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第五章 ヨミ、大喧嘩?する
(七)
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「これが二十数年生きて形成された、長野ヨミって人間なんですから、仕方なくないですか?」
「仕方ない?」
「はい。性格を否定するのは、今までの人生そのものも否定してしまう気がして、わたしはそれこそ嫌いです」
生きてきた年月と、接してきた人たち、経験した出来事――そういうものすべてが、その人を形作るのだと思うから。自分を、自分の生きてきた道を、出会った人たちを、否定なんてしたくない。
「だから、ごめんなさい。水樹さんは嫌いなのかもしれないけど、これが長野ヨミなんです。変えられないですよ」
でもそれと同じことは水樹にだって言えるわけで。
「傍若無人で、ゴーイングマイウェイで、周りのこと気にしない、何様俺様水樹様。それが、水樹さんっていう人間でしょう。だからわたしは、ちょっと苦手だけど、そんな水樹さんを否定したいわけじゃない。だから水樹さんも、自分を否定しなくていいと思います」
自分を嫌いになったら、どうやって生きていけばいいのかわからなくなるから。だから、それでいい。ヨミはヨミで、水樹は水樹のままでいい。そう思う。
水樹は指先のとんとんと、貧乏ゆすりをぴたりと止めた。
「あんた、あたしのことそんな風に思ってたわけ。傍若無人のゴーイングマイウェイ、あと、なんだって?」
はっとして口を押さえる。しまった、言い過ぎた。
「いえ、今のはわかりやすいように誇張して言っただけです」
水樹はこれ見よがしにため息をついた。
「見え透いた嘘やめて、うっとうしい」
「ご、ごめんなさい。でもその、水樹さんは本当に、馬鹿なんかじゃないです」
「謝んないで。うざい」
「すみません。あ」
舌打ちされた。
取り繕うように、ヨミは早口で言う。
「水樹さんは、絶対、馬鹿なんかじゃないです。でももし、わたしも水樹さんも今の自分から変わりたいって思うなら、きっとゆるやかに変わっていきます。すぐに性格を変えるなんて無理だと思うけど、そのうち自然と、なるようになります。だから、その、えっと……伝わってますか、これ」
自分でもなにを言っているのだかわからなくなってきた。
「伝わらない。あんたの考えること、面倒すぎる」
「ええっ、だ、だから、その……、いいんです! 無理しなくていいし、自分を嫌いにならなくてもいいんです! わたしは、そう思いたいです! 以上です!」
言い切るころには、ぜえぜえと肩で息をしていた。でも言いたいことは言えたと思う。達成感。どうだ、と水樹を見れば、彼女は変な顔をしていた。えええ、なにその顔。
「べつに、あたしは自分が嫌いなんて最初から言ってないけど」
ものすごく、冷めた目を向けられた。
「自分のこと嫌いなのはあんただけでしょ」
「あ、あれ? そうでしたっけ?」
「そうだよ」
「……そうだったかも、しれませんね……?」
水樹が悩んでいるんだと思って語ってみたのに、空まわっていたのだろうか。えええ、なにそれ、恥ずかしい。ヨミは全身熱くなって、ああああと膝を抱えた。なんだか、馬鹿みたいだ。膝に額を押し当てて羞恥を乗り越えていると、水樹の声がした。
「あたしはあたしだし、他人は他人。どこの誰に嫌いだって言われたところで気にしない。あんたに言われるまでもない」
「すみません」
「だからあんたも、あたしを嫌いだって思うことに遠慮はしなくていい」
「へ?」
ヨミはそろりと顔を上げた。水樹はこちらを見ることなく、水面を眺めている。
「あんたに嫌いだって言われても、どうでもいいから。だからうじうじ考えて自分の中でため込むくらいなら、口に出せばいい。ため込んで自滅してくあんた見てると、うざったいから」
水樹はいっこうにこちらを見ない。顔はまだ、ぶすっとしている。それでも。
「水樹さん、優しいですよね」
ヨミがつぶやくと、やっと水樹がヨミを見た。
「は? あたしのどこが」
「わたし、水樹さんのこと、やっぱり好きです」
「はあ?」
すごい顔になった水樹をよそに、ヨミはうんうんとうなずく。
「水樹さんは、ひまわりと一緒なんですよ」
「まったく意味がわからないんだけど」
「わたしにとっての、ひまわりなんです」
苦手だけど、嫌いになれない。
きっと人間、矛盾をたくさん抱えて生きているのだ。ヨミはそう思う。苦手だけど好き。好きだけど苦手。ヨミにとっての水樹は、そういう人だ。
「意味不明」
「水樹さんがわからなくても、わたしがわかってるからいいんです」
ヨミは笑った。
「――ああ、もう。うざったい」
水樹は濡れた髪を豪快にかき混ぜた。そうして、
「おめでとう、あたしの推し!」
全力で叫んだ。
子どもたちが何事かと振り返る。けれどすぐ遊びに戻っていった。きゃっきゃと甲高い声がする。水樹は深く長く息をついて、伸びをした。
「推しが幸せなら、あたしは、それでいい」
ヨミはぽかんとしてから、噴き出した。
「いいファンですね」
「長野ヨミ」
「はい」
「今日は呑む」
「はい」
「酒もって、うち集合」
「はいはい」
くすくす笑っていると、水樹に頭を叩かれた。いたた。
水樹とお酒を呑むのははじめてだ。しかし夜までにはまだ時間があるので。
「もうちょっと遊びましょうか」
「は? あたしはもう帰るけど」
「たまには童心に帰るのもいいじゃないですか。ほら、水鉄砲勝負第二ラウンドです。なっちゃーん、おばさんたちも混ぜてー!」
