月歌~あなたの歌声は、月光のように温かい~

古紫汐桜

文字の大きさ
57 / 65

戻った声、戻らない時間

しおりを挟む
 私は今、ずっと——ずっと聴きたかった「カケル」さんの“生の歌声”を聴いている。

 声質は大人になって少し低くなっているのに、
それでも間違いようのない“あの”歌声だった。

 透き通る透明感。
 夜空に溶けるように柔らかく、月明かりのように静かに心へ降り注ぐ声。

——まるで、月の歌声みたいだ。

 そう胸の中で呟いた時、人混みをかきわけて兄妹のお母さんが駆け寄って来た。

「ママ~!」

 まいちゃんが笑顔で抱きつき、お母さんも涙を滲ませた顔で必死に頭を下げている。

「本当に……本当にありがとうございました!」

「歌のうまいお兄ちゃ~ん、ばいば~い!」

 兄妹が手を振りながら帰っていく姿を見送ったその時——

「翔太!」

 名前を呼ぶ声が響いた。

 息を切らして駆け寄って来たその男性の姿に、私は息を呑む。

(え……この人……)

 忘れられるわけがない。
あの頃、幼い私にCDをくれた人。
鈴原清香さんが「お兄ちゃん」と呼んでいた、あの優しい青年——

 今は少し年齢を重ねて穏やかになった雰囲気だけど、面影はそのままだ。

 私の顔を見ると、最初は不思議そうに眉を寄せ——
そして目を大きく見開いた。

「……あれ? もしかして……あすみちゃん?」

「え?」

 どうして私だと?

 驚きで言葉を失う私に、その人は懐かしい笑顔を浮かべて言った。

「やっぱり。小さい頃とあまり変わってないから、すぐ分かったよ」

 そう言って、まるで昔に戻ったかのように優しく微笑む。

「翔太の声……あすみちゃんが戻してくれたんだね。ありがとう」

 その破壊力抜群のイケメンスマイルになにも言えずに固まっていると——

「……おい。こんなとこでナンパしてっと、奥さんにチクるぞ」

 森野さんの、低くて不機嫌な声が響いた。

 鈴原さんは吹き出し、

「変わらないな~。お前のヤキモチ性格。こいつが相手だと大変だぞ」

 そう私の耳元でこっそり囁く。

「こいつとは、そんなんじゃねぇよ」

 森野さんは不機嫌そうに言い捨て、
私を自分の後ろへとそっと引き寄せた。

 その仕草にまた胸が痛む。

「はいはい。それで本題だけど——」

 鈴原さんは表情を一変させ、森野さんを真正面から見つめた。

「亮にお前を預けて、ずっと……ずっと、お前の声が戻るのを待ってた。
もういいだろ? 帰って来い、翔太」

 その言葉に、森野さんが苦しげに眉を歪める。

「音楽に合わせて歌ってねぇんだ。……本当に治ったかなんて分かんねぇよ。
それに——もう歌手に戻る気はねぇ」

 そう言い残し、森野さんは背を向けて歩き出した。

 残された私は、胸の奥がじんじんと痛むのを誤魔化すように、ただその背中を見つめてい
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同期に恋して

美希みなみ
恋愛
近藤 千夏 27歳 STI株式会社 国内営業部事務  高遠 涼真 27歳 STI株式会社 国内営業部 同期入社の2人。 千夏はもう何年も同期の涼真に片思いをしている。しかし今の仲の良い同期の関係を壊せずにいて。 平凡な千夏と、いつも女の子に囲まれている涼真。 千夏は同期の関係を壊せるの? 「甘い罠に溺れたら」の登場人物が少しだけでてきます。全くストーリには影響がないのでこちらのお話だけでも読んで頂けるとうれしいです。

処理中です...