29 / 29
2章
26話 強化模擬戦を終えて
しおりを挟む
特進クラス強化模擬戦の翌日。矢羽根と賢の家にて
賢はカーテンの小さな隙間から差し込む眩しい太陽光が瞼に差し掛かり、その瞼を貫通して視界を明るく染める様な眩しさに眉間に皺を寄せ、意識がぼんやりと現実世界に押し寄せてくる感覚に目を少しだけ開く。
「.........ぅぅ」
目を開けた瞬間、太陽光によって目が焼けるような眩しさを感じ、情けない声が漏れる。体を横にして朝の光を避けようとするも、光は賢の目をピンポイントに捉えて離してくれない。
仕方なく、賢は気だるげに布団を退けて眠気を覚ますためにカーテンを勢いよく開く。
賢はしばらくカーテンの前で棒立ちをして燦々と輝く日光を全身に浴びる。眠気が覚めてきた頃合で賢は動き始め、布団を半分に折って直す。クローゼットから部屋着を取り出し、パジャマから部屋着へと着替える。部屋着と言っても、オーバーサイズのシャツに短パンといったほぼパジャマと変わらないような服装だ。
賢はベッドの端に置いてあったスマホを手に取ってポケットに入れ、自室の扉を開いておぼつかない足取りで、欠伸をしながら階段を下っていき、リビングの扉を開ける。
リビングには誰もおらず、卓上に朝飯が置いてあるだけ
だった。どうやら、矢羽根はどこかへ出かけているようだ。前に緊急会議があるとか何とかで怠そうに話していたから、おそらくその会議へ出たのだろう。
賢が卓につき、随分と豪華な朝飯にありつこうとした時、不意にスマホから通知音が鳴る。
賢は、行儀が悪いと思いつつ、朝飯を食べるのを中断してポケットからスマホを取り出し、通知を確認する。通知の主は、どうやら特進クラスのグループからのようで、賢は何気なく通知をタップし、グループの画面を開く。
[助けえ]
画面にはそう表示されており、この一文を送ったのは栢木と表示されている。
[助けえ]から分かる情報はいくつかある。まず、栢木の身に何かしらの危険が及んでいること、もしくは、いつもの栢木のおふざけか。そして、単純な一単語なのに打ち間違いをしている事から、相当余裕が無いのだろう。よって、栢木の身に何か危険が起こっている事は明らかであり、助けなければ命に関わるのかもしれない。
だが賢は、無表情でスマホの電源ボタンを押してスマホを暗転させ、静かに朝食に戻った。
(まあ、グループに送るってことは大丈夫なんだろ)
それに、きっと誰かが助けに行くに違いないと、賢は他のクラスメイトを信じて自分の大切な食事の時間を優先する事にした。
────────────────────────
実行高専特進クラス専用試合場にて。
「翔庭さん!」
栢木が翔庭の方を見て、声を張上げる。翔庭はそれに反応し、辺り一帯の空間を一気に歪ませる。
栢木を襲いかかっていた細い糸が空間の歪みと共に千切れ、力を失う。
息が上がり、汗を拭う栢木と翔庭が試合場で対峙している人物は──
「いいね、その調子だ」
身体から無数の糸を出し、空を漂わせている矢羽根凪を2人は相手にして戦っているのだ。
矢羽根が右手を広げ、2人にかざすと、無数の糸は瞬時に格子状となって2人を襲いかかる。その糸は、進む度に接する地面を削りながら直進していくため、強度は言わずもがなだ。
栢木と翔庭はそれぞれ力を再展開し、格子状の糸に対応しようとする。栢木は星霧との模擬戦の際に使用した結界を身体周辺に張り、糸は結界内に入り込み、栢木の体に触れた瞬間にハラハラと崩れ落ちる。
翔庭は格子状の糸が目の前まで来た時に瞬時に空間を圧縮し、格子状の先の空間に瞬間移動する。
翔庭は空間の圧縮を使用した際に起こる目眩のせいで体がふらつき、思わず目を閉じてしまう。だがすぐに立ち直って顔を上げ、次の攻撃への対応の準備をする。
(!!いない...!)
