ボタニカルショップ ウィルオウィスプ

景崎 周

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5話:ロホホラ・デフィーサ

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 一番目のお客さんは、近所のおばあさんだった。
 私の顔をみるなり「あらぁ、すみれちゃん! つねちゃんにさっき聞いたで。頑張っちょる? 私なぁ、時々花を買いに来とるだけん!」と肩を叩いて喜んでくれた。
 おばあちゃんは菊とユリ、それに、りんどうを買って朗らかに店を出る。
 私はお見送りをしたあと、水やりを再開した。

 銀色の細い葉は、霧吹きすると色が変わる。
 緑色が強くなって、しっとりとした手触りになるのだ。
 こちらはこちらで気持ちいい。
 全体の色が変わり、しっとりするまですべて霧吹きした。
 が、まだ更新プログラムの進捗は七十パーセント程度。
 もう少しかかりそうだ。

「よーし。うちの入院患者さんにも水やりお願いしちゃおう」

 ウスネオイデスをフックに戻しながら、千秋さんは謎の台詞を口にする。

「植物屋さんに入院患者がいるんですね……」
「うん。お客さんの大事にしていたサボテンがダニにやられちゃって、うちで預かって様子を見てるんだ」
「ダニ、ですか」
「そう。でも、もう駆除が終わって回復してきたし、そろそろ退院かな。ほら、レジのところで僕たちを観察中の、この子」

 千秋さんはレジカウンターに置かれた黒く小ぶりな鉢を手に取り、私に見せた。
 植わっているのは火傷跡のように一部が黄土色になっている、およそサボテンとは思えない緑の塊。
 サボテン特有のトゲがなく、表面もつるんとしている。
 まるで、ちょっと焙ったよもぎのお饅頭みたいだった。
 色味からして腐りかけだけど。

「これ、サボテンなんですね。トゲがないのに」
「この子はロホホラ・デフューサだよ。トゲはないけど、れっきとしたサボテンの仲間で、翠冠玉すいかんぎょくって名前もあってね」

 また、呪文だ。
 土に刺さったタグには手書きで『入院中。ロホホラ・デフューサ』と記されている。
 常連さんからのもの、なのかな。
 タグの隅に手書きで記された音符マークがお茶目だった。

「ロホホラと、翠冠玉……名前が二つもあるんですか?」
「うん。日本に輸入された際に和名がつけられたんだ。多肉、サボテン引いては植物あるあるだね。元の品種名と全く関係ない名前が振られていたりするから、神経衰弱みたいだよ」

 またややこしいことをしてくださったなぁ。
 覚えられるかな。
 覚えないとなぁ。
 私が「へぇ」と唸っていると千秋さんは楽しそうに口を開く。

「この子はちょっと気難しくてダニにやられやすい子でね。本来は緑色のつやつやした肌をしているんだけど、こんな風に茶色くなっちゃって」

 千秋さんがロホホラを撫でる。
 火傷跡は病に打ち勝った勲章のようだ。

「元に戻るんですか?」
「彼らは成長が遅いから、元通りになるのは何年もあとだよ。でも、きっと綺麗になって花も咲かせてくれるって、信じてる」

 目を細め、儚さを孕んだ笑みでロホホラを撫でる千秋さん。
 随分気に入られているらしい。
 入院治療がどんなものだったのか、私には想像すらかなわない。
 だけど、壮絶で献身的な日々がここで繰り広げられていたに違いない。

「……元気になってよかったです。きっとお客さんも喜びますね」
「だろうね。ずっとこの子の帰りを待っているから。この子だけは枯らすわけにはいかなくて、僕も結構頑張ったんだ。だから最後にすみれちゃんと思い出を作ってもらえたらいいなぁって、ね。さ、お水あげてくれる? 肌にかからないようにたっぷり、鉢の底から流れるくらいに」
「たっぷり、ですね……よし」

 渡された如雨露で、私はお水をたっぷり注いだ。
 誰かの大切なロホホラが早く退院できますように、と心の中で呪文を唱えながら。
 鉢の底から滴り落ちる水滴を見ていると、自分の気持ちも自然と満たされていく。

「ねぇ、すみれちゃん。あれ、画面表示が変わった気がするんだけど、気のせい?」
「へ? ちょっと待ってください」

 鉢を急いで受け皿に戻し、私はパソコンへ駆け寄る。
 すると、更新プログラムのダウンロードは終わり、使用可能になっていた。

「準備運動完了です」
「おー、やった。じゃあ伝票持ってくるね」
「お願いします」

 千秋さんは通路に消え、階段を上り、しばらくして帰ってきた。

「ひと月ずっと手書き伝票とFAXで取引してたんだ。いやぁ、一部から渋られまくったよねぇ。あはは、申し訳ない……」
「……ですよね」

 苦い顔の千秋さんの手にはお菓子の缶が二つ。
 デスクに置いて中を確かめるとぎっちり伝票が詰められていた。

「大丈夫そう? 僕の字、読めるかな」

 クリップで止められた伝票が、二缶分。
 どちらもこんもりと山を成している。
 想像以上に量があった。

 よし、これなら読める。
 読めれば何とかなるはず。
 数枚めくって、私は小さく頷いた。
 千秋さん手書きの文字は、習字のお手本みたいに整っていて読みやすい。
 取引先の業者さんもクセはあるが解読可能だ。

