きっと、忘れられない恋になる。

りっと

文字の大きさ
9 / 52
第一話 記憶の墓場

8

しおりを挟む
「そうか……だから支倉さん、何も覚えていなかったのか」

「……相沢くんって面白いね。わたしのこと、虚言癖のある痛い女だと思わないの?」

「小泉は嘘を吐いていないんだから、そんなこと思わないよ」

「……そう」

 由宇はしばしの沈黙の後、ゆっくりと語り出した。

「支倉さんはね、二十四歳で出産したの。子どもを産むことに反対したご両親とは半ば絶縁みたいな感じになっちゃって、大変だったみたい。でも彼も産んでほしいって言っていたし、支倉さんは彼を愛していたから、堕胎するなんて考えもしなかった」

 支倉の体験した記憶は、既に請け負った小泉のものとなっているのだ。恭矢は唾を飲み込んだ。

「女の子を産んだの。彼によく似た、笑顔の可愛い子だった。だけど、一歳になる前……本当に急に、あの子は逝ってしまった」

 そこまで話した由宇は言葉を詰まらせ、その瞳に再び涙を浮かべていた。

「あの子……星羅がいなくなってから、すべてが変わってしまった。お互い支え合わなきゃいけないのに……彼と一緒にいるとどうしてもあの子のことを思い出して、泣いてしまうの。喧嘩が増えて、お互いを傷つけ合うばかりになってしまった。もう一緒にいてはいけない。二人でいたらどんどん駄目になると思って……二人で何度も話し合って、別れを決めたの」

「だから、忘れようとした……?」

「『わたし』は、もう泣きたくなかった。前に進みたかった。だけど、わたしには自分の意思であの子を忘れることなんて、できなかった……!」

 由宇はきっと気づいていないだろう。第三者の立場で話していた彼女の一人称が『わたし』となっていることを。

 まるで、自分が経験したかのように語っていることを。

「だから噂を頼りにここに来たの。〈記憶の墓場〉だったら、思い出に残る何かを持ってくれば、何もかもを忘れさせてくれるって聞いていたから」

 由宇はマグカップを口に運んだ。彼女が喉を潤す僅かな沈黙の間、恭矢は何も言えなかった。

「……と、こんな風にね、わたしは望んで『忘れたい』と願ったひとの記憶を奪っているの。支倉さんの記憶の中に彼の存在は残っていたとしても、星羅ちゃんの存在はない。『あなたには赤ちゃんがいたんだよ』と誰かに言われても『そうだったんだ』くらいにしか理解できない。なんとなく自分を納得させるだけで、決して思い出すことはない。もう彼女が星羅ちゃんを産んで、育てたという経験も記憶もわたしのものだから」

「……どうして小泉が、そんなことをしなくちゃいけないんだ? 誰かの思い出……それも辛い思い出を自分のものにするなんて、苦しいだろ?」

「この仕事をやるようになったきっかけや、依頼の受け方は話したくない。でも大丈夫よ。辛いと感じることはないわ。……感じるようなら、できない仕事だから」

 由宇が浮かべたのは、恭矢がすっかり見慣れてしまったあの上辺だけの笑顔だった。その顔を見た恭矢の胸はぎゅっと痛くなって、黙っていることなんてできなかった。

「……嘘、吐くなよ。だったら、どうして泣いたんだ? 支倉さんの記憶に胸を痛めたからだろ? ひとのために涙を流せる奴が、辛いと感じないわけがない」

「でも、たとえわたしが辛い思いをしたとしても……誰かが楽になってくれたのなら、わたしは幸せだから」

 由宇のその徹底的な献身的姿勢は、どこから生じるのだろう。

 小泉由宇は清楚な美少女で、目立つわけではないが暗いわけでもない。人と積極的に関わることはないが、決して冷たいわけではない。

 そんな彼女に対して抱く気持ちが好意なのか好奇心なのか、恭矢自身はまだ答えを出していない。だれど、声を殺して一人で涙する彼女のできるだけ近くにいたいと思った。

 たとえ由宇が恭矢を疎ましく思っても、嫌いだと言っても、百回に一回「助けて」の声をあげたときには、すぐに手を差し出せる距離に。

「俺、小泉の力になりたい。でもきっと小泉は俺を遠ざけようとするから、勝手に近くにいることにする」

 恭矢がそう言うと、由宇の表情は困惑したものになった。部屋に蔓延るしらけた雰囲気に恭矢の心は早速くじけそうになったが、それでも決意を翻すつもりはない。

「……キモいって言ってくれていいよ」

「じゃあ、言わせてもらおうかな。さっき相沢くんのこと優しいって言ったけど撤回する。……相沢くんって、変。気持ち悪い」

「うっ……やっぱり、もう少しお手やわらかにお願いします」

「ふふ、自分から言ったんでしょ?」

 恭矢の自惚れでなければ、目尻に涙を浮かべて笑う由宇の顔は、初めて見る建前ではない心からの笑顔だったと思う。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて

ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」 お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。 綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。 今はもう、私に微笑みかける事はありません。 貴方の笑顔は別の方のもの。 私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。 私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。 ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか? ―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。 ※ゆるゆる設定です。 ※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」 ※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...