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九月
修学旅行 2
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喜多方ラーメンを食べ、白虎隊記念館や資料館を見学し、白虎隊の墓を見た。そして最後におまけのように寄ったのが、会津さざえ堂だった。
「これが有名な二重螺旋構造かあ……」
お堂を前に立ち止まり、氷川は堂を見上げた。建築に造詣が深いわけではないが、変わった建物は見ていて面白いから嫌いではない。拝観料を用意して、さあ行こうと思った時、カラフルなものが視界の端を横切った。花束のような色合いに、何気なく視線を向ける。そしてその場に固まった。そこには、同じ学院の生徒達の姿があった。
「……ねえ文月くん、白沢くん」
「なんだ」
「あそこにさ、頭が虹色の人がいるじゃん」
言って、顎をしゃくってそちらを示す。ふたりがそちらに顔を向け、そして氷川と同様唖然とした表情になった。文月が眉をひそめ、白沢が噛み殺した笑いを漏らす。
「なにあれ、エクステ? 派手すぎ」
白沢の表現通り、その生徒は髪に細めの原色のヘアー・エクステンションを何本もつけていた。黒髪の中に黄色や赤や紫、青や緑が混じっていて、一人だけなのにサーカスのようだ。だが問題は、素行が疑われそうな髪型をしている生徒が、同窓であることではない。その顔に見覚えがあることだ。
「橘……」
苦い声で文月が名前を呼ぶ。やはり、と氷川は頬を引きつらせた。
「だよね……」
「橘って、生徒会会計の橘?」
何故か納得した風に確かめられ、氷川と文月は揃って頷いた。
「他人のそら似でなければ」
「何、修学旅行ではっちゃけちゃったの?」
「知らないけど、不良みたいに見えるね」
「だな。他人の振りしよう。顔を合わせるな」
まるで母親が子供を叱るような調子で、文月が氷川と白沢に命じる。従いたいのは山々だが、そうはいかなかった。やや小柄な見た目不良と普通の高校生の四人組が、こちらに向かって歩いてくる。見た目不良が大きく手を振った。
「やっぱり、氷川くんと文月くんだ。こんな所で会うなんて奇遇だね!」
声と話し方と表情はまったく不良ではない橘が、他の三人を置き去りに氷川達の前まで駆け足でやってくる。文月が頭痛でも覚えたかのようにこめかみに指を押し当てる。
「橘、その髪型はどうした」
「エクステ」
「違う。生徒会役員自ら風紀を乱すような髪型にするのはどうなんだって言ってるんだ」
「それ神森くんにも言われた。でも、なんかもう限界だったんだもん。地味に大人しくしてるの向いてない」
「いやあ、茶髪くらいにしとけば良かったんじゃね?」
笑いながら会話に割り込んだ白沢を見て、橘が首を捻った。
「えーっと……?」
「ああ、ごめんね。この二人と同じ班の、白沢武史だよ」
「そっか。俺は橘祐也。よろしく」
「はいはい、こちらこそね」
目を細めて笑った白沢が、子犬にでもするように橘の頭を撫でた。ばらばらと追いついてきた、橘と同じ班だろう生徒達が何事かと見てくる。その視線に気付いて、白沢が手を下ろした。
「染めてないんだな」
「あ、髪? うん、ここのところ真面目に黒にしてる。もうストレス半端ないよ」
「分かる。大人しくしてようって思うと余計に鬱陶しくなるんだよね」
「あれ、もしかして白沢くんブリーチしてる?」
橘が目を細める。校則に髪型の規定はないため、学内には茶髪や長髪の生徒もちらほらいる。とはいえ、基本的には真面目な校風だし、名門校の生徒らしい身だしなみをするようにと校則に書かれているので、無言の圧力によって大抵の生徒は大人しく黒髪を保っている。その中で、白沢は少しだけ明るい髪色をしていた。瞳もやや色素が薄いので、気にしなければ地毛に見える程度の色の抜き方だが。
「ちょっとだけね」
白沢が楽しげに唇を緩める。ぱちぱちと目をまたたいた後、橘が破顔した。
「そっかあ。それでも良かったかな」
「いいんじゃない? エクステも楽しいし」
「そうだね。あ、白沢くんたちはもうさざえ堂入った?」