「読めるどころか私よりずっと綺麗です。悔しいくらい。マニュアルと残ってるファイルを見ながらやってみますね」
「うん、お願い。一応収支で分けて整理はしてあるんだけど、ごめんね。僕、データ入力に関しては全くアドバイスできない……」
「何とかなると思います。以前働いていたところでも、収支計算してたので」
「わぁ、みんなすごいなぁ。それに比べて僕はまだまだだねぇ」

 頭をかく千秋さんは「じゃあ奥にいるから、お客さんが来たら呼んでね」とジャングルに消えていった。
 マニュアルと表計算ソフト、手元にあるたくさんの伝票。
 途中お昼ごはんを挟みながら私はひたすら、キーボードを叩いた。
 時折千秋さんに質問しつつ順調に処理していくも、慣れていないので前職と同じスピードとはいかない。

 結局、午後二時前になってもまだ伝票は残っていた。
 合間合間でお客さんの対応をして、足元に移動してきた虎鉄にちょっかいを出す。 暖をとるには最適な毛むくじゃらの湯たんぽは、時々膝に頭を乗せてきたり、鼻を鳴らしたり、必死にアピールしてくる。
 これはもうかまってやらねばなるまい。
 そんな使命感に駆られていた最中に、がららん、と店のドアが勢いよく開かれた。

「おーい、ちっあきー! 虎鉄連れてっていいー?」

 大声で千秋さんを呼んだのは、小学校高学年くらいの男の子。
 剣山みたいなツンツン頭の、元気だけが取り柄、といった風貌の子だ。

「うわんっ!」

 彼の登場と同時に、虎鉄は立ち上がってカウンターから飛び出した。

「おー虎鉄ぅー! よぉし、オレと散歩行こうぜ!」

 虎鉄はぶんぶん尻尾を振って、男の子に「わふわふ」と話しかけている。

「って、お前だれ? もしかして千秋の彼女?」

 ようやく少年と目が合ったかと思えば、初対面の第一声がこれだ。
 くそう。

「ち、ち、ちが、違うよ? 今日からここで働いてる見習いです」

 しかも何動転してるの私。

「ふーん。じゃ、オレの後輩だな! よっろしくぅー!」
「よ、よろしく?」
「ちょっと拓斗たくと。あんまり彼女をいじめないでよ?」

 救世主はジャングルからやってきた。

「うわ、マジでこの人千秋の彼女なの!?」
「この子はすみれちゃん。うちの新しい店員さんです」
「です」
「なーんだ、つまんねぇ」

 つまんなくない。
 拓斗君、一体君は誰だ。
 どこのどなただ。
 パニックになりながら私はカウンターを出る。

「な、今日も虎鉄連れってていい? あとちょっとだからさ!」
「うん、しっかり遊ばせてあげて。でも今日学校あったんじゃないの? さぼったりしてないよね?」
「うんや? 今日は面談があって昼から休み!」
「信じるよ?」
「信じろよ!」

 拓斗はいひひ、と歯を見せて笑う。

「あのぉ、彼は常連さん、ですか」

 面識があるようにおしゃべりしているが、私にはさっぱりだ。

「あ、ごめんごめん置いてけぼりにして。拓斗は隣町に住んでる小学校……」
「五年!」
「で、縁あってうちで虎鉄の散歩係をしてもらってるんだ」
「あぁ、だから虎鉄が飛び出したんですね」
「そう! オレのが先輩だかんな、すみれ! しっかりやれよ!」
「しっかりやらせていただきますぅー」

 また拓斗はいひひ、と鼻高々だ。

「ふふん……あ! オレ今すげーいいこと思いついた! このオレが直々にシンジンケンシューしてやるよ! な、後輩! オレと虎鉄について来い! 散歩だ散歩! なっ!」
「え? はっ!?」

 どこからともなくリードを持ち出していた拓斗は空いた手で私の手首を掴む。

「なぁ、千秋。いいだろ? オレがキョーイクして立派にしてやるからさ」
「うーん。すみれちゃんもずっと座りっぱなしだし、今日は割とヒマな日だし……」
「な! いいよな!?」

 手首が地味に痛い。
 小学生ってこんなに力強かったっけ。

「いいよ。でもあんまり遠くまで連れ回さないこと」
「ちょっと待ってくださいって。私まだ伝票の入力が……」

 小学五年生の握力に驚いている間に、話があらぬ方向に転がっている。

「休憩だよ、休憩。それにね、これから秘密の話をしたい人が来るんだ。だから、ごめんね?」
「なぁーなぁー、さっさと行こうぜ!」

 ぐいぐいっと痺れるくらいの力で腕を引っ張られる。
 散歩に行くとしても、秘密の話がしたい人なんて単語が気にならないわけがない。

「ひみ、痛! その人って業者さんですか?」
「ほぉーらぁー、すみれ行くぞー! もう虎鉄のリード繋いだかんな!」

 ああもう!

「ううん。絵に描いたような美人薄命の女の子」
「……行ってきます」
「いってきまぁーす!」

 新人風情が立ち入ってはならない秘密な気がして、私は引っ張られるがまま店を出た。


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