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5、来客
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数日後。エレオノーラは、買ってきた刺繍糸とビーズでドレスを彩っていた。
「お姉さま、まだできないの? あさっての夜会に間に合わないと困るんだけど」
「あなたが指定する模様が細かいから。そう簡単には終わらないわ」
義妹のダニエラが、幾度となく家事室に顔をだす。
エレオノーラは針仕事は慣れているが、花模様を刺繍して、さらに上からビーズを刺していくので手間は倍以上もかかる。
疲れもあって、エレオノーラは何度も針で指を刺してしまった。水仕事のあかぎれもあり、手は傷だらけだ。
「仕事が遅い言い訳なんて聞きにきたんじゃないわ。そうだ、寝る時間を削ればいいじゃない」
「無理を言わないで」
「無理ですって? わたしがパーティで目立たないなんて、恥でしかないのよ。ひどいわ、お姉さまはわたしを陥れたいのね。だから、手を抜こうとしてるんでしょ」
ダニエラは金切り声でまくし立てた。
「そうよ。お父さまに愛されないからって、わたしのことを恨んでいるものね。ご自分が可愛げがないくせに、わたしに嫉妬してるんだわ」
「ダニエラ……」
「ブローチだってそうよ。絶対にわたしに貸そうともしないじゃないの!」
(だって、お母さまのブローチを一度でも貸したら、二度と返してくれないんでしょう?)
未来が分かり切っているのに、ここまで惨めに扱われているのに。どうして義妹の機嫌をとらないからって怒られるのだろう。
あまりにもダニエラの声が大きかったせいだろう。義母のイルヴァが家事室にやってきた。
「エレオノーラ。あなたは本当に意地悪ね。その刺繍ができるまでは、眠ることは許しません。徹夜で仕上げなさい」
「そんな、お母さま」
「奥さま、とお呼びなさい。わたくしは、あなたの母ではありません」
イルヴァは、冷ややかな氷の瞳でエレオノーラを睨みつける。
「……奥さま。徹夜しても間に合いません。適当にビーズを縫いつけると、危険なんです」
「まーあ、文句の多い子ね。そんなにもダニエラが夜会でちやほやされるのが気に入らないの? 嫉妬が醜いわよ」
決して文句ではない。刺繍もビーズも、ひとりで仕上げられる期間と量ではない。
なのに意見をすれば文句だと決めつけられる。
エレオノーラは、唇を噛みしめた。
(何を言っても、伝わらない。わたしの人格を否定されるだけ)
エレオノーラを黙らせることに成功したイルヴァは、満足そうに目を細めた。
「ああ、それから。明日は来客があるの。あなたは伯爵家の長女として客を迎えなさい」
「わたしにお客さま?」
そんなことがあるはずがない。社交界にデビューもさせてもらえていないし、友人もいない。会話するのなんて使用人か、買い出しのときの店の主人くらいだ。
「間違いなくてよ。あなたの客です」
赤い唇を、イルヴァはにやりと歪めた。
翌日。すり切れてしまった使用人の服ではなく、令嬢に見えるアフタヌーンドレスをエレオノーラは着せられた。
いつもは家事仕事の邪魔にならぬよう、ひとつにまとめている髪も、今日はリボンをつけて背中に垂らしている。
「がんばってねー、お姉さま」
ひらひらとハンカチを振りながら、ダニエラがほくそ笑んでいる。見送る声は、やけに弾んでいる。
二日間、徹夜で刺繍をしていたせいで、エレオノーラの顔色は悪い。
(わたしにお客さまだなんて、いったい誰が)
応接室のドアをノックすると、中から「エレオノーラか。入りなさい」と父の声が聞こえた。少し嬉しそうに聞こえるのは、空耳だろうか。
父はイルヴァを迎えてから、エレオノーラに優しい声をかけたことは一度としてなかった。