思い出したように、橘が背後のお堂を指差す。風変わりな木造建築は、まだしばらく入場できるはずだ。
「まだ。橘たちはもう入ったの?」
「入ってきた。一方通行の螺旋って不思議な感じだったよ」
「珍しいもんね。それが体験したくて来たんだよね」
白沢が氷川と文月に話を振る。文月は相変わらず難しい表情をしていた。彼に代わって、氷川が頷く。
「うん。あんまりないよね、そういうの」
「……サン・パトリツィオの井戸」
ふと、橘の後ろにいた一人の生徒が呟くように言う。氷川が視線を向けると、彼は何故か首肯した。真面目そうな生徒で、現在の橘の髪型とは不釣り合いだが、笑うと柔らかい雰囲気になる所はよく似ていた。
「二重螺旋構造は確かによくあるものじゃないけど、とんでもなくレアな建築物でもないんだよ。すれ違うことなく、元来た道を戻る必要もないってメリットがあるし……だまし絵の中に入ったみたいで面白かった。早く行ってくるといい」
「え、うん……」
「それで、ホテルに帰る道すがら、二重螺旋の面白い話を聞かせてあげる」
「ええと……」
DNAの話だろうか。以前どこかで、ゲノム解析は毛髪や唾液で可能だが、有名な二重螺旋構造を再現するには小指程度の細胞が必要だという恐ろしい話を聞いたことがあるが、そういう真偽不明の怖い話だったら遠慮したい。塩基配列の話だったらついていけないから、やはり遠慮したい。科学はロマンティックだが、理解が追いつくかどうかはまだ別だ。
どう答えたものかと考えていると、橘がその人物の腕を叩いた。ぱしりと乾いた音が響く。
「ごめん氷川くん、こいつミステリオタクでさ、二重螺旋使ったトリックの話がしたくて仕方ないんだよ。でも話聞いちゃうと回る面白味が半減するから、先に行って来たほうがいいよ。ここで待ってるからね」
ぽんぽんと橘が氷川の腕を叩く。その動作に促されて、奇妙な形をしたお堂に向かった。いつの間に一緒に帰ることになったのか、推理小説の話を聞くことが決まったのか、さっぱり分からないうちにさざえ堂に入り、狐につままれたような気分で外に出た。するすると昇って、するすると降りてきてしまった。何ひとつ掴めないうちに。
氷川にはついていけない濃密なミステリ談義を続ける橘の同班の二人と白沢の三人組から少し離れて、会津若松の街をのんびりと歩く。今日はこの後、ホテルで夕食を摂ってから、全クラス合同で震災を経験した方の話を聞く予定になっている。
隣を歩く橘が、前方の三人組を睨むように見ている。文月は橘と一緒に歩きたくないらしく、氷川達よりも更に後方で、もう一人の橘の同班の生徒と真面目な話をしているようだ。
「白沢くんって、ミステリ好きなんだ?」
「というより、興味の幅が広い感じ。映画の話もできるし、ゲームも好きみたいだし、カラオケでもそこそこ唄えるし」
「そうなんだ」
橘は白沢に視線を注いだままで、呟くように相槌を打つ。
「仲良くなりたいなら、話しかければどんどんいけると思うけど」
「かもね。いや、ほら、今日さ、俺、髪の毛こんなじゃん? 先生も友達も怒るかどん引きするかでさ」
こんな、と言いながら、橘がエクステを撫でる。氷川も若干引いたので、気持ちは理解できる。皆、橘くんって実は不良だったの?と身構えたことだろう。橘が眉を下げた。
「まあ、そういう反応なのは予想してたけど、寂しいじゃんか。でも、白沢くんはどっちでもなかった。面白がってたでしょ?」
「そうだね」
「懐広いなって思って、感心しちゃって。仲良くもなりたいけど、俺もそうなりたい。いい人だね、あの人」
橘が眩しそうに目を細めた。夕陽に灼かれた頬が薔薇色に染まっている。彼の視線の先には、三人並んで歩く後ろ姿がある。僅かに色を抜くことを繰り返した、少し長い髪が風を孕んで揺れる。遊ばせた毛先が透けて、金色に見えた。
「本人に言ってあげなよ。喜ぶよ」
溶け落ちるような太陽が、雲の中にその身を隠す。薄灰色の雲の端が、朱の混じった黄金に輝いた。
「考えとく」
橘は何故か神妙に答えて、氷川に視線を向けた。柔らかく細められた目の中で、橙色を映した瞳が輝く。
「さざえ堂、面白かった?」
「うん、凄く不思議だった。外観も変だったけど、中も変わってたね」