「いいよー、はやくはやく―!」
嫌がる水樹の腕を引いて、ヨミは笑いながら子どもたちの輪に加わった。
「仕方ない?」
「はい。性格を否定するのは、今までの人生そのものも否定してしまう気がして、わたしはそれこそ嫌いです」
生きてきた年月と、接してきた人たち、経験した出来事――そういうものすべてが、その人を形作るのだと思うから。自分を、自分の生きてきた道を、出会った人たちを、否定なんてしたくない。
「だから、ごめんなさい。水樹さんは嫌いなのかもしれないけど、これが長野ヨミなんです。変えられないですよ」
でもそれと同じことは水樹にだって言えるわけで。
「傍若無人で、ゴーイングマイウェイで、周りのこと気にしない、何様俺様水樹様。それが、水樹さんっていう人間でしょう。だからわたしは、ちょっと苦手だけど、そんな水樹さんを否定したいわけじゃない。だから水樹さんも、自分を否定しなくていいと思います」
自分を嫌いになったら、どうやって生きていけばいいのかわからなくなるから。だから、それでいい。ヨミはヨミで、水樹は水樹のままでいい。そう思う。
水樹は指先のとんとんと、貧乏ゆすりをぴたりと止めた。
「あんた、あたしのことそんな風に思ってたわけ。傍若無人のゴーイングマイウェイ、あと、なんだって?」
はっとして口を押さえる。しまった、言い過ぎた。
「いえ、今のはわかりやすいように誇張して言っただけです」
水樹はこれ見よがしにため息をついた。
「見え透いた嘘やめて、うっとうしい」
「ご、ごめんなさい。でもその、水樹さんは本当に、馬鹿なんかじゃないです」
「謝んないで。うざい」
「すみません。あ」
舌打ちされた。
取り繕うように、ヨミは早口で言う。
「水樹さんは、絶対、馬鹿なんかじゃないです。でももし、わたしも水樹さんも今の自分から変わりたいって思うなら、きっとゆるやかに変わっていきます。すぐに性格を変えるなんて無理だと思うけど、そのうち自然と、なるようになります。だから、その、えっと……伝わってますか、これ」
自分でもなにを言っているのだかわからなくなってきた。
「伝わらない。あんたの考えること、面倒すぎる」
「ええっ、だ、だから、その……、いいんです! 無理しなくていいし、自分を嫌いにならなくてもいいんです! わたしは、そう思いたいです! 以上です!」
言い切るころには、ぜえぜえと肩で息をしていた。でも言いたいことは言えたと思う。達成感。どうだ、と水樹を見れば、彼女は変な顔をしていた。えええ、なにその顔。
「べつに、あたしは自分が嫌いなんて最初から言ってないけど」
ものすごく、冷めた目を向けられた。
「自分のこと嫌いなのはあんただけでしょ」
「あ、あれ? そうでしたっけ?」
「そうだよ」
「……そうだったかも、しれませんね……?」
水樹が悩んでいるんだと思って語ってみたのに、空まわっていたのだろうか。えええ、なにそれ、恥ずかしい。ヨミは全身熱くなって、ああああと膝を抱えた。なんだか、馬鹿みたいだ。膝に額を押し当てて羞恥を乗り越えていると、水樹の声がした。
「あたしはあたしだし、他人は他人。どこの誰に嫌いだって言われたところで気にしない。あんたに言われるまでもない」
「すみません」
「だからあんたも、あたしを嫌いだって思うことに遠慮はしなくていい」
「へ?」
ヨミはそろりと顔を上げた。水樹はこちらを見ることなく、水面を眺めている。
「あんたに嫌いだって言われても、どうでもいいから。だからうじうじ考えて自分の中でため込むくらいなら、口に出せばいい。ため込んで自滅してくあんた見てると、うざったいから」
水樹はいっこうにこちらを見ない。顔はまだ、ぶすっとしている。それでも。
「水樹さん、優しいですよね」
ヨミがつぶやくと、やっと水樹がヨミを見た。
「は? あたしのどこが」
「わたし、水樹さんのこと、やっぱり好きです」
「はあ?」
すごい顔になった水樹をよそに、ヨミはうんうんとうなずく。
「水樹さんは、ひまわりと一緒なんですよ」
「まったく意味がわからないんだけど」
「わたしにとっての、ひまわりなんです」
苦手だけど、嫌いになれない。
きっと人間、矛盾をたくさん抱えて生きているのだ。ヨミはそう思う。苦手だけど好き。好きだけど苦手。ヨミにとっての水樹は、そういう人だ。
「意味不明」
「水樹さんがわからなくても、わたしがわかってるからいいんです」
ヨミは笑った。
「――ああ、もう。うざったい」
水樹は濡れた髪を豪快にかき混ぜた。そうして、
「おめでとう、あたしの推し!」
全力で叫んだ。
子どもたちが何事かと振り返る。けれどすぐ遊びに戻っていった。きゃっきゃと甲高い声がする。水樹は深く長く息をついて、伸びをした。
「推しが幸せなら、あたしは、それでいい」
ヨミはぽかんとしてから、噴き出した。
「いいファンですね」
「長野ヨミ」
「はい」
「今日は呑む」
「はい」
「酒もって、うち集合」
「はいはい」
くすくす笑っていると、水樹に頭を叩かれた。いたた。
水樹とお酒を呑むのははじめてだ。しかし夜までにはまだ時間があるので。
「もうちょっと遊びましょうか」
「は? あたしはもう帰るけど」
「たまには童心に帰るのもいいじゃないですか。ほら、水鉄砲勝負第二ラウンドです。なっちゃーん、おばさんたちも混ぜてー!」
「いいよー、はやくはやく―!」
嫌がる水樹の腕を引いて、ヨミは笑いながら子どもたちの輪に加わった。
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