きっと、忘れられない恋になる。

りっと

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第六話 記憶の操作

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 青葉と由宇の母親である舘美緒子が社長を務める会社〈レミリア〉は、この地域の中心部にある八階建てのビルだった。表向きは対企業へのコンサルタント業を営む中小企業として経営している会社が、実は人間の記憶を自在に操ることで収入を得ているトンデモ企業だなんて、普通なら夢にも思うまい。

 自転車から降りた恭矢はビルを見上げ、正体を隠すことと頭を守ることを目的として家から拝借してきた、修矢のバイクのヘルメットを被った。そして軽くストレッチをして、勢いよく〈レミリア〉に向かって駆け出した。

 だが、出陣した恭矢はすぐに後悔することになった。ヘルメットを被った恭矢を見て、警備員がぎょっとした顔で捕まえようとしてきたからだ。当然だ。

 もっと上手いやり方があっただろうに、どうしてわざわざ警戒させる格好で正面突破しようとしたのかと自分に呆れる。頭に血が昇っていてまったく冷静でなかったことを思い知ったが、遅すぎた。こうなったらもう、突っ走るしかない。

 制止するよう警告された声を無視して、ビル内を走り曲がり角に姿を隠した。そして追いかけてきた警備員が角を曲がった瞬間、彼に頭突きをかました。

 ヘルメットを被ったまま力いっぱい放った一撃は、警備員をしばらく戦闘不能にさせた。倒れた警備員をこっそりとトイレに運び込み、彼の胸ポケットに入っていたIDカードを抜き取った。

 人目を盗んで事務室に潜り込んだ恭矢は、社内全部のブレーカーを落とした。すぐに予備電源に切り替わったが、暗闇を生んだそのわずかな時間は、十分な効果を発揮する。

「どうした、何があった?」

 すぐに誰かが事務室に入って来た。そうだ、混乱しろ。たった五分でいい。少しだけ社内を慌ただしくさせることができれば、社長室に行くことが容易になる。

 身を隠しながら非常階段を昇って社長室を目指したが、目的地が近づくにつれ、恭矢は上手く行きすぎている現実に不安を覚えはじめた。

 ちっとも冷静ではない頭で考えたこの計画。進入時点から早速後悔で始まったくせに、社内に入ってからは不自然なほどに警備が甘く、スムーズに事が進んでいる。警備員をトイレに運んでいるときも、階段を昇ったときもそうだったが、いくら人目を避けていたとはいえ、誰にも会わないのはおかしいだろう。

 裏稼業だからこそ、侵入者に警戒するものではないのか? こんな緩い警備で大丈夫なのか?

 不安を抱えながら社長室の前に到着したとき、やっと馬鹿な恭矢でも気がついた。美緒子は恭矢が来ているのをわかっていて、わざと招き入れているのだと。

 カードリーダーにIDカードを通すと、電子音の後、ランプが緑色に変わった。恭矢はヘルメットを脱ぎ捨て、重圧感のある扉を開いた。

 足を踏み入れ、室内を見渡してみる。想像していたよりは狭い部屋だと思った。白い壁で囲まれた室内の社長机の背後には、大きな窓があって開放感がある。床には暖色系の絨毯が敷いてあり、由宇のいる雑貨屋の二階と同様、白いソファーが置いてあった。

「……表向きはコンサルタントの会社だからですか? 想像していたよりずっと、一般的な社長室ですね」

 恭矢は穏やかに、あくまで好青年を気取って声をかけた。

 社長椅子に座る美緒子――由宇と青葉の母親は、年齢を感じさせない若さと人目を惹く美しい容姿が特徴的で、娘は二人とも母親似だと思った。

「それも理由の一つだけどね。精錬された美しさをもつ直線的で金属的な部屋よりも、こういう一般家庭のように安らぎを重視した温かい雰囲気を持たせた方が、人間はリラックスできるものなんだよ。リラックスできるということは、私の仕事ではとても重要なことなんだ」