室内には、王家から賜った壺や、先祖の肖像画が飾られている。父とイルヴァはソファーに並んで座っていた。
向かいの一人がけのソファーに腰を下ろしていた男性が、立ちあがった。
鼻梁から頬にかけて、目立つ傷のある男性だ。長めの前髪を下ろしているので、目もとはよく分からない。
ただただ恐ろしい。そんな雰囲気をまとっている。
「初めまして。エレオノーラ・アディエルソンでございます」
「君が伯爵家の長女? やせ細り、顔色も悪く。手など下働きの者のように荒れているではないか」
男性は厳しい声で問い詰めた。
「伯爵。あなたは下女を令嬢と偽って、結婚させようとしているのか。これは詐欺ではないか」
「いえ、いえいえ。まさか。この娘は長女でございまして」
父がおろおろと視線を泳がせる。
さきほどまでの浮かれた声は、一瞬にして失せた。
「ほぉ? この国では長女は、皿洗いや厨房を掃除するスカラリーメイドのような扱いを受けるのが普通なのか」
「まさかそのようなことは」
鋭い指摘に、父は薄っぺらい笑顔を張りつけた。
「我がシルヴァ家は、先代の侯爵がエリーカさまと疎遠になったことを、今も憂いておられる。しかもエリーカさまは、とうに身罷られたとのこと。そして遺されたお嬢さまが、不遇な扱いを受けていると風の噂で聞いた」
父の笑顔が、カシャンと硬い音を立てて崩れた。
大人になった今なら、エレオノーラも事情が分かっている。
母のエリーカは、もともと他国に嫁ぐ予定であった。婚約前に父が強引に母を娶ったのだ。
当時のことを母は、幼いエレオノーラに語ることはなかった。けれどメイドたちの噂を止めることはできない。
エリーカを自分のものにした父は、すぐに彼女に飽きた。父はただ、人のものが欲しかっただけなのだ。
「エリーカさまのご息女を、花嫁としてオリヴェル・シルヴァが迎える。異論はないな」
「あら、ちょうどいいじゃありませんか」
言葉を返すこともできない父に代わって、イルヴァが口を挟んだ。
「確かにこの子はエリーカの娘です。シルヴァ侯爵にはお子さまもいらっしゃるし、こんな猛獣のような……あら、失礼。粗野な方には、ダニエラを嫁がせることはできませんもの」
「婚姻に異論はないと?」
「もちろんですわ。ねぇ、あなた」
エレオノーラは頭が混乱していた。
以前、お店で出会った紳士がシルヴァ侯爵と名乗っていた。けれど、応接室にいる男性は、明らかに彼とは違う。
緊張と不安と疑問で、気分が悪くなる。
エレオノーラは自分の体温が下がるのが分かった。めまいがして、そのまま椅子のアームの部分に上体をうつ伏せた。
「お姉さま、まだできないの? あさっての夜会に間に合わないと困るんだけど」
「あなたが指定する模様が細かいから。そう簡単には終わらないわ」
義妹のダニエラが、幾度となく家事室に顔をだす。
エレオノーラは針仕事は慣れているが、花模様を刺繍して、さらに上からビーズを刺していくので手間は倍以上もかかる。
疲れもあって、エレオノーラは何度も針で指を刺してしまった。水仕事のあかぎれもあり、手は傷だらけだ。
「仕事が遅い言い訳なんて聞きにきたんじゃないわ。そうだ、寝る時間を削ればいいじゃない」
「無理を言わないで」
「無理ですって? わたしがパーティで目立たないなんて、恥でしかないのよ。ひどいわ、お姉さまはわたしを陥れたいのね。だから、手を抜こうとしてるんでしょ」
ダニエラは金切り声でまくし立てた。
「そうよ。お父さまに愛されないからって、わたしのことを恨んでいるものね。ご自分が可愛げがないくせに、わたしに嫉妬してるんだわ」
「ダニエラ……」
「ブローチだってそうよ。絶対にわたしに貸そうともしないじゃないの!」
(だって、お母さまのブローチを一度でも貸したら、二度と返してくれないんでしょう?)
