嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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九月

修学旅行 11:夜の路上にて(5)

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 聴衆がばらばらと演者達に近付き、一言二言言い交わしたあと、置かれた空き缶に小銭や紙幣を置いていく。手紙を渡す者や、何も言わずに投げ銭だけ落としていく者、通りすがりだったのかそのまま輪から離れていく者もいる。顔見知りなのか、橘や向井等と親しげに言葉を交わす人もいた。全体的に女性が多い印象だ。
 少し人が減ったあたりで、千葉が彼らのいるほうを指差した。大友が既に片付けに入っている。
「車回してくるから、あっちに行ってて。手伝わなくていいけど、近くにいてくれないと不安だから」
「そんなに治安が悪いように見えませんけど」
「治安はいいよ。せいぜい女の子に囲まれるくらい。役得だって思う?」
「遠慮したいですね」
 女あしらいが上手い人物なら、喜んで相手をするだろうが、氷川には荷が勝ちすぎている。面白そうに見てくる千葉に手を振って、橘たちに近付いた。粗方片付いたころ、千葉が車に乗って来た。向井がここまで載せてきてくれたステーションワゴンだ。彼女は運転席の窓を開けて声をかける。
「お待たせ。積むよ」
「人手あるから千葉ちゃんは乗ってていいよ。アンプもないからちょっとだけだしね」
「そう? じゃあ乗ってる」
 エンジンを切って、彼女は運転席から作業の様子を眺めている。
 椅子と敷物、それからギターと例の空き缶。その他にもちょっとした小物はあるが、大したものではない。男が五人もいればむしろ手持ち無沙汰なくらいで、氷川は所在なく突っ立っていた。
 やがて積み込みが終わり、千葉が車を降りて向井にキーを手渡した。
「はいどうぞ。皆お疲れさま」
「お疲れさまでした」
「プライベートなのに駆り出して悪かったね、千葉ちゃん、大友くん」
 ねぎらう二人に、向井が申し訳なさそうに応える。千葉が微笑んだ。
「久しぶりに祐也くんと会えたし、氷川くんとも知り合えたし、残業を切り上げた甲斐はあったよ」
「ええ。ただ働きも悪くないですね」
「そう言ってくれると助かるよ」
 我がことのように言ったのは早坂で、橘は真摯な表情で彼ら四人に向き直った。
「千葉さん、大友さん、向井さん、貴幸さん、今日は俺の我儘に付き合って貰ってありがとうございました」
「俺も、飛び入りだったのに迎えていただけて嬉しかったです。ありがとうございました」
「こっちこそ、騒がせたね。鬱陶しいこともあると思うけど、祐也の奴をよろしく」
 早坂が優しい表情で橘を見てから、氷川を覗き込んだ。彼は身内に恵まれている。
「俺の方こそお世話になってばっかりですよ」
「さて、そろそろ車出すぞ。祐也、氷川くん、乗って」
 キーをくるくると回して、向井が運転席に向かう。別れを惜しむように、橘は三人を見つめた。三人とも慈しむように橘を見ている。早坂がその頭を撫でた。
「頑張ってね」
「はい。じゃあ、千葉さん、大友さん、貴幸さん、また。東京来る時は連絡ください」
「うん。またね」
「氷川くんもまた、機会があったら」
「はい。お世話になりました」
 社交辞令だろうが、そう言ってくれる気持ちが嬉しい。大人たちに頭を下げて、今度は氷川も後部座席に乗り込んだ。手を振る三人に、橘が車中から手を振り返す。車はすぐに角を折れ、見送る人々の姿は見えなくなった。
 橘がぐったりと力を抜いて、氷川にもたれかかってくる。体温の高さに驚いた。相当疲れているのだろう。思わず手を伸ばして、腕を撫でた。
「お疲れさま。凄く良かったよ、連れてきてくれてありがとう」
 そう言うと、橘はうん、と頷いて目を瞑った。
「皆、楽しそうだった。橘くんは凄いね。俺も見てて楽しくなった。音楽っていいものだって思えたよ」
 きっと彼が伝えたかったのはそれだろうからと、素直に話す。橘が吐息だけで笑った。
