優等生ごっこ

村川

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 担任教師が、今週から文化祭の準備期間に入るぞと宣言したのは、翌週頭のロングホームルームの冒頭だった。とはいえ、曲がりなりにも進学校なので、時間割が特別仕様になるわけではない。準備は通常通りの授業を終えてから始まる。
「一年生はクラス単位でステージ発表をしなきゃならん。持ち時間は準備片付け込みで一時間、内容はまあ、歌かダンスパフォーマンスか演劇かってのが定番だな。この時間内に大枠を決めること」
 大雑把な説明を終えて、教師が椅子に下がる。呼ばれて文化祭実行委員が前に出た。
 質問ややりたいことはありますかとの問いに、前列に座った女生徒が軽く手を上げた。
「スライドショーとかでもいいんですかね。映像作って流すとか」
「あー、駄目だな。原則生徒が直接舞台に出ること、要はクラス全員で協力して一緒に作り上げる経験をしてもらうっつうのが学校としての意図だから」
 簡潔に却下した担任が、開けっ広げに説明する。なるほどと頷いて、女生徒は引き下がった。
 クラス全員で協力してとは、また難題だ。一クラス三十五人、男子十人女子二十五人が、一致団結して何かに立ち向かう。理想としては美しいが、高校生の男女はそう可愛らしいものではない。現に一学期にあった体育祭だって、参加率は七割を切っていた。強制ではないとはいえ、優秀な成績だとは言い難い。
 秋内の隣の席の男子生徒が、全員ね、と呟いてこちらに視線を寄越す。無理に決まっていると、蔑んだ視線だった。
 目をそらし、黒板を見遣る。文化祭の出し物ねと、胸中で呟いた。一般的にどういうものが行なわれているのか知らないし、中学生の頃の経験もない。中学と高校ではそもそもだいぶ違うだろうし、大学に上がればまた随分と別物になるのだろう。思い出作りとか、学校やクラスメイトに愛着を持たせるという意味では、なにかを作り上げろという指示も間違ってはいまい。
 いくつか案は出たものの、結局は無難に演劇ということに落ち着いた。少なくとも合唱やダンスパフォーマンスよりは、舞台上でさらし者になる人数が少ない。
「演目はどうしますか? 既存の演劇を下敷きにするか、童話とかが分かりやすいか、それともオリジナルの脚本を書ける人がいるか……ええと、脚本は今野さんが書けるって話だったよね」
 実行委員が不安げに教室内を見回す。残り三週間で仕上げるためには、数日中に脚本を用意する必要がある。先程の話し合いで、文芸部員の今野が、簡単なものなら用意できると請け負っていた。
「既存のって?」
「シェイクスピアとか、トゥーランドットとか、白鳥の湖とか」
「肉は取ってもいいが血は一滴も流してはならない、ってやつ? 衣装作るのが大変だよ、既製品の服でなんとかなるほうがよくない?」
「あー、確かに、ドレスって綺麗だけど作れないし、買うと超高いよね」
「演劇部に借りれば?」
「駄目だよクラスで作んなきゃなんでしょ」
「作るって意味なら買っても駄目じゃん」
「いいじゃん買ったの改造すればさあ」
 脱線して騒ぎ出す女生徒らに嘆息して、文化祭実行委員が手を打ち鳴らした。乾いた破裂音に、波が引くようにざわめきが静まる。チョークで汚れた指先を振りながら、委員は教室内を睥睨し、目を細めた。
「皆、静かにね。今野さん、現代劇できる?」
 注意のあとに問われた今野が、目を瞬く。自然と集まった視線を平然と受け取って、彼女は気負いなく首肯した。
「三十分の、近現代の劇だね。書けるけど……完全オリジナルだと、私の書きやすい話になっちゃうよ。キャストを指名していいなら楽なんだけど」
「何か書きたいものがあるんだ?」
