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1.シスコン兄君のご乱心
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十二単を身に纏った女性たちが、わらわらと宮中や貴族のお邸に仕える今日この頃。
私は、都の一等地、二条第と呼ばれる広々としたお邸の奥深くにいらっしゃる姫君の女房(侍女のこと)として仕えております。
本名は他にあるのですけれど、出仕名は、早苗といいまして、姫様もそのように呼びますので、早苗、とだけ名乗っておきましょう。
二条第は、関白殿下のお住まいとして名高い麗しいお邸で、私の姫様は、関白殿下の妹君であらせられます。
私の姫様は、世間では『二条の姫君』などと呼ばれておりまして、美しく、聡明な姫君として名高いのは、側付の女房としても、大変、鼻が高く御座いました。
二条第の奥まった所にある美しい部屋の中で、私の主、藤原瞶子さまは、深いため息を吐いていらっしゃいました。
「早苗……、もう、わたくしは、この世に生きている甲斐もないわ……。いっそ、出家でもしようかしら……」
などと仰せになって、美しくなりの良い口唇から溜息を吐いて、袖がしとどに濡れるほどに、さめざめと泣いておられるのです。
無理もありません。
瞶子さまのお部屋には、華やかな婚礼道具の数々が溢れているのです。
乱れ箱(眠るときに長い髪を入れる為の箱)やら、厨子やらというお品は、どれも、瞶子さまの兄上さまである、関白殿下が揃えさせた、きらびやかなもので、宮中にも、これほどの品はないとまで言われていたものです。
螺鈿が施された美しい品で、瞶子さまは、このお道具と共に婚礼に向かわれるのだ……と、胸を弾ませていらっしゃいました。
装束も、婚礼用の蘇芳色の表着に、白い小袖を八枚にも襲ねる、縁起の良いもので、これも、仕立ても織りも素晴らしい品でしたけれど、今は、几帳へ無造作に、掛けられて無残な様子です。
ええ、無理もありませんとも!
そもそも、姫様は十五歳の適齢期。
そこを、かねてからのお約束で、東宮殿下との婚礼が決まっておりました。
姫様も、東宮殿下も、折々、和歌を交わしたり、宴の席で楽器の演奏を共になさったりと、仲睦まじくおいででしたのに。
急に、関白殿下が。
瞶子さまの兄君さまが、
「東宮殿下は、お人柄は、良いんだけど、うちの瞶子がもったいない気がするんだよね~。っていうか、最近、目障り」
などといいだして、敢えなく破談。
あわれなのは、姫様だけじゃなくて、東宮殿下も……。
なんと、関白殿下、気に入らないを連発した挙げ句に、東宮殿下を失脚させて、島流しにしてしまったのです。
ついでに、ご自分に都合の悪い敵対勢力を闇に葬られたのは、さすがの手腕と言うべきかもしれませんけれど、東宮殿下は、全くの無罪だったので、お痛わしいこと、この上ない。
関白殿下は、たしかに、常軌を逸しておられるのです。
この間、私は見てしまったのですから。
瞶子さまのご入浴の日に、湯殿(バスルーム)の影から、そーっと、瞶子さまのご入浴の様子を伺っている、関白殿下を!
しばらく、私は、目を疑って、じーっと、様子を、見ておりました。
すると、そろそろと近づきながら、関白殿下ともあろうお方が!
瞶子さまのご入浴なさる湯殿の隙間から、覗き見を初めたのです。
関白殿下といえば、主上(天皇のことですわよ!)のお側にお仕えする、高貴なお立場。
のみならず、この関白殿下、二十七歳の若さの上に、すこぶる容貌に優れてなので、世の中の女性たちの憧れの君でもあられます。
のに。
なのに!
