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第三章 戦国生き残り

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   第三章  戦国生き残り

     一

 家康本陣には先客がいた。やや小柄ながら屈強な体躯を持つ髭面の中年男である。
「ああ」
 信高は声を上げた。彼は、この男を知っている。
「光嘉殿」
 呼びかけると、
「おう」
 野太い声が返ってきた。
「信高殿ではないか」
快活そうな笑顔を浮かべながら、軽く手を振ってくる。向こうも信高のことをよく知っているのだ。
「久しぶりだな」
 男の名は分部光嘉。伊勢国上野に一万石の領地を持つ大名である。信高の父一白とは旧知の間柄で、一白が同じ伊勢に領封を与えられてからは互いの城を何度か訪ね合ったこともある。
 光嘉は闊達な性格で、どちらかといえば地味で見栄えのしない風貌も手伝ってか、普段は近所の優しい小父さんといった印象が強かった。とはいっても、そこは若い信高などと違い、武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長などという、今では伝説と化しているような群雄たちが各地で覇を競い合った、いわゆる元亀・天正の時代を生身で経験してきた男である。ふとした仕種や表情などに時折、なんともいえぬ風格を感じさせることがあった。
信高はそんな光嘉に、どこか憧れにも似た気持ちを抱いていた。
「そなたも内府に呼ばれたのか」
 傍らに腰を下ろした信高に、光嘉が問いかける。
「ええ、まあ……」
 信高は困惑気味に頷いた。光嘉が今をときめく家康を「内府」と平然と呼び捨てたことに対して、さしものほうけ者も驚きを隠せなかったのだ。
 ――まったく恐れを知らぬ人だ。しかし、まあ、さすがは戦国生き残りの武将というところだな。
 光嘉自身は、あるいは小声で言ったつもりだったのかもしれない。しかし、その声はまったく抑えられていなかった。
 そもそも地声が大き過ぎるのである。呼び捨てにされた当の家康は未だこの場に姿を現していないが、既にこの場に控えている本多忠勝・井伊直政ら重臣たちの耳には、はっきりと届いたはずだ。その証拠に、こちらに向けられている彼等の眼差しが心なしか鋭さを増したように、信高には感じられた。
「では、光嘉殿も?」
 信高は、忠勝らの視線を十二分に意識しながら小声で聞き返した。こちらの声は本当に光嘉だけにしか聞こえない程度に抑えられている。
「おお、そうじゃ。帰ろうとしているところを、いきなり呼び止められてのう。ほれ、そこにおる井伊某という男にじゃ」
 光嘉は相変わらずの大声で言うと、顔をかすかに左へと向けた。その先には、全身を赤い具足に包まれた小柄な武将が端然と床机に腰を下ろしている。色は白く細面で、いかにも秀才然とした風貌を持つその武将こそ「徳川四天王」のひとりに数えられる名将井伊直政であった。智勇兼備を謳われた家康の秘蔵っ子だが、光嘉はその直政をつかまえて、無礼にも「某」と言い捨てたのである。
「まずいですよ」
 信高はさすがにたまりかね、いっそう声を潜めて光嘉をたしなめた。
「変に目をつけられては損をするだけです」
「そうかね」
 光嘉はしかし、格別意に介するふうでもない。むしろ平然と、
 ――知らぬものは知らぬのだから、仕方あるまい。
 とでも言いたげな、澄ました表情を浮かべている。
 ――やれやれ。
 こうなると、信高としてはいよいよ苦笑せざるを得ない。
 この分部光嘉という男、決して偏屈というわけではないのだが、他人の風下に立つことを極端に嫌う傾向があった。その性格が仇となったのか、彼は亡き織田信長や豊臣秀吉から、どちらかといえば、あまりよい印象を持たれていなかったらしい。信高はまだ若く、信長・秀吉時代のことは詳しく知らないのだが、父一白が知友の光嘉を評してそのように言っているのを耳にしたことがある。
 ――あいつのようにいつまでも乱世の夢を引きずっていては、新たな世を生き抜いては行けぬさ。
 父の言葉には、若い息子に対する警告の意味合いもいくらか含まれていたが、それと同時に、時代の波に取り残された――あるいは、みずからそれに乗ることを拒んだ頑固な友人への強い愛惜の念が込められているように、信高には思われた。
 実際、光嘉の武将としての経歴はそうとうなものであった。にもかかわらず、彼がわずか一万石の領封しか与えられていないのは、ひとえに天下人たる信長・秀吉に媚び、取り入ることを嫌ったせいであろうと一白は語っていた。