「うーん、うん、そうだねえ……せっかく女子が多いから入れ替わり立ち替わりの群舞とかもいいとは思うんだけど、そうなるとやっぱり綺麗なドレスを、全員に欲しいよね。誰か一人二人じゃなくてさ」
 今野が首を巡らせて、教室内を見回す。彼女の言葉に、何人かの女生徒が顔を伏せた。彼女の斜め前の席の女生徒が、振り返って首を傾けた。
「高校生にもなって、皆がお姫様じゃなきゃ嫌、なんて言い出す人はいないっしょ」
「え、そうかな。私はどうせなら綺麗なドレスで真ん中で踊りたいし、やるなら全員でって思ってるよ。禍根が残っても困るし、やりたかったなあって後悔するの嫌じゃん」
「後悔するかなあ……じゃあ、まあ、多数決取ってみようか。今野案のそれなら、女子は全員、自分のドレスを用意するってことで、女子と、女装したい男子で、やりたい人? 遠慮しないで挙手して」
 自分も片手を上げて見せながら、実行委員が促すが、上がった手は十人にも満たなかった。当然のことながら全員が女生徒で、思いの外賛意が得られなかった今野は気にした様子もなく手を下ろした。
「駄目っぽいよ。どうする?」
「すぐ書けるのってなると、あとはもっと小規模なやつかな。メインで出るのが二、三人くらいの……暗いののが楽に書けるけど、明るいほうがいいのかな」
「イメージがあるんだ?」
「そうだね、少し」
 頷いた今野は、何故か秋内に視線を寄越した。目を細めて、口元に薄く笑みを掃く。
「秋内くんが出てくれるなら、できると思う」
 その唐突な指名に、まるでスポットライトが集まるような滑らかさでもって、クラス中の視線が秋内に集中した。

「さっきのは、いったいどういうつもり?」
 上を下への大騒ぎとはいわないが、なかなかの混乱振りに陥ったホームルームの後、秋内は教室を出てしまう前にと今野を捕まえた。笑う者あり、困惑する者あり、秋内が引き受けるわけがないだろうと決めてかかる者あり、どういう気紛れかと今野を問い質す者もいて、文化祭実行委員が苦心して場を鎮めた頃には終了時刻が過ぎていた。十分ばかり延長し、秋内が頷くことで話はまとまったものの、納得していない生徒もいるはずだ。
「いい機会でしょう」
 平然と言ったのは今野ではなく吉川だ。彼女は今野の机に行儀悪く腰掛け、机の隣に立つ秋内と、その少し後ろにいる板見に微笑んで見せた。
「私たちが秋内くんは怖い人じゃないって知ってるだけじゃ、何も変わらないよ。潔白を証明するチャンスじゃない? 真面目に取り組んで、愛想良くしてたら、自然と噂も消えてくよ」
「噂なんか七十五日もすれば消えるもんだろ」
「九月頭から七十五日も経ったら十一月中旬だよ、すっかり定着して噂にもならなくなってるってほうじゃない?」
「部活の先輩からそろそろ文化祭の準備が始まるって聞いてね、いい機会かなって思ったんだけど、迷惑だった?」
 今野が不安げに秋内と、同じく役者を押し付けられた板見を伺う。善意を前面に出されると、有り難く受け取れない自分が極悪人のように思えてくる。
「いや、でも……そこまでして貰う理由がない」
「別に秋内くんのためだけじゃないよ。誤解とか冤罪とか気分悪くて嫌いだし、そのせいで空気悪くて嫌なの」
 肩をすくめた今野が、開いたままだったノートを音も無く閉じた。色気のない大学ノートは、表紙に用途が書かれてすらいない。だが中のページはバランスの良い文字がぎっしりと詰められているのを先程見て知っていた。
「それにね、確かに秋内くんは妙な噂の被害者だよね。不快な噂を立てられて、孤立させられて。でも、それを放って置いて、誤解した相手を切り捨てるのは簡単だけど、寂しくて、卑怯なことだと思う」
 諭すというほど高い視点に立った言い方ではないことが、反発する気力を萎えさせる。それにこんな風に秋内に構って面倒を見た所で、今野の受けるメリットはないのだ。何か意図がある可能性はあるにしろ、厚意で世話をしてくれていると受け取るのが素直な考え方だ。
