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3話:過去とに決別--名を捨て名を得て
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エルヴァンが気絶し、伏せっている間も時は進む。
もう後戻りはできない。
公爵は、エルヴァンの容体を気にしつつも、今後の予定を浮き立つ声でイレーネに話始めた。
曰く、必要最低限の衣服しかないから、今日にでも仕立て屋を呼ぼう。
下着もそう。
アクセサリーだって必要だ。
これから自分の横に立って社交もしてもらわなければならない。
彼女の指輪印章も作らねばならない。
デザインはどうしよう。
その前にエルヴァンの名を変えなくてはならない。
などなど熱く語る。
「花嫁となるからには、それにふさわしい名が必要だ。エルヴァンのままでは男の名だ。これからは――」
愉しげに名をいくつも並べ立てていく父はとてもとても楽しそうだ。
「エルヴィナ……いや、エルシア……どうだろうな。もっと響きに華やぎが欲しい」
その場にいた者たちは皆、黙ってその言葉を聞いていた。けれど、私は静かに口を挟んだ。
「お父さま。お母様の名は『イセエルヴィアナ』とおっしゃいました。
巫女として由緒正しい名前なのですが、発音し辛くて皆は「ヴィナ様」と呼んでいたそうではないですか?」
「あぁ、思い出すな。そうだった。彼女はそのように呼ばれていた。だが、私だけは、彼女のことをエルと呼んでいた」
目を細めて、遠くを見つめる父。
過去の情景でも見ているのだろうか。
私は続けた。
「エルヴァン様も皆に愛称で呼ばれて、親しまれる存在になっていただけたらと思います。ですが、慣れ親しんだ名を捨てるのもお辛いことだと思います。お気持ちを考慮して今までのお名前の響きを残しつつ、公爵夫人を受け継ぐものとして、
『エルヴィァーナ』など……いかがでしょう?発音が難しいので多くの方はエルヴァーナと呼ばれるかと思いますが、お母様の名前を引き継いでいるとわかる者はわかるでしょう。
それに母の愛称もそのまま使えるのではないですか?」
「それは良い考えだ!」
公爵は満足げに大きく頷き、決定を下した。
「新しい名はエルヴィァーナだ。我が公爵家の新しい一員として、これ以上ふさわしいものはない。すぐ手配をするように。
どれだけ費用がかかっても構わない、最短で受理されるように手を回すのだ」
父の命令に執事が、使用人が動き出す。
かわいそうなエルヴァン。
本人が気絶している間にいろいろなことが決まっていく。
目覚めたら、どんな顔をなさるのかしら?
私は香り、高い紅茶を楽しみながら、元婚約者の反応を想像して意味を浮かべた。
その日のうちに、改名の手続き申請が行われた。
近日中に役人が公爵家にやってくる。
合わせてエルヴァンの家族も呼ばれることになった。
昼ごろに目覚めたエルヴァンは自分の新しい名前が勝手に決まったことに抗議をした。
だが、それは聞き入れられることはない。
既に手続きは進んでいるのだ。
休んでいる時は解かれていたコルセット。
起きた時に、またつけられたのだろう。
ただでさえ顔色が悪いのに、興奮し叫び出しそうになりながら抗議をしたエルヴァンは再び貧血を起こして倒れ込んだ。
さすがに、父は心配し、女性としての振る舞いに慣れるまでコルセットを使わない少女用ドレスを着付けるように命じていた。
合わせて、最新のドレスをいくつか発注する手筈を整えた。
その日のうちに、既製品のワンピースがいくつか部屋に届けられた。
可愛らしい、レースとリボンとフリルで飾られた少女好みのドレス。
しばらくエルヴァンはこれを着る羽目になる。
だが、コルセットが余程辛かったのか、エルヴァンは不本意そうな顔でそのドレスを受け入れた。
優秀な使用人たちは、部屋の内装も少女趣味に変えた。
女主人の気持ちを慮ったと言うことらしい。
エルヴァンが何を言っても子供扱いをされてしまう。
奥様呼びに不満を示せば
「ヴィナ様はこれから大人になっていかれますね。」
早速、新名の愛称で呼ばれてしまう。
エルヴァンは、抵抗する気力もなくなり、される事を受け入れたようだ。
気絶ばかりで満足に食事の取れなかったエルヴァンは少女趣味のドレスで晩餐の席に着いた。
