嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭の前に 5

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 既に日常になってしまった放課後の生徒会の手伝い――神森を連れ出した分の何倍も働いていると思う――の間、妙に橘に気づかわれるなとは思った。五、六時間目にようやく教室に戻った時、クラスメイト達が気にかけてくれたのと同じような感触だったと、その時に気付かなかった氷川が迂闊だった。
 夜中になって音楽室を訪れる。いつものように中央の椅子に座ると、他の四人が心配そうな顔をしていることに気がついた。
「氷川くん、大丈夫なの?」
 そう訊ねたのは橘だ。スティックを置いた戸田が、ぱたぱたと氷川の前までやってくる。
「もう大丈夫? 今日は休みにしたほうがよかった?」
「昼間、倒れたんだって? 無理すんなよ」
 ギターを抱えたまま、倉本が心配そうに言う。棚橋がピックをネック部分に挟み込み、ベースを下ろした。
「無茶して本番で倒れたら大変だろ。具合悪いなら練習は休んだっていい」
 口々に言われて、氷川は胸を押さえた。
「心配かけてごめん。ちょっと寝不足だって。明日は寝坊していいって言われたから大丈夫」
「あー、寝不足はな……」
 倉本が苦笑して、分解した和音をなぞる。深刻さが霧散したのは当たり前だ。ここにいる五人全員が同じように、睡眠不足に苛まれている。午前二時まで練習すれば、どうしたって二時半より早く寝付くのは難しい。それで、八時二十分の始業に間に合わせるには、どれだけ長くても六時間は眠れない。自分の生活がそうなのに、他人に口を出せるわけがない。
「それは仕方ないよね」
 棚橋も苦笑いで、ベースを膝に戻す。橘だけが神妙な表情を変えようとしない。
「ごめんね、俺が誘ったからだよね。しかも、生徒会の仕事まで手伝わせて」
「橘くんのせいじゃないって。俺がやるって決めたんだし、ま、無理したくらいの経験しといたほうが、後々楽しかったって思えるもんじゃない?」
「何それ、青春してます、みたいな?」
「まあ、気持ちは分かるけどね」
 失笑した倉本とは対照的に、戸田が肩をすくめて同意を示す。青春、という単語は気恥ずかしいが、反論もできない。氷川はスコアを手に取った。
「そういうわけで、大丈夫だから、今日も頑張ろうよ。練習できるの、今日と明日と明後日の三日間しかないんだから」
「あ、それなんだけど」
 思い出したように橘が手を上げる。氷川達の出演順は日曜日の夕方なので、土曜日までは練習ができるはずだが、何かおかしなことを言っただろうか。視線を向けると、ギターを抱いた橘が唇の両端を上げた。
「本当は明日も練習するつもりだったけど、俺も皆もぼろぼろだし、明日の夜の練習はなしね。代わりに、土曜日か日曜日の昼間、どっか時間取れるところで通しで合せよう」
「それで大丈夫なの?」
「だいぶ息が合ってきたからね。ま、バンド形式に慣れてないのは氷川くんだけだしねえ」
「悪かったね」
「イヤモニもないからドラムが頼りだけど、戸田くんクリックもないのに安定してて走らないし、ハイハットさえちゃんと聞いとけば大丈夫だよ。転がしだけじゃどうせろくに聞こえないけど、そもそも体育館の音響じゃフロアでもろくに聞こえないから!」
 とんでもないことを断言して、橘は上機嫌で微笑む。褒められた戸田は顔を赤くして照れている。倉本が額を押さえた。
「まあ戸田はリズム感きっちりしてるからな……ていうか橘、そんな環境最悪だとか言ったら余計構えちまうだろうが」
「でも、知らなくて本番で困るよりいいでしょ。リハもろくにできないんだしさあ」
 そう言い交わす二人の視線の先は氷川だ。氷川は頬を撫でた。
「とりあえず、戸田くんを頼りにすればいいんだよね?」
「そう。あとは誰が派手にミスろうが問題ない。戸田が走ったら一緒に走ればいい」
 走るとは、テンポが速くなることだ。遅くなることをモタると言うらしいが、こちらはあまり聞かない。ともかくとして、棚橋の言葉に氷川は頷いた。さてとと橘がギターを持ち直す。
「場もあったまったし、練習始めるよー」
 その言葉に戸田がドラムセットに戻ってスティックを構える。氷川は水をひとくち飲んで、背筋を伸ばした。

