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潜入編
1.洗濯係
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(帝国と言っても、あんまり変わらないのね)
薄明かりの差し込む洗濯場で、ステラは黙々と手を動かしていた。
黒髪は左右にきちんと三つ編みに結われ、額に揃った前髪は、汗を拭うたびにわずかに揺れる。
年は十八。背は低いが、その小柄な体には、毎朝山ほどの洗濯物をこなす勤勉さが宿っていた。
貴族の誰もが名を知らぬ下働き――だが彼女の手は、王宮の清らかさを支える静かな矜持を携えている。
「ステラー!メイド長がここ終わったら、大広間の掃除に行けってさ!」
振り向くと、同僚のカレンが腕まくりをしながらこちらを見ていた。
明るい茶髪のボブが軽く揺れ、丸い頬に水しぶきがついてきらめいている。
まだ十七の彼女は、童顔でどこか子どもっぽさが抜けないが、どんな仕事にも前向きに取り組む、王宮でも評判の元気印だ。
実家は郊外の小さなパン屋で、休みの日にはいつも余ったパンを皆に配ってくれる。そんなところも、カレンらしい。
「メイド長の命令には逆らえないし……早く終わらせて向かおう」
ステラは袖をまくり直しながら、山積みの洗濯物に視線を戻した。
カレンは桶を抱えたまま、「まったく、あの人には敵わないよね」と苦笑する。
その“あの人”――メイド長グレタは、洗濯場の奥で誰に声をかけるでもなく作業を見回っていた。
メイド長グレタは、元は農家の娘だったと聞く。
洗濯場の底冷えにも眉一つ動かさず、誰よりも早く城に来て、誰よりも遅くまで残る。
王宮の掃除も、鍛冶場の煤払いも、彼女の目からは逃れられない。
「あの人に叱られるくらいなら、皇帝に叱られるほうがマシ」と若いメイドたちは口をそろえるほどだ。
「ねえ、大広間の掃除を任されるなんて、何かあったの?」
廊下の角を曲がりながら、ステラが声を潜めるように尋ねた。
「もう、ステラったら忘れたの?今度、王宮主催のパーティーがあるでしょ?」
カレンは軽やかに歩きながら、袖口をぱたぱたと仰いでいる。洗濯場の蒸気がまだ身体に残っているのだろう。
「えっ?そんな話、出てた?」
「正式にはまだ私たちに言われてないけど、大公様がドラゴン退治の功績をあげたじゃない? それを祝うパーティーだって」
そう言ってカレンは、石造りの床に反響する靴音を弾ませている。
「ドラゴン退治……ああ、そういえば」
「この話、帝都じゃもう誰でも知ってるよ。一週間前に来たばっかのステラでも、さすがに聞いたことあると思ってたけど?」
「……うん、ごめん。ぼーっとしてたかも」
ステラは照れたように目を伏せながら、大広間の扉へと視線を移した。金色の飾り金具が、午後の日差しに鈍く光っている。
大広間に足を踏み入れると、すでに数人の掃除係のメイドたちが作業を進めていた。
長い柄のモップが石床を滑り、窓際では絨毯を巻き上げる音が響いている。
「けっこう来てるね。あ、あの子たち、掃除組の常連さんだよ」
カレンが手を振った先に、数人のメイドたちがちらりとこちらを見たが、すぐに作業へと視線を戻した。
「ステラは初めてだっけ? 大広間の掃除」
「うん。洗濯場とは全然違うね」
ステラは軽くモップを持ち上げ、広間の広さを見上げるように目をやった。
「でも、こういうとこは慣れたら楽しいよ。ほら、窓から光入ってくるし。洗濯場よりマシでしょ?」
カレンは笑いながら手早く袖をまくると、床の端に並べられた掃除道具のひとつを取り上げた。
「じゃ、ちゃちゃっと終わらせちゃおうか。パーティー前に汚れてたら、またグレタさんに睨まれるし」
「うん。了解」
ステラもひとつモップを取ると、すっと歩き出した。
大広間の掃除を終え、道具を片づけた二人は、荷物を持って廊下へ出た。
ステラがふと振り返ると、陽の射す渡り廊下の先に、人の姿が見えた。
――誰かがいる。
細身の黒衣に金の装飾。金髪が陽を弾いて光り、その横顔には陰影すら整った美しさがあった。
背は高く、姿勢も抜群に良い。
彼は廊下の柱に片手を添え、侍従らしき人物と短く言葉を交わしていたが、所作の一つひとつに威厳が漂っていた。
「……あの人、誰?」
思わず声に出してしまったステラに、隣のカレンが目を丸くした。
「えっ、見たことないの? あの方は皇太子殿下よ、レオナルド様」
カレンはにんまりと笑い、ステラの肘をつついた。
「かっこいいでしょ? 剣も魔法もできるし、礼儀正しいし、何でもできるって評判なんだから。騎士団の人たちも全員、あの方のこと尊敬してるのよ」
ステラは何も言わず、その金の髪の青年を見つめた。
彼はすぐに足音も静かに踵を返し、長い外套を翻して廊下の向こうへと歩み去っていった。
ステラは何も言わず、その金の髪の青年を見つめた。
彼はすぐに、長い外套を翻して廊下の向こうへと去っていく。
(あの人が……皇太子)
カレンの話す“何でもできる理想の人”の姿と、ステラの胸に沈んでいる記憶とが、どこか噛み合わなかった。
