電車内の自殺

加藤

文字の大きさ
1 / 1

電車内の自殺

しおりを挟む
疲れて電車に乗った。終電だった。席はガラガラで、ぐったりと座る人々は皆一様に目を閉じていた。私もそうしようとした。取れる限りの楽な姿勢を取ろうと僅かな時間の試行錯誤を経て、目を閉じようとした。けれど、目前にいた二人の女性の存在に気がついた時、私は俯き気味にそちらへ目を向けたのだった。
下唇を噛み、耐えるように一点を節目がちに見つめている女性。それにもたれかかる一方の女性は小柄で、子供が無理をして静かに、大人びた様子で泣いているような幼い印象を受ける。二人の空間には、まるで雨が降っているようだった。くたびれた私たちの周りには陰鬱な雲が立ち込めているだけなのに、彼女たちはいつ止むのかわからない雨に濡れて、悲しげに身を寄せ合っている。電車内の蛍光灯がその悲壮感を際立たせる。崩れた化粧は彼女たちをひどく疲れたように見せる。
「どうしたの?」そう聞いて、二人まとめて抱きしめてあげたかった。泣かないで、あなたたちは大丈夫。根拠なしに、そんなことを言いたくなった。けれど、私の腕は人一人を抱きしめる事すら出来ないほど頼りない。腕を広げたときの長さのことを言っているのではない。脆さの問題だ。あの悲しみを受け止められる器はどこまでも頑丈でなければならないのだと思う。
不意に、泣いていない方の女性が、一方の肩を力強く抱いた。グッと力のこもったその腕はひどく細いけれど、逞しかった。泣いていた女性はポケットからレースのハンカチを取り出して、乱暴に涙を拭い、その腕をそっと撫でた。すると、逞しそうな女性の目から一粒の涙が静かに垂れたのだった。一方の女性は取り出したハンカチでそれを優しく受け止めた。
私はこのとき、とんでもない思い上がりをしていたのだと頬を赤らめた。
二人の悲しみを受け止める器は彼女たちの外部には存在し得ないのだ。彼女たちはお互いに、お互いの悲しみを受け止めるため、ただそれだけの器を大事に持っていた。寄り掛かり合って、それでも決して壊れない強い器を。
その事実は、彼女たちを悲壮感に溢れる人間だけに留めなかった。それは美しいのだ。まるで、一枚の絵のように。一対の彫刻のように。生きとし生ける者、それらは全てこの美しさを内に秘めているのだろう。途方もない苦しみの中で、死ぬことではなく、生きることへの渇望。「死にたい」と願うことは絶え間ない苦しみの中から消えてしまいたいという事であり、言葉そのままを意味するのではない。あくまで生きる願望への裏返しではないか。
彼女たちはこれから「死にたい」と、願うかもしれない。夜行する車の中で、涙が乾き切った瞳を悲しげに硬く閉じて、愛を誓ったその後に海に飛び込むかもしれない。練炭を焚いた密室の中で、睡眠薬を一つずつ飲みながら、思い出を語るかもしれない。お互いに突き立てた包丁の暖かな切っ先を感じて、穏やかに目を閉じるのかもしれない。このイフは全てイフでしかなく、単なる取り越し苦労かもしれないけれど、彼女たちの悲壮感は確かに私をここまでの妄想へ駆り立てるのだ。それほどまでに、生き物が生きて、生を渇望しながら、一直線に死へ向かっていく悲しみをたたえていた。
「次は〇〇駅、〇〇駅にとまります」
電車のスピードが緩み、暗い駅に辿り着く。
彼女たちは立ち上がって、もたれ合いながら開いたドアへ歩き出した。その時、小柄な彼女があのレースのハンカチを落とした。私は咄嗟にそれを拾った。汚したくなかったのだ、そのハンカチを。彼女たちの涙以外で。
「どうぞ」
私は小柄な彼女にハンカチを差し出した。
彼女は真っ赤な瞳を真っ直ぐに私の顔に向ける。どこまでも深く、純粋な目だった。根底にただ悲しいという感情をたたえた瞳はこんなにも美しいのかと、私はなぜだか泣きそうになった。
彼女は、形の良い唇を小さく開いた。
「ありがとう」
その声は僅かに震えていた。彼女もう一方の彼女に手を引かれて、駅の向こう側に消えて行った。そして、極めて事務的にドアがしまる。
私は彼女たちの後ろ姿をじっと見つめていた。そして、無意識にこう願っていた。
「彼女たちが、幸せになりますように。どうか」
きっとそれは、耳の奥で彼女の「ありがとう」という言葉が何度も反芻されていたからだと思う。
しおりを挟む
感想 2

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

2020.04.12 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2020.04.12 加藤

はじめまして。

素敵なコメントをありがとうございます🙌

解除
2020.04.10 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2020.04.10 加藤

ごめんなさい、続くかわからないです🙏
一応これで完結ですが、もしかしたら続きも書くかもしれません。
感想ありがとうございます🙌

解除

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話

ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。 完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。