 クラス展示は文月が言った通り、木曜日までに準備を全て終わらせ、金曜日の放課後に予め決めた通りに展示するだけで作業が完了した。ボードを運び込んで模造紙を貼り出し、机に福島県の工芸品をレイアウトして、教室内はいかにも高校生の研究発表然とした雰囲気だ。
 文化祭初日の朝、氷川がその様子を眺めていると、戸田が隣にやって来た。昨夜は練習がなかったから、昨日の午後ぶりだ。
「おはよう氷川くん」
「おはよう、戸田くん。展示すごいね」
「綺麗にまとまってるね。と言っても、僕は自分の班の研究しかしなかったけど!」
「そうだな、おまえら二人はクラス展の準備の時間に教室にいなかったよな」
 暗い声が背後から聞こえては、氷川は驚いて振り返る。戸田は両肩を跳ね上げさせて、首だけで振り向いた。そこには疲れ切った表情の文月がいて、驚く。
「おはよう、文月くん。陣頭指揮お疲れさま」
「文月くん、大丈夫?」
 強張った表情だった戸田が、文月のあまりの様相に、心配そうに覗き込む。その頭を文月がぽんぽんと叩いた。指先が、柔らかそうな髪を撫でる。氷川は、その仕草から視線をそらした。窓の外は生憎の雨だが、今日は来校者もいないので、中庭の模擬店出店もなく、影響はない。
「ああ、うちは他のクラスに比べれば早く終わった方だ。遅い所は昨日、俺が帰る頃もまだ騒がしかったし」
「そうなんだ……でも、お疲れだね」
「まあ、疲れは溜まってるが、おまえらもそれは同じだろ。それより二人とも、昨日もいなかったから勝手に店番割り振ったからな。問題があったら言え」
 偉そうな言葉と共に、プリント用紙が押し付けられる。見ると、三日間の店番――教室待機番の順番表だった。二人一組で、一時間交代になっている。それを見て、氷川と戸田は揃ってあ、と濁った声を上げた。
「明日の夕方……は、無理だよね、氷川くん」
「うん。これ、誰かに代わって貰うってしてもいいの、文月くん」
 割り振られた時間は、戸田が二日目の十五時から十六時、氷川は同十六時から十七時。文化祭は九時から十七時までなので、見て回る分には動きやすくていい時間帯だ。しかし、氷川と戸田には好ましくない。
 文月が眉を上げた。
「何だ、揃って」
「ん、と。一昨日言ったステージのね、時間がさ、ちょうど明日の十五時半からなんだよね」
「……先に言えよ……」
 氷川が恐る恐る言った言葉に、文月が額を押さえて呻いた。そしてくるりと踵を返すと、ボードの前でああでもないこうでもないと話し込む三人の生徒に声をかける。おそらく交代の交渉をしてくれているのだろうが、そこまでしなくても、自分でなんとかするのに。そんな気持ちで文月達を眺めていると、戸田がくすくすと笑いを漏らした。
「文月くん、氷川くんには甘いよねえ」
「え、そう? 一昨日もすっごい叱られたよ。ちゃんと寝ろって」
 心外だと答えると、戸田が更に笑いを深めた。肩が小さく震えている。
「甘いじゃん。だって昨日は寝坊して良いってのも、文月くんが言ったんでしょ? こっちやってた奴に聞いたけど、木曜日はかなり遅くまでやってたらしいよ」
「そうなの?」
「そう。氷川くんが色々……割り付けとか下書きとか、レイアウトの叩き台作ったりとか、してくれるからって手抜いてる奴を怒鳴りつける勢いだったんだって」
 話しながら、戸田が緩む口元を押さえる。氷川は返答に困って唇を噛んだ。申し訳ないような気もするし、嬉しいような気もする。頼られていた、ということも。それに対して文月が怒ったことも。
「嬉しそうだね」
 戸田が言って、氷川は頬を手で押さえた。
「そうかな」
「うん。あ、帰ってきた」
 戸田の言葉通り、視線を上げると文月がこちらに戻ってくる所だった。
「交渉してくれたの?」
「ああ。おまえらふたりとも店番免除な。あいつらに代わらせたから」
 そう文月は、先程話していた生徒達を顎で示す。免除という言葉に、氷川は目をまたたいた。
「当番交代じゃなくて?」
「考えてみれば、あいつらが余計な研究で手間取って全体が遅れたんだから、当番くらい人の三倍や四倍やったっていいんだ」
「そう……?」
 戸田がさすがに少々戸惑ったような、それでいてやはり可笑しそうな表情で確かめる。文月はあっさり頷いた。それから、思い出したように訊ねてくる。
「そうだ、氷川。ステージはAとBどっちだ」
「Bだよ」
「Bステージ、二日目の三時半からか」
「見に来てくれるの?」
 戸田が文月を見上げて、首を傾げた。文月は少し考えて、頷く。
「時間があったら」
 体育館のライブイベントは、対角線上に二つのステージを造り、交互に、転換時間なしで切り替わる形で進行するらしい。一方がライブをしている間に、もう一方が撤収・設営をし、片方が終わったらもう片方のライトが点く。つまり、ワンステージ三十分の間に、撤収とセッティングを行なう必要がある。ボーカルは機材がないので楽だが、戸田あたりはかなり大変だろう。それを考慮して、知識のある手伝い要員がいるらしい。
 友人の雄姿を見たいと思ったら、どちらのステージかを把握しておく必要がある。訊ねたならば来るのだろうと予想するのはごく自然なことで、戸田が嬉しそうに来てねと念押しするのも不自然な行為ではない。ステージ前に誰もいなかったら、きっととても寂しい。
 窓の外は雨が降っている。校内放送が、開会式のために講堂へ集まるようにとアナウンスした。

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