だが、翔庭の視線の先、先程まで矢羽根がいた位置には本人はいなく、翔庭は混乱して反射的に後ろを振り向く。
栢木を通過した格子状の糸から、矢羽根の肉体が瞬時に編まれるように作り出され、指を栢木に向けて内界力を込める。
その内界力によって栢木は矢羽根の存在に気付き、瞬時に後ろを振り向く。そして省エネのために解除してしまった力を再度展開しようとするが──
「...遅い!」
矢羽根の、栢木の方へと向けた手の指先から一気に無数の糸が量産され、栢木を四方八方から襲いかかる。
栢木は、糸が身体まで届く前に何とか力を展開させ、糸を崩そうとするが、
(.....崩せない...!?)
糸はいくら硬度を下げようとも崩せず、栢木の周りを囲う。否、栢木ではなく、栢木の身体に張られている結界を囲った。
無数の糸が結界を囲い、結界の中へと侵入する。結界は間もなく、音を立てて崩壊し、無数の糸は再び宙を舞って勢いを取り戻し、栢木を襲う。
栢木は腕で顔を守るが、残酷にも無数の糸は栢木を許そうとはしない。だが、栢木の肌に触れようとした瞬間、糸は瞬時に消え去る。
栢木は腕を顔から外し、糸が消えたことを確認すると、息を荒らげて必死に蓄積している疲労を少しでも取ろうとする。
そんな栢木は、不意に額に強い衝撃と痛みを感じ、涙目になりながら地面を眺めていた目を上にあげる。
そこには矢羽根が栢木と対面するようにしゃがんでおり、額に感じた強い衝撃と痛みは、矢羽根が栢木にデコピンをしたからだ。
「また俺の勝ち、ね」
そう言うと、矢羽根は栢木に手で作った銃を向け、指を傾けて撃つフリをする。
矢羽根は両膝に手を着き、勢いよく立ち上がると、翔庭を手招く。翔庭はすぐに栢木の側まで来て、栢木に手を貸す。栢木は翔庭に体重を預け、膝に力を入れて立ち上がる。
「よーし、ちょっと休憩したら再開しようか」
矢羽根は腕を上に伸ばして軽く伸びをし、試合場から出ていく。恐らく水でも飲みにグラウンド脇の水飲み場へ行ったのだろう。
2人は強化模擬戦にて敗北したので、矢羽根に半強制的に指導をしてもらっているのである。指導と言っても、単純に矢羽根対翔庭と栢木の戦闘を繰り返すだけだ。だが、それだけの単純な事でも、命頭に一番近い実力を持つ矢羽根には抵抗こそ出来るものの、確かな攻撃を入れられない。
栢木は首に広がった汗をジャージの襟で拭き、腕で額の汗を拭う。
2人の間に話すことなどは特に無い為、暫く気まずい沈黙の空気が流れるのであった。
────────────────────────
一輪の花は、真っ直ぐにあなたを見つめる。
私、あの時にあなたが言った言葉、忘れちゃった。
でも大丈夫。あなたが傍に居てくれるだけで、私は──
1人の整った顔の女性が、緑色の目立つ長い髪を揺らし、少し長い石道を足音を立てながら進む。
彼女──翠咲葵莉は、肩に手提げ袋をかけ、中には大きなひと玉のスイカが入っている。葵莉はスイカの重さにさほど苦しむことなく、普段暮らしてる実行高専の寮を出てから歩く速さは変わっていない。
「ただいまー」
立て付けの悪い扉に少し力を入れて開き、葵莉は家屋の中に入る。ここは葵莉が実行高専に入る前に両親と住んでいた家、つまり実家だ。
恐らくこの家に帰ってくるのは3ヶ月ぶりだろうか。懐かしいような、懐かしくないような不思議な感じがする。
家は和作りで、葵莉は廊下を静かに渡って居間へと向かう。居間の扉を開き、中を確認するも誰もいない。
他の部屋も確認したが、残念なことに家には誰もいないようだ。
「...あっ、買い物の時間じゃん。最悪~」
葵莉はズボンのポケットからスマホを取り出し、現在の時刻を確認する。10:30、丁度、お昼ご飯や夕飯の準備のために買い物に行っている頃合だ。どうやら、今日は珍しく父親も着いて行ったらしい。