いきなりの話題の転換に戸惑いつつ、頷く。あの酩酊感に似た戸惑いは、体験した者にしか分からないだろう。そして幸いなことに、氷川と橘は前後してあの空間を通ってきた。
「さざえみたいな形してるからさざえ堂なんだよね。二重螺旋って聞くとDNAって思っちゃうけど、建物の場合は違うんだって。昇りの螺旋と降りの螺旋は、すぐ上下に同じ形であるんだよ」
「は……?」
橘の台詞に、思わず間抜けな声を出してしまった。詳しく調べたりしていなかったので、詳細な構造を知らなかったのもある。言われた内容が上手く飲み込めなくて、眉が寄る。橘が面白そうに頬を緩めた。
「分かる? 上下にショートカットすれば楽そうでも、ずるしたら頂上に着けずに降りることになる。遠回りに思えても、ぐるっと回るからこそ進めるし、自分で歩かなきゃあの経験は出来ない」
前方の三人が、赤信号で足を止めた。白沢が振り返って、軽く手を上げる。氷川も手を上げて応えた。橘が嬉しそうに手を振る。その無邪気な所作とは対照的に、声音は普段よりも落ち着いたトーンだ。
「螺旋って面白いね。円周をぐるっと回って、元いた場所の上に着く。似たような景色だけど、高さが違うから景色もちょっと違う。似てても、同じじゃないんだよ。それって、毎年春が来ても、同じ春がないのと同じだよね」
「橘くん……?」
太陽が雲間から顔を出して、世界が鮮やかな朱色で満ちる。学校指定の白いカッターシャツも、アスファルトのラインも、家々やビルや店舗の壁も、灰色の電柱でさえオレンジを帯びて鈍く輝く。薄い膜でも掛かったように色を帯びた世界で、橘の表情が上手く読み取れない。
「ね、氷川くん。今年の夏は、去年と同じ夏じゃなかったでしょ? もしそれが、去年よりも楽しかったって、有意義だったって思って貰えたら、俺はとても嬉しいよ」
柔らかな声が鼓膜を揺する。彼は何を知っているんだろう。こんなに温かな言葉が何故だか怖くて、氷川は下ろした手を握り込んだ。
排気ガスを吐き出しながら、乗り合いバスが通りを抜けていく。ディーゼルエンジンの黒い煤が煙のように広がった。その後ろを行く乗用車が、迷惑そうに車間距離を開く。鴉が電柱の上で羽を広げて鳴いた。言葉を失った氷川を嘲るように、濁った声で。
「これが有名な二重螺旋構造かあ……」
お堂を前に立ち止まり、氷川は堂を見上げた。建築に造詣が深いわけではないが、変わった建物は見ていて面白いから嫌いではない。拝観料を用意して、さあ行こうと思った時、カラフルなものが視界の端を横切った。花束のような色合いに、何気なく視線を向ける。そしてその場に固まった。そこには、同じ学院の生徒達の姿があった。
「……ねえ文月くん、白沢くん」
「なんだ」
「あそこにさ、頭が虹色の人がいるじゃん」
言って、顎をしゃくってそちらを示す。ふたりがそちらに顔を向け、そして氷川と同様唖然とした表情になった。文月が眉をひそめ、白沢が噛み殺した笑いを漏らす。
「なにあれ、エクステ? 派手すぎ」
白沢の表現通り、その生徒は髪に細めの原色のヘアー・エクステンションを何本もつけていた。黒髪の中に黄色や赤や紫、青や緑が混じっていて、一人だけなのにサーカスのようだ。だが問題は、素行が疑われそうな髪型をしている生徒が、同窓であることではない。その顔に見覚えがあることだ。
「橘……」
苦い声で文月が名前を呼ぶ。やはり、と氷川は頬を引きつらせた。
「だよね……」
「橘って、生徒会会計の橘?」
何故か納得した風に確かめられ、氷川と文月は揃って頷いた。
「他人のそら似でなければ」
「何、修学旅行ではっちゃけちゃったの?」
「知らないけど、不良みたいに見えるね」
「だな。他人の振りしよう。顔を合わせるな」
まるで母親が子供を叱るような調子で、文月が氷川と白沢に命じる。従いたいのは山々だが、そうはいかなかった。やや小柄な見た目不良と普通の高校生の四人組が、こちらに向かって歩いてくる。見た目不良が大きく手を振った。
「やっぱり、氷川くんと文月くんだ。こんな所で会うなんて奇遇だね!」
声と話し方と表情はまったく不良ではない橘が、他の三人を置き去りに氷川達の前まで駆け足でやってくる。文月が頭痛でも覚えたかのようにこめかみに指を押し当てる。