 美緒子の堂々とした雰囲気からは、成功者の自信が透けて見えていた。 

「初めまして。俺は相沢恭矢といいます。今日は舘さんとお話をさせていただきたくて、お忙しいところ恐縮ですが伺いました」

「知っているよ。あと、美緒子でいいよ。苗字は好まないんだ」

「では、美緒子さんとお呼びします。……あの、知っているというのは、俺の素性はある程度ご存じということでしょうか?」

「ある程度がどの程度なのかは、個人によって定義が異なると思うけどね。私が知っているのは、君は綾瀬青葉の幼馴染で、小泉由宇の同級生であるということ。彼女たちの持つ記憶に関する能力を知っているし、能力を使われて記憶を消されたことも、再生されたこともあるということ。……そして、由宇を裏社会で働かせているだけではなく、突然青葉にまで接触した二人の母である私に腹を立て、ここまで乗り込んで来たということ。それくらいかな?」

 部屋の中に緊張が走った。美緒子の威嚇に、恭矢が無意識のうちに構えてしまったからだ。

「改めましてようこそ、騎士気取りの青二才くん。私も君と話がしたかったんだよ」

 美緒子は由宇を想像させる穏やかな話し方から一転、殺伐としたオーラを纏って恭矢に襲い掛かってきた。美緒子を『普通じゃない』と表現した由宇の言葉が思い出される。

 恭矢は彼女の、人間を飲み込まんばかりの深い瞳の色を睨みつけ、息を吸った。

「……あなたがやってきたことを、全部俺に話せ。どうして二人を捨てた? どうして小泉を裏の世界に引き込んだ? どうして……今更青葉に接触した? 返答次第では、小泉があなたを許そうとも、青葉が泣き寝入りしようとも、二人にこれ以上関わることは俺が絶対に許さない」

「それで? それだけかい?」

「俺にできることなんて、これくらいしかないからな。だけど俺はたぶん、あなたが想像しているよりはしつこいと思うぞ」

 美緒子は嘲笑した。動物同士の喧嘩のように、あるいは品定めしているように、彼女は決して恭矢から目を逸らさなかった。

「面白そうだから話そうか。一言で言えばね、男は不甲斐なかったんだよ。私の持つ〈記憶の強奪〉と〈記憶の再生〉の能力を引き継いだ才能を持った子どもは、由宇と青葉だけだったのさ」

「……どういうことだ?」

「私は由宇と青葉を含め、四人の子どもを産んでいる。由宇と青葉以外の二人は男だ。だが残念なことに、私の能力は男には引き継げなかったのさ。由宇が強奪能力だけを、青葉が再生能力だけを引き継いだのは、興味深い結果だった。兄弟の多い君なら理解できるだろう? 同じ親から生まれているのに性格が全く異なるなんてことは、身をもって知っているはずだ」

「……興味深いって、自分の子どもを実験対象みたいな言い方するなよ」

「それは失礼……ところで、君はもう二人とセックスはしたのか?」

 デスクの上で手を組んでいた美緒子は椅子にゆったりともたれ掛かり、平然と聞いてきた。対照的に、恭矢は見事に動揺した。

「し、してねえよ! 何言ってんだ!」

「ふっ。あの子らの背中にある刺青は見たのか? と聞きたかったのさ。それと……まあ、これは言っても意味がないか。それにしても、私に似て美人に育った二人のあんなに近くにいながら手を出していないとは、情けない男だね」

 美緒子の質問には脈絡がなく、ただでさえ脳味噌の容量と処理能力が追いつかず必死になっている恭矢は、感情まで乱されてたまったものではなかった。

 だが美緒子の言葉に、一つの疑問を抱いた。

 ――待てよ。前に小泉にもこんな質問をされなかったか? あのときは恥ずかしさで流したけれど、能力者と性行為をすることに何か意味があるのか?

 恭矢が推理を進めていると、美緒子は何やら意味深な笑みを浮かべていた。これも恭矢の心をかき乱す作戦だと考えると、これ以上気にする余裕はなかった。
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