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6、本当の侯爵
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気づけば、エレオノーラは自室のベッドで横になっていた。
目が覚めたのは、バァンと扉が激しく開く音が聞こえたから。
「よかったわねぇ。お姉さま」
ノックもなしに、部屋に飛び込んできたのはダニエラだった。使用人に与えられるような狭い屋根裏部屋に、ダニエラは顔をしかめている。
ろくに日も差さない、調度品も小さなクローゼットがひとつだけ。ベッドも硬く毛布もすりきれて薄い。
「嫁入りが決まったそうじゃない。いいわねぇ。あんなクマみたいな傷だらけの男でも、侯爵さまなんでしょ」
自分が醜い男の妻にならずに済んで、ダニエラは明らかにほっとしている。
「それにしてもみっともないわね。客人の前で倒れるなんて。夫は猛獣、妻は枯れ枝。面白いわね、結婚式が見物だわ」
「あなたのドレスの刺繍をしていなければ、倒れることはなかったわ」
「言いがかりはやめてちょうだい。お姉さまの仕事が遅いのが原因でしょ。あー、でもよかったわ。あんなブサイクがわたしの結婚相手じゃなくて、ほっとしたわ」
ダニエラの声がひときわ大きくなった時だった。
「ごえーはブサイクじゃないもん」
聞き覚えのある幼い声と共に、子どもが部屋に飛び込んできた。
「ごえーは、お父さまをまもってくれるから、きずがあるけど。おねーさんみたいにブサイクじゃないもん」
ビーズと刺繍糸を買いに行ったときに出会った少女が、エレオノーラの部屋にいた。
人さし指をダニエラに向けて「おねーさんのほうがブサイクだもん」と念押しのように繰り返している。
「なっ! わたしはブサイクじゃないわよ。いい? 教えてあげる。ブスっていうのは、このエレオノーラのことを言うのよ」
「せいかくは、かおにあらわれるって。お父さまがいってるもん。エレオノーラおねーさんはブサイクじゃないし、おねーさんはちょーブサイクよ」
ブスとかブサイクとか。子ども同士のケンカのような言い争いが続いている。
「またお会いできてうれしいわ。ラウラさん」
「『さん』はいらないって、ラウラいったよ」
「じゃあラウラ。今日わたしが出会ったのは護衛の方なのね」
エレオノーラの問いかけに、ラウラがこくりとうなずいた。
扉は開いたままなのに、ノックの音がした。
「失礼するよ」
部屋に入ってきたのは、ラウラの父のオリヴェルだった。鮮やかな夏の森を思わせるサマーグリーンの瞳と、涼しげな顔立ちに、ダニエラは目を見開いた。
「すまない、混乱させてしまって。君の父上とはいえ、アディエルソン伯爵は信用ならない人間だ。エレオノーラとの結婚を認めさせてからでないと『やはり婚約は取りやめる』などと言いかねないからな。代理の者に先に様子を見てもらった。ついでに私の見た目も悪いと噂も流させた」
「あんた……あなた、誰なのよ」
ダニエラはか細い声で問いかけた。
けれど、これまで金切り声でエレオノーラにもラウラにも、罵声を浴びせていたのだ。
もう遅い。
「私がオリヴェル・シルヴァだ。初対面で心を開くには、伯爵はあまりにも打算的で、すぐにてのひらを返すから危険なのだ。応接室にいたのは、私の護衛。見た目が厳つい上に、今日は前髪を下ろさせたからな。少々荒っぽく見えるが。目元は優しいのだぞ」
「そーだ、そーだ。おねーさんみたいに、どうもうなめつきじゃないんだからね」
さすがに言い過ぎたのか、ラウラはオリヴェルにたしなめられた。
「ちょっと待ってよ。あんた……あなたは侯爵よね」
「いかにも」
「じゃあ、結婚はエレオノーラじゃなくてもいいんじゃない? わたしだって伯爵家の娘よ。こんな地味なのを妻にしたら、恥をかくんじゃないの?」
ダニエラの声は、砂糖の衣をまとっていた。
オリヴェルは考え込むように、ちいさく首を傾げる。
「確かに恥をかくだろうね」
「そうよ。妹のわたしを選ぶべきだわ」
「君を妻に選んだら、私は見る目がないと大恥をかいてしまう」
やわらかく微笑むオリヴェルだが、その目は笑っていない。
「母親の大切な形見を踏みにじるような女性を選ぶほど、私の趣味は悪くない。それに君は、横暴な父親から姉を守ることもなく、調子に乗ってさらに虐めたのだろう? 使用人以下の部屋に令嬢が押し込められ、その手が荒れているのを見れば、彼女が家族からどんな扱いを受けてきたのか見ずとも分かる」
「な、なによ……」
「そういえば、明日はパーティーに招待されているのだろう? 義姉に無理をさせたドレスと、自ら踏みつけて壊したブローチをつけて、婿探しに励むのか?」
ダニエラは顔をまっ赤にした。
目には涙まで浮かべている。こんなにも悔しそうな義妹の顔を見るのは、エレオノーラは初めてだった。
「いいわよ。あんた以上のいい男を捕まえてやるんだから」
部屋を走って出ていくダニエラの背中に、エレオノーラは手を伸ばそうとした。