「橘、その髪型はどうした」
「エクステ」
「違う。生徒会役員自ら風紀を乱すような髪型にするのはどうなんだって言ってるんだ」
「それ神森くんにも言われた。でも、なんかもう限界だったんだもん。地味に大人しくしてるの向いてない」
「いやあ、茶髪くらいにしとけば良かったんじゃね?」
笑いながら会話に割り込んだ白沢を見て、橘が首を捻った。
「えーっと……?」
「ああ、ごめんね。この二人と同じ班の、白沢武史だよ」
「そっか。俺は橘祐也。よろしく」
「はいはい、こちらこそね」
目を細めて笑った白沢が、子犬にでもするように橘の頭を撫でた。ばらばらと追いついてきた、橘と同じ班だろう生徒達が何事かと見てくる。その視線に気付いて、白沢が手を下ろした。
「染めてないんだな」
「あ、髪? うん、ここのところ真面目に黒にしてる。もうストレス半端ないよ」
「分かる。大人しくしてようって思うと余計に鬱陶しくなるんだよね」
「あれ、もしかして白沢くんブリーチしてる?」
橘が目を細める。校則に髪型の規定はないため、学内には茶髪や長髪の生徒もちらほらいる。とはいえ、基本的には真面目な校風だし、名門校の生徒らしい身だしなみをするようにと校則に書かれているので、無言の圧力によって大抵の生徒は大人しく黒髪を保っている。その中で、白沢は少しだけ明るい髪色をしていた。瞳もやや色素が薄いので、気にしなければ地毛に見える程度の色の抜き方だが。
「ちょっとだけね」
白沢が楽しげに唇を緩める。ぱちぱちと目をまたたいた後、橘が破顔した。
「そっかあ。それでも良かったかな」
「いいんじゃない? エクステも楽しいし」
「そうだね。あ、白沢くんたちはもうさざえ堂入った?」
思い出したように、橘が背後のお堂を指差す。風変わりな木造建築は、まだしばらく入場できるはずだ。
「まだ。橘たちはもう入ったの?」
「入ってきた。一方通行の螺旋って不思議な感じだったよ」
「珍しいもんね。それが体験したくて来たんだよね」
白沢が氷川と文月に話を振る。文月は相変わらず難しい表情をしていた。彼に代わって、氷川が頷く。
「うん。あんまりないよね、そういうの」
「……サン・パトリツィオの井戸」
ふと、橘の後ろにいた一人の生徒が呟くように言う。氷川が視線を向けると、彼は何故か首肯した。真面目そうな生徒で、現在の橘の髪型とは不釣り合いだが、笑うと柔らかい雰囲気になる所はよく似ていた。
「二重螺旋構造は確かによくあるものじゃないけど、とんでもなくレアな建築物でもないんだよ。すれ違うことなく、元来た道を戻る必要もないってメリットがあるし……だまし絵の中に入ったみたいで面白かった。早く行ってくるといい」
「え、うん……」
「それで、ホテルに帰る道すがら、二重螺旋の面白い話を聞かせてあげる」
「ええと……」
DNAの話だろうか。以前どこかで、ゲノム解析は毛髪や唾液で可能だが、有名な二重螺旋構造を再現するには小指程度の細胞が必要だという恐ろしい話を聞いたことがあるが、そういう真偽不明の怖い話だったら遠慮したい。塩基配列の話だったらついていけないから、やはり遠慮したい。科学はロマンティックだが、理解が追いつくかどうかはまだ別だ。
どう答えたものかと考えていると、橘がその人物の腕を叩いた。ぱしりと乾いた音が響く。
「ごめん氷川くん、こいつミステリオタクでさ、二重螺旋使ったトリックの話がしたくて仕方ないんだよ。でも話聞いちゃうと回る面白味が半減するから、先に行って来たほうがいいよ。ここで待ってるからね」
ぽんぽんと橘が氷川の腕を叩く。その動作に促されて、奇妙な形をしたお堂に向かった。いつの間に一緒に帰ることになったのか、推理小説の話を聞くことが決まったのか、さっぱり分からないうちにさざえ堂に入り、狐につままれたような気分で外に出た。するすると昇って、するすると降りてきてしまった。何ひとつ掴めないうちに。
氷川にはついていけない濃密なミステリ談義を続ける橘の同班の二人と白沢の三人組から少し離れて、会津若松の街をのんびりと歩く。今日はこの後、ホテルで夕食を摂ってから、全クラス合同で震災を経験した方の話を聞く予定になっている。