モップの柄を握る手に、いつの間にか力が入っていた。
薄明かりの差し込む洗濯場で、ステラは黙々と手を動かしていた。
黒髪は左右にきちんと三つ編みに結われ、額に揃った前髪は、汗を拭うたびにわずかに揺れる。
年は十八。背は低いが、その小柄な体には、毎朝山ほどの洗濯物をこなす勤勉さが宿っていた。
貴族の誰もが名を知らぬ下働き――だが彼女の手は、王宮の清らかさを支える静かな矜持を携えている。
「ステラー!メイド長がここ終わったら、大広間の掃除に行けってさ!」
振り向くと、同僚のカレンが腕まくりをしながらこちらを見ていた。
明るい茶髪のボブが軽く揺れ、丸い頬に水しぶきがついてきらめいている。
まだ十七の彼女は、童顔でどこか子どもっぽさが抜けないが、どんな仕事にも前向きに取り組む、王宮でも評判の元気印だ。
実家は郊外の小さなパン屋で、休みの日にはいつも余ったパンを皆に配ってくれる。そんなところも、カレンらしい。
「メイド長の命令には逆らえないし……早く終わらせて向かおう」
ステラは袖をまくり直しながら、山積みの洗濯物に視線を戻した。
カレンは桶を抱えたまま、「まったく、あの人には敵わないよね」と苦笑する。
その“あの人”――メイド長グレタは、洗濯場の奥で誰に声をかけるでもなく作業を見回っていた。
メイド長グレタは、元は農家の娘だったと聞く。
洗濯場の底冷えにも眉一つ動かさず、誰よりも早く城に来て、誰よりも遅くまで残る。
王宮の掃除も、鍛冶場の煤払いも、彼女の目からは逃れられない。
「あの人に叱られるくらいなら、皇帝に叱られるほうがマシ」と若いメイドたちは口をそろえるほどだ。
「ねえ、大広間の掃除を任されるなんて、何かあったの?」
廊下の角を曲がりながら、ステラが声を潜めるように尋ねた。
「もう、ステラったら忘れたの?今度、王宮主催のパーティーがあるでしょ?」
カレンは軽やかに歩きながら、袖口をぱたぱたと仰いでいる。洗濯場の蒸気がまだ身体に残っているのだろう。
「えっ?そんな話、出てた?」
「正式にはまだ私たちに言われてないけど、大公様がドラゴン退治の功績をあげたじゃない? それを祝うパーティーだって」
そう言ってカレンは、石造りの床に反響する靴音を弾ませている。
「ドラゴン退治……ああ、そういえば」
「この話、帝都じゃもう誰でも知ってるよ。一週間前に来たばっかのステラでも、さすがに聞いたことあると思ってたけど?」
「……うん、ごめん。ぼーっとしてたかも」
ステラは照れたように目を伏せながら、大広間の扉へと視線を移した。金色の飾り金具が、午後の日差しに鈍く光っている。
大広間に足を踏み入れると、すでに数人の掃除係のメイドたちが作業を進めていた。
長い柄のモップが石床を滑り、窓際では絨毯を巻き上げる音が響いている。
「けっこう来てるね。あ、あの子たち、掃除組の常連さんだよ」
カレンが手を振った先に、数人のメイドたちがちらりとこちらを見たが、すぐに作業へと視線を戻した。
「ステラは初めてだっけ? 大広間の掃除」
「うん。洗濯場とは全然違うね」
ステラは軽くモップを持ち上げ、広間の広さを見上げるように目をやった。
「でも、こういうとこは慣れたら楽しいよ。ほら、窓から光入ってくるし。洗濯場よりマシでしょ?」
カレンは笑いながら手早く袖をまくると、床の端に並べられた掃除道具のひとつを取り上げた。
「じゃ、ちゃちゃっと終わらせちゃおうか。パーティー前に汚れてたら、またグレタさんに睨まれるし」
「うん。了解」
ステラもひとつモップを取ると、すっと歩き出した。
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ステラがふと振り返ると、陽の射す渡り廊下の先に、人の姿が見えた。
――誰かがいる。
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背は高く、姿勢も抜群に良い。
彼は廊下の柱に片手を添え、侍従らしき人物と短く言葉を交わしていたが、所作の一つひとつに威厳が漂っていた。
「……あの人、誰?」
思わず声に出してしまったステラに、隣のカレンが目を丸くした。
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「かっこいいでしょ? 剣も魔法もできるし、礼儀正しいし、何でもできるって評判なんだから。騎士団の人たちも全員、あの方のこと尊敬してるのよ」
ステラは何も言わず、その金の髪の青年を見つめた。
彼はすぐに足音も静かに踵を返し、長い外套を翻して廊下の向こうへと歩み去っていった。
ステラは何も言わず、その金の髪の青年を見つめた。
彼はすぐに、長い外套を翻して廊下の向こうへと去っていく。
(あの人が……皇太子)
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モップの柄を握る手に、いつの間にか力が入っていた。
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