湯殿で必死に覗き見をして、いるのだから、私は思わず、声を上げてしまったのは、仕方がないと思うのよ。
「こ、ここに、変質者がいます! 誰か!」
私の声に驚いた関白殿下が、パッと顔を上げた時には、顔色が、蝋のように青白くなっておいでだったときには、私も、(さすがに、変質者という自覚がおありなのだわ)と思ったものですけれど。
関白殿下は、斜め上の反応をしたのです。
腰に帯びた太刀をすらりと抜き放って、こう、叫ばれました。
「私の可愛い瞶子に危害を加える変質者がいるのかっ! ええい! 家の者は何をしている!」
―――そうなのです。
あろうことか、関白殿下は……。
妹を他の男にやりたくないと言うだけで、東宮殿下を廃太子にして島流しにしたこの男は。
入浴を覗いていたこの男は……。
自分が変質者だとは、露とも思って居なかったのです。
私は、眩暈が致しました。
きっと、この先、なにか、とんでもないことが起きるような気がして溜まらなくなった私は、とにかく、姫様が幸せになれるのだったら、どんなことでもしなければならない……と、固く誓ったのでございます。
私は、都の一等地、二条第と呼ばれる広々としたお邸の奥深くにいらっしゃる姫君の女房(侍女のこと)として仕えております。
本名は他にあるのですけれど、出仕名は、早苗といいまして、姫様もそのように呼びますので、早苗、とだけ名乗っておきましょう。
二条第は、関白殿下のお住まいとして名高い麗しいお邸で、私の姫様は、関白殿下の妹君であらせられます。
私の姫様は、世間では『二条の姫君』などと呼ばれておりまして、美しく、聡明な姫君として名高いのは、側付の女房としても、大変、鼻が高く御座いました。
二条第の奥まった所にある美しい部屋の中で、私の主、藤原瞶子さまは、深いため息を吐いていらっしゃいました。
「早苗……、もう、わたくしは、この世に生きている甲斐もないわ……。いっそ、出家でもしようかしら……」
などと仰せになって、美しくなりの良い口唇から溜息を吐いて、袖がしとどに濡れるほどに、さめざめと泣いておられるのです。
無理もありません。
瞶子さまのお部屋には、華やかな婚礼道具の数々が溢れているのです。
乱れ箱(眠るときに長い髪を入れる為の箱)やら、厨子やらというお品は、どれも、瞶子さまの兄上さまである、関白殿下が揃えさせた、きらびやかなもので、宮中にも、これほどの品はないとまで言われていたものです。
螺鈿が施された美しい品で、瞶子さまは、このお道具と共に婚礼に向かわれるのだ……と、胸を弾ませていらっしゃいました。
装束も、婚礼用の蘇芳色の表着に、白い小袖を八枚にも襲ねる、縁起の良いもので、これも、仕立ても織りも素晴らしい品でしたけれど、今は、几帳へ無造作に、掛けられて無残な様子です。
ええ、無理もありませんとも!
そもそも、姫様は十五歳の適齢期。
そこを、かねてからのお約束で、東宮殿下との婚礼が決まっておりました。
姫様も、東宮殿下も、折々、和歌を交わしたり、宴の席で楽器の演奏を共になさったりと、仲睦まじくおいででしたのに。
急に、関白殿下が。
瞶子さまの兄君さまが、
「東宮殿下は、お人柄は、良いんだけど、うちの瞶子がもったいない気がするんだよね~。っていうか、最近、目障り」
などといいだして、敢えなく破談。
あわれなのは、姫様だけじゃなくて、東宮殿下も……。
なんと、関白殿下、気に入らないを連発した挙げ句に、東宮殿下を失脚させて、島流しにしてしまったのです。
ついでに、ご自分に都合の悪い敵対勢力を闇に葬られたのは、さすがの手腕と言うべきかもしれませんけれど、東宮殿下は、全くの無罪だったので、お痛わしいこと、この上ない。
関白殿下は、たしかに、常軌を逸しておられるのです。
この間、私は見てしまったのですから。
瞶子さまのご入浴の日に、湯殿(バスルーム)の影から、そーっと、瞶子さまのご入浴の様子を伺っている、関白殿下を!
しばらく、私は、目を疑って、じーっと、様子を、見ておりました。
すると、そろそろと近づきながら、関白殿下ともあろうお方が!
瞶子さまのご入浴なさる湯殿の隙間から、覗き見を初めたのです。
関白殿下といえば、主上(天皇のことですわよ!)のお側にお仕えする、高貴なお立場。
のみならず、この関白殿下、二十七歳の若さの上に、すこぶる容貌に優れてなので、世の中の女性たちの憧れの君でもあられます。
のに。
なのに!
湯殿で必死に覗き見をして、いるのだから、私は思わず、声を上げてしまったのは、仕方がないと思うのよ。
「こ、ここに、変質者がいます! 誰か!」
私の声に驚いた関白殿下が、パッと顔を上げた時には、顔色が、蝋のように青白くなっておいでだったときには、私も、(さすがに、変質者という自覚がおありなのだわ)と思ったものですけれど。
関白殿下は、斜め上の反応をしたのです。
腰に帯びた太刀をすらりと抜き放って、こう、叫ばれました。
「私の可愛い瞶子に危害を加える変質者がいるのかっ! ええい! 家の者は何をしている!」
―――そうなのです。
あろうことか、関白殿下は……。
妹を他の男にやりたくないと言うだけで、東宮殿下を廃太子にして島流しにしたこの男は。
入浴を覗いていたこの男は……。
自分が変質者だとは、露とも思って居なかったのです。
私は、眩暈が致しました。
きっと、この先、なにか、とんでもないことが起きるような気がして溜まらなくなった私は、とにかく、姫様が幸せになれるのだったら、どんなことでもしなければならない……と、固く誓ったのでございます。
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