葵莉は、誰もいない居間にスイカの入った袋を静かに置き、居間を通って縁側へと向かう。
縁側から、サンダルに履き替えて庭に出て、太陽の眩しさに目を細める。
「全然育たないね、君は」
庭の中央に居座っているひまわりの苗を見つめ、葵莉は口元を緩ませてひまわりに微笑みかける。
このひまわりの苗は、葵莉が5歳の誕生日に、兄である翠咲結縁と共に庭に植えた苗である。
あの時から、今この瞬間まで、ひまわりは一切成長していない。だが、不思議と枯れることも無く、ずっとこの庭の中央のスペースを陣取っている。
いつになったら、このひまわりは花を咲かせるのだろうか。
「いつ、だろうねぇ....」
葵莉は、静かにそう呟き、幼い頃の自分の姿とこのひまわりを重ねる。今は特進クラスの一員になれる程まで成長したが、まだ幼い頃は、葵莉は明らかに他の人よりも力の扱いが下手で、成長も遅かった。それ故に、父親から毎日のように叱られていたことをよく覚えている。
『あお、土被せすぎんなよ?』
幼い姿の結縁が、ひまわりの苗に必要以上に土をかけている、同じく幼い姿の葵莉に優しく注意をする。
この日は葵莉の誕生日であり、葵莉は夕食後のケーキを食べてご満悦の様子だ。葵莉は、誕生日プレゼントにひまわりを選んだ。両親は他の子供らしいものを勧めたが、葵莉がどうしても、とひまわりの種を選んだのだ。縁側では、そんな二人の様子を見守る両親の姿がある。この頃は丁度、夏の時期だったので、父親はスイカをかじりながら母親に団扇で煽ってもらっている。
『母さん、蚊に刺されちまった』
父親は、腕の真っ赤に腫れた虫刺されを母親に見せびらかすように見せ、自身の髭を手で触って感触を確かめる。
『あらま!痒そうねぇ~』
母親は、父親の腕には目もくれず二人の様子を口を緩め、優しい顔つきで見守っている。
父親は台所へ腕を洗いに行き、ついでに冷蔵庫からビールを取り出して戻ってきた。
『───よし!』
すると、庭から結縁の声が聞こえ、父親は二人に注目する。二人は土で汚れた手をこちらに見せながら近付いてきて、縁側に座った。
『綺麗に埋められた?』
母親が、葵莉の頭を撫でながら二人にそう質問をする。
それに対して葵莉は、満面の笑みを浮かべて母親の質問に答える。
『うん!』
葵莉はそれから一週間程は自分で世話をして、すぐに飽きて母親に怒られたことを思い出して、苦虫を噛み潰したような顔をする。
そんな思い出を振り返り、しんみりとしたところで葵莉は家を後にする。
「....置き手紙でも置いていこうか」
居間に置いてある座布団に行儀よく正座をして、父親愛用のペンを借りて紙切れに字を綴る。
───いつまでも、この平穏な日々が続きますように。
一人の女の子は、心の底から切に願った。
────────────────────────
「ッ、冷たっ」
実行高専の校舎の中、一階と二階を繋ぐ階段に賢は腰を下ろし、ある人物を待っていると、突然首にひんやりと冷えた物が当たり、反射的に身体を震わせる。
賢が憎々しげにこちらを笑う人物を見つめると、その人物は賢に軽く謝り、賢の隣に腰を下ろす。
「賢オレンジジュースでいい?」
その人物──朝日成宮は、賢にオレンジジュースの缶を手渡し、賢はそれを乱暴に取る。朝日はスポーツドリンクを片手に持ち、爽やかな笑顔をこちらへ向ける。
賢は、突然朝日に呼び出され、貴重な休みを潰してまで実行高専へ来た結果がこれなので、かなり不機嫌だ。
「賢はさ、才能はあるんだよ」
何を言い出すかと思えば、朝日はそんな戯言を口にする。賢は、自分自身に才能が無いことはこの数ヶ月間で嫌という程知らされた。結局、他の人の力を借りなければ、賢の本力は出せない。それではダメなのだ。自立して、一人で強大な敵に立ち向かえなければ、意味が無いので。
「急だな」
賢は、缶を開けてオレンジジュースを一口飲み、朝日の言葉にそう返す。