 光嘉にしてみれば、おのれの才覚ひとつで乱世を生き抜いてきた武将としての矜持が無意識のうちに言動に表れてしまうのかもしれなかった。たとえ相手が天下人であろうとも、むやみにへりくだることなど彼の誇りが断じて許さないのだろう。それが傍目には傲岸不遜な態度と映り、冷遇されてしまうのである。
 生きざまとしてはまことに不器用といわざるを得ない。だが、いかにも戦国生き残りの武将らしい堂々たる処世ともいえた。
 ――こういう人なのだ。
 信高は光嘉の武骨な横顔を見ながら、そう合点した。
 ――ここでは「内府殿」とか「内府さま」とか呼んでおいたほうが無難ですよ。
 そんなふうに忠告することは容易い。実際にそうしたとしても、光嘉は、
 ――尻の青い若僧が知ったような口を聞くな。
 などと声を荒げたりはしないだろう。その程度のことで信高への悪感情を殊更に募らせるような狭量な人物ではないはずだ。しかし、
 ――やはり、それはよそう。
 と、信高は思った。
 彼は、この分部光嘉という人物が、どういうわけか好きでたまらなかった。それは、光嘉の持っている独特の叛骨心が、信高のような若者にはひどく爽快に感じられたからかもしれない。
 世の中には異常なほど権力者に媚を売る大人が蔓延っている。そんな中にあって、光嘉のような存在はきわめて異質で、眩しかった。優れた文官であった父一白を敬慕する気持ちと同等か、あるいはそれ以上に、信高は分部光嘉という同郷の武将を誇りに思っていた。
 富田一白と分部光嘉――古くからの知己であるこのふたりは一見、まるで相反する生きかたをしているようにも思える。しかし信高にとって、それは些細な違いでしかなかった。
 彼の中では、ふたりとも紛れもなく誇り高き武人であった。そんなふたりと同じ伊勢の地に領封を持つ大名としての優越感――といったら、些かこじつけがましいだろうか。
 ともかく、信高の胸中にはそんな気持ちがあったのだ。
 光嘉の飄然とした横顔を眺めるたびに、
 ――俺もかくありたい。
 心のどこかで、そう念じていたのである。

 しばらくして、家康が陣中に姿を現した。
 巨体を揺らしながらのそのそと歩いてきて、床机までようやく辿り着くと、大儀そうに腰を下ろす。肥りすぎなのだろう。
「いやあ、お待たせいたした」
 丸っこい、人の好さそうな声でふたりを労う。
「お呼び立して申し訳ござらぬ。実は、折り入って両名に頼みたきことがあってのう」
「はて、何事でございましょう」
 光嘉が応じる。淡々とした口振りが、いかにも場慣れした印象を与える。
「うむ。実はのう、先程の評定の席上にても申したとおり、上方で三成めが兵を挙げおったのじゃ」
「はい」
「儂はの、光嘉殿。我等の留守中に三成めが奉行どもと相語らい、上方で何かを起こすのではないかというところまでは、一応読んでおった。しかし、毛利や島津・長宗我部らまで味方に取り込もうとは正直、予想しておらなんだ。あやつには人望がないからのう。万が一、挙兵の儀に及ぼうとも、たかが知れておると甘く見ておったのじゃ。ところが、どうじゃ。あやつめ、まんまとやりおった。その上、よもや大名屋敷を襲撃して妻子を人質に取ろうとは……。青白い官僚と侮っておった儂の不覚であった。三成め、どうやらよほど優れた軍師を抱えておるようじゃ」
「石田家には高名な嶋左近が仕えております。あるいは――」
「そうか、嶋左近か。三成にはあやつがついておったのう」
「左近は当代一流の武将でございます」
「存じておる。あれは智勇を兼ね備えた、まことの名将じゃ」
 嶋左近は石田三成の家老である。もとは大和国の武士で、筒井家に仕えていたが、後に出奔して浪々の身となった。三成に仕えるようになった経緯は定かでなく、一説には三成が知行の半分を分け与えて仕官を乞うたとも伝えられているが、真偽の程はわからない。ともあれ三成の家臣となり、たちまち厚い信頼を得てその懐刀となった。京・大坂での三成の迅速すぎる動きも、苛烈なまでの作戦展開も、すべてこの嶋左近が後ろについているためと考えれば納得が行く。
「そこでじゃ」
 家康は、ここでひと呼吸入れてから、
「そこもとら両名、ひと足先に伊勢へ戻り、敵の進軍を食い止めて欲しいのじゃ」
 一気にそう言い切った。
 瞬間、光嘉の面上にサッと緊張の色が走る。
 明敏な家康はそれに気づいたはずだ。だが、彼はそんな様子はおくびにも出さず、
「どうであろう。引き受けてくださるか」
 畳み掛けるように問うた。
「はあ」
 光嘉は曖昧に言葉を濁す。
 家康は、ふーっと大きく息を吐き、
「頼む、光嘉殿。伊勢で一日でも長く敵の進軍を食い止めておいてくだされ。我等の戦備が整うまでの間、一刻でも長く。そこもとらの働き如何で我等の命運が決まると申しても過言ではないのじゃ」
 にわかに哀願するような口調になった。