未来が分かり切っているのに、ここまで惨めに扱われているのに。どうして義妹の機嫌をとらないからって怒られるのだろう。
あまりにもダニエラの声が大きかったせいだろう。義母のイルヴァが家事室にやってきた。
「エレオノーラ。あなたは本当に意地悪ね。その刺繍ができるまでは、眠ることは許しません。徹夜で仕上げなさい」
「そんな、お母さま」
「奥さま、とお呼びなさい。わたくしは、あなたの母ではありません」
イルヴァは、冷ややかな氷の瞳でエレオノーラを睨みつける。
「……奥さま。徹夜しても間に合いません。適当にビーズを縫いつけると、危険なんです」
「まーあ、文句の多い子ね。そんなにもダニエラが夜会でちやほやされるのが気に入らないの? 嫉妬が醜いわよ」
決して文句ではない。刺繍もビーズも、ひとりで仕上げられる期間と量ではない。
なのに意見をすれば文句だと決めつけられる。
エレオノーラは、唇を噛みしめた。
(何を言っても、伝わらない。わたしの人格を否定されるだけ)
エレオノーラを黙らせることに成功したイルヴァは、満足そうに目を細めた。
「ああ、それから。明日は来客があるの。あなたは伯爵家の長女として客を迎えなさい」
「わたしにお客さま?」
そんなことがあるはずがない。社交界にデビューもさせてもらえていないし、友人もいない。会話するのなんて使用人か、買い出しのときの店の主人くらいだ。
「間違いなくてよ。あなたの客です」
赤い唇を、イルヴァはにやりと歪めた。
翌日。すり切れてしまった使用人の服ではなく、令嬢に見えるアフタヌーンドレスをエレオノーラは着せられた。
いつもは家事仕事の邪魔にならぬよう、ひとつにまとめている髪も、今日はリボンをつけて背中に垂らしている。
「がんばってねー、お姉さま」
ひらひらとハンカチを振りながら、ダニエラがほくそ笑んでいる。見送る声は、やけに弾んでいる。
二日間、徹夜で刺繍をしていたせいで、エレオノーラの顔色は悪い。
(わたしにお客さまだなんて、いったい誰が)
応接室のドアをノックすると、中から「エレオノーラか。入りなさい」と父の声が聞こえた。少し嬉しそうに聞こえるのは、空耳だろうか。
父はイルヴァを迎えてから、エレオノーラに優しい声をかけたことは一度としてなかった。
室内には、王家から賜った壺や、先祖の肖像画が飾られている。父とイルヴァはソファーに並んで座っていた。
向かいの一人がけのソファーに腰を下ろしていた男性が、立ちあがった。
鼻梁から頬にかけて、目立つ傷のある男性だ。長めの前髪を下ろしているので、目もとはよく分からない。
ただただ恐ろしい。そんな雰囲気をまとっている。
「初めまして。エレオノーラ・アディエルソンでございます」
「君が伯爵家の長女? やせ細り、顔色も悪く。手など下働きの者のように荒れているではないか」
男性は厳しい声で問い詰めた。
「伯爵。あなたは下女を令嬢と偽って、結婚させようとしているのか。これは詐欺ではないか」
「いえ、いえいえ。まさか。この娘は長女でございまして」
父がおろおろと視線を泳がせる。
さきほどまでの浮かれた声は、一瞬にして失せた。
「ほぉ? この国では長女は、皿洗いや厨房を掃除するスカラリーメイドのような扱いを受けるのが普通なのか」
「まさかそのようなことは」
鋭い指摘に、父は薄っぺらい笑顔を張りつけた。
「我がシルヴァ家は、先代の侯爵がエリーカさまと疎遠になったことを、今も憂いておられる。しかもエリーカさまは、とうに身罷られたとのこと。そして遺されたお嬢さまが、不遇な扱いを受けていると風の噂で聞いた」
父の笑顔が、カシャンと硬い音を立てて崩れた。
大人になった今なら、エレオノーラも事情が分かっている。
母のエリーカは、もともと他国に嫁ぐ予定であった。婚約前に父が強引に母を娶ったのだ。
当時のことを母は、幼いエレオノーラに語ることはなかった。けれどメイドたちの噂を止めることはできない。
エリーカを自分のものにした父は、すぐに彼女に飽きた。父はただ、人のものが欲しかっただけなのだ。
「エリーカさまのご息女を、花嫁としてオリヴェル・シルヴァが迎える。異論はないな」
「あら、ちょうどいいじゃありませんか」
言葉を返すこともできない父に代わって、イルヴァが口を挟んだ。
「確かにこの子はエリーカの娘です。シルヴァ侯爵にはお子さまもいらっしゃるし、こんな猛獣のような……あら、失礼。粗野な方には、ダニエラを嫁がせることはできませんもの」
「婚姻に異論はないと?」
「もちろんですわ。ねぇ、あなた」
エレオノーラは頭が混乱していた。
以前、お店で出会った紳士がシルヴァ侯爵と名乗っていた。けれど、応接室にいる男性は、明らかに彼とは違う。
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