学校の外は明るいのに、中まで完全に光が入り込んでいないため、どこか薄暗く感じる。
「新しい技を習得するには、最低二ヶ月の鍛錬、もしくは実戦での経験が必要なんだ」
朝日は腿に置いている手に顔を乗せ、細めで賢を見つめる。賢は、少し居心地が悪くなりつつ、朝日の言葉に意識を傾ける。
「まあ、賢は使いこなせてはないんだけどね」
控えめな乾いた笑い声を朝日は発し、賢は唇を尖らせる。賢は頭を片手で掻き、ため息を吐く。
「お前はどうなんだよ」
賢は精一杯の意趣返しのつもりで朝日にそう聞くも、朝日は苦笑いをして質問を軽く流す。
「僕も賢と同じさ」
賢は、この暑さで少しぬるくなってきたオレンジジュースを一気に飲み干し、階段の空いている場所に置いておく。朝日はようやくスポーツドリンクに口をつけ、一気に半分ほどまで飲み干してしまう。
「お前、なんか落ち着いたな」
賢は、呟くように朝日に向けてそう言う。朝日は、一瞬驚いたように目を見開くも、すぐに短く笑い、首を縦に振る。
「まぁ、成長したってことだよ」
段々、段々と朝日の調子が落ち着いているような気がするのだ。これも成長なのか、と賢はしんみりと感じ、親のような気分で朝日の成長を見守っていた。
「....さて、準備はいい?賢」
朝日は地面に手を着いて勢いよく立ち上がり、階段を駆け下る。それに対して賢もゆっくりと立ち上がり、朝日に続いて階段を下りる。
「あぁ。行こうか」
そして、二人は実行高専を後にしたのだった。
賢はカーテンの小さな隙間から差し込む眩しい太陽光が瞼に差し掛かり、その瞼を貫通して視界を明るく染める様な眩しさに眉間に皺を寄せ、意識がぼんやりと現実世界に押し寄せてくる感覚に目を少しだけ開く。
「.........ぅぅ」
目を開けた瞬間、太陽光によって目が焼けるような眩しさを感じ、情けない声が漏れる。体を横にして朝の光を避けようとするも、光は賢の目をピンポイントに捉えて離してくれない。
仕方なく、賢は気だるげに布団を退けて眠気を覚ますためにカーテンを勢いよく開く。
賢はしばらくカーテンの前で棒立ちをして燦々と輝く日光を全身に浴びる。眠気が覚めてきた頃合で賢は動き始め、布団を半分に折って直す。クローゼットから部屋着を取り出し、パジャマから部屋着へと着替える。部屋着と言っても、オーバーサイズのシャツに短パンといったほぼパジャマと変わらないような服装だ。
賢はベッドの端に置いてあったスマホを手に取ってポケットに入れ、自室の扉を開いておぼつかない足取りで、欠伸をしながら階段を下っていき、リビングの扉を開ける。
リビングには誰もおらず、卓上に朝飯が置いてあるだけ
だった。どうやら、矢羽根はどこかへ出かけているようだ。前に緊急会議があるとか何とかで怠そうに話していたから、おそらくその会議へ出たのだろう。
賢が卓につき、随分と豪華な朝飯にありつこうとした時、不意にスマホから通知音が鳴る。
賢は、行儀が悪いと思いつつ、朝飯を食べるのを中断してポケットからスマホを取り出し、通知を確認する。通知の主は、どうやら特進クラスのグループからのようで、賢は何気なく通知をタップし、グループの画面を開く。
[助けえ]
画面にはそう表示されており、この一文を送ったのは栢木と表示されている。
[助けえ]から分かる情報はいくつかある。まず、栢木の身に何かしらの危険が及んでいること、もしくは、いつもの栢木のおふざけか。そして、単純な一単語なのに打ち間違いをしている事から、相当余裕が無いのだろう。よって、栢木の身に何か危険が起こっている事は明らかであり、助けなければ命に関わるのかもしれない。
だが賢は、無表情でスマホの電源ボタンを押してスマホを暗転させ、静かに朝食に戻った。
(まあ、グループに送るってことは大丈夫なんだろ)