 上方を制圧した三成らは、余勢を駆って家康を討つべく東へ兵を進めるに違いない。当然ながら家康としては、これを迎え撃たねばならない。ところが、彼自身は三成の挙兵をある程度、予測していたからいいようなものの、福島正則・池田輝政ら従軍している諸将にとっては、まったく寝耳に水ともいうべき事態である。さらに、妻子を人質に取られている者たちは、表立ってそのような素振りを見せはしないものの、やはり内心は少なからず動揺しているだろう。
 このような状況で勢いに乗る敵軍に相対するのは得策ではない。となれば、ある程度、態勢を整える時間が必要になってくる。そのためには、敵の進軍路となるであろう伊勢の地で一定期間これを食い止め、時間を稼ぐ必要がある。
 およそこのようなことを、家康はとうとうと語った。
 光嘉は終始無言でその言葉に耳を傾けていた。彼はしばらく何事か頭の中で考えをめぐらせていたようだが、やがて、
「わかりました」
 と、ひとりごちるように言った。
「我等ごときの力で何ほどのことができるかは存じませぬが、せいぜいご期待に添うよう、あい努めましょう」
 その口調にはかすかな――それでいて、実にあからさまな棘が含まれていた。家康はしかし、またしてもそのことに気づかなかったかのように、
「よろしくお頼みいたす」
 平然と――むしろ口辺に小さな笑みさえ浮かべながら、頷いてみせたのだった。
 それから、彼は首だけを少し動かして、
「信高殿もな」
 信高のほうへ向き直り、ただひとことだけ言葉をかけた。短いながらも有無を言わせぬ強さを持ったその言葉に、
「はっ」
 信高は甲高く叫び、何かに打たれたように勢いよくひれ伏した。

     二

 分部光嘉は天文二十一年(一五五二)の生まれだから、今年で四十九歳になる。中勢(伊勢国中部)を支配していた国人長野氏の一門である細野家に生まれたが、幼いころ請われて分部家の養子に入った。
 光嘉が青年期を過ごした元亀・天正という時代は、織田信長が中央政界に華々しく登場し、戦国乱世が最終段階に差し掛かろうとしていたときである。その信長が仕掛けた苛烈な領土拡張戦争に伊勢国は巻き込まれ、多くの悲劇を生んだ。
 当時、伊勢国内でもっとも強い勢力を有していたのは国司北畠氏であった。北畠氏はもともと京の公家だったが、後醍醐天皇に仕えて建武の新政に功のあった親房が伊勢へ下向して以来、この地に土着していた。以降、八代二百年にわたって北畠氏は伊勢国司として南勢(伊勢国南部)一帯を統治しつづけた。
 その北畠氏が長年の宿敵だった長野氏を併呑したのは、弘治三年(一五五五)のことである。当時の北畠氏当主晴具と長野氏当主藤定との間で和睦協定が結ばれ、晴具の次男具藤が長野家の養子となることが取り決められたのだ。これによって、長野氏は北畠氏の一門に列せられることとなり、事実上、その傘下に入った。
 折しも世は戦国乱世の真っ只中。応仁・文明の大乱を契機として急速に広まった下剋上の風潮はいよいよ顕著になり、諸国には新たな勢力が陸続と勃興していた。伊勢の近国だけにかぎって眺めてみても、近江の浅井長政、大和の松永久秀、そして尾張の織田信長など、枚挙に暇がない。いずれも北畠氏のような名門出身ではなく、むしろ素性定かならぬ者たちばかりだが、卓越した政略・武略によって大名にのし上がった。彼等が次々と一国を平定し、他国へと進出して行く中にあって、伊勢にはそれを成し得るだけの強大な勢力が現れず、零細豪族たちが小規模な合戦をつづけ、互いを消耗させ合っていた。
 こうした現状を憂いた長野藤定は、みずからすすんで北畠氏に屈服することによって、北畠氏による伊勢統一への先鞭をつけようとした。藤定は智勇に優れた名将であり、同時にまた、先を見る眼力をも備えていた。御家のため、国のためにあえて誇りを捨てる覚悟を持つことのできる人物だった。
 ところが、その切実な思いは儚くも打ち砕かれた。
 永禄十年(一五六八)、織田信長が伊勢への侵攻を開始したのである。
 当時の信長は、まさしく日の出の勢いであった。弟の信勝(信行)、叔父の信光らを謀殺して尾張一国を平定すると、天下取りの最右翼と目されていた駿河の今川義元を桶狭間で葬り去り、今また美濃の斎藤家を滅亡の淵へ追い込もうとしている。そんな信長の怒涛のごとき進撃を受けて、北勢(伊勢国北部)の国人領主らはほとんど抵抗することもなく、次々と膝を屈して行った。
 勢いを得た信長はそのまま軍勢を南下させ、長野家領へと侵入する。このとき最初の標的となったのが光嘉の実家である細野家の居城、安濃城だった。
 安濃城は現在の三重県津市にあった城で、後に移築改修されて安濃津城となり、富田一白の居城となる。しかしながら、信長の侵攻を受けた当時、富田家はまだ近江国にいた。城の規模も後年の安濃津城とは比べ物にならぬほど小さかった。