「待って。あのドレスはまだ途中なの。着てはいけないわ」
その言葉を、ダニエラが聞くことはなかった。
目が覚めたのは、バァンと扉が激しく開く音が聞こえたから。
「よかったわねぇ。お姉さま」
ノックもなしに、部屋に飛び込んできたのはダニエラだった。使用人に与えられるような狭い屋根裏部屋に、ダニエラは顔をしかめている。
ろくに日も差さない、調度品も小さなクローゼットがひとつだけ。ベッドも硬く毛布もすりきれて薄い。
「嫁入りが決まったそうじゃない。いいわねぇ。あんなクマみたいな傷だらけの男でも、侯爵さまなんでしょ」
自分が醜い男の妻にならずに済んで、ダニエラは明らかにほっとしている。
「それにしてもみっともないわね。客人の前で倒れるなんて。夫は猛獣、妻は枯れ枝。面白いわね、結婚式が見物だわ」
「あなたのドレスの刺繍をしていなければ、倒れることはなかったわ」
「言いがかりはやめてちょうだい。お姉さまの仕事が遅いのが原因でしょ。あー、でもよかったわ。あんなブサイクがわたしの結婚相手じゃなくて、ほっとしたわ」
ダニエラの声がひときわ大きくなった時だった。
「ごえーはブサイクじゃないもん」
聞き覚えのある幼い声と共に、子どもが部屋に飛び込んできた。
「ごえーは、お父さまをまもってくれるから、きずがあるけど。おねーさんみたいにブサイクじゃないもん」
ビーズと刺繍糸を買いに行ったときに出会った少女が、エレオノーラの部屋にいた。
人さし指をダニエラに向けて「おねーさんのほうがブサイクだもん」と念押しのように繰り返している。
「なっ! わたしはブサイクじゃないわよ。いい? 教えてあげる。ブスっていうのは、このエレオノーラのことを言うのよ」
「せいかくは、かおにあらわれるって。お父さまがいってるもん。エレオノーラおねーさんはブサイクじゃないし、おねーさんはちょーブサイクよ」
ブスとかブサイクとか。子ども同士のケンカのような言い争いが続いている。
「またお会いできてうれしいわ。ラウラさん」
「『さん』はいらないって、ラウラいったよ」
「じゃあラウラ。今日わたしが出会ったのは護衛の方なのね」
エレオノーラの問いかけに、ラウラがこくりとうなずいた。
扉は開いたままなのに、ノックの音がした。
「失礼するよ」
部屋に入ってきたのは、ラウラの父のオリヴェルだった。鮮やかな夏の森を思わせるサマーグリーンの瞳と、涼しげな顔立ちに、ダニエラは目を見開いた。
「すまない、混乱させてしまって。君の父上とはいえ、アディエルソン伯爵は信用ならない人間だ。エレオノーラとの結婚を認めさせてからでないと『やはり婚約は取りやめる』などと言いかねないからな。代理の者に先に様子を見てもらった。ついでに私の見た目も悪いと噂も流させた」
「あんた……あなた、誰なのよ」
ダニエラはか細い声で問いかけた。
けれど、これまで金切り声でエレオノーラにもラウラにも、罵声を浴びせていたのだ。
もう遅い。
「私がオリヴェル・シルヴァだ。初対面で心を開くには、伯爵はあまりにも打算的で、すぐにてのひらを返すから危険なのだ。応接室にいたのは、私の護衛。見た目が厳つい上に、今日は前髪を下ろさせたからな。少々荒っぽく見えるが。目元は優しいのだぞ」
「そーだ、そーだ。おねーさんみたいに、どうもうなめつきじゃないんだからね」
さすがに言い過ぎたのか、ラウラはオリヴェルにたしなめられた。
「ちょっと待ってよ。あんた……あなたは侯爵よね」
「いかにも」
「じゃあ、結婚はエレオノーラじゃなくてもいいんじゃない? わたしだって伯爵家の娘よ。こんな地味なのを妻にしたら、恥をかくんじゃないの?」
ダニエラの声は、砂糖の衣をまとっていた。
オリヴェルは考え込むように、ちいさく首を傾げる。
「確かに恥をかくだろうね」
「そうよ。妹のわたしを選ぶべきだわ」
「君を妻に選んだら、私は見る目がないと大恥をかいてしまう」
やわらかく微笑むオリヴェルだが、その目は笑っていない。
「母親の大切な形見を踏みにじるような女性を選ぶほど、私の趣味は悪くない。それに君は、横暴な父親から姉を守ることもなく、調子に乗ってさらに虐めたのだろう? 使用人以下の部屋に令嬢が押し込められ、その手が荒れているのを見れば、彼女が家族からどんな扱いを受けてきたのか見ずとも分かる」
「な、なによ……」
「そういえば、明日はパーティーに招待されているのだろう? 義姉に無理をさせたドレスと、自ら踏みつけて壊したブローチをつけて、婿探しに励むのか?」
ダニエラは顔をまっ赤にした。
目には涙まで浮かべている。こんなにも悔しそうな義妹の顔を見るのは、エレオノーラは初めてだった。
「いいわよ。あんた以上のいい男を捕まえてやるんだから」
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その言葉を、ダニエラが聞くことはなかった。
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