嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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横峰春久

ワンゲル部の事情 4

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「氷川くんは八椎さんが怖くないの?」
 学院へと戻るバスの中で、横峰が潜めた声で訊ねた。休日のバスはそれなりに混雑しており、走行音の他に話し声もいくつかある。必然的に身体を近づけて言葉を会話を交わすことになる。
「怖いよ、凄く怖かった」
「そう言うけど、落ち着いてたじゃん。なんであんな風に話せんの?」
「横峰くんも落ち着いてたと思うけど」
 次の停留所のアナウンスが鳴り、間髪入れずに降車ボタンのチャイムが鳴った。赤信号に備えてバスが緩やかに減速する。
「いや、ろくに話せなかったし」
「そうかな……一応、今日は学校の代表として行ったから、組織の看板背負ってると思えばはったりも効かせられるよね」
「それは、ちょっとわかる」
 ワンダーフォーゲル部の部長を務める横峰には、思い当たることもあったらしい。なるほどと頷いている。折衝の場などでは、本来の自分の性質や器量を超えた振る舞いが求められる。氷川自身、父の事務所の手伝いなどで時折そういう場面を目にしたり、同席することがあったので、多少は免疫があった。
「でも、先生とか委員会と八椎さんはやっぱり違うよ。それなのに氷川くんは会うなり偽名名乗るし、脅されても引かないしで……怖かった」
「横峰くんが俺の名前は言わないでくれてたみたいだったからね、本名は教えたくなかったし。俺が引かないでいたように見えたなら、それは横峰くんがいたからだよ」
 おもねるでもなく、素直に告げる。実際、横峰がいなくなれば虚勢は簡単に剥がれた。横峰が隣にいて、彼の立場を守るためだと思えば、責任感でもって持ちこたえられた。情けない所を見せたくないという、意地もあったかもしれない。事実はどうあれ、横峰は氷川をある程度、恩人として扱ってくれている。それに報いたかったし、失望されたくなかった。
 氷川の返答に不思議そうに目をまたたき、横峰は照れたように視線を外した。
「何それ」
「言ったままだけど……ところで、横峰くんって今もワンゲル部の部長なんだよね」
 なんとなく気恥ずかしい空気を入れ換えたくて、話題を変える。横峰が僅かに眉を曇らせた。
「そう、だね」
「ごめん、聞かないほうがいいことだった? 運動部は二年の秋が引退時期だって聞いたの、思い出しただけだったんだけど」
「ああ、うちの部はそこは他とちょっと違うんだ」
「そうなんだ?」
「うん。でも平年はその頃に部長は交代する。今年は……寮に帰ってから話すよ」
 逡巡の末、横峰がそう話を断ち切る。いつの間にかバスの乗客は少なくなり、二つ後の停留所が学院の最寄りバス停だった。
 打って変わって気まずそうな様子になった横峰と、それ以上特に話すでもなく学院に戻り、学院長と三上、伊藤の三人に八椎との話を報告した。納得して貰えたと伝えると、大人達は一様に安堵した表情で氷川と横峰を労ってくれた。ただし、今後は軽率な行いは慎むように、ああした人種とは関わらないようにと念を押すことは忘れずに、仕事を終えた氷川と横峰を学院長室から追い出す。大人には大人の仕事があると分かってはいるが、扱いの粗雑さに疲労を覚えた。
「お疲れさま、氷川くん」
 うんざりと前髪を掻き上げた氷川の背を、横峰が軽く叩く。氷川は横目で横峰を見上げた。
「横峰くんもお疲れさま。ちょっと早いけど夕飯にする?」
「うん……いや、それは後で。さっきの続きだけど」
 横峰がいささか硬い表情で言う。バスの中で延期した、ワンゲル部の話だと見当が付いた。それならば、耳目のない場所が好ましいだろう。少し考えて、一番安全な場所を提案した。
「俺の部屋でいい?」
「そっか、氷川くんは一人部屋だったね」
「うん。なんか買っていこう」
 夕食前でも、飲み物くらいは調達していってもいいだろう。そう促すと、横峰は暫し逡巡してから頷いた。温かいコーヒー飲料と緑茶をそれぞれ贖い、学生寮九階にある氷川の部屋に向かう。横峰は考え込んででもいるかのように、道中ずっと口数が少なかった。
 部屋に通し、横峰に椅子を譲ってベッドに腰を下ろした。斜めに向かい合う位置に陣取り、横峰が膝の上に置いたボトル缶を両手で握る。緊張した様子に、氷川は目を眇めた。
「言いたくないことなら、言わなくていいんだよ。別に、ちょっとした世間話くらいのつもりだったし……」
「でも、氷川くんには色々とうちの部のことで世話になってるし……知っててもらっても、いいと思って」
 問われたことに答えたいのか、横峰自身が話してしまいたいと思っているのかは判別できない。
「そんなに深刻な話なの?」
「そうでもない、と思う。引退が遅いのはワンゲル部の慣例なんだよ。二年の総体までで実地は引退するけど、二年の内は研究には参加する。三年になっても大会のアドバイスもするし」
「そっか、他の運動部と違ってワンゲル部は座学の部分があるんだもんね」
「普通の運動部も他校の研究とか、理論とか、頭で覚えることもあるらしいけどね。だから、俺がまだ部に残ってるのは普通のこと。だけど、部長の肩書きを持ったままなのは普通じゃない。氷川くんなら理由の見当は付くでしょう」
 楽しそうではない謎かけに、氷川は迷いなく首肯した。考えなくても推察できる。引責辞任の逆で、横峰はその肩書きと共に失態の責任と不名誉な称号を引き受けているのだろう。問題を起こした部、学内OBが謹慎処分を受けた部、現在のワンダーフォーゲル部は、大会成績とは無関係に非常に立場が悪い。
「実質的には、もう一年の後輩に部内のことは任せてるんだ。俺が受け持つのは、外向きのことだけ」
「部費の分配交渉も?」
「うん、橘くんは結構厳しくてね、来年は懐事情がきついと思う」
 橘は生徒会執行部の会計役員だ。学校から支給される部費は生徒会で割り当てが決定される。各部の成績と部員数、活動にかかる費用など諸々の事情を総合的に判断し、生徒会の裁量で処理されることになる。問題をおこした部は削減されるし、目覚ましい成績を残せば増額される。ワンゲル部は今年度、大きな問題が発覚し、大会の出場停止と活動停止の処分を受けた。当然、来年度は減額されるし、問題のあった年度の部費の返還要求もなされている。収支は赤字になっているはずだ。
「大丈夫そう? 良かったら多少は融通できるけど」
 父の事務所でアルバイトした蓄えが多少はある。部活動に必要な金額がどの程度かは分からないが、少しは助けになるだろう。そう思って提案すると、横峰が首を横に振った。
「いいよ、悪いし……俺もなんとかするし、OB会にも掛け合うからなんとかするよ」
「本当? 無理しないでね」
「気持ちだけで充分だよ。大丈夫、今度は間違えないから」
 微笑んだ横峰が、思い出したようにアルミのキャップを捻った。硬質な音を立てて、缶の口が開く。空気の抜ける鋭い音が、柔らかな空調の音に滲んだ。緑茶で唇を湿らせ、横峰が話を続ける。
「ただでさえ迷惑かけまくりなのに、これ以上世話になれないし」
「俺が好きで関わってるんだけど、ま、そう言うなら。本当に困ったら相談してね」
「検討はさせてもらうよ」
 そう返す横峰は、おそらく困窮しても氷川を頼ってはくれないだろう。実際、部にとっては氷川は部外者なので、仕方のないことではある。それを寂しいと感じるのは、自分が横峰を手助けできると思い上がっているせいだとも理解していた。だから氷川はそこで話を切り上げ、方向を僅かばかりずらした。
「それにしても、横峰くんは真面目だよね。適当に誤魔化してもいいのに、いつもちゃんと説明してくれるし」
「それは、おまえには嘘とかつきたくないから」
 気まずそうな返答に、氷川は目をまたたいた。
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