隣を歩く橘が、前方の三人組を睨むように見ている。文月は橘と一緒に歩きたくないらしく、氷川達よりも更に後方で、もう一人の橘の同班の生徒と真面目な話をしているようだ。
「白沢くんって、ミステリ好きなんだ?」
「というより、興味の幅が広い感じ。映画の話もできるし、ゲームも好きみたいだし、カラオケでもそこそこ唄えるし」
「そうなんだ」
橘は白沢に視線を注いだままで、呟くように相槌を打つ。
「仲良くなりたいなら、話しかければどんどんいけると思うけど」
「かもね。いや、ほら、今日さ、俺、髪の毛こんなじゃん? 先生も友達も怒るかどん引きするかでさ」
こんな、と言いながら、橘がエクステを撫でる。氷川も若干引いたので、気持ちは理解できる。皆、橘くんって実は不良だったの?と身構えたことだろう。橘が眉を下げた。
「まあ、そういう反応なのは予想してたけど、寂しいじゃんか。でも、白沢くんはどっちでもなかった。面白がってたでしょ?」
「そうだね」
「懐広いなって思って、感心しちゃって。仲良くもなりたいけど、俺もそうなりたい。いい人だね、あの人」
橘が眩しそうに目を細めた。夕陽に灼かれた頬が薔薇色に染まっている。彼の視線の先には、三人並んで歩く後ろ姿がある。僅かに色を抜くことを繰り返した、少し長い髪が風を孕んで揺れる。遊ばせた毛先が透けて、金色に見えた。
「本人に言ってあげなよ。喜ぶよ」
溶け落ちるような太陽が、雲の中にその身を隠す。薄灰色の雲の端が、朱の混じった黄金に輝いた。
「考えとく」
橘は何故か神妙に答えて、氷川に視線を向けた。柔らかく細められた目の中で、橙色を映した瞳が輝く。
「さざえ堂、面白かった?」
「うん、凄く不思議だった。外観も変だったけど、中も変わってたね」
いきなりの話題の転換に戸惑いつつ、頷く。あの酩酊感に似た戸惑いは、体験した者にしか分からないだろう。そして幸いなことに、氷川と橘は前後してあの空間を通ってきた。
「さざえみたいな形してるからさざえ堂なんだよね。二重螺旋って聞くとDNAって思っちゃうけど、建物の場合は違うんだって。昇りの螺旋と降りの螺旋は、すぐ上下に同じ形であるんだよ」
「は……?」
橘の台詞に、思わず間抜けな声を出してしまった。詳しく調べたりしていなかったので、詳細な構造を知らなかったのもある。言われた内容が上手く飲み込めなくて、眉が寄る。橘が面白そうに頬を緩めた。
「分かる? 上下にショートカットすれば楽そうでも、ずるしたら頂上に着けずに降りることになる。遠回りに思えても、ぐるっと回るからこそ進めるし、自分で歩かなきゃあの経験は出来ない」
前方の三人が、赤信号で足を止めた。白沢が振り返って、軽く手を上げる。氷川も手を上げて応えた。橘が嬉しそうに手を振る。その無邪気な所作とは対照的に、声音は普段よりも落ち着いたトーンだ。
「螺旋って面白いね。円周をぐるっと回って、元いた場所の上に着く。似たような景色だけど、高さが違うから景色もちょっと違う。似てても、同じじゃないんだよ。それって、毎年春が来ても、同じ春がないのと同じだよね」
「橘くん……?」
太陽が雲間から顔を出して、世界が鮮やかな朱色で満ちる。学校指定の白いカッターシャツも、アスファルトのラインも、家々やビルや店舗の壁も、灰色の電柱でさえオレンジを帯びて鈍く輝く。薄い膜でも掛かったように色を帯びた世界で、橘の表情が上手く読み取れない。
「ね、氷川くん。今年の夏は、去年と同じ夏じゃなかったでしょ? もしそれが、去年よりも楽しかったって、有意義だったって思って貰えたら、俺はとても嬉しいよ」
柔らかな声が鼓膜を揺する。彼は何を知っているんだろう。こんなに温かな言葉が何故だか怖くて、氷川は下ろした手を握り込んだ。
排気ガスを吐き出しながら、乗り合いバスが通りを抜けていく。ディーゼルエンジンの黒い煤が煙のように広がった。その後ろを行く乗用車が、迷惑そうに車間距離を開く。鴉が電柱の上で羽を広げて鳴いた。言葉を失った氷川を嘲るように、濁った声で。
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