気なんてこれっぽっちもないんだ。相手を困らせようとか、傷つけようなんて考えてない。あんただってそうだったろ?」
 ライブラはムールくんに言った。ムールくんは申し訳なさそうに小さくうなずいた。
 それを見て、ライブラはニコリと微笑み、
「安心しな。みんなそうなんだよ」
「そうなの?」
「ああ、そうさ。ひとはみんな、そうやって失敗するのさ。でもそれはしょうがないんだ。知らないんだからね」
 知らない? どういうこと?
「ひとは経験でものを覚えるんだ。辞書を読んだところで本当の意味なんかわかりゃしない。実際に使って、使われて、体験して、それではじめて言葉にどんな力があるのかを知るのさ。それを疑似体験できるから、ひとは物語を好むのかもしれないね」
 ふむ……よくわかんないけど、みんなうなずいてるからぼくもそうしよう。
「たくさん生きて、たくさん経験すれば、はじめて見聞みききする言葉でも感覚で意味がわかるようになる。だけど子供じゃわかりゃしないよ。ましてやあれは新しい言葉さ。大人も対処の仕方がわからないさね」
「ごめんね、お母ちゃん」
 ムールくんがしょげた声で言った。母は静かな笑みで「ううん」と首を横に振った。
「ムラサキさん、ぼくはすごくいやな言葉を言ったんだね」
「ああ、あれはケンカ用の言葉さ。それもかなり強力なヤツだね」
「それなのに、ぼく……」
 ムールくんはうつむいてしまった。かなり後悔していた。彼はいま、母をどれだけ傷つけていたか身を持って知っている。
 ライブラはやさしく言った。
「仕方ないよ。子供は大人のまねをするんだ。あんたはあの論者が立派な大人に見えたんだろ?」
「……」
 ムールくんは小さく黙り、コクンとうなずいた。
「それはね、あいつがたくさんの経験を積んでいるからさ。だから大人に見えるし、子供がまねしたがるんさね」
 ライブラがそう言うと、ゾスマがへらへら顔で質問した。
「ねえ、なんで子供は大人のまねをしたがるの?」
 ゾスマは質問屋だ。話の途中だろうがなんだろうが、気になったことは納得するまで質問する。
「ねえ、なんで?」
「なんでだと思う?」
「知らないから訊いてるんだよ」
「ははっ、そりゃそうだ」
 ライブラはおかしそうに笑い、ふぅ、とあごひじをついて、
「そうさねぇ……たぶん、大人になりたいからじゃないかねぇ」
「大人になりたいから?」
「そうさね。子供ってのは、大人ぶりたがるもんさ。キーロちゃん、あんた子供と大人の違いってわかるかい?」
「男なら射精、女なら妊娠できるようになったら?」
 ブッ! ぼくは思わず紅茶を吹き出してしまった。この子、相変わらず歯にころも着せないなぁ。目の前には思春期の男子と母親がいるっていうのに。
 ……なんか気まずいや。レオもコホンと恥ずかしそうに咳払いをしている。
「はははっ! ま、肉体はそうだろうね!」
 ライブラはバカに笑った。このひとも怖い顔してけっこうおちゃらけている。
 でもすぐに真面目な顔になり、
「でもね、そうじゃないのさ。大事なのは肉体でも年齢でもなく、ふるまいさ」
 ふるまい?
「ねえキーロちゃん、世間を見ると、大人なのに子供みたいなヤツもいるし、子供なのに大人よりも立派なヤツがいるだろう?」
「うん、いる」
「そこにハッキリとした区別はないのさ」
「じゃあどう区別するの?」
「感覚の話になっちまうんだけどさ、大人ってのは、自然と大人なのさ」
「自然と大人?」
「自分を大人に見せたい、周りに立派だと思われたい、そんなふうに大人ぶって見栄を張るヤツは子供さね。あんたが大人だなって思うヤツはそんなことしないだろ?」
「う~ん……たぶんしない」
「そ、大人は大人ぶらないのさ。むしろ子供っぽい部分を隠そうとしないではしゃいだりするくらいさ。でも子供は違う。子供は大人だと思われたいから、無理して見栄を張って、自分を大きく見せようとする。だから子供は大人のまねをするのさぁ」
「まだよくわかんないや」
「そうかい。あんたは大人だねぇ」
 ふーん? わかんないって言ってるのにゾスマは大人なんだ。わかってる方が大人っぽい気がするけど。
「そうさねぇ……あ、そうだ。クロちゃんいまの話わかったかい?」
 え、ぼく!? ええと……どうしよう、難しくてイマイチ………………
 ……でもまあ、
「うん、よくわかったよ!」
 ぼくは自信満々に答えておいた。じゃないとガキだと思われるからね。ぼかぁ大人だもの。
 それなのに、
「どうだいキーロちゃん、これが子供だよ」
「うん、よくわかった」
 なんだよ! ぼくはとっくに精通してる大人だよ!
「ムラサキ……こいつは大人とか子供とか、そういう問題じゃない。それ以前の話だ」
 どうしたのレオ。そんな頭痛が痛そうに頭抱えてため息ついて、困ったことでもあったの?
「あんたも大変だねぇ……」
「なに、慣れたよ」
 なにが大変なんだろう。相変わらずふたりの話は難しい。ついていくのが精一杯だ。それよりこのクッキーおいしいね。紅茶もいい香りだし、昨日のヤキトリもおいしかったし、ぼかぁしあわせだなぁ。
 そんなこんなで時間が経ち、ぼくらはサラさんの家をおいとました。夕食の準備もあるし、旦那が帰ってきたらなにかと思われる。
「しかし、まさか本当にタダ働きするとはな」
 大通りを歩きながら、レオがふくみ笑いで言った。帰り際、サラさんはとにかく礼金を渡そうとし、ライブラは「ちょいとガキを叱っただけさね」と、かたくなに受け取らなかった。
「あたりまえさ。依頼じゃないからねぇ」
 ライブラは後頭部に腕を回し、空を見上げ、
「中には押しかけ仕事で金を取るヤツもいるよ。でもそれはあたしにとっちゃルール違反さ。やるなら先に金額を言って、きちんと打ち合わせしなきゃねぇ」
「おまえのことだから、てっきりまた裏に仕事が隠れてるのかと思ったぞ。温泉街のときのようにな」
「そんなこともあったねぇ」
「呪術師がわざを使って金をとらないなんて考えられん。いったいどういう風の吹き回しだ?」
 レオが怪訝けげんそうに言った。正直ぼくも疑問だった。たぶん取ろうと思えばいくらでも取れたし、そもそもお金を差し出していた。
 ライブラはため息とともに足を止め、わずらわしそうに言った。
「いいだろ、たまにはこんな日があっても」
 目はあさってを向いていた。眉間にはイライラのしわができていた。
 だけど口だけはうれしそうに笑っていた。
「……そうだな」
 レオが鼻で笑った。なんとなく機嫌がよさそうだった。
 相変わらずふたりの会話は意味がわからない。ライブラの返答は答えになっていない。
 だけどぼくは少しだけわかった気がした。答えになってなくて当然だと思った。
 ライブラの睨む瞳が前よりちょっぴり好きになった。
 レオが思いついたように言った。
「ところでライブラ、せっかくだからうちで飲んでいかないか? 寝室も用意するぞ」
「行かないよ、バカ!」
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