それに、きっと誰かが助けに行くに違いないと、賢は他のクラスメイトを信じて自分の大切な食事の時間を優先する事にした。
────────────────────────
実行高専特進クラス専用試合場にて。
「翔庭さん!」
栢木が翔庭の方を見て、声を張上げる。翔庭はそれに反応し、辺り一帯の空間を一気に歪ませる。
栢木を襲いかかっていた細い糸が空間の歪みと共に千切れ、力を失う。
息が上がり、汗を拭う栢木と翔庭が試合場で対峙している人物は──
「いいね、その調子だ」
身体から無数の糸を出し、空を漂わせている矢羽根凪を2人は相手にして戦っているのだ。
矢羽根が右手を広げ、2人にかざすと、無数の糸は瞬時に格子状となって2人を襲いかかる。その糸は、進む度に接する地面を削りながら直進していくため、強度は言わずもがなだ。
栢木と翔庭はそれぞれ力を再展開し、格子状の糸に対応しようとする。栢木は星霧との模擬戦の際に使用した結界を身体周辺に張り、糸は結界内に入り込み、栢木の体に触れた瞬間にハラハラと崩れ落ちる。
翔庭は格子状の糸が目の前まで来た時に瞬時に空間を圧縮し、格子状の先の空間に瞬間移動する。
翔庭は空間の圧縮を使用した際に起こる目眩のせいで体がふらつき、思わず目を閉じてしまう。だがすぐに立ち直って顔を上げ、次の攻撃への対応の準備をする。
(!!いない...!)
だが、翔庭の視線の先、先程まで矢羽根がいた位置には本人はいなく、翔庭は混乱して反射的に後ろを振り向く。
栢木を通過した格子状の糸から、矢羽根の肉体が瞬時に編まれるように作り出され、指を栢木に向けて内界力を込める。
その内界力によって栢木は矢羽根の存在に気付き、瞬時に後ろを振り向く。そして省エネのために解除してしまった力を再度展開しようとするが──
「...遅い!」
矢羽根の、栢木の方へと向けた手の指先から一気に無数の糸が量産され、栢木を四方八方から襲いかかる。
栢木は、糸が身体まで届く前に何とか力を展開させ、糸を崩そうとするが、
(.....崩せない...!?)
糸はいくら硬度を下げようとも崩せず、栢木の周りを囲う。否、栢木ではなく、栢木の身体に張られている結界を囲った。
無数の糸が結界を囲い、結界の中へと侵入する。結界は間もなく、音を立てて崩壊し、無数の糸は再び宙を舞って勢いを取り戻し、栢木を襲う。
栢木は腕で顔を守るが、残酷にも無数の糸は栢木を許そうとはしない。だが、栢木の肌に触れようとした瞬間、糸は瞬時に消え去る。
栢木は腕を顔から外し、糸が消えたことを確認すると、息を荒らげて必死に蓄積している疲労を少しでも取ろうとする。
そんな栢木は、不意に額に強い衝撃と痛みを感じ、涙目になりながら地面を眺めていた目を上にあげる。
そこには矢羽根が栢木と対面するようにしゃがんでおり、額に感じた強い衝撃と痛みは、矢羽根が栢木にデコピンをしたからだ。
「また俺の勝ち、ね」
そう言うと、矢羽根は栢木に手で作った銃を向け、指を傾けて撃つフリをする。
矢羽根は両膝に手を着き、勢いよく立ち上がると、翔庭を手招く。翔庭はすぐに栢木の側まで来て、栢木に手を貸す。栢木は翔庭に体重を預け、膝に力を入れて立ち上がる。
「よーし、ちょっと休憩したら再開しようか」
矢羽根は腕を上に伸ばして軽く伸びをし、試合場から出ていく。恐らく水でも飲みにグラウンド脇の水飲み場へ行ったのだろう。
2人は強化模擬戦にて敗北したので、矢羽根に半強制的に指導をしてもらっているのである。指導と言っても、単純に矢羽根対翔庭と栢木の戦闘を繰り返すだけだ。だが、それだけの単純な事でも、命頭に一番近い実力を持つ矢羽根には抵抗こそ出来るものの、確かな攻撃を入れられない。
栢木は首に広がった汗をジャージの襟で拭き、腕で額の汗を拭う。
2人の間に話すことなどは特に無い為、暫く気まずい沈黙の空気が流れるのであった。