「良かった。いきなり歌わせて、嫌だったかなって思ってたから」
「それは驚いたけど。嫌じゃなかった」
「……楽しくなかった?」
 千葉に訊かれたのと同じ問いに、氷川は返答に詰まった。橘が目を開き、じっと氷川の顔を覗き込む。夜の車内は明るい駅前であっても暗く、その顔は影に覆われているというのに、心の裡まで見通そうとするような瞳だ。
 氷川はあっさりと白旗を揚げた。嘘をつきたくなかったし、つけるような気もしない。それに、言葉でどう言ったところで、一緒に演った橘にはどうせ分かっている。
「楽しかった」
 その言葉は、自分で思ったよりも明るく響いた。返答に橘が目を細める。溜息のように息を吐いて、顔を伏せる。髪が頬を撫でた。
「良かった」
 心底安堵したような声に、言葉を失う。無言で再び腕を撫でると、橘が肩を押し付けた。体重がかかって、倒れないようにと、もたれかかられていない側の腕をつく。てのひらがシートに敷かれたクッションに沈んだ。運転席の向井が、赤信号で足止めされたのをいいことに振り返った。
「氷川くん、そいつ寝かさないでね」
「起きてますよ……あとで着替えしなきゃなんですから」
「ならいい、すぐ着くから頑張れ」
 橘がううと呻いて額を撫でた。寝てもいいよと言いたくなる所作だが、橘の寝起きを知らないので言いづらい。もしとんでもなく寝起きが悪かったら困る。代わりに話をすることにした。
「さっき演ってた曲ってオリジナル?」
「そう。最後の二曲は向井さん達の曲で、他はさっき言った、解散しちゃったバンドの曲」
「橘くんが作ったの?」
「俺が作ったのもあるし、他のメンバーが作ったのもある。皆で作ったのとか。詞もそうだし」
 こともなげに言うが、それは凄いことだ。楽曲を作ることも、歌詞を書くことも、知識や経験、そして才能を必要とする。何曲目と何曲目が良かった、と曖昧に感想を伝えると、橘が嬉しそうに破顔した。
「それ俺が作った曲」
「そうなの? 凄いね」
「ん。氷川くんさ、いつか……俺が氷川くんの声をイメージして曲を書いたら、歌ってくれる?」
 少し震える声は、とても真剣な色をしていた。
 エンジン音が響いている。氷川は静かに橘の顔を見た。橘はとても穏やかな表情で、氷川から視線を逸らさない。街灯を越える度に、光が流れていく。その光を幾つか数えた頃、口説かれているのだと実感した。彼は氷川を口説くと宣言したのだから、当たり前の流れだったのかもしれない。こういう時の常套手段など氷川は知らないが、橘の行動が呆れるくらい直球なのは確かだ。
「考えさせて」
 保留というずるい返答に、橘は何故か嬉しそうに頷いた。車はいつの間にか、ホテルの駐車場に戻ってきていた。時刻は十時半前。急げば点呼には間に合うはずだ。
 橘が投げ銭用の缶を持って車を降りる。
「楽器は下ろさなくて良いんですか?」
 確か楽器はかなり高額なはずだ。不安になって訊ねると、向井が平然と頷いた。
「すぐ戻ってくるから大丈夫。駐車場も警備入ってるし」
「向井さん、これ山分けでいいよね」
 歩きながら、橘が缶を傾ける。じゃらりと金属の音がした。
「経費は引かせろよ。ホテル代と駐車場代」
「ホテルは向井さん泊まるんでしょ?」
「んなわけあるか。部屋片付けてチェックアウトするっつうの」
 呆れた顔で向井が橘の肩を叩く。意味する所を理解して、氷川は向井に会釈した。
「すみません。更衣室代わりに部屋を取ってくれたんですね」
「元々は祐也のためだから、氷川くんは気にしなくていいよ」
「俺だってありがたいとは思ってますからね。向井さんが手伝ってくれなきゃ、フロント通れなかったでしょうし」
「分かってるならいい。ま、俺も楽しかったからな。集まった子たちも楽しそうだったし」
 照れ臭そうに向井が視線をそらす。話しているうちに建物についた。フロントでただいまと挨拶して、ロビーに至る。そこで氷川は足を止めた。
 見知った顔が、ソファにずらりと並んでいた。
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