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3話:ビザールプランツ
しおりを挟む「ひと月前にね、開店当初からずっと働いてもらってた人が辞めちゃったんだ。それからずっと伝票は手書きだし、ネット関係の更新も完全に止まってて。で、求人も出したんだけど、辺鄙なところ過ぎて全然集まらなくて」
私が落ち着いたあと、千秋さんはお店の事を色々と教えてくれた。
「……た、大変でしたね」
苦笑いとともに告げられた事実に、こちらも苦笑いするしかない。
今の時代、パソコンの使えない人間がいるとは思ってもみなかった。
千秋さんは明らかに二十代か、上に見積もっても三十代前半くらいだ。
この年代なら授業で習わないだろうか。
少なくとも私は習ったし、習わなくとも自ら習得した知識がある。
「一応辞める前に操作マニュアルを作ってもらったんだけど、僕にはちんぷんかんぷんでさ」
恥ずかしそうに頭を掻く千秋さんの背後では、円柱型の石油ストーブが店内を暖めている。
加湿器代わりのヤカンが乗せられた、頼れる熱源だ。
「そのマニュアル、見せてもらったりできますか?」
「ちょっと待ってね。たしかこの辺りにしまってたはず……」
千秋さんは呟いて、レジカウンター内の棚から若葉色のファイルを持ち出した。
「どうぞ。すみれちゃんなら解読できるよ。今時小学生でもこれくらいやるのにって散々笑われたからさ」
「ありがとうございます」
私は手渡されたファイルをぱらぱらとめくった。
SNSの投稿についてや、画像のアップロード方法、ホームページの更新手順に伝票の処理方法。
表計算ソフトで作成されたであろう資料に特別難しい操作はない。
事細かに噛み砕かれた内容は、市販の初心者向けテキストと遜色ないくらいだ。
「どう?」
「多分、いけそうです」
千秋さんは、私の言葉にぱっと破顔する。
「尊敬するなぁ。頼りにしちゃうからね!」
「これくらいしか役に立たないですけどね……」
うう、きらきらの眼差しが痛い。
二階へ行ってしまったあけびさんを今すぐ呼び戻したくなった。
間に入ってもらいたくてたまらなくなった。
プレッシャーが半端じゃない。
「じゃあ、初めましてのすみれちゃんに、ちょっとだけお店のこと、案内させてもらえるかな」
「はいっ。お願いします」
千秋さんはゴールデンレトリバーみたいな笑顔で、店外に視線を向ける。
「まず、もう片付けちゃったけど昼間外にいてもらってるのが、比較的寒さに強い花の苗。この時期はクリスマスローズやパンジー、ビオラ、チューリップの球根なんかが置いてあるんだ」
「クリスマスローズなら、たしかおばあちゃんが鉢に植えてたような……」
「ちょっと前にうちで買ってくださったからね」
「そうなんですか!」
「常子さんは常連だから」
やっぱり。
さすがおばあちゃん。
昔からおばあちゃんは花が大好きだ。
畑仕事に庭いじり、料理に裁縫が大得意で、何を尋ねてもすぐ答えてくれた。
「へぇ、じゃあ庭に植えてあるらしいチューリップも……」
「紅葉の頃にいっぱいお買い上げいただきました」
「本当に常連ですね」
「まぁね。続けていい?」
「はい、すみません」
軌道修正。
千秋さんは小さく咳払いした。
「で、このスペースにあるのが切り花と観葉植物に、サボテン、多肉植物その他諸々。冬場に咲く鉢植えの花たちもだね」
今一度、店内を見回す。
瀟洒と言う言葉がぴったりの内装とレイアウトに、ほんわりと心が温まる。
何となく見覚えがあるけど、名を知らない花や観葉植物。
カラフルかつシックな植木鉢。
コルクで閉じられたフラスコ型のガラス瓶。
品よく育った観葉植物をあの鉢に植え替えて、ガラス瓶には花を活ける。
そうして部屋に飾ったら、絶対毎日が楽しくなると思う。
きっと、絶対に。
「ほぉ……ん?」
感心しながら、ふと頭上を見上げて気がついた。
むき出しの梁の間に渡された鎖に、薄緑色の謎の物体が垂れ下がっている。
「えっと、鎖から垂れ下がっているもじゃもじゃはなんですか?」
「ああ、あれ? あれも、植物だよ」
「生きてるん、ですよね」
「もちろん。春には花も咲くんだ。控えめだけど可憐なね」
「へぇ」
葉っぱしかないように見えるけど、どこから水分や栄養を取り込んでいるのだろう。
不思議だ。
「奥の部屋はもっとびっくりすると思うよ。おいで」
千秋さんは私を手招きし、店の奥に続くすりガラスのドアを引く。
「わぁ……」
ドアの向こうに広がる世界は、まるで熱帯地方のジャングルだった。
ほんの少し高めの湿度を感じるここも、さほど広くはない。