 この城の主である光嘉の兄細野藤敦は、稀代の猛将として近隣諸国に名を馳せていた。藤敦はこのとき、まだ二十九歳の若さであったが、既に数々の戦場で軍功を上げており、長野家中の若者たちの間ではカリスマ的存在となっていた。
 信長は、この安濃城攻めの総大将に宿将の滝川一益を任命した。
 一益は近江の出身で、一説には甲賀忍者出身とも伝えられるが、今は信長に仕えて重用されている。鉄砲射撃の技量に優れ、卓越した智略の持ち主でもあった。
 一益はひとまず城方へ使者を遣わし、藤敦に対して降伏を促した。藤敦はしかし、これを拒絶し、弟の光嘉らをしたがえて断固抗戦の構えを示した。
 かくして一益による安濃城攻撃が始まった。とはいっても、来るべき北畠氏との決戦に備えてできるかぎり兵力を温存したい一益は、圧倒的な数的優位を保ちながら、あえてこの小城を力攻めにはせず、厳重に包囲して持久戦に持ち込んだ。
 城を包囲された細野軍の兵士たちは、精神的にも肉体的にも激しく消耗した。
 数日後、城内の一室において、藤敦・光嘉兄弟はもうひとりの弟である川北藤元を交え、三名で話し合いの場を持った。
「無謀です」
 断固抗戦を主張する藤敦に、光嘉は真っ向から異を唱えた。
「今、織田軍と戦っても、まず勝ち目はございませぬ」
「では、どうせよというのだ。降伏せよというのか」
 語気を強める藤敦の凄まじい気迫に、光嘉は一瞬気圧されたが、ここで引いてはならぬとみずからに言い聞かせ、轟然と反駁した。
「勝てぬとわかっている戦ならば、あえて避けるのが将たる者の採るべき道ではございませぬか」
「おまえは、それでも武士か」
 精悍な顔を憤怒の朱に染めながら、藤敦が難詰する。
「戦わずして敵に膝を屈するなど、武士としてもっとも恥ずべきことだぞ」
「時と場合によるのではありませぬか」
 光嘉も頑として譲らない。
「つまらぬ意地を張るよりも、将たる者、いたずらに兵たちを死なせぬようつとめるべきかと私は考えます」
「卑怯者と誹られてもか」
「ときには誹謗に耐えることも必要でしょう」
「その屈辱を家臣たちにも強いるのか」
「それは……」
「よいか、光嘉。我等は武士だ。武士は何よりも名誉を重んじる。名誉なき生は敗北よりもはるかに恥ずべきことぞ」
「それはしかし、あくまでも我々武士だけの考えかたでしょう」
「なに」
「領民たちは今、自分たちの田畑を兵火によって焼かれることを何よりも恐れているに違いありませぬ。そんな彼等を守ることこそ、我々武士に課せられた本来の役目なのではありませぬか」
「……」
「今ならまだ遅くはございませぬ。信長に降伏しましょう」
「……それは、できぬ」
「なぜです」
「……」
「兄上ッ!」
「もうよそう、光嘉。そなたの言い分もわからぬではないが、やはり我等はどこまでも誇り高き武士でなければならぬ」
 藤敦の声音には、どこか悲痛な響きが込められていた。
「北勢の国人らがことごとく信長に靡いたことによって、伊勢武士の声望は地に落ちた。残された我等には、失われた誇りを取り戻す使命がある」
「惨めな負けざまを曝して、なおさら世の失笑を買うことにもなりかねませぬぞ」
「……まだ負けると決まったわけではない」
「正気ですか、兄上」
 光嘉は思わず声を荒げた。
「勝てるはずがないではありませぬか」
「なぜ、そんなことがわかる」
「冷静にお考えくだされ。このまま篭城したところで、我等には誰ひとり味方がおらぬのですぞ」
 光嘉の指摘は正しかった。藤敦は長野氏の一門でありながら、北畠氏から養子に入った当主具藤と激しく対立していた。そのため、この後の戦局がどれほど細野方にとって不利な推移を見せようとも、援軍を送ってもらえる見込みは皆無に近い。
 細野藤敦と長野具藤の対立は、別段これといった理由もなく発生したものだった。強いていえば「相性が悪過ぎた」ということに尽きるだろう。とにかく些細な行き違いが悪循環を繰り返すうちに、いつの間にかのっぴきならない事態になっていた。
 前述したとおり、具藤は北畠晴具の次男であり、長野氏が北畠氏の傘下に入る証として長野藤定の養子となった。当然、長野家中にはそんな具藤を快く思わぬ者たちも少なからず存在した。なんといっても、北畠氏と長野氏は南北朝以来の宿敵同士なのである。彼等が心情的に具藤を主君として受け入れられないのも無理はなかった。
 とりわけ強く不満の声を上げたのは長野家の一門衆であった。彼等にしてみれば、みすみす御家を乗っ取られたという口惜しさも手伝って、どうしても具藤に心を開くことができなかった。そうした微妙な空気は、むろん具藤本人へも伝わる。彼はこの窮状を打開する手段として、殊更に高圧的な態度を取ることにより、家臣たちを威嚇するという方法を取った。ところが、これが彼等の感情をかえって逆撫でする結果となってしまった。