────────────────────────
一輪の花は、真っ直ぐにあなたを見つめる。
私、あの時にあなたが言った言葉、忘れちゃった。
でも大丈夫。あなたが傍に居てくれるだけで、私は──
1人の整った顔の女性が、緑色の目立つ長い髪を揺らし、少し長い石道を足音を立てながら進む。
彼女──翠咲葵莉は、肩に手提げ袋をかけ、中には大きなひと玉のスイカが入っている。葵莉はスイカの重さにさほど苦しむことなく、普段暮らしてる実行高専の寮を出てから歩く速さは変わっていない。
「ただいまー」
立て付けの悪い扉に少し力を入れて開き、葵莉は家屋の中に入る。ここは葵莉が実行高専に入る前に両親と住んでいた家、つまり実家だ。
恐らくこの家に帰ってくるのは3ヶ月ぶりだろうか。懐かしいような、懐かしくないような不思議な感じがする。
家は和作りで、葵莉は廊下を静かに渡って居間へと向かう。居間の扉を開き、中を確認するも誰もいない。
他の部屋も確認したが、残念なことに家には誰もいないようだ。
「...あっ、買い物の時間じゃん。最悪~」
葵莉はズボンのポケットからスマホを取り出し、現在の時刻を確認する。10:30、丁度、お昼ご飯や夕飯の準備のために買い物に行っている頃合だ。どうやら、今日は珍しく父親も着いて行ったらしい。
葵莉は、誰もいない居間にスイカの入った袋を静かに置き、居間を通って縁側へと向かう。
縁側から、サンダルに履き替えて庭に出て、太陽の眩しさに目を細める。
「全然育たないね、君は」
庭の中央に居座っているひまわりの苗を見つめ、葵莉は口元を緩ませてひまわりに微笑みかける。
このひまわりの苗は、葵莉が5歳の誕生日に、兄である翠咲結縁と共に庭に植えた苗である。
あの時から、今この瞬間まで、ひまわりは一切成長していない。だが、不思議と枯れることも無く、ずっとこの庭の中央のスペースを陣取っている。
いつになったら、このひまわりは花を咲かせるのだろうか。
「いつ、だろうねぇ....」
葵莉は、静かにそう呟き、幼い頃の自分の姿とこのひまわりを重ねる。今は特進クラスの一員になれる程まで成長したが、まだ幼い頃は、葵莉は明らかに他の人よりも力の扱いが下手で、成長も遅かった。それ故に、父親から毎日のように叱られていたことをよく覚えている。
『あお、土被せすぎんなよ?』
幼い姿の結縁が、ひまわりの苗に必要以上に土をかけている、同じく幼い姿の葵莉に優しく注意をする。
この日は葵莉の誕生日であり、葵莉は夕食後のケーキを食べてご満悦の様子だ。葵莉は、誕生日プレゼントにひまわりを選んだ。両親は他の子供らしいものを勧めたが、葵莉がどうしても、とひまわりの種を選んだのだ。縁側では、そんな二人の様子を見守る両親の姿がある。この頃は丁度、夏の時期だったので、父親はスイカをかじりながら母親に団扇で煽ってもらっている。
『母さん、蚊に刺されちまった』
父親は、腕の真っ赤に腫れた虫刺されを母親に見せびらかすように見せ、自身の髭を手で触って感触を確かめる。
『あらま!痒そうねぇ~』
母親は、父親の腕には目もくれず二人の様子を口を緩め、優しい顔つきで見守っている。
父親は台所へ腕を洗いに行き、ついでに冷蔵庫からビールを取り出して戻ってきた。
『───よし!』
すると、庭から結縁の声が聞こえ、父親は二人に注目する。二人は土で汚れた手をこちらに見せながら近付いてきて、縁側に座った。
『綺麗に埋められた?』
母親が、葵莉の頭を撫でながら二人にそう質問をする。
それに対して葵莉は、満面の笑みを浮かべて母親の質問に答える。
『うん!』
葵莉はそれから一週間程は自分で世話をして、すぐに飽きて母親に怒られたことを思い出して、苦虫を噛み潰したような顔をする。
そんな思い出を振り返り、しんみりとしたところで葵莉は家を後にする。
「....置き手紙でも置いていこうか」