でも、同じくらいの面積だろうさっきまでの部屋よりずっと狭く感じた。
四方に植物が収められたガラスケースがずらりと並び、壁や頭上には木版から生えた緑の葉が生い茂っている。
さっき見たもじゃもじゃの親戚と思われる植物も、天井に張り巡らされた麻ひもにぶら下がっていた。
よくよく見れば、奥にあるのは本当に水の張られた水槽だ。
「びっくりした?」
「はい、こんなの見たことないです。外国に来ちゃったみたい」
千秋さんはちょっと自慢げに口角を上げる。
「この部屋は、俗にいうビザールプランツのスペース。九割がた僕の趣味部屋です」
あはは、と楽しそうに笑う千秋さんに対して、私は知らない単語に首を傾げた。
「びざーる、ぷらんつ?」
「日本語にしたら、珍奇植物になるかな。植物の中で、ちょっと変わったもののことをまとめてそう呼んだりするんだ」
「言われてみれば、普通じゃないものばっかり……」
私はガラスケースを覗き込んで観察する。
葉っぱが妙にきらきらしたもの。
まるで造花のような迷彩柄の葉を茂らせたもの。
とげとげの毒々しい葉を生やすもの。
葉の先に赤くて得体のしれない形の物体をつけたもの。
あれ、葉っぱばかりで花がない。
「ビザールプランツって、花は咲かないんですか?」
「咲くよ。咲くけどね、あんまり派手じゃないから基本、葉っぱの色や形状を鑑賞するタイプが多いんだ」
「花じゃなくて葉っぱを楽しむなんて、やっぱり変わってますね」
「だね。でもこれはこれで綺麗でしょ?」
「はい、とっても」
まるで、ミステリアスな装飾品のように美しい植物だ。
ひとつも名前を知らないのは申し訳ないし、これからが思いやられる。
でもこれだけ特徴があるのなら、いつかは覚えられると信じたい。
「よかった、綺麗って言ってもらえて。じゃあとりあえずはさっきの部屋の子たちから色々覚えてもらうよ。こっちはおいおい、ね」
「わかりました。早くお役に立てるよう、頑張ります」
「うん。気楽にいこうか。ネットの更新は僕が原稿を書くし、あんまり気負いすぎないでね」
「パソコンなら任せてください」
なんて根拠のない大口をたたいてしまう。
まあ、いいか。
千秋さんニコニコしてるし。
「僕が頼りないから、すみれちゃんみたいな子だと落ち着くよ。あ、ちなみに開店は十時だから、明日は十時前に来てください。朝の作業はいつも起きてすぐに一人でやっちゃってるから気にしないで。服装は僕みたいな汚れてもかまわない格好でお願いします」
「朝のお手伝いにもう少し早く来られると思うんですが……」
開店前にしなきゃならないことが私の想像以上にあるはずだ。
せっかく働くんだし、開店準備は覚えておきたい。
「ゆくゆくね。慣れてきたら早出もお願いするから」
「わかりました」
「さて、今日はもう閉店だしお開き解散。あけび様もそろそろ降りてくるだろうしね」
千秋さんは天井を見上げた。
すると「おい童、ちょっと来い!」とどこからともなくあけび様の声が響く。
「まぁた冷蔵庫を漁ってるな。はいはい、今行きますよー」
私に「ごめんね」と断って、千秋さんは駆け足でジャングルを抜ける。
そしてレジ奥の通路に通じる階段を駆け上がり、姿を消してしまった。
「くそう、酒がないとは……」
「いくらあけび様でも人様の冷蔵庫は漁っちゃいけません。お酒はちょうど切らしてました」
数分後、戻ってきた千秋さんの右手には三毛猫がつままれていた。
「あけび様、帰りに酒屋さん寄ります?」
約束は約束だ。
あけび様には再就職の恩と貢物の約束がある。
こんな夜遅くに開いているかどうかは知らないけれど。
「ほう、よい心掛けじゃ。ならばすぐに発つぞ」
「急ですね」
「店主が床についてしまったら酒が買えぬじゃろうが。あそこは何時でも叫べば爺が出てくる便利な店じゃがの。爺のやつめ、早寝早起きが過ぎるのじゃ。眠りこけるまえに行かねばなるまい」
「叫ぶのは私の役目なんですよね……」
「当然じゃろう?」
あけび様はくるんと身を翻して地面に着地する。
「ほれ、戸を開けい」
命令された私は千秋さんと短く挨拶してお店を出た。
振り返って一礼すると、大きな手がひらひら振られる。
それにちょっとだけときめいてしまったのは秘密だ。
明日からあの人の下で働く。
私は足取り軽く酒屋さんへ立ち寄り、やっと取り戻した声を張り上げた。
六回は繰り返しただろうか。
寝ているんじゃないかと思った矢先、店主のおじいさんが姿を現し、めでたく日本酒を購入したのだった。
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