長い髪を大きなリボンで結えられたエルヴァン。
本当に可愛いらしい。
黙って受け入れたら、使用人達はとても親身にエルヴァンの世話をする。
エルヴァンはしばらく、この状態を甘んじて受け入れるしかないと学んだようだ。
良い傾向だとイレーネはほくそ笑んだ。
翌日、朝食の席に見知らぬ男が2人現れた。
男達は、戸籍管理をする役人だと紹介された。
役員は
「昨日中の手続きをご希望されましたが、さすがに困難でしたので、このような時間になりました。
朝食をともにいただきながら、ご家族様ご本人様のご意志を確認させていただきたいと思います。」
公爵家の豪華の朝食が役人たちに振る舞われる。
意思を確認すると言ったが、主に喋っているのは父親である公爵だ。
いかに尊い犠牲なのか、素晴らしい献身だと褒めそうやしている。
役人はうなずきながら朝食に舌包みを売っている。
エルヴァンが、何とか抗議をしようとしても誰も何も聞き入れようとしない。
これは最初から決まっている茶番なのだ。
朝食が終わり、部屋を移動する。
少人数の会合が行われる部屋に。
開け放たれた扉からかしましい声が聞こえてくる。
そこには、エルヴァンの家族が勢揃いしていた。
彼らにも、朝食が振る舞われたのだろう。
まだ食べたい。
食べ終わっていないのに何故片付けたんだ。
などと、使用人に訴えている。
「手続きが先です。後で残ったものはお包みしましょう。」
その言葉に、家族はようやく納得したようだ。
そんな光景を見せ付けられたエルヴァンは恥ずかしくて仕方がなかった。
「お待たせしました。では、始めましょう。私たちは、この後通常の仕事に戻らねばならないので、時間がありません。
迅速な手続きにご協力いただきたい。」
役人達が先に部屋に入りそう告げた。
子爵家の面々はさすがに恥ずかしかったのか黙り込んだ。
役人が証書を広げ、手続きを開始した。
改めて必要な手続きについて説明したら。
親である子爵家の署名も必要であると。
彼らはあの儀式の時に、末席にいた。
姿の変わったエルヴァンを見るのは初めてではない。
彼らは、一様に冷ややかな視線をエルヴァンに投げかけている。
「こちらの書類目を通していただき署名をお願いいたします。」
子爵は渋い顔をして、書類を碌に読まずにサインをした。
「こちらも、そんな体で返却されても困ってしまいますからね。
そんな体になった責任をとって、一生そちらで身柄を預かってもらいたい。」
ぼそぼそとそんなことを言っている。
署名を済ませた彼らは別室に案内されて行った。
後は、公爵、エルヴァン自身の署名手続きがある。
何枚もの公式書類に過去のものとなった。今までの自分の名前と新しい名が並ぶ。
エルヴァンは署名を拒んだ。
すると、それも織り込み済みであったのか、代筆での書類受理書類まで用意されていた。
そもそも、両家の家長の決定は絶対だ。
子爵家に見捨てられた今、頼れるのは公爵家だけ。
エルヴァンは着々と進む手続きを見ているしかない。
⸻
そして、エルヴァンの名前は今日からエルヴィァーナとなった。
呼称はエルヴァーナ。
愛称は、エルもしくはヴィナである。
エルは父にのみ許された呼び方となった。
前の妻と同じ愛称で呼ばれる。それはどんな気持ちなのだろう。
書類が完成し役人達が帰っていく。
彼らに足労代と言って恐らく金貨の詰まった皮袋を渡しているのをヴィナは身を震わせて見ている。
その様を私はじっくりと見ていた。
彼らが帰ってから、
「あとはお荷物ですわね。
それもご家族に処分をお願いしましたもの。
安心ですわね。」
私の言葉にヴィナは一瞬、固まったように動きを止め、それから駆け出した。
数日前まで、自分の部屋であった客間。
そこから家族の声が聞こえてくる。
部屋の中は、ひどい有様であった。
いろいろなものが乱雑に扱われ引っ張り出されている。
剣、勲章、表彰状、書物、衣服。
彼がこれまで積み重ねてきた努力と証明が、無造作に仕分けされている。
「剣は……売れるな。道具屋に持っていこう」
長男がそう言うと、母親が頷く。
「剣帯も古道具屋で値がつくわ。」
彼らがいるといったものは、木箱の中に収められた。
また、一旦不要として放り出されたものも、例えば勲章なども、
「これは……金属でできているし、くず鉄として売れるんじゃないか?」
「それもそうだな。溶かせば、多少は金になるかもしれん。」
などと言って、少しでも価値がありそうなもの目が付きそうなものは回収していく箱に入れられる。
衣服などもほとんど持ち帰ると言い出した。例えば、
「この礼服は少し破れているが、直せば俺使えるか?あの儀式のときに着ていたものだろう? たった1回の儀式のために、こんな立派な礼服を用意してもらえるなんて、さすが公爵家だな。」
「直して着れなくてもボタンなど外せば売りに出せるな。」
「他の服は古着屋に売れるわ。捨てるなんてもったいない」
全てがそんな様子であったから、懐中時計や洒落た万年筆などは、そのまま長兄や次兄の胸ポケットに吸い込まれていった。
父親の子爵もカフスピンなどをくすねていった。
一方で、机の端に積まれたレポートや研究ノートには、誰も興味を示さなかった。
「なに、これ?表彰状?今となっては紙切れよ。」
母親ですら、そんな態度であった。
全て仕分け終わったと言う彼らに
「こちらは宜しかったのですか?」
と、使用人に確認されるも
「要らん。」
「売れそうな本は、もう分けてある」
「父上、焚き付けに使えるのでは?」
「そうだな。暖炉に突っ込めば---。」
自分の努力の証が全く価値がないものとして、扱われることにヴィナは愕然としていた。
私は、その様子を横目で見ていた。
ヴィナの家族とはそれほど親しいわけではない。
ただ、耳にする噂。
今までの彼であった頃の振る舞いから、どのような家族であるかは容易に想像がついていた。
「それではもうよろしいでしょうか?よろしければもうお帰り下さい。」
慇懃無礼とも取れる態度で、執事が子爵家の面々に告げた。
無礼とも取れる態度に文句を言いたそうであったが、
「馬車に積んだお土産もご確認いただきたいので移動お願いいたします」
との言葉に機嫌を直した。
いそいそと移動をしていく彼らを見送るヴィナはどのような気持ちであろうか?
それを思うと胸がゾクゾクするような感じがした。
⸻
その日の午後。
私は
気分転換に散策でもいかが?
と、ヴィナ様を誘った。
かなり無気力になったようで、反論もせずついてくる。
婚約者であった時も、何度か散策をしたことがあったが、小言を言われているばかりで全く楽しめなかった。
今は全く会話もない。
うつむき、顔色をなくしている相手を連れているだけだが、とても気分が爽快だ。
どこに連れていかれているかもわかっていないだろう。
全てが私の手の内にある。
その万能感は、何とも言えない。幸福感となって、私を包む。
美しい庭から、人気のない場所へと少しずつ移動していきたどり着いたのは裏庭。
茂みの向こうから人の声がした。
それは、公爵家の使用人たちの会話だった。
「ひどいご家族でしたねぇ。あれでは坊ちゃま……いや、お嬢様も気の毒で」
「ええ。剣だの勲章だの、全部金に換えることしか考えてない。浅ましいにもほどがあります」
「まぁ、あの家に育てられたからこそ、あのような性格になってしまったのでしょう。歪んでしまったのも、無理はない」
そんな会話にヴィナは顔色をさらに悪くした。使用人にすら同情されてしまう自分の立場を思い知ったのだろう。
既に気づいているだろうが、
「ここから面白いものが見えますよ。どうぞ。」
茂みの隙間から向こうを覗かせる。そこにあるのは焼却炉。
今、まさに残された不用品を焼却処分しようとしているところだ。
ヴィナは息を飲んだ。
焼却炉の蓋が開き、轟々と燃え盛る赤い炎が見えた。そこに普段のゴミが投下されていく。
公爵家で出るゴミはそれなりの量がある。
ゴミと一緒に自分の努力が燃やされてしまうことを見せつけられて、うっすら涙すら浮かべている。
「ねえ、もし私のお願いを聞いてくださるなら、あのレポート類を燃やさずに、役立てるように取り計らってもよろしくてよ
。」
その言葉にヴィナは
「いいのか?」
と、すがってきた。
「そうですね。例えば、
あなたと共同研究をしていた方に渡して役立てていただく。発表の際はあなたの名前も一緒に乗せていただくようにお願い位はできるかもしれませんね。
あなたは優秀な学生でいらっしゃったから、ノートも欲しがる方がいらっしゃるかもしれません。どなたか差し上げたい後輩などおられますか?
あと、途中のレポート等は仕上げていただきましたら、代わりに提出して単位が取れるように取り計らっても良いのですよ。
確か、ほとんど単位は取れていましたね。
あと少しで卒業資格がいただけるはずでしたね。あなたは教授のお気に入りでもありましたし、第4王子の後建てもあり、公爵家の婦人ともなられます。
学園としても、退学より卒業していただいた方が良いと考えるでしょう。
卒業資格だけは取れるように私からお父様にお願いしても良いですよ。」
私の言葉に、こくこくとうなずく様は何かのおもちゃのようでとても滑稽だった。
「ただし、私の意向には必ず従っていただきます。まず父と結婚式を挙げていただきます。
それから子をなしていただきとうございます。跡継ぎをですよ。
それから、父は母を亡くしてから、心が弱っておりますので、慰めていただきたいです。
公爵家の夫人としての務めも果たさなくてはなりません。
そのための教育も受けていただきます。
私と仲の良い親子の振りもしていただきます。あなたが嫌っていた無意味な会話、ファッションやお菓子や女性が好む会話ができるように学んでください。
どちらにせよ、あなたに行き先は無いのですから従うしか道は残されていない事はお分かりですね。
いやいや、取り組まれて痛い目を見る位でしたら、自ら積極的に運命を受け入れられた方が、いろいろ良いことがあると思いますよ。」
私の言葉にヴィナはこうべを垂れた。
「承諾なさったと思ってよろしいですわね。私の言葉には絶対服従。さぁ、口に出して誓ってくださいませ。」
「 全て、言う通りにする。誓う。」
押し殺した声で、誓いの言葉を宣誓した。
「改めて、これからよろしくお願いいたしますね。
お義母様。」
もう後戻りはできない。
公爵は、エルヴァンの容体を気にしつつも、今後の予定を浮き立つ声でイレーネに話始めた。
曰く、必要最低限の衣服しかないから、今日にでも仕立て屋を呼ぼう。
下着もそう。
アクセサリーだって必要だ。
これから自分の横に立って社交もしてもらわなければならない。
彼女の指輪印章も作らねばならない。
デザインはどうしよう。
その前にエルヴァンの名を変えなくてはならない。
などなど熱く語る。
「花嫁となるからには、それにふさわしい名が必要だ。エルヴァンのままでは男の名だ。これからは――」
愉しげに名をいくつも並べ立てていく父はとてもとても楽しそうだ。
「エルヴィナ……いや、エルシア……どうだろうな。もっと響きに華やぎが欲しい」
その場にいた者たちは皆、黙ってその言葉を聞いていた。けれど、私は静かに口を挟んだ。
「お父さま。お母様の名は『イセエルヴィアナ』とおっしゃいました。
巫女として由緒正しい名前なのですが、発音し辛くて皆は「ヴィナ様」と呼んでいたそうではないですか?」
「あぁ、思い出すな。そうだった。彼女はそのように呼ばれていた。だが、私だけは、彼女のことをエルと呼んでいた」
目を細めて、遠くを見つめる父。
過去の情景でも見ているのだろうか。
私は続けた。
「エルヴァン様も皆に愛称で呼ばれて、親しまれる存在になっていただけたらと思います。ですが、慣れ親しんだ名を捨てるのもお辛いことだと思います。お気持ちを考慮して今までのお名前の響きを残しつつ、公爵夫人を受け継ぐものとして、
『エルヴィァーナ』など……いかがでしょう?発音が難しいので多くの方はエルヴァーナと呼ばれるかと思いますが、お母様の名前を引き継いでいるとわかる者はわかるでしょう。
それに母の愛称もそのまま使えるのではないですか?」
「それは良い考えだ!」
公爵は満足げに大きく頷き、決定を下した。
「新しい名はエルヴィァーナだ。我が公爵家の新しい一員として、これ以上ふさわしいものはない。すぐ手配をするように。
どれだけ費用がかかっても構わない、最短で受理されるように手を回すのだ」
父の命令に執事が、使用人が動き出す。
かわいそうなエルヴァン。
本人が気絶している間にいろいろなことが決まっていく。
目覚めたら、どんな顔をなさるのかしら?
私は香り、高い紅茶を楽しみながら、元婚約者の反応を想像して意味を浮かべた。
その日のうちに、改名の手続き申請が行われた。
近日中に役人が公爵家にやってくる。
合わせてエルヴァンの家族も呼ばれることになった。
昼ごろに目覚めたエルヴァンは自分の新しい名前が勝手に決まったことに抗議をした。
だが、それは聞き入れられることはない。
既に手続きは進んでいるのだ。
休んでいる時は解かれていたコルセット。
起きた時に、またつけられたのだろう。
ただでさえ顔色が悪いのに、興奮し叫び出しそうになりながら抗議をしたエルヴァンは再び貧血を起こして倒れ込んだ。
さすがに、父は心配し、女性としての振る舞いに慣れるまでコルセットを使わない少女用ドレスを着付けるように命じていた。
合わせて、最新のドレスをいくつか発注する手筈を整えた。
その日のうちに、既製品のワンピースがいくつか部屋に届けられた。
可愛らしい、レースとリボンとフリルで飾られた少女好みのドレス。
しばらくエルヴァンはこれを着る羽目になる。
だが、コルセットが余程辛かったのか、エルヴァンは不本意そうな顔でそのドレスを受け入れた。
優秀な使用人たちは、部屋の内装も少女趣味に変えた。
女主人の気持ちを慮ったと言うことらしい。
エルヴァンが何を言っても子供扱いをされてしまう。
奥様呼びに不満を示せば
「ヴィナ様はこれから大人になっていかれますね。」
早速、新名の愛称で呼ばれてしまう。
エルヴァンは、抵抗する気力もなくなり、される事を受け入れたようだ。
気絶ばかりで満足に食事の取れなかったエルヴァンは少女趣味のドレスで晩餐の席に着いた。
長い髪を大きなリボンで結えられたエルヴァン。
本当に可愛いらしい。
黙って受け入れたら、使用人達はとても親身にエルヴァンの世話をする。
エルヴァンはしばらく、この状態を甘んじて受け入れるしかないと学んだようだ。
良い傾向だとイレーネはほくそ笑んだ。
翌日、朝食の席に見知らぬ男が2人現れた。
男達は、戸籍管理をする役人だと紹介された。
役員は
「昨日中の手続きをご希望されましたが、さすがに困難でしたので、このような時間になりました。
朝食をともにいただきながら、ご家族様ご本人様のご意志を確認させていただきたいと思います。」
公爵家の豪華の朝食が役人たちに振る舞われる。
意思を確認すると言ったが、主に喋っているのは父親である公爵だ。
いかに尊い犠牲なのか、素晴らしい献身だと褒めそうやしている。
役人はうなずきながら朝食に舌包みを売っている。
エルヴァンが、何とか抗議をしようとしても誰も何も聞き入れようとしない。
これは最初から決まっている茶番なのだ。
朝食が終わり、部屋を移動する。
少人数の会合が行われる部屋に。
開け放たれた扉からかしましい声が聞こえてくる。
そこには、エルヴァンの家族が勢揃いしていた。
彼らにも、朝食が振る舞われたのだろう。
まだ食べたい。
食べ終わっていないのに何故片付けたんだ。
などと、使用人に訴えている。
「手続きが先です。後で残ったものはお包みしましょう。」
その言葉に、家族はようやく納得したようだ。
そんな光景を見せ付けられたエルヴァンは恥ずかしくて仕方がなかった。
「お待たせしました。では、始めましょう。私たちは、この後通常の仕事に戻らねばならないので、時間がありません。
迅速な手続きにご協力いただきたい。」
役人達が先に部屋に入りそう告げた。
子爵家の面々はさすがに恥ずかしかったのか黙り込んだ。
役人が証書を広げ、手続きを開始した。
改めて必要な手続きについて説明したら。
親である子爵家の署名も必要であると。
彼らはあの儀式の時に、末席にいた。
姿の変わったエルヴァンを見るのは初めてではない。
彼らは、一様に冷ややかな視線をエルヴァンに投げかけている。
「こちらの書類目を通していただき署名をお願いいたします。」
子爵は渋い顔をして、書類を碌に読まずにサインをした。
「こちらも、そんな体で返却されても困ってしまいますからね。
そんな体になった責任をとって、一生そちらで身柄を預かってもらいたい。」
ぼそぼそとそんなことを言っている。
署名を済ませた彼らは別室に案内されて行った。
後は、公爵、エルヴァン自身の署名手続きがある。
何枚もの公式書類に過去のものとなった。今までの自分の名前と新しい名が並ぶ。
エルヴァンは署名を拒んだ。
すると、それも織り込み済みであったのか、代筆での書類受理書類まで用意されていた。
そもそも、両家の家長の決定は絶対だ。
子爵家に見捨てられた今、頼れるのは公爵家だけ。
エルヴァンは着々と進む手続きを見ているしかない。
⸻
そして、エルヴァンの名前は今日からエルヴィァーナとなった。
呼称はエルヴァーナ。
愛称は、エルもしくはヴィナである。
エルは父にのみ許された呼び方となった。
前の妻と同じ愛称で呼ばれる。それはどんな気持ちなのだろう。
書類が完成し役人達が帰っていく。
彼らに足労代と言って恐らく金貨の詰まった皮袋を渡しているのをヴィナは身を震わせて見ている。
その様を私はじっくりと見ていた。
彼らが帰ってから、
「あとはお荷物ですわね。
それもご家族に処分をお願いしましたもの。
安心ですわね。」
私の言葉にヴィナは一瞬、固まったように動きを止め、それから駆け出した。
数日前まで、自分の部屋であった客間。
そこから家族の声が聞こえてくる。
部屋の中は、ひどい有様であった。
いろいろなものが乱雑に扱われ引っ張り出されている。
剣、勲章、表彰状、書物、衣服。
彼がこれまで積み重ねてきた努力と証明が、無造作に仕分けされている。
「剣は……売れるな。道具屋に持っていこう」
長男がそう言うと、母親が頷く。
「剣帯も古道具屋で値がつくわ。」
彼らがいるといったものは、木箱の中に収められた。
また、一旦不要として放り出されたものも、例えば勲章なども、
「これは……金属でできているし、くず鉄として売れるんじゃないか?」
「それもそうだな。溶かせば、多少は金になるかもしれん。」
などと言って、少しでも価値がありそうなもの目が付きそうなものは回収していく箱に入れられる。
衣服などもほとんど持ち帰ると言い出した。例えば、
「この礼服は少し破れているが、直せば俺使えるか?あの儀式のときに着ていたものだろう? たった1回の儀式のために、こんな立派な礼服を用意してもらえるなんて、さすが公爵家だな。」
「直して着れなくてもボタンなど外せば売りに出せるな。」
「他の服は古着屋に売れるわ。捨てるなんてもったいない」
全てがそんな様子であったから、懐中時計や洒落た万年筆などは、そのまま長兄や次兄の胸ポケットに吸い込まれていった。
父親の子爵もカフスピンなどをくすねていった。
一方で、机の端に積まれたレポートや研究ノートには、誰も興味を示さなかった。
「なに、これ?表彰状?今となっては紙切れよ。」
母親ですら、そんな態度であった。
全て仕分け終わったと言う彼らに
「こちらは宜しかったのですか?」
と、使用人に確認されるも
「要らん。」
「売れそうな本は、もう分けてある」
「父上、焚き付けに使えるのでは?」
「そうだな。暖炉に突っ込めば---。」
自分の努力の証が全く価値がないものとして、扱われることにヴィナは愕然としていた。
私は、その様子を横目で見ていた。
ヴィナの家族とはそれほど親しいわけではない。
ただ、耳にする噂。
今までの彼であった頃の振る舞いから、どのような家族であるかは容易に想像がついていた。
「それではもうよろしいでしょうか?よろしければもうお帰り下さい。」
慇懃無礼とも取れる態度で、執事が子爵家の面々に告げた。
無礼とも取れる態度に文句を言いたそうであったが、
「馬車に積んだお土産もご確認いただきたいので移動お願いいたします」
との言葉に機嫌を直した。
いそいそと移動をしていく彼らを見送るヴィナはどのような気持ちであろうか?
それを思うと胸がゾクゾクするような感じがした。
⸻
その日の午後。
私は
気分転換に散策でもいかが?
と、ヴィナ様を誘った。
かなり無気力になったようで、反論もせずついてくる。
婚約者であった時も、何度か散策をしたことがあったが、小言を言われているばかりで全く楽しめなかった。
今は全く会話もない。
うつむき、顔色をなくしている相手を連れているだけだが、とても気分が爽快だ。
どこに連れていかれているかもわかっていないだろう。
全てが私の手の内にある。
その万能感は、何とも言えない。幸福感となって、私を包む。
美しい庭から、人気のない場所へと少しずつ移動していきたどり着いたのは裏庭。
茂みの向こうから人の声がした。
それは、公爵家の使用人たちの会話だった。
「ひどいご家族でしたねぇ。あれでは坊ちゃま……いや、お嬢様も気の毒で」
「ええ。剣だの勲章だの、全部金に換えることしか考えてない。浅ましいにもほどがあります」
「まぁ、あの家に育てられたからこそ、あのような性格になってしまったのでしょう。歪んでしまったのも、無理はない」
そんな会話にヴィナは顔色をさらに悪くした。使用人にすら同情されてしまう自分の立場を思い知ったのだろう。
既に気づいているだろうが、
「ここから面白いものが見えますよ。どうぞ。」
茂みの隙間から向こうを覗かせる。そこにあるのは焼却炉。
今、まさに残された不用品を焼却処分しようとしているところだ。
ヴィナは息を飲んだ。
焼却炉の蓋が開き、轟々と燃え盛る赤い炎が見えた。そこに普段のゴミが投下されていく。
公爵家で出るゴミはそれなりの量がある。
ゴミと一緒に自分の努力が燃やされてしまうことを見せつけられて、うっすら涙すら浮かべている。
「ねえ、もし私のお願いを聞いてくださるなら、あのレポート類を燃やさずに、役立てるように取り計らってもよろしくてよ
。」
その言葉にヴィナは
「いいのか?」
と、すがってきた。
「そうですね。例えば、
あなたと共同研究をしていた方に渡して役立てていただく。発表の際はあなたの名前も一緒に乗せていただくようにお願い位はできるかもしれませんね。
あなたは優秀な学生でいらっしゃったから、ノートも欲しがる方がいらっしゃるかもしれません。どなたか差し上げたい後輩などおられますか?
あと、途中のレポート等は仕上げていただきましたら、代わりに提出して単位が取れるように取り計らっても良いのですよ。
確か、ほとんど単位は取れていましたね。
あと少しで卒業資格がいただけるはずでしたね。あなたは教授のお気に入りでもありましたし、第4王子の後建てもあり、公爵家の婦人ともなられます。
学園としても、退学より卒業していただいた方が良いと考えるでしょう。
卒業資格だけは取れるように私からお父様にお願いしても良いですよ。」
私の言葉に、こくこくとうなずく様は何かのおもちゃのようでとても滑稽だった。
「ただし、私の意向には必ず従っていただきます。まず父と結婚式を挙げていただきます。
それから子をなしていただきとうございます。跡継ぎをですよ。
それから、父は母を亡くしてから、心が弱っておりますので、慰めていただきたいです。
公爵家の夫人としての務めも果たさなくてはなりません。
そのための教育も受けていただきます。
私と仲の良い親子の振りもしていただきます。あなたが嫌っていた無意味な会話、ファッションやお菓子や女性が好む会話ができるように学んでください。
どちらにせよ、あなたに行き先は無いのですから従うしか道は残されていない事はお分かりですね。
いやいや、取り組まれて痛い目を見る位でしたら、自ら積極的に運命を受け入れられた方が、いろいろ良いことがあると思いますよ。」
私の言葉にヴィナはこうべを垂れた。
「承諾なさったと思ってよろしいですわね。私の言葉には絶対服従。さぁ、口に出して誓ってくださいませ。」
「 全て、言う通りにする。誓う。」
押し殺した声で、誓いの言葉を宣誓した。
「改めて、これからよろしくお願いいたしますね。
お義母様。」
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