 その具藤がとりわけ辛く当たった相手が、細野藤敦であった。具藤は、藤敦を長野家一門衆の中でもっとも強硬な反北畠派の人物と睨んでいた。そのため、これを抑えることができれば他の者たちへもかなりの影響を及ぼすことができるはずだと考えたのである。
 この見込みは、半分は当たりで半分は外れだった。
 藤敦の動静は、たしかに家中において絶大な影響力を持っていた。だが、彼は必ずしも具藤にとっての危険分子ではなかった。
 藤敦は根っからの武人であった。真の武人を自負する者は、筋の通らぬことを過剰なまでに嫌う。藤敦にしてみれば、北畠氏に屈服するのは口惜しいが、いったんそうと決まった以上、家臣たる者は一も二もなくそれに従うべきであった。気に食わぬからといって主君を蔑ろにするのは、彼の美学に反していた。
 藤敦は具藤から向けられる冷ややかな視線に耐え、黙々と勤仕しつづけた。そして、ひとたび戦場に出れば、今までと違わぬ働きをしてみせた。
 ところが、やがて限界が訪れた。かねて敵対していた国人関氏と塩浜で戦い、大敗を喫した具藤は、求心力の低下を恐れ、以前にも増して藤敦を目の仇にし始めたのである。
 さすがの藤敦も、もう我慢できなかった。彼は具藤の許可を得ず、独断で居城の安濃城に引き篭った。そして、度重なる具藤の召還命令にもいっさい応じようとしなくなった。
 ――おのれ、藤敦。俺を侮るか。
 激昂した具藤は藤敦討伐の軍を起こす構えを見せたが、実家の父北畠具教に制止されて、どうにか思い止まった。
このような経緯を経て、両者の仲は犬猿の域さえも超えるほど険悪なものとなっていった。むろん、修復の兆しなどまるで見えない。
 長野家にとっては、藤敦が安濃城において信長の進撃をできるかぎり長く食い止めてくれることこそ望ましいはずである。しかし、それでも具藤が援護の手を差し伸べることはないだろうというのが、衆目の一致するところだった。
 はたして具藤は、安濃城が包囲されたと知らされても、まったく動く気配を見せなかった。藤敦憎しの思いに駆られるあまり、彼は純然たる戦略論を捨てて安濃城を見殺しにする肚を決めたのである。
「今さら申すまでもありませぬが、篭城戦とは後ろに味方がいて初めて意味を成す戦術でございます。しかし、我等には援軍の見込みはありませぬ。かくなる上は潔く降伏し、信長の配下として生きる道を探るほかございませぬ。兄上、ここは耐えがたきを耐えて――」
「くどいぞ、光嘉」
 藤敦は光嘉の言葉を遮った。
「俺は絶対に降伏などしない。最後の一兵まで正々堂々と戦うのだ。伊勢武士の名を辱めぬよう、おまえたちも気を入れてかかってくれ」
 有無を言わさぬ強い口調に、光嘉はもはや口を噤むしかなかった。

 その後、戦局は意外な展開を見せた。
 滝川勢による包囲は、まさしく蟻の這い出る隙間もないほど堅固なものであったが、城方はよくその重圧に耐え、兵たちの士気はなかなか衰えなかった。
 そこで一益は一計を案じた。
 城方の侍に掛橋右近という若者がいた。藤敦の妹婿で、武勇をもって驍名を馳せていた。闊達な人物で家中の信望も厚かったが、若いだけにやや短慮な一面を持っており、ともすれば血気に逸りがちな憾みがあった。
 一益はそこに目をつけた。彼は草の者を用いて、
 ――掛橋右近に裏切りの兆しあり。
 との風聞を城内に流布させた。
 普通の精神状態であれば、誰もこのような噂を信じはしなかっただろう。だが、城を厳重に包囲されたことで、城方の兵たちはかなり追い詰められていた。藤敦の強い求心力でなんとか持ち応えていたが、ひとつ間違えば砂のように脆く崩れる――そんな状況に彼等は陥っていたのだ。策士一益はそこを突いてきたのである。
 ほどなく城内に不穏な空気が流れ始めた。兵たちは疑心暗鬼に陥り、苛立ちのあまり脱走者や乱闘騒ぎが頻発するようになった。
 そんな中、掛橋右近が夜陰に紛れて城を抜け出すという事件が起きた。
 ――右近は敵方に内通しているらしい。
 ――けしからぬ、ただちに血祭りに挙げるべし。
 そんなふうに息巻く連中が、ぽつぽつとではあるが、現れ出したことによって、身の危険を感じた右近は単身夜逃げを敢行したのである。
 ――右近の奴、城を抜けて滝川一益のもとへ奔りおったらしい。
 ――なんと。それでは、あの噂は本当だったのか。
 これによって、掛橋右近の裏切りは、少なくとも城兵らの意識の中では、もはや決定的な「事実」となってしまった。城主の妹婿ですら自分たちを見限ったという「事実」に彼等は打ちひしがれ、すっかり意気消沈した。
 これこそまさに一益の狙いどおりの展開だった。彼はふたたび城方へ使者を遣わし、降伏を促した。
 一益は、城兵らの気持ちがくじけた今ならば、いかに剛毅な藤敦といえども、降伏という道を選択せざるを得ないであろうと踏んでいた。ところが、藤敦はまたしてもこの申し出を拒絶した。
「我等は何があっても最後まで戦い抜く。いつまでも悠長に城を囲んでおらず、ひと思いに攻め寄せて参るよう、滝川殿にお伝えくだされ」
 藤敦は毅然とした態度でそう言って、使者をふたたび追い返したのである。
 藤敦にしても、自軍の兵たちに限界が近づいていることはじゅうぶん理解していた。しかし、だからといって軽々に降伏などできるはずがないと思っていた。そんなことは、彼の武人としての誇りが許さなかったのだ。
 かくなる上は、一刻も早く総攻撃を仕掛けてきて欲しいとさえ藤敦は願った。そうでなければ、気力だけでなく、抵抗するだけの体力さえも失われてしまいかねない。どうせ敗れるのならば、華々しく散りたい。無様な姿だけは曝したくなかった。
 ところが、ここで思わぬ事態が起きた。寄せ手の滝川勢がいっこうに総攻撃をかけないことに対して、長野城の具藤が疑念を抱き始めたのである。
 ――藤敦と一益は、実は密かに共謀しているのではないか。でなければ、苛烈な性格で知られる信長が、これほど悠長な部下の戦ぶりを見逃すはずはない。
 さらに、具藤は深読みした。
 藤敦と一益は事前に密約を結んでいる。一益が安濃城を包囲しつづけ、藤敦を窮地に陥れれば、一門の惣領たる具藤はいずれ援軍を率いて安濃城へ駆けつけざるを得なくなる。一益はそれを待っているのではないか。
 織田方としては、来るべき北畠氏との決戦に向けて、できるかぎり兵力を温存しておきたいはずである。とすれば、枝葉の安濃城などにかかずらって無駄な消耗を強いられるのは本意ではないだろう。
 藤敦にしても、どのみち敗勢は明らかなのだから、ここは信長に少しでも恩を売っておいたほうがいい。この後、信長軍が押し寄せて長野氏が滅ぼされでもすれば、彼等はただちに信長に鞍替えしなければならないのだ。そのときのために、できるだけ好印象を植えつけておく必要があった。
 両者の利害はかくも見事に一致する。裏切りはじゅうぶん起こりうるところだ。
 ――藤敦め、許さぬ。
 ひとりよがりの妄想に捉われて、具藤は激昂した。
 ――俺を侮ればどうなるか、目に物を見せてくれるわ。
 彼は長野城で軍勢を催し、事もあろうに藤敦討伐の兵を起こそうとした。
 この動きを知った藤敦は、怒りを通り越して、むしろ呆れ果てた。
 ――なんという愚かな男であろう。
 戦慣れした彼は、滝川一益の狙いが何辺にあるかを察していた。
 一益は自軍の消耗を恐れている。しかし、積極的な攻撃を仕掛けてこない理由は決してそれだけではなかった。真の狙いは、戦局をあえて膠着させることによって、この戦を遠望している長野具藤を混乱に陥れることであった。そのことにうすうす気づいていながら、
 ――いかに具藤が凡庸といえども、この程度の策略に乗せられて我を見失うことはないであろう。
 そう思い、あえて対策を講じずにいたのである。
 しかし、具藤はみすみす一益の術中に嵌ってしまった。深い絶望の後、藤敦の心に激しい怒りが沸々と湧き起こってきた。それは巧緻な策を弄した一益に対してではなく、無様に乗せられた愚鈍なる主君具藤への憤慨であった。
 ――こうなったら俺が具藤を討ち、名族長野家をわが手でこの地上から葬り去ってくれようぞ。
 藤敦はただちに一益に使者を送り、和議に応じる旨を伝えさせると、手勢をまとめて城から打って出た。目指す敵は城を囲んでいる滝川勢ではなく、長野城にいる具藤である。
 細野軍来襲の報せを受けた具藤は戦慄した。
 藤敦の怒りが尋常でないことは容易に想像がついた。ただでさえ武勇に秀でた藤敦が、全身を憤怒で打ち震えさせながら攻め寄せてくるのである。そのさまを想像するだけでも、湧き上がる恐ろしさは筆舌に尽くしがたかった。
 具藤は結局、身ひとつで長野城を抜けた。
 彼はそのまま実家である北畠氏の多芸館へと奔った。

     三

 当主具藤が遁走したため、長野家は新たな当主として信長の弟信包を迎え入れた。
 信包は信良と名を改めて長野家を継いだ。細野藤敦・分部光嘉・川北藤元の三兄弟は揃ってこの信良に仕えることとなった。 
 ところが、ここでまたしても藤敦が信良と衝突した。具藤のときと同様、信良が過剰なまでに藤敦を警戒し、忌避したことが事の発端であった。
 信良は善良な人柄で、滅多に人の好き嫌いを口にしない男だったが、そんな彼でさえ藤敦に対してだけは徹底的に嫌悪の情を示した。してみると存外、藤敦のほうにも何か人格的な問題があったと見るべきかもしれない。
 実際、藤敦には硬骨漢にありがちな融通の利かぬ部分が目につき、そこが主君と衝突するきっかけとなったと指摘することはできるだろう。二十九歳という年齢は、当時としてはもはや青年ではないが、彼は未だにそうした客気を持ちつづけていたのである。それがしばしば悪いほうへ作用したというわけだ。
 年内は一応何事もなく過ごした。だが、その間にも両者の溝は深くなって行った。
 明けて永禄十一年(一五六九)正月、信良が尾張国清洲へ里帰りした隙を突いて、藤敦は謀叛を起こした。彼はわずかな手勢を率いて長野城を乗っ取り、織田家から来た家臣たちを人質に取った。
 信良はこのことを長野城から脱出した妻によって知らされた。彼の妻は中勢の名族神戸氏の出身で、ことのほか武技に長じていた。藤敦謀叛の報せを受けるや薙刀を手に取って飛び出し、敵軍の只中をただ一騎、愛馬に乗って駆け抜け、そのまま清洲まで休むことなくひた走って、夫に国元の変事を伝えたというのだから、まさしく「烈婦」の称号を冠するに相応しい女性であったといえよう。
 報を得て驚いた信良は、兄信長に相談を持ちかけた。
 信長の答えは、信良にとってはおよそ意外なものであった。
「いかなる手段を用いても、説き伏せよ」
 信良にしてみれば、短気な兄のことだから、謀叛の事実を知れば烈火の如く怒り、
 ――細野藤敦を八つ裂きにせよ。
 と、喚き散らすのではないかと思っていたのだ。ところが、信長は信良に対して、なんとしてもこの一件を平和的に解決するよう厳命した。
 むろん、それには明確な理由があった。
 信長は、この年内にも北畠氏を片付けてしまう肚積もりだった。そのときに備えて、尖兵たるべき長野家には、できるかぎり余計な消耗を避けて欲しかったのだ。
「頭を下げて済むものならば下げよ。金を払って済むものならば糸目をつけずに払え。とにかく戦にだけは絶対にしてはならぬ」
 そう言い渡された信良は、伊勢攻略の総司令官をつとめる滝川一益の助言を得ながら、藤敦との和睦交渉を開始する。
 交渉の席上、藤敦は織田家中のしかるべき人物から未成年の男子を一名差し出させ、実子のないおのれの養子とすることを条件として提示した。つまりは態のいい人質であったが、一益はこれを受諾し、みずからの庶子を安濃城へ送ると約束した。
 以降、交渉は急速に進み、やがて和議が結ばれた。
 信良は長野城への帰還を果たした。しかし、彼の心はこの一件で激しく傷ついた。
 このときの恨みを信良はこの後、十年以上もの間、忘れることができなかった。

 天正八年(一五八〇)、長野信良は決心する。
 ――細野藤敦を誅殺しよう。
 この十年余、信良は細野藤敦という男の持つ独特の威圧感に終始気圧され放しだった。顔を合わすたび、劣等意識にも似た苦い感情を掻き立てられつづけてきた。
 彼の我慢は既に臨界点に達していた。これ以上、家臣に色目を使いながら生きて行くのは御免だと思った。
「私は、そなたの兄を討とうと思っている」
 信良は光嘉を呼び寄せると、単刀直入にそう切り出した。
 光嘉は無言のまま信良の顔を見つめる。
 信良は、やや上ずった声でつづけた。
「私はもう我慢できないのだ。そなたの兄はたしかに武勇に秀で、智略に優れた名将であろう。私はひとりの武人としてならば、彼を心から尊敬することができたかもしれぬ。しかし、主君としての目線で見ると、彼という家臣はあまりにも存在が大き過ぎるのだ。私は彼を超えられぬ。超えられぬ以上、その存在を消し去るしかない」
「……」
「このようなことをなぜ事前に弟であるそなたに伝えるのかと、不思議に思うであろう。私はな、光嘉。このことに関して、そなたにだけは、はっきりと筋を通しておきたいのだ」
 話しているうちに、信良の目が潤み出した。
「家中では未だに藤敦の人気が根強く、特に若い者の中には熱烈な信奉者が少なからず存在する。そのことは、そなたも存じておろう」
「はい」
「長野具藤はそんな藤敦の力に嫉妬して、これを敵視し、結局はおのれの身を滅ぼした。私は具藤の二の轍を踏むまいと心に誓い、藤敦との融和につとめてきたつもりだ。だが、藤敦は――そなたの兄は、最後までこの私に心を開いてはくれなかった。最後まで私を仕えるに値する主君と認めてはくれなかった」
「……」
「たしかに武将としての私は、どの部分を取っても藤敦に及ばないだろう。しかし、私は藤敦の主君だ。彼も武士ならば、どのような思いを抱いていようとも、家臣としての分を守らねばならぬはずなのだ。違うか」
「……仰せのとおりでございます」
「私は藤敦を憎んではいない。それどころか、武将としての能力の高さは誰よりも認めているつもりだ。だが、家臣としてのあいつは駄目だ。あいつには、よき家臣となる資質が決定的に欠けている」
 信良の口調が次第に激してきた。いつの間にか藤敦を「あいつ」呼ばわりしている。
「私は私の信念に基づいて藤敦を成敗する。しかし、光嘉よ。そなたは藤敦の弟だ。私の意志にしたがうも、逆らって兄に通報するも、そなたの心ひとつ。そなたはそなたの信念に基づいて、取るべき道を選ぶがよい」
「私は……」
 光嘉はしばし口篭っていたが、やがて意を決したようにきっと顔を上げ、真っ直ぐ信良の顔を見つめ返しながら、
「私は殿の家臣でございます」
 強い口調で、はっきりと答えた。
「兄が長野家にとって害悪であるというのならば、成敗もやむを得ぬことと存じます。私に遠慮なさる必要などございませぬ。殿は殿の信念にしたがって行動なさいませ。私は家臣として、どこまでもついてまいりましょう」
「ありがとう」
 信良はそう言って、心底から救われたような笑顔を浮かべてみせた。

 信良による藤敦誅殺計画はしかし、未然に終わった。
 藤敦はさすがに一流の武将だった。彼は信良が自分を討とうとしていることにいち早く気づき、長野城から逐電したのである。
「そうか……」
 そのことを知ったとき、光嘉は安堵とも落胆ともつかぬ、なんとも複雑な表情を浮かべながら、ひとことそう呟いただけだった。
 それきり彼が兄のことを口にすることはなかった。

     四

「大変なことになったな」
 光嘉は呻くような声を出した。
 ところはふたたび下野国小山宿である。
 家康本陣を出た信高と光嘉は、肩を並べて歩いている。
 信高のほうは、相変わらずほうけたような顔をしている。対照的に光嘉の表情は険しい。
「はあ」
 要領を得ぬ相槌を、信高は打った。
 大変な重責を担わされてしまったことはわかる。信高とて、緊張感がまったくないわけではないのだ。しかし、どういうわけか、それが表に出ない。
「とにかく急いで戻らなければいけませんが、さて、どうやって戻るかが問題ですね。何しろ敵は既に上方を征圧し、軍勢を東へ向けているでしょうから――」 
「気づいているか、信高殿。我等は捨て石だ」
「えっ」
 そのほうけ者の表情が、初めて少し変わった。
「捨て石、ですか」
「ああ、内府は我等を捨て石にするつもりなのだ」
「どういうことでしょうか」
「考えてもみよ。儂が一万石、貴殿が五万石、あと味方に引き入れられるとして、松阪の古田重勝が一万石――三人足してもようやく七万石にしかならぬ。それに対して敵方はほとんどが十万石以上の大名だ。たとえ我等がこのまま城へ戻ったとしても、とても戦にならぬことは明白」
「……」
「たしかに地の利はある。だが、そんなものがどれほどの役に立つというのだ。これだけ戦力差があれば、どこで、どのように戦っても、我等は必ず敗れる。内府ほどの男に、その道理がわからぬはずはない」
「では……」
「内府は言っていたな。できるかぎり敵の進軍を食い止めて欲しいと。それはつまり、身を捨てて時間を稼げということだ」
「つまり、我等に死ねと」
「ようやく気づいたか」
 光嘉はニヤリと笑った。
「だから、我等は捨て石なのよ。内府にしてみれば、仮に伊勢へ向かう途上で我等が敵に遭遇し、討たれるようなことがあったとしても、それはそれで多少の時間稼ぎにはなる。むろん城へ辿り着き、篭城戦に持ち込むことができれば御の字だろうが、最悪の場合も想定しているはずだ」
「そうなったら、そうなったでかまわないと」
「そうだ。内府にとって、我等の命には、つまるところ、それだけの重みしかない」
「それでも、内府の命にしたがわなければいけませぬか」
「したがうほかあるまい。なるほど、したがえば我等は戦によって滅びるかもしれぬ。しかし、逆らえば我等は内府によって滅ぼされる。どのみち、大した違いはないのだ」
「それでは、どうすればよいのです、私たちは」
「どうしようもあるまい。とにかく今は一刻も早く伊勢へ戻ることじゃ」
「しかし、どうやって。敵は既に伊勢へ押し寄せているかもしれませんよ」
 さしものほうけ者も焦りと不安を感じ始めていた。まったくもって「らしくない」が、どうやらこの男、ここに至ってようやく自分たちが置かれている状況の厳しさを、理屈の上だけではなく感覚そのもので理解したものらしい。
「考えはある」
 光嘉は悪戯っぽく笑う。
「儂についてくるか」
「それは、もう」
 信高は激しく、何度も頷く。
「ついて行きます、どこまでも」
 いつになく上ずった声で、彼は言った。今はこの「戦国生き残り」――分部光嘉という武将の経験と知恵にすべてを託すしかなかった。
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