魂売りのレオ

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第二十三話 旅ゆかば、酔狂

旅ゆかば、酔狂 八

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 気がつけば幻影は消えていた。呪術は精神力がものを言う。ヤツが恐怖したことで呪いが解けたのだろう。
 怒りの魔力がごうごうと吹き荒れる。その中を、ゆっくりとライブラが歩みゆく。
 そして、呪いとなった娘の前で立ち止まった。
「……つらかったね」
 ライブラは半透明の娘のひたいに指を差し込み、なにやら呪文を唱えた。
 これは……触覚停滞の術!
「もう痛くないだろう?」
 娘の悲鳴が止まった。「あ、あ……」と、なにが起こったかわかっていない声を漏らした。
「悪い夢を見たね……でももう大丈夫さ」
 ライブラは男が落としたふたつの目玉を拾った。その、瞳の前に、手のひらを覆い被せた。
 すると娘の飛び出た目が中へと収まった。
 ——う、うう……ううう……
 崩れ落ちるような嗚咽おえつが響いた。幻影は涙を流さない。だから、声だけが聞こえる。
 ライブラは若草わかくさを撫でるような声で言った。
「あんたはね、これから天国に行くのさ。ずっとしあわせで、もうなんの苦しみもない、幸福の世界にね」
 ライブラの片腕が幻影の肩を抱いた。
「だから苦痛を置いていきな。恐怖を置いていきな。天国には、しあわせしか持って行けないんだよ」
 娘の口がじわりと微笑んだ。眉間のしわが消えた。そしてゆっくりとまぶたがき、やわらかで美しい笑みがうるうると花ひらいた。
「さあ、お行き」
 娘はすうっと空気に溶けた。天国に行ったのかもしれない。
 ただ、ライブラは無神論者だ。そんな彼女が言うのだから、きっといまのは嘘なんだろう。
 だけど、とてもやさしい嘘だ。
「さて、やってくれたね」
 ライブラが男に振り返った。その顔は静かに微笑んでいる。しかし瞳の奥にとてつもない怒りが渦巻いている。
「まったく……あんたみたいな雑魚、やろうと思えばいつでも好きにできたんだけどねぇ。ちょっと観察しちまったよ。まさか“ひら”を出すとはね」
「な、なに!?」
 男は驚愕きょうがくした。
「きさま、ひらきめを知っていたのか!」
「むかし、知り合いがひどい目にあってねぇ……」
 ライブラがじゃりっ、じゃりっ、と男に歩み寄った。一歩進むたびに背後で黒い残り火がゆらめくようだった。
「あんた、オヒューケスの弟子だね」
「うっ!」
 男の顔からどっと汗があふれた。オヒューケスとはいったい……
「あいつはいまどこにいる」
「し、知らない……あの方は終わったことは、弟子だろうがなんだろうが放り捨てる」
「嘘をつくと承知しないよ」
「本当だ! もうおれはあの方と面識がない! 嘘をつく必要がない! この状況、わかるだろう!」
「そうかい……」
 ライブラはフフと笑った。わずかに、うつむいて見える。
「あんたは殺さないであげるよ」
 そう言うと、男の顔からりきみが抜け、はあと声を漏らした。
 これにはぼくもレオも不満だった。まさかこんな目にあわされて、ただで済ませるはずかない。レオの要求は死よりも過酷な苦しみだった。
 もっとも、ただでは済まなかった。
「ここに、あの子の痛みが詰まっている」
 ライブラはおぞましいさくらんぼをつまみ上げ、男の前で揺らした。男の顔がハッと固まる。
「この呪いが恨むのは術者。そして術者は対象をそらすためにしるしを刻む。作ったあんたはよーく知ってるね」
 男の顔色がさあっと土気つちけ色になった。彼はなにが起こるかすでに知っていた。
「や、やめてくれ……殺してくれ……」
 かすれ声で言った。呼吸は不規則に乱れていた。
「あの子もきっと、そう言ったんだろう?」
 ライブラがニィと笑った。そして片方の目玉の裏に爪を立てた。よく見ると、そこにうっすら黒い文字列が見える。
「ひとを呪わば穴ふたつ。呪術師なら常識さね」
 ガリッと引っ掻いた。そして、ポトリと男の頭に落とした。
 瞬間——
「やめっ、うわあああああーーッ!」
 男が狂いもだえた。目が全開に開き、ぎゃあぎゃあと叫んだ。これはいったい……
「呪われたんだ」
 いつのまにか緑色に戻ったレオが言った。
「ひとを苦しめて作る呪いは、まず真っ先に製作者を呪う。そこで呪術師は呪文や魔法陣によって自分が見つからないよう防御し、他人に向かうようコントロールする。ライブラはその呪文を消したんだ」
 なるほど、だからあいつは叫んでいるのか。自分が作った呪いで、自分が苦しんでいるから。
 あの呪いは、あの娘に与えた苦痛を体験するものだった。ぼくらはライブラに守ってもらったから、かろうじて幻覚だけで済んだけど、あいつは……
「どうしました! 開けてください!」
 突如、ドアの外からいくつも声が聞こえた。領主の身を案じている。あれだけ騒げば無理もない。
「どうしよう。息子も殺すんだよね? これじゃ身動きとれないよ」
 これは困った。だってもう、しっちゃかめっちゃかだ。これ以上やるなら罪のない召使いたちを殺さなきゃならない。
 それを話すとレオは、
「なあに、こいつらの声、すべて男じゃないか。それにガシャガシャ鎧の音がする。きっと全員兵士だ」
 あ、ホントだ! じゃあ暴れ放題だね!
「あんたら、バカなことするんじゃないよ。これだけやれば威嚇いかくは十分さね。さっさとズラかろうよ」
 なに言ってるんだよライブラ。ぼくらはあんなことされてムシャクシャしてるんだ。
「そうだぞ。おまえはそれらしい仕事をしたかもしれんが、こっちは溜まってるんだ。さあ、皆殺しにするぞ!」
 ぼくらはいきおいよく扉を開き、片っ端から暴れ回った。やっと少しは鬱憤うっぷんが晴らせたよ。相手はみんな雑魚だけど、対複数なら多少はやりがいがある。
 だけどレオはずるいや。だって見ただけでみんな殺しちゃうんだもの。いなずまで一発だ。ぼくは一歩でも前に出るのに必死だったよ。
 ちなみに子豚を仕留めるのは簡単だった。こんな大騒ぎの中でグースカ寝てるんだからすごいよね。なんの警戒もしてないし、自分のいびきがすごいから周りの音にも不感症なんだろう。金持ちの息子なんてこんなもんだ。いま思うとあの大豚は立派だった。
 そんなこんなでぼくらは仕事を終え、逃げるようにして温泉街に帰った。透明魔法を使って、しかもフェイクルートを通ったから、たぶんあとはつけられてない。
 そして翌日の夕方、領主と謁見えっけんした。こんどはこの前みたいな会議室じゃなくて、つつましくも立派な応接間だった。
「助かったぞ。きっとこれで侵略も止まるだろう」
 今回は兵士はおらず、領主と呪術師のふたりだけだった。どうやら敵城の大事件を聞いて、無条件でぼくらを信用してるらしい。なるほど、ライブラの言う通りあたたかい土地の人間は甘いや。
「あんた、弟子をとりな。知識はあるけど才能はないよ」
 ライブラは呪術師に辛辣しんらつだった。しかしこれもこの街を思ってのことだ。あの殺し屋が本気で攻めていたら、きっと領主は死んでいた。呪術師は素直にうなずき頭を下げた。
「しかし……二人分ではなんとも申し訳ないな」
 領主がぼくらを見回し言った。ここには前回の三人に加え、アルテルフとゾスマも同席していた。二匹は金持ちのところに行くならきっとおいしいものが食べられるだろうという勝手な妄想をしていた。