居間に置いてある座布団に行儀よく正座をして、父親愛用のペンを借りて紙切れに字を綴る。
───いつまでも、この平穏な日々が続きますように。
一人の女の子は、心の底から切に願った。
────────────────────────
「ッ、冷たっ」
実行高専の校舎の中、一階と二階を繋ぐ階段に賢は腰を下ろし、ある人物を待っていると、突然首にひんやりと冷えた物が当たり、反射的に身体を震わせる。
賢が憎々しげにこちらを笑う人物を見つめると、その人物は賢に軽く謝り、賢の隣に腰を下ろす。
「賢オレンジジュースでいい?」
その人物──朝日成宮は、賢にオレンジジュースの缶を手渡し、賢はそれを乱暴に取る。朝日はスポーツドリンクを片手に持ち、爽やかな笑顔をこちらへ向ける。
賢は、突然朝日に呼び出され、貴重な休みを潰してまで実行高専へ来た結果がこれなので、かなり不機嫌だ。
「賢はさ、才能はあるんだよ」
何を言い出すかと思えば、朝日はそんな戯言を口にする。賢は、自分自身に才能が無いことはこの数ヶ月間で嫌という程知らされた。結局、他の人の力を借りなければ、賢の本力は出せない。それではダメなのだ。自立して、一人で強大な敵に立ち向かえなければ、意味が無いので。
「急だな」
賢は、缶を開けてオレンジジュースを一口飲み、朝日の言葉にそう返す。
学校の外は明るいのに、中まで完全に光が入り込んでいないため、どこか薄暗く感じる。
「新しい技を習得するには、最低二ヶ月の鍛錬、もしくは実戦での経験が必要なんだ」
朝日は腿に置いている手に顔を乗せ、細めで賢を見つめる。賢は、少し居心地が悪くなりつつ、朝日の言葉に意識を傾ける。
「まあ、賢は使いこなせてはないんだけどね」
控えめな乾いた笑い声を朝日は発し、賢は唇を尖らせる。賢は頭を片手で掻き、ため息を吐く。
「お前はどうなんだよ」
賢は精一杯の意趣返しのつもりで朝日にそう聞くも、朝日は苦笑いをして質問を軽く流す。
「僕も賢と同じさ」
賢は、この暑さで少しぬるくなってきたオレンジジュースを一気に飲み干し、階段の空いている場所に置いておく。朝日はようやくスポーツドリンクに口をつけ、一気に半分ほどまで飲み干してしまう。
「お前、なんか落ち着いたな」
賢は、呟くように朝日に向けてそう言う。朝日は、一瞬驚いたように目を見開くも、すぐに短く笑い、首を縦に振る。
「まぁ、成長したってことだよ」
段々、段々と朝日の調子が落ち着いているような気がするのだ。これも成長なのか、と賢はしんみりと感じ、親のような気分で朝日の成長を見守っていた。
「....さて、準備はいい?賢」
朝日は地面に手を着いて勢いよく立ち上がり、階段を駆け下る。それに対して賢もゆっくりと立ち上がり、朝日に続いて階段を下りる。
「あぁ。行こうか」
そして、二人は実行高専を後にしたのだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
十二輝の忍神 ーシノビガミ―
陵月夜白(りょうづきやしろ)
歴史・時代
天明三年――浅間山が火を噴いた。
神の怒りに触れたかのように、黒い灰は空を塞ぎ、郷も田畑も人の営みも、容赦なく呑み込んでいく。噴火と飢饉が藩を蝕み、救いを求める声の裏で、名もなき影が蠢いた。灰の夜を踏むのは、血も温もりも失った“黒屍人”。誰が、何のために――。
その災厄に呼応するように、忍びの郷に封じられていた「十二輝の干支の玉」が、ひとつ、またひとつと眠りから解かれる。
玉は器を選び、器は力に喰われ、力は人を裏返す。
伊賀と甲賀の長い因縁、奪われる玉、引き裂かれる同胞。
そして、灰の国で拾い集められていく十二の輝きが揃う時、世界の秩序そのものが――動き出す。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる