嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭の前に 4

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 テーブルには教員のほか、まだ食後のお茶やコーヒーを楽しむ生徒も残ってはいる。しかし、ピーク時の混雑には程遠く、席は選り取り見取りだ。氷川は特に意識せず、北側の窓に近い席に陣取った。文月がその隣にトレイを置き、腰掛ける。
 いただきますと言い合って、文月は割り箸を、氷川はスプーンを手に取った。湯気の立ち上る雑穀粥をスプーンでかき混ぜてから、思い出してスマートフォンを取り出す。
「次の授業間に合わないから、遅刻の連絡しとくね」
「出られないって連絡にしとけ」
「いや、それは流石に……」
 もう動けるようになった上に、文月は体調不良でさえない。問題があるだろうと言い淀むと、文月が顔をしかめ、自分のスマートフォンを取り出した。慣れた手つきで操作して、機械を耳に当てる。誰に電話しているのか、さほどコールせずに通話が繋がったらしい。
「お忙しいところ済みません、二年B組の文月凉太ですが、申し訳ありませんが次の授業は出られそうにないので、ご連絡を……はい、氷川泰弘くんと一緒にいるんですが、彼が体調を崩してしまって、ちょっと付き添いに……はい。よろしくお願いします」
 通話を終わらせて、文月がスマートフォンをジャケットのポケットに落とす。そして氷川に目を向けた。
「保健室に行くこと、だそうだ」
「もう行ったし……」
「食べ終わったらもう一回行けばいいだろ、まだ頭痛いとでも言って」
「痛くないよ。何、どうしたの?」
 氷川は諦めてスマートフォンを仕舞い、箸を取った。ぱきりと割って、セット品の大豆とひじきの煮浸しをつまむ。文月は相変わらず不機嫌そうな顔で、煮物の大根を半分に割った。
「さっき言った。何してるか説明しろ」
「どうして」
「友人を心配するのは当然だろう」
 平然と言って、四分の一サイズにした大根を口に入れる。慣れない言葉に胃が熱くなり、唇が緩んだ。胸がざわりとする。笑っていい場面ではないとわかっているが、嬉しいものは仕方がない。唇を噛んで視線を逃がすと、文月が箸を置いた。
「笑ってないで話せ」
「ごめん、ちょっと、嬉しくて。でも……んー……言ったら文月くん怒るよ」
「俺が怒るようなことをしてるのか?」
 文月が眦を吊り上げ、割り箸を箸置きに置く。毎度、紙袋をぱたぱたと折って箸置きを作るのが器用で可愛いが、そんなことを指摘できるシーンでもない。氷川はまだひとくちも食べていないスプーンを皿に戻した。息を吸って、極力軽い調子で言う。
「してるよ」
「……何を?」
「練習」
「何の」
「ステージ」
「だから、何の」
 単語のみの応酬に焦れたように、文月が語調を強くする。氷川は少し迷ってから口を開いた。
「誰かに、喜んで貰うための」
 あの日、彼はそう評価してくれた。それを文月が覚えているかは分からないけれど、氷川はとても嬉しかったし、橘も喜んでいた。過去の彼の言葉を用いると、文月は軽く眉をひそめ、そして目を伏せた。
 しばし沈思黙考して、文月がああと声を上げる。氷川は三口ほど食べ進めた粥から視線を上げた。彼は複雑な表情で、指先でこめかみを押さえている。
「また橘か」
「誘ってくれたのは橘くんだけど、やるって決めたのは俺だよ」
 無理矢理付き合わされているなんて、間違っても言われたくない。即座に訂正を入れると、文月は目元をひきつらせた。
「倒れるほど無理をしてまでやれと言われたのか」
「まさか。誰もそんなこと言わないよ。俺が自己管理できてなかっただけだって、何度も言わせたいの」
「わかってるなら自重しろ。とにかく、朝は出てこなくていいから、少しでも寝る時間を確保しろ」
「でも、もう明日だけだよ。大丈夫だから」
 文化祭は明後日の土曜日から開催される。つまり準備期間は明日までだ。ここへきての戦力除外通知に、氷川は顔をしかめる。
「今日中に準備を終わらせて、明日には展示だけの状態にする。だから、明日は少しゆっくり寝てろ」
「なんで」
 何かしたいというだけなのに。纏まらない思考のままに、不定形の心情が言葉足らずにこぼれ落ちる。文月が手にしていた箸を乱暴に置いた。
「それはこっちの台詞だ。どうして無茶をする? おまえを心配している奴がいるのが分からないのか」
 声を荒げることさえなく、文月は突き放すように告げる。少しも優しくない声で優しいことを言うから、反発する気力を削がれた。わかっている。文月が怒るのは、氷川を心配しているからだ。けれどそれでも、譲りたくないものがあった。
「だって」
 子供のような反駁が、掠れて途切れる。文月は溜息を噛み殺したような息を吐いて、目顔で続きを促した。
 だって、に連なるのは反論だ。けれどそれを言うのは怖い。適当な話で誤魔化してしまおうかとも一瞬は考えた。しかし、こう真剣に接してくれている人物に対してそれはあまりに不誠実だ。
 目を閉じて、深呼吸をした。つい先日、文月から言われたことを思い出す。人嫌い。それはある意味では間違っていない。
「俺ね、文化祭の準備とか、初めてちゃんとやったんだよ。中学の時もそんなに一生懸命やらなかったし、前の高校じゃあそもそも参加してなかった。それで、来年は自由参加でしょ。今年やらなきゃ、もう機会ないなって思ったんだよ。まあ結局、クラスの皆とやれてないんだけど」
「前の……?」
「転校してくる前の。まあ、俺がいてもいなくても何とかなるのはわかってるんだけどね。ちょっと作業に手出ししたって何も進んでないのと変わんないし、役には立ってないだろうけど。それでも、ちゃんと関わったんだって思いたくて。でも、我儘だったよね。ごめんね」
 転入前に通っていた学校について言及されたくなくて、慌ただしく言葉を重ねる。謝罪を伝えると、文月がまたしかめ面に戻ってしまった。
「役には立ってる」
「気休めでも、そう言ってくれると嬉しいよ」
「気休めじゃない。展示の構成や、全体の進行はおまえの下書きや提案で随分改善されてる」
 文月の言葉に、氷川は黙って視線を落とした。文月が嘆息する。
「前々から思っていたことがあるんだ」
「なにを」
「認められるのが嫌なのか」
「……え」
 予想外の問いかけに、氷川は思わず、間抜けな声を漏らした。
 文月は箸を持ち、鯖の味噌煮を一口サイズに切り分ける。圧力鍋で骨まで柔らかくした煮魚は絶品で、普段なら誰かが食べていると羨ましくなるが、今日はそんな気分にはならない。
 認められることが、嫌なのか。文月の問いが理解できなくて、眉が寄る。嫌ではない。褒められれば嬉しい。ただそれが過当な評価だと、居心地が悪くなるだけだ。ごく普通の当たり前のこと、誰でも出来るようなことを褒められるのは、誰だって気分のいいものではないはずだ。子供扱いされているのか、取り入ろうとしているのか、そう感じてしまうのはさすがに、氷川が少々構えすぎているのだとしてもだ。
 氷川は柔らかく煮えた大豆を飲み込んでから、適切な言葉を探った。
「別に、嫌じゃないよ。ちょっと、過大評価かなとか、思う時もあるけどね。俺は特別な技能もないし、特に専門的な勉強もしてないから」
「俺は充分、大したものだと思ったけどな。だいたい、そう言われたら、おまえが当たり前にできることができない俺がまるで無能みたいじゃないか」
「そういう意味じゃなくて」
「言いたいことは分かるが、謙虚なのも程度問題だって話だ。度が過ぎれば嫌味になる。おまえにとって当然のことが、努力しなければできない奴も、努力してもできない奴もいる」
 食事を進めながら、文月は冷めた声で言う。午後の授業の本鈴が鳴り響いて、食堂がやけに静かになっていることに気付いた。生徒はもちろん、教師陣も残っていない。
 氷川は頷いて、粥をひとさじ掬った。冷めかけたご飯を口に入れる。雑穀の、白米とは異なる風味が口の中に広がった。氷川の返答が身の入らないものだったためか、文月はそうだなあと考えるように目線を泳がせた。
「たとえば川口が、前宙やバク転くらい、ちょっと練習すれば誰でもすぐできるようになるって言ったらどう思う?」
「川口くんはそんなこと言わないけどね……絶対、無理だよ」
 川口は身体能力が優れていて、それを自覚して隠そうとしない。走るのも速いし、身体は柔らかく、バランス感覚とリズム感覚が優れているから、前宙返りやら後方倒立回転やら側方倒立回転やらを簡単そうにこなしてしまう。もちろん氷川にはどれひとつとしてできない。氷川が答えると、文月はそうだと頷いた。
「そう、無理だな。だが、おまえが言っているのは似たようなことだ」
「いや、それとこれとは……」
「氷川がどう感じようが、他人はそう思う。だからな、過大評価だと感じても、おまえがした仕事を褒められたら、ありがとうと言っておけばいい」
 そこまで言って、文月はがんもどきを口にする。氷川はスプーンでぐるぐると雑穀粥の鉢を掻き回した。ふわりと湯気が立ち上って、すぐに消える。それが自分の心の気力の度合いのような気がした。
「頑張る」
 了承でも拒絶でもない返事に、文月が息を吐くような笑みを漏らした。

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