嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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横峰春久

ワンゲル部の事情 2

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「僕に、お話しというのは?」
「大したことじゃねえが、どんな奴かと思ってたんでな、折角だからちょっと話でもしてえなと」
 八椎の台詞に、氷川は軽く眉を寄せる。どのような風に話が伝わっているのかがさっぱり分からないので、話の流れが読めない。結果、当たり障りのない返答に留まった。
「僕は特に何もしていませんよ。横峰くんが決めたことです」
「あのぐず野郎に決断させたってだけで大した功績だろ。そう硬くなんな、これでも感謝してんのよ、上がりも少ねえのに気ばっか遣う仕事から解放されたからな。もうガキの御守りは御免だわ」
 大きく息を吐き、内ポケットを探って煙草を取り出す。慣れた仕草で空気を抜き、火を付ける様子に、氷川はテーブルの端から灰皿を移動させた。一昔前の映画では大人の象徴だった煙草だが、最近では喫煙者のイメージは良くない。それでも、大人の男が煙草を吸う所作には目を惹くものがある。ふわりと漂う煙は、有害物質ばかり含んでいるはずなのにどこか甘い香りがした。
「真面目な奴ってのは使い勝手は悪くねえのよ、真面目だから。でも潰れる。ガキが潰れんのは何となく後味が悪もんでさ、見ないで済むに越したことはねえ。おまえが何かしたつもりがなくても、三方丸く収まったのは結局おまえがいて、多少なりと動いたお陰だ。そいつは素直に受け取っといていいんじゃねえか」
 灰皿に灰を落とし、八椎が煙を吸う。白と黒が混じった灰が、ガラス皿の上で崩れた。
「逆に言えば、僕がいなければもっと穏便に事が片付いた可能性もあると思いますけど。横峰くんはかなり罪悪感を感じてましたし、どのみち秋になって後輩に部を引き継ぐ時にはそういう商売はやめるつもりだったかもしれません」
「たらればだろう」
「そうですけど……僕が余計な手出しをしたせいで、彼が怪我をして、部にも不利益が及んだと捉えることもできるのに、どうして誰もそうは言わないのかが不思議で」
 粗野だが気さくな口調の八椎につられたように、するりと内心が唇から滑り落ちた。煙草をくわえたまま、八椎が眉を跳ね上げる。
「そいつはまた、随分と傲慢な考えだな」
 嘲笑を孕んだ評価に、氷川は眉を曇らせた。丸まりそうになる背を伸ばして、八椎と向き合う。
「傲慢、でしょうか」
「おまえがさっき言った通り、深沢、おまえはちょっとばかり関わっただけの部外者だ。それなのに当事者差し置いて結果の責任持とうなんざ傲慢以外のなんだってんだ」
 冷めた口調で切り捨て、八椎は短くなった煙草を消した。それから氷川に視線を寄越す。その瞳の色は、声音ほど冷淡ではなかった。
「ガキはガキらしく、てめえの面倒見ることから始めろよ。……まったく、柄にもねえ説教させやがって、興が冷めた」
「それは失礼いたしました。お話の続きがあるなら伺わせてください」
 八椎が危険な人物だということは分かっている。彼の背後には確実に反社会的勢力――いわゆる暴力団が存在する。現実のヤクザは、フィクションのそれのような義理人情と仁義の人物や組織ではない。他者を足蹴にし、食い物にすることを厭わない。強者とみればゆすりたかりを行い、弱者と見れば搾取の限りを尽くす悪人だ、決して関わるなと強く念を押されている。
 一度緩んだ警戒網を張り直した氷川に気付いたのだろう、八椎が愉快そうに唇を歪めた。
「なかなか胆力があるじゃねえか。まあ実際、どんな変わった野郎が横峰を翻意させたんかと思ったのは事実だがな……忠告だ。派手な真似はすんな」
 八椎の台詞に、氷川は僅かに目を眇めた。
 意図して目立つ行動を取っているつもりはない。だが結果としてそうなっているのも事実ではある。氷川の表情を観察するような眼差しを向け、八椎が唇を歪める。
「おまえがさっき言っただろ、自分が関わらなければ円満に事が済んだかもしれない、思い上がりも甚だしいが、逆恨みする連中はそういう歪んだ考えに行き着きやすい。恨まれるならおまえだろうよ」
 苦い口調で吐き捨てられ、氷川は目をまたたいた。どうやら八椎は、氷川を案じてくれているらしい。意外と面倒見の良い人物なのか、それとも恩を売っておこうという魂胆かは分からないが。
「お心配りありがとうございます」
 将来的に便宜を図れと言われる可能性に備えて、言質を取られないような言い回しを探す。八椎はつまらなさそうに鼻で笑った。
「恩に着てくれていいぜ」
「痛み入ります」
「可愛げがねえな……まあ、いい。話はそんだけだ」
 手振りで促され、氷川は席を立つ。手つかずの飲み物と茶請けをテーブルに残したまま、八椎に先導されて応接室を後にした。事務スペースでは横峰が先程の男性と資料を見ながら話をしていた。氷川と八椎も加わって話をまとめ、進展があれば連絡すると約束をして事務所を後にした。
「緊張した……」
 ビルを出て、横峰がそう呟く。大きく吐き出された白い息が大気に滲んで消える。さして長く話していたわけでもないのに、疲労で肩が重い。
「怖い人だったね」
「マジで言ってる? 余裕で話してたじゃん」
「そう見えたなら良かった」
 実際の所、八椎には虚勢なのを読まれていただろうが、見かけだけでも落ち着いていられたならば及第点だろう。さてとと氷川はスマートフォンを取り出した。まだ時間には余裕がある。
「どうする、お茶でも飲んで帰る、買い物とか遊んでから帰る、急いで帰って作戦会議?」
「早く片付けたほうがいいとは思う」
「だよね、仕方ない、とんぼ返りだけど帰ろうか。とりあえず夏木先生に連絡しとく」
 バス停へと向かいながら、スマートフォンを操作する。話す必要があるのは横峰と氷川の担任である夏木に、ワンゲル部の顧問である三上、前部長の担任である伊藤、四谷学院長に、氷川のツテがあって最初に相談した上村理事、そして下坂理事長あたりだろう。大人の相手ばかりでうんざりするが、皆真っ当な人間なので、先刻まで対峙していた八椎よりは何倍もマシだ。
 連絡を終えてスマートフォンを仕舞うと、横峰が心配そうな眼差しを向けていることに気付いた。
「どうかした? あ、全員で話せなくても、とりあえず文章にまとめて報告だけでも上げるつもりだけど、それでいいよね」
「うん、それはいいけど……八椎さんに何言われたの?」
 横峰の問いに、つま先がアスファルトを擦った。何を話したかではなく、何を言われたかか、とこみ上げる苦みを噛み殺す。特段、脅しつけられたわけでもなければ、危ない商売を持ちかけられたわけでもない。だからこそ、気分が重くなる。
「何って言うか……恨まれるなら俺だろうから気を付けろ、みたいな話だった」
 誤魔化すことなく素直に答えると、横峰が顔をしかめた。
「どうして氷川くんを……いや、そういえば文化祭の時も絡まれてたね、見当違いの逆恨みもいいとこだ」
「実際、俺が一番分かりやすく標的になりやすいんだろうね、まあ関わったのは俺自身だし、仕方ない」
 部員たちと違い、氷川には接触禁止の制限もない。氷川に絡んだからといって、学校が預かっている退学届が受理される理由にはならない。失敗したとは思うが、悔いても何にもならない。今後の対策を練るほうが先決だ。とはいえ。氷川は嘆息した。
「それより対策だよ。囮作戦しか浮かばない……」
「それは話し合ってたら色々出てくるかもよ。亀の甲より年の功ってね」
「そうだね。先生方の智慧に期待しようか」
 まだ残る緊張の欠片を追いやるように、冗談を言い交わして笑う。だが、和やかな雰囲気は長くは続かなかった。
 バス停で時刻表を確かめている時、道路向こうを見遣った横峰が小さく声を漏らした。
「どうかした?」
「あれ。あの銀行の前歩いてる二人連れ」
 そう促されて視線を向けると、見覚えのある人物が二人、並んで歩いていることに気付いた。件の木下と、それからもうひとり。
「この間の人だね」
「うん、ミツさんのお連れさんだ」
 横峰が僅かに眉をひそめる。大人しそうな女性という印象は先日も今日も変わらないが、木下と歩いているとなると話は変わる。木下と言えば横峰を転ばせて負傷させた張本人だ。
「恋人同士、友達同士って可能性もゼロではないけど……一応念のため撮っとこうか」
 氷川はスマートフォンを取り出し、カメラを起動させてレンズをそちらに向ける。人混みや看板などに隠れない位置で三枚写真を撮り、横峰に見せる。画面を確かめた彼は、氷川に視線を向けた。
「慣れてるね」
 一瞬、言われた意味が理解できなかった。何が、と、考える前に問いがこぼれ落ちる。
「証拠確保っていうか、今もすぐ写メ撮ってたし、そういえばあの時もそうだったと思って」
 手慣れていると指摘した横峰には、特段の他意はなかっただろう。咄嗟の判断力を褒めたつもりかもしれない。それでも、氷川にはあまり気分の良い評価ではなかった。
「たまたまだよ。これがただのプライベートの隠し撮りになってくれるといいんだけど」
「そうだね」
 誤魔化すように嘆息した氷川に、横峰が同調する。得てして希望的観測は当たらないものだという、当たり前の道理を無視して。
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