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98.わたくしに、どうしろって仰有るのよーっ!
しおりを挟む我が邸――二条関白家――の女房達の顔の広さを思い知ったのは、翌朝の事だった。
わたくしが、いつも通り(なぜかいつも通りになってしまいましけれど)、主上の朝餉のお食事のために参上いたしますと、既に、例の噂は主上の耳にも入る真っ最中でした。
「主上。……畏れ多くも、ご譲位遊ばされるとか……お噂は、真実でしょうか」
などと、顔色を失って聞く、老人がいたのだった。老人、と言っても、髪などは、ふさふさとしていた。
どなたなのだろうかと思って居ると、源前内大臣さまとのことだった。既に、ご隠居なさって、家は、ご子息が継いでいらしたとおもったけれども。たしか、前内大臣さまの孫が、内舎人となって、御所内の警護をなさっていたと思うけれど。たしか、源影さまとおっしゃったかしら。
それはさておき、かなり、前内大臣さまは、よぼよぼとした様子でいらっしゃった。おそらく、ご譲位の噂を聞いて、這うようにおいでになったのだろう。
けれど、ご譲位など、珍しいことでもないだろうに……何を、そんなに慌てたご様子なのだろう。
気になったけれども、主上がわたくしに目配せをなさった。追い返せということだ。
「前内大臣さま、どうぞお下がり下さいまし。主上は、もうお休みになります」
「何を、この女房め!」
前内大臣さまが、わたくしをギッと睨み付ける。怖ろしい、目つきだった。けれど、私だって引くわけには行かなかったりするのよっ!
「主上がお休みですのよ。お下がり下さいまし」
冷たく突っぱねると、主上が、幽かに肩をゆすって笑っているのが解った。
「とにかく! お引き取りを……誰か!」
わたくしが呼びつけると、そそくさと、控えていた我が家の女房達が現れる。
「前内大臣さまがお帰りですわ。……お見送りを」
それだけを命じて、わたくしは、前内大臣さまに背を向けてしまった。
まったく、どういうことなのかしらね。
こんなところにまで、わざわざ押しかけて。それに、相変わらず、香散見さんは、お部屋に閉じこもりっぱなしなのよ。
わたくしだって一日、主上のお側に居たら疲れるもの、部屋に帰ってゆっくりしたいのに、ここぞとばかりに、いちゃいちゃしてくるし……わたくし、そろそろ、体力が待ちませんわよ。
ここは、少し、文句の一つ申し上げた方が良いかしら。
そんなことを思っていると、「前内大臣には、気を付けなさいね」と主上が仰有る声がした。
気を付けろと、言われても。
と、わたくしはちょっとだけ思い出したのだった。
嵯峨野。嵯峨野では、先帝の五の宮さま、そして今の二の宮様と右大臣がなんだか妖しかった。
先帝の五の宮さまというのは、源女御さまの御子だったはず。つまり、先ほどのご老人、前内大臣は五の宮さまとは血のつながりがあることになる。
気を付けなさい、って、だから、どうすれば良いのよーっ!
わたくしの声なき