短編集:夜の連弾

ふつうのひと

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またあの日と同じ場所で

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『見て見て、あの桜。綺麗じゃない?』

『...そうだな』

今の時期はあの時と同じ4月の始まり、世間では入学式やら新入社員歓迎会やらが行われ、新しい風を感じる季節だろう。
そんな中、俺──いや、俺たちはのんびりと桜並木の下で満開の桜を眺めながら、ぼんやりと歩いていた。何かを話すわけでもなく、ここで男女が結ばれるといった恋愛的にかなり美味しい展開も何も無い、ただの散歩だ。

俺と俺の傍で綺麗な桜に目を向けていた女は、多分、今年で25歳になる立派な社会人だろう。傍で桜ばかりに目を向け、こちらを見ようともしなかった女は、俺にとって特別な存在だったのだろうか。特別な感情は無かった訳では無い。桜ではなく、こちらに目を向けて欲しいと願った事も、その願いは叶わない事も十分理解していた。

中3の卒業式が終わり、いよいよ高校の入学式の準備に入ろうとしていた春休みのある日。俺は突然、彼女から明日でどこかへ引っ越してしまう事を打ち明けられた。どうやら、県外の頭の良い高校へ行くらしい。ここら辺は学力的にも丁度いい学校が少なく、治安も悪いし他地方に誇れるようなものも無い。賢明な判断だと言えばそうなのだが、中一の頃から一緒にいた俺にとっては些か、どうしようもない寂しさと不安が残った。

どこへ引っ越すのか、こっちへは戻ってくるのか、戻らなくても、連絡手段はあるのか、またいつもみたいに遊んでくれるか。彼女への質問や想いは、彼女から引っ越しの話を聞いた時から絶えず溢れ出てくる。
だが、そんな数々の質問や想いを今更伝えるのは少し違う気がして、きっと彼女とはここで別れる事になるだろう。もう永遠に会えないのかもしれない。

違う。俺は、彼女への想いをあえて伝えなかったのでは無い。伝える勇気が無かったのだ。

自分をすぐ美化しようとすること。それが俺の悪い癖だ。

とにかく、彼女はあの日の散歩以来、一度も会えていない。会おうと思えば会えるのだろうが、残念ながら俺は彼女に会う勇気がどうしても出ない。
何度も何度も彼女に会いに行こうとした。辛くて辛くて、彼女の笑った顔が見たかった。それだけで救われるような、そんな気がしたんだ。
でもそれは、彼女はどう思うだろうか。

きっと、笑ってはくれないだろう。
いや、彼女の事だ。ふざけて、俺を不審者呼ばわりして追い返すだろう。

「はは.....」

無意識に、掠れるような笑いが少しだけ開いていた口から漏れる。それは嘲笑か、冷笑か、あの日の懐かしさに対する微笑か。


そういえば、あいつの笑い声、綺麗だったなぁ.....。


そう心の中で呟いて、俺は二度と味わうことの出来ない俺にとっての青春を嘲笑い、腹を渦巻く哀感を噛み締める。
俺はそんな汚い感情に嫌気が差し、桜並木を走って通り抜ける。桜並木の先には、大きな川が流れており、石造りの橋が1本、かかっている。

彼女と共に下校する際には、よくこの橋の下から川を眺めてビクビクと震えていた。橋の下の川は流れが強く、水深も浅い。加えて、橋と川の高度はかなり離れているので、落ちたら一巻の終わりだ。事故や飛び降り対策の為にお情け程度の柵が設けられてはいるが、柵の背も低く、かなり心もとない。
俺は、あの日と同じように身を前傾にして柵をしっかりと掴み、橋の下を覗き込む。
川が絶え間なく、音を立てて流れており、あの日とは違って恐怖よりも綺麗な川の魅力に引き立てられ、しばらく魅入ってしまった。












突然、ドン、と背中を押された感覚がして、俺は足が浮いてしまう。

柵の向こう側に前傾姿勢になってしまい、俺は慌てて手足をばたつかせ、段々と迫り来る終わりに抵抗しようと試みる。だが、手も足も空を切り、抵抗になるどころか、むしろ体がより前傾になり、迫り来る終わりに貢献することになってしまった。

確か、あの日は何も無いところで転んだんだ。普段なら少し痛い、だけの何ともない場面に過ぎないのだが、その日は橋の上で転んだのだ。珍しく俺は焦りに焦った事を覚えている。
体が柵から離れ、いよいよ落ちそうになるところで、俺はせめて相手の顔を見てやろうと、俺の背中を押したクソ野郎に目を向ける。
俺の背中を押した奴は、どうやらただのホームレスのようだ。髭や髪は伸ばし放題、薄汚く土汚れた服装で、同じく汚れた瞳で俺を見つめている。

クソジジイめ、次に会ったら仕返しをしてやる。

俺は、そう決心し、目を瞑って体を自然の理に預け、虚空を舞う。
何かの記事で見たのだが、落下の恐怖と言うのは落下するまでが最高潮であり、意外にも落下による痛みなどは一切感じないのだとか。何十年も前の記憶だ。人間は死に直面すると色んな要素が覚醒すると聞いたが、どうやらそれは本当らしい。その他にも、何十年も前の色々な記憶が一気に脳内に溢れ出る。小学校の頃の思い出、中学校の頃の思い出、高校の頃の思い出。どれも楽しげな記憶ばかりで、俺は心の底から羨ましいと感じた。

──あっ、俺、まだプラモ完成させてないや。


小学校の頃、大切に大切に扱っていたプラモデル。絶対に完成させると意気込んでいたのに、俺は未だに完成出来てない。そうして俺は、自分が川に衝突し、落下死した事にも気付かず、死んだのだ。






「.....よぉ。久しぶりだな」

俺は、何も無い空間で確かに目の前にいる、あの日と同じ姿の彼女に、手を挙げて苦い笑みを作って話しかける。

彼女は今にも泣きそうな表情で俯いており、俺の方を見ようともしてくれない。当然と言えば当然なのだが。やはり来るのが早すぎたのか、それともここに来るまでの道のりが彼女にとって気に食わなかったのか。
彼女との記憶を辿っていたら、突然ホームレスに襲われて死んだ、なんて、自分が彼女だったら気分は悪いなんてものじゃない。

「...ふ、不審者!帰って!ほ、ほら!」

俺が心の中で彼女を理解した気分になっていると、彼女は俺の肩を押しのけ、目に涙を浮かべながら必死に俺に訴えるように声を張上げる。
俺は唐突な衝撃に対応できずに、地面とも呼べないような地面に尻もちを着いてしまう。

「あっ.....ごめん、大丈夫?」

彼女は驚く程にあの日と変わらず、俺は思わず笑ってしまう。そういえば、彼女との出会いも俺が道端で何も無いところで転んでしまったところに、彼女が手を差し伸べてくれたところから始まったんだ。
俺は彼女の差し伸べる手を取り、彼女の綺麗な頬を伝う一筋の涙を手で拭う。俺は大人の姿で、彼女は学生の頃の姿なので、身長差がかなりあり、彼女は俺を見上げる形となった。

相変わらず、泣き顔も可愛いじゃないか。

そう思った直後、今までの思い出が、鮮明にフラッシュバックしては、シャボン玉のように消えていく。不思議な感覚だ。
彼女と過ごした宝物の記憶も、彼女がいなくなった後の長いようで短かった記憶も、彼女への想いも。全て、シャボン玉のように消えていく。

「帰るべきだよ、君は」

彼女は、俺の頬に手を伸ばし、俺の目元をゴシゴシと乱暴に拭う。俺は彼女が何をしているのか理解出来ず、自分の右手を目元に近付ける。右手が濡れる感触がして、俺は右手の人差し指の側面を見つめる。

そうか、涙か。


俺は、何故か涙を流していた。


何故涙を流しているのか、大粒の涙が頬を伝って見たことの無い地面とも言えないような地面にぽたぽたと流れるのは何故か。僕には分からなかった。
分からないことだらけだ。目の前にいる背の高い女性は誰なのか、何故、僕はここにいるのか、ここはどこなのか。
だって僕は、ついさっきまで家で小学校の卒業式の準備をしていたはずなのだ。
母さんに、制服のネクタイを締めてもらって、それから、僕はバッグに卒業式の持ち物を詰め込んで、それから、僕は───



僕は、何をしていたんだ?



ここに来るまでに、何か大切な、忘れてはいけない思い出があったはずなんだ。でも、僕には分からない。分からない。わからない。

奥にいる、父さんに似ている男は誰だろうか。僕の後ろ方向を指さしている。あっちに行け、と言っているのだろうか。
やだよ。だって僕、まだプラモを完成させてないんだ。あれを完成させるまでは、死なないって決めてるんだ。


頭の中を色んな感情や考えが巡る。僕は、段々と後ろへ後ずさりをして遠ざかっていく2人を見つめ、拳をギュッと力いっぱいに握りしめる。
あの2人を見逃してしまったら、もう僕は戻れなくなる気がして。僕はもう───いや、


俺はもう、彼女を離してはいけない気がして、

「──待って!」

俺の思春期に見合わない高めの声を聞いて、彼女は驚いて目を見開く。いつの間にか隣にいた、きっと未来の俺の姿だろうか。あの男性は消えていて、気付けば彼女は俺の目の前にいた。俺は高校の制服を纏い、いつも傍にいる彼女の目の前に立っている。でも、いつもの彼女とは違い、妙に大人びていると言うか、なんと言うか美しかった。

「.....今年の桜、綺麗...だったな」

彼女に話したいことは山ほどあっただろうに、彼女の美しい姿を見ていると、不思議と頭の中に満開の桜が脳内を埋めつくしてしまい、変な話題になってしまった。
彼女はクスッと口元に白く小さな手を当てて微笑み、涙を浮かべて何度か頷いた。

「そうだねぇ、綺麗だったねぇ」

俺は、あの日に伝えられなかった想いを今伝えなければ、一生後悔するだろうな。そう思い、勇気を振り絞ってこう言った。


「来年も一緒に、桜を見てくれますか?」





桜が綺麗だった春の日の、君の後ろ姿。
車椅子に乗っていた君は、車椅子を押す俺の方を見れなかっただろうけど、あの日、俺は君と桜並木の下を歩けただけで十分な幸せだった。
それなのに、来年も一緒に見ようなんておこがましいかもしれない。でも、それでも。
あの日、病気で死んでしまった君と、また一緒に桜を見れるなら。その時は、俺は、君といっぱい話して、いっぱい君へ想いを伝えるとするよ。
また、後悔してしまうのは、嫌だから。



桜が綺麗ですね、って何回でも言うよ。
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