嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭 三日目 1

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 文化祭三日目は来校者を受け入れるため、校内が賑やかになる。生徒の保護者や友人の他、地域の住民も気が向けば足を運ぶし、交流のある女子高校の生徒もやってくる。著名人を招いての講演会目当ての学生や、教育関係者もいるらしい。
 聞きしに勝る混雑振りに、早々に見学するのを諦めて、氷川は文化祭実行委員会・生徒会執行部合同本部で時間を潰していた。本部には問題事に対応するために文化祭実行委員や生徒会の役員が詰めているし、過去の生徒会誌などを並べて販売しているが、見学者は多くない。迷子の他は地元の議員、児童委員などの招待客くらいしか訪れないらしい。解放された扉から喧噪は入ってくるものの、閑散としているので過ごしやすい。午前中一杯を本部で過ごし、昼食も購買で購入したものを皆で食べて、閉会までここにいたら後夜祭の手伝いまでする羽目になるかなと思った頃、メールが届いていることに気付いた。
 幼馴染みから朝一番で、今日の如水の文化祭に行くからね、と絵文字入りの連絡が一通目。二通目は二時間半ほど前で、到着の報せ。もう一通が届いたと気付いた分で、これから高等科二年B組の展示を見に行くよと書いてある。三通のメールを読み終えた氷川は、慌ただしくテーブルの上を片付けた。
「ごめん、友達に呼ばれてるから行くね。お昼ごちそうさまです」
「おお、いってらっしゃい。こっちこそ売り子ありがとうね」
 手を振ってくれたのは、すっかり親しくなった文化祭実行委員長だ。同じく昼食を摂っていた面々に軽く会釈して、教室へ急ぐ。午後一時と昼食時を少し過ぎた校内は、朝よりも人が増えて歩きにくい。たかだか中高の文化祭に、こうまで集客があるとは思わなかった。文月が内部公開のうちに見学しようと言うわけだ。その文月は現在、教室で店番をしている。行ったらいるだろう。そう考えると、胸がざわつくような感覚があった。
 三階分階段を上がって、二年B組の教室にたどり着く。開け放たれた戸口から、聞き慣れた声が漏れていた。
 ――泰弘がいつもお世話になっています。
 よそ行きの母の声に、そんな、こちらこそ、と答える声は文月のものだ。唐突に気恥ずかしさを覚えて、氷川は急いで教室を覗いた。
「母さん、紗織ちゃん」
「泰弘くん、遅いよ」
「泰弘さん? 久しぶりね」
 振り返った女性二人の奥で、文月が機嫌良さそうに目を細めた。
 カジュアルだがかっちりしたシルエットのパンツスーツ姿の女性と、オフショルダーのカットソーにデニムのミニスカートの少女という、対照的な服装の二人連れは、事情を知らなければ親子にも見えるだろう。少女の名前は古川紗織。氷川の幼馴染みで、同い年だが姉のような存在だ。
「文月くん、相手してくれてありがとう。二人ともお久しぶりです。メールに気付くのが遅れてすみません」
「ああ、返信ないと思ったら、やっぱり気付いてなかったんだね」
「案内もできなくてごめん」
「いいよ。それより、紹介して」
 紗織が指を揺らして文月を示す。自己紹介は済んでいるだろうに、紹介が必要なのかと思いながら頷いた。
「ん。文月くん、俺の母と幼馴染み。母さん、紗織ちゃん、彼はクラスの友達の文月凉太くんだよ」
「改めてよろしく、文月くん」
「こちらこそ」
 にこにこと笑顔で文月と紗織が握手をする。その二人の様子を見て、母が頬を緩めた。
「半年も帰ってこないし、大丈夫かしらと思っていたけれど、杞憂だったみたい。こんなにしっかりしたお友達がいたのね」
「う、ん。彼も、他の皆も、凄く、良くしてくれるよ」
「そう。よかったわね」
 優しい声が、慰撫するように鼓膜を揺らす。嬉しくて恥ずかしくて、氷川は赤面した頬を押さえた。
 乞われて展示の説明をしている内に、文月の両親もやってきた。四十代半ばくらいだろう、穏やかそうな二人連れの夫妻は、氷川の母と話し込んでいる。氷川と顔を見合わせて、文月が親たちに控えめに声をかけた。
「良かったら食堂にでも移動しませんか。椅子も沢山ありますし」
「そうですね」
「ええ。案内してもらえる?」
 氷川の母が頷くのを確かめて、文月の母親が応じる。食堂までは遠くはないが、だからといってご自由に行ってらっしゃいとも言えない。当番を交代したクラスメイトに手を振って、氷川達六人は学生食堂に向かった。食堂までの道すがらも、食堂もやはり人混みだったが、席が見つからないほどではない。軽食は買ったがもう少し食べたかったと話す彼らにピザを二枚買って、席を取る、まさにその途中で、校内放送が入った。声楽部の公演のアナウンスに、紗織が声を上げた。
「あ、そうだ、これ見に来たんだった!」
「ああ、そうだったわね。行っていらっしゃいよ」
 悩ましげに身じろぐ紗織を、氷川の母が優しく促す。そして氷川に声を掛けた。
「泰弘さんも、紗織ちゃんを送ってあげるといいわ」
「それなら凉太も一緒に行くといい。私達はここで休んでいるから」
 文月の父親が察した風に言う。目配せし合って、氷川と文月はそれぞれの親にトレイを預けた。
「ありがとうございます。それなら、行ってきますね」
「すみません。失礼します」
 頭を下げた二人に、文月の母親が微笑んで手を振る。
「また後でね」
 送り出す言葉に背を押されて、三人で食堂を後にした。
 小中高と合唱に関わっている紗織は、音楽への感心が高い。OBには著名なオペラ歌手もいる如水学院の声楽部はレベルが高いそうで、来た以上はこれを見ずして帰れるものかと力説しながら、階段を駆け下りていく。これではただのお供だなと考えながら、少し歩調を速めた。
 三人で声楽部の公演を見て――確かにハイレベルだった――食堂に戻る。母達の席を探して視線を巡らせた所で、氷川は目を細めた。
「夏木先生が合流してるな」
 同じ卓を見つけたのだろう。文月がごちる。そして首を捻った。
「あの男性は……?」
「氷川のおじさま……泰弘くんのお父さんだよ」
 何も言えずにいる氷川に代わって、紗織がこともなげに言う。そう、彼らのテーブルには何故か夏木と、氷川の父が一緒に座っていた。
「来てたんだ」
 口の中で呟く。紗織が小さく笑った。
「おじさま、迷ってたよ。招待状も来ないけど、行くべきかどうか、ってね」
「どうして来ることにしたんだろう」
「聞いてみたらいいじゃない。話すの半年ぶりでしょ」
 紗織が氷川の背を軽く叩いて、卓に歩み寄る。文月が心配そうに氷川の顔を覗き込んだ。
「親御さんと揉めてでもいるのか」
「そうじゃないよ。ただ、あんまり話さないだけ」
「それなら、いい機会だな」
 氷川の腕を引くようにして、文月がテーブルに歩み寄る。引きずられるというほど強引でもなく、さりとて自発的とも言い難い曖昧な足取りで、氷川も卓についた。先に到着した紗織が、夏木や保護者達と言葉を交わしている。彼女は人と打ち解けるのが上手い。
「こんにちは、夏木先生。見回りですか」
「いや、氷川さんとお話ししててな、こちらにお連れの方がおいでだというから」
 文月の問いに答えつつ、夏木が氷川に視線を向ける。無言の催促を受けて、氷川は小さく息を吸った。
「父の相手をしてくださってありがとうございます。お久しぶりです、父さん。本日は遠い所、足をお運びくださってありがとうございます」
 他人行儀な挨拶に、文月と夏木が痛ましそうな表情になる。いつものことと慣れている紗織と氷川の母は平然としていて、文月の両親は何故か感心したように氷川を見ていた。そして父は、僅かに目を細めて氷川を見つめていた。
「ああ、久しぶりだ。元気でやってるみたいだな」
「ええ、お陰様で。皆さんとても良くしてくれています」
 氷川も笑顔で、椅子を引いた。文月が少し焦ったように腕をつつき、大丈夫なのかと、耳元で小さく囁いた。別に険悪なわけでも、牽制し合っているわけでもないのだが、文月と夏木は引き気味だ。雰囲気が悪く見えるのかもしれない。
「来てくださると思っていませんでした。案内もせずにすみません」
「驚かせて悪かった。急に時間が空いて、来られそうだったから。夏木先生ともお話ししたかったしな」
 氷川の父に視線を向けられて、夏木が恐縮したように縮こまる。
「こちらこそ、お話できて良かったです」
 若い教師の緊張に微笑んで、氷川の母親が氷川の腕に触れた。
「飲み物を取りに行っていらっしゃい。紗織ちゃんと、先生のお代わりもね」
「いえ、お気持ちだけで。仕事もありますので、私はこれで失礼いたします。またご連絡差し上げます」
 がたりと椅子を鳴らして、夏木が席を立つ。氷川の父と文月の両親が丁寧に頭を下げた。
 いつもありがとうございます。お待ちしています。今日はお時間を頂戴しましてありがとうございました。定型文めいた挨拶を交わして、夏木が食堂を辞する。それを契機にして、文月の両親も時計を確認した。
「私達もそろそろ失礼しましょうか。氷川さん達はどうなさいます?」
「そうね、いい頃合いですから、ご一緒しましょう。お車ですか?」
 氷川の母が、文月の母に尋ねる。文月の母が、夫と目を合わせてから、かぶりを振った。
「いいえ。電車とバスで参りました」
「そうですか。よろしければ駅までお送りしましょうか? 都内でしたら、ご自宅のお近くまで行けますよ」
 氷川の父の提案に、文月の両親が顔を合わせる。ありがたいが申し訳ない、そんな雰囲気だ。
「ご迷惑ですから」
「まさか。もう少しお話しできるとなれば、家内も喜びます」
「ええ、そうですね。是非乗っていらしてください」
 再三の誘いに、それならばと文月の両親が頷く。話が纏まった所で、氷川はトレイに手を伸ばした。空のグラスや皿の載ったトレイを一枚持つと、もう一枚を文月が持ち上げる。
「では、これを返してきますね。駐車場までお送りしますので、少しお待ちいただけますか」
「ええ。行っていらっしゃい」
 指を振って送り出す氷川の母に会釈をして、返却口に向かう。食堂内は人が多く、ぶつからないように歩くことに神経を集中させる必要がある。文月の気遣わしげな眼差しにも気付いてはいたが、答える余裕がなかった。夏木と父の言葉が気になって、落ち着かない。夏木は両親と連絡を取り合っていたのか。どれくらいの頻度で、どんな話をしているのか。考えながら慣れた動作でトレイを返し、足早にテーブルに戻る。既に帰る準備を整えた双方の両親と紗織が、二人を見つけて腰を上げた。行儀良く椅子を戻し、文月を先導役にして、駐車場までの短い道程を行く。氷川は紗織と並んで最後尾を歩きながら、父と母の後ろ姿を眺めていた。休日でもスーツを着込んだ父母の背中は、見慣れているはずなのに、まるで他人のようだった。

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