「……正論、ごもっともだ」
「嫌味?」
「降参ってこと」
 冗談めかして目を剥く今野に、秋内は手を振って応じる。それで納得したのかどうか、彼女は笑みを浮かべて秋内とその後ろの板見を順に見た。
「ともかく、二人とも、引き受けてくれてありがとね。メインのキャラクターが三人だけで大変そうかなって自分でも思ってたんだけど」
「それは大丈夫。でも、今野さんからああいう話が出てくるのは意外だったな」
「ああ、それは俺も思った」
「今野ちゃんは見た目、優等生っぽいもんね」
 見た目と強調する吉川に、今野が僅かに苦みを含んだ笑みを浮かべる。
「無難ってのは、考えなくていいってことで、楽なんだよね。私としては、もうちょっと反対されるかなって思ってたんだけど」
「皆、高校生らしく明るく元気で健全に! って押し付けられるのにうんざりしてるってことじゃない?」
 今野が出してきた物語の案は、高校生が文化祭で上演するには重苦しい、凄惨な内容のものだった。だが、眉をひそめるかと思った担任教師は悪くないんじゃないかと軽く認め、いくつか出た反対意見は他の生徒の反論によって鎮められ、大枠の合意を得られた。高尚そうな雰囲気が受けたのかもしれない。
 右から左へと首を傾けた吉川が、あ、と声を上げて今野を振り返った。
「そうそうそれで、もう一人は誰にするの? やっぱり男子だよね」
 先程のホームルームでは、メインキャラクターのうち一人を秋内、もう一人に板見をと今野が推し、承認されたが、他の演技者については協議すら持たれていない。今野が説明した物語が思い切った内容であったことも一因だが、秋内を出すことに抵抗があったのも事実だった。納得させられたのは、筋書きのせいでもあるだろう。
 メインの三人の登場人物は、誰一人幸せにならない。
「そうだねえ……できれば男子のがいいけど、役柄的に引き受けてくれる人がいるかってことよね。だからなんなら、男装もありだとは思ってるよ」
「男装って、誰が?」
 日直の仕事で窓の確認をしていた新見が、驚いたように振り向いた。いつの間にか黒板の手入れは完了し、日誌も書き終わったらしい。唐突に話に加わってきた彼女に、今野は一呼吸の間を置いて笑いかけた。
「日直お疲れさま」
「うん。あとはノート持ってくだけだよ、じゃなくて。誰か男の格好するってことだよね、誰が? あ、今野が?」
「いや、流石に私じゃなくて、吉川ちゃん、どうかな」
「――私?」
 息を呑んだ吉川が今野を振り返り、それから伺うように板見に視線を向けた。そして不安そうに目を伏せる。秋内が振り向くと、板見は思案げに下を向いていた。二人の様子を気にした風もなく、新見が二度ばかり頷く。
「そうだね、吉川はわりと背丈あるし、いけるかも? あ、でも胸があれだね、あれ」
 シンプルなカットソーの下から主張する、高校一年生にしては豊かなバストに目を向けて、新見が笑みを漏らす。秋内は居たたまれない気持ちで顔をそらした。今野が考える風に唸って、吉川を見上げる。
「ケープとか、緩い衣装にすればいいんじゃないかな。それに、いい機会、でしょう、これも」
 先程、吉川本人が用いた単語を口にする今野は、二人の事情をどの程度把握しているのだろう。確かに機としてはまたとないものだ。配役の決定権は今野にあるも同然で、立場上二人は接触を持たざるを得ない。そして。
「吉川が男装して舞台に出るってなったら、男も女も大騒ぎになるな。集客間違いなし」
 学年一番とはいわないが、吉川だって屈指の美人だ。その名前で男子生徒を集められるし、女装のオプションで女生徒も群がるはずだ。計算高い風を装って告げた秋内に、今野と新見が、でしょう、だよね、と声を重ねた。
 
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