「なあに、本来なら何人集めてもひとり分さね。構うことはないよ」
 とライブラは言うが、どうせなら大金せしめちゃえばいいのに。レオなら倍はふっかけるよ。
「ううむ……ではこうしよう。君たちはあの温泉宿に泊まっていると言ったね。実はあそこはうちの五男坊の経営で、はなれで夜な夜な食事会をしているそうなんだ」
 へえ、貴族直営の温泉だったんだ。食事会ってなにを食べてるんだろう。
「よほどいいものを口にしてると見えてな、かなり肌艶はだつやがいいんだ。そこで、息子に豪勢な食事を用意させるから、ぜひ堪能してもらいたい。プライベート温泉もついているし、せめてもの礼をさせてくれ」
「ありがたくいただくよ」
 とライブラが答えると、領主は、
「申し訳ないが、わたしは忙しいので息子に案内をさせる」
 そう言って去っていった。
「わーい、ごっちそっう、ごっちそっうー!」
「金持ちのごはん、たのしみ」
 アルテルフとゾスマは大いによろこんだ。もちろんぼくもだ。レオとライブラだけは「まさか毒殺なんてことはないよな」なんてうたがってたけど、そんなことしないよ。
「ま、怪しいと思ったら相手に毒味をさせればいい」
 そうレオが結論づけたところで、
「すみません、お待たせしました」
 扉を開けて、ひとりの少女が顔を出した。あれ? 息子って言ってたのに……って、
「あ!」
「あーーっ!」
 ぼくらはお互い声を上げて指をさした。き、君は壺湯でいっしょになった……!
「アーサー、知り合いか?」
「あの子だよ! 例のお風呂で出会った!」
 そう聞くと、レオは彼をまじまじ見つめ、
「ほう……」
 ニヤリと微笑んだ。うわあ、いやな予感がするぞ!
「まさかこんなところで再開できるなんてね!」
 彼はぼくの両手を握りブンブン振った。満面の笑みで、ドキッとするほどかわいらしい。ぼくはぎこちなく「う、うん……」と答えることしかできなかった。
 そこに、
「おい、五男坊」
 レオがいやらしい笑みで言った。
「おまえ、夜な夜な男でも女でもないヤツを集めてたのしんでいるらしいな」
「え、えっと……」
 彼はやや警戒したが、レオの美しさにほほを赤くしていた。
「その集まり、我々も参加したい」
「えっ!? ダメだよ! あなたは女でしょう?」
「ああ、だがな……」
 レオは彼の耳元に手を添え、なにやらひそひそ話した。すると、
「ま、魔法で両方……?」
「ああ、両方だ」
 ゴクリと生唾を飲み込む音が響いた。少女の顔が、メスの吐息をくぐもらせた。
「おやおや~? なんだかたのしそうなこと話してますね~」
 アルテルフは状況を理解したらしい。いたずらをするときのニンマリ笑顔になっている。
「はあ、バカだねえ。ゾスマ、あたしらは酒でも飲もうよ」
「うん、そうする」
 ライブラとゾスマは彼女たちの輪に入らない宣言をした。できればぼくもそっちに……
「アーサー、せっかくのパーティーだ。参加者が少ないと申し訳ないだろう」
 うっ! やっぱり!
「おい、五男坊。おまえは友達がたくさんいるんだってなあ」
「はい、呼べばそれなりに集まると思います」
「では呼べ」
「いいんですかァ?」
「あはははは! あたりまえじゃないかあ! ごちそうはたくさんあった方がいいだろう? わたしは食いしん坊でなあ。ついつい食べすぎてしまうんだ。ただ、気をつけろよ。わたしと違ってアーサーは食われしん坊だ。腹いっぱいになるよう、お友達をたっぷりぶちこんでやってくれ! あはははは! あはははははははは!」
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