嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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橘祐也

音楽を作るということ 1

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 年が明けても、忙しさは増しこそすれ、和らぎはしなかった。
 元々の授業速度が速いため、駆け足の進行にならないことだけが救いだが、毎週小テストがあって、月一で校内模試があることは変わらない。三月上旬の学年末考査さえ終われば一息つけるが、そこまでの道のりはとてつもなく遠いようにすら感じた。
「橘くん音楽やってるのになんで波動だめなの?」
 うなりに関する応用問題を前にペンを止めてしまった橘に問いかけると、彼は低く呻いて恨みがましい視線を向けてきた。
「実践と理論は別物なんだよ。ドップラー効果を知らなくても救急車のサイレンの聞こえ方が変わるのは分かるじゃん」
「それは、確かにそうだけど……」
 氷川の部屋に橘が持ち込んだ小テーブルを囲み、氷川と橘は物理の課題に向き合っていた。今日は波動の復習に取り組んでいる。これを解き終わったら、本題に移れる。解説をしながら、氷川は視線を壁のカレンダーに移した。既に二月も半ばに入った。橘たち生徒会役員は予餞会よせんかいと卒業式という年度内の大きな仕事を終え、平日の放課後も時間を作りやすくなった。とはいえ、空いた時間は今日のように勉強などで潰れてしまうのだが――あと一ヶ月強で今年度が終わる。
 二十分ほどで課題を終わらせ、橘が両手を上げて伸びをした。
「終わった……付き合ってくれてありがとう、氷川くん」
「役に立ったならよかった。それ片付けて、パソコン置くから」
 筆記具やプリントなどが片付くのを待って、ノートパソコンをテーブルに置く。今日の主題は勉強会ではなく、橘の作りかけの楽曲の相談だった。
「リード曲は、江上さんの曲で本当に良かったの?」
 オペレーションシステムが立ち上がるのを待つ間、隣に座った橘になんとはなしに訊ねる。彼はこくりと頷いた。
「悔しいけど、あれが一番完成度が高かったからね。やっぱりMVにするならキャッチーな曲のがいいし」
「それはそうだけど……初アイテムだし、六曲入りなら、橘くんと江上さんと梨野さんの二曲ずつ、って言ってたけど、俺はさ、橘くんが文化祭の時に書いてくれた、やらなかったほうのバラードが一番好きだよ」
 リードトラック候補として出して競り負けた楽曲に言及すると、橘が苦笑した。
 バンドというのは随分と先を見通した活動計画を立てるものらしいと知ったのは、まだ年が明けない内だった。六月の上旬にお披露目主催イベント、そのタイミングで六曲入りのミニアルバムをリリース、同時にミュージックビデオを動画サイトで公開する。曲も出揃わない内からそう決め打って、梨野はスマートフォンでカレンダーを確認しながら残り時間を指折り数えた。
 ――MVにする曲は二月の内に録っとくとして……春休み中にMV撮影して……。
 ――そうすると、リード曲の曲出しが遅くて一月末。他のも二月中に揃うと安心だよな。
 どんどん前倒しされていく予定に目を白黒させていたのは氷川と戸田だけで、橘はとても冷静に、真剣に、スケジュールを確認していた。
 ――三月の上旬に学年末考査があるんで、それくらいが妥当ですね。試験前と試験期間は動けないし。プリプロは試験後で間に合う……はず。
 ――追試や補習を免れればな。
 からかうように言う江上を一睨みにして、橘は自信満々に言い放った。
 ――赤点なんて取りませんよ。今まで一度も、そこまで酷いことはなかったんですから。
 その宣言を違えないために、頻繁に勉強会を開いているわけだが――ともあれ、今の主題は作り途中の楽曲だ。
 選曲会議は今週末だ。リードトラックから脱落した中から選び直せば構わないだろうに、橘は新しく候補を足したいそうで、よくぼんやりと音程を口ずさんでいる。
 橘はDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)ソフトを立ち上げ、USBフラッシュメモリーを接続して持ち込んだファイルを開いた。各パートごとにトラックが分けられた、色とりどりのファイルが表示される。
「どこで詰まってるの?」
「Bメロのイメージがわかなくて」
 ピアノロールならばまだしも、こんな機械的な画面を見たところでさっぱり分からない。それが分かっているのだろう、橘がマウスを操作すると、内蔵のスピーカーが控えめな音量で機械的な音を奏で始めた。穏やかなフレーズのリフレインが、心地良く耳に流れ込む。
「主メロができたら皆で詰めればいいけど、それがないと持って行きにくくてね」
「梨野さんも江上さんも、完成形のデモ持って来るもんね。橘くんのも今まで見せて貰ったの全部そうだし、作りかけってちょっと面白い」
「俺は面白くないけどね……苦しい」
 穏やかなイントロ、静かなAメロ、そしてしばらくピアノの音――ボーカルのメロディが途切れて、伸びやかなサビ、軽やかなCメロからまたサビの繰り返しとピアノが入る。三度目に流す時に、ピアノの音をラララで拾った。
「これって歌詞はまだないの?」
「ないけど……あったほうがいい?」
「ううん、一緒にあるとイメージがわきやすいかなってだけ。橘くんはどういうイメージで作ってるの? 曲ってどうやって作るの?」
 興味本位と半々くらいの問いに、橘は思案げに目を伏せた。
「リフからとか、メロからとか、ドラムフレーズからとか、色々だけど……リフから考えることが多いかな? ほらこの、ずっと鳴ってるアルペジオがあるでしょ、これに合せる感じで。全体的なイメージは、絵とか写真とかお話から着想もらうって人も多いけど、俺はもうちょっと漠然としてて……」
 橘が指を伸ばして、画面を示した。
「これはね、輪廻。たゆたう水、流れる川、広大な海と、巡る風」
 橘の解説を受けて、ただの音の組み合わせが立体的な意味を持った。氷川はじっと画面を見つめた。Aメロが川の流れ、サビが海、Cメロが上昇気流と風だと、橘の説明からは受け取れた。だとしたら輪廻に足りないものがある。そしてこの流れならば、Bメロが浮かばないのは当然だ。自然界にはその過程が存在しない。
「橘くん、これ、順番が違うんじゃない?」
 氷川の言葉に、橘が目を見張った。その茶色の瞳を見返して、氷川は人差し指を立てた手を回した。
「水の流れなら、雨がいるよね。海から昇った水蒸気が、風に運ばれて雨になって、それが川になるんでしょ。だからこのAメロとサビは繋がってるべきだし、その前かCメロのあとにもうひとつブロックがあってもいいってことじゃない? 橘くんのイメージだったらさ」
 単純化された水の流れに、橘が目をまたたいた。それから小さく息を吐く。
「そっか……雨か」
「間違ってた?」
「ううん、そうだと思う……ねえ氷川くん」
 所在なく揺れる氷川の手を、橘が捉えた。指先を握り込んで下ろすと、少し距離を詰めて顔を覗き込んでくる。小さく肩を揺らして、氷川は橘の言葉を待った。窺うような視線を受けて、彼は一度口を閉じてから、ためらいがちに問う。
「歌詞、書いてみない?」
 以前にも聞いた誘い文句に、氷川は僅かに眉を寄せた。あの時は冗談めかしたごく軽い調子だったけれど、今日の言葉は真面目なものに思えて、即答しかねた。
 歌詞を書きたいなどと思ったことはない。氷川自身、映画を見るのは好きでも、読書の趣味はないし、音楽を聴く時も歌詞にはこだわらない。現代文の成績も平均的で、来年度の文理選択も最初から理系と決めている。端的に表現して、書ける気がしない。
「無理だよ」
 率直で簡潔な返答に、橘が軽く片眉を上げた。
「どうして?」
「本も読まないし、詩集なんて手に取ったこともないし、そもそもちゃんとした文章も書けないから」
「そんなの、俺だって似たようなものだけど……表現したいものとかってないの?」
 列挙した不安要素を一蹴して、橘が問いを重ねる。氷川は首を捻った。表現したいものと言われても、感覚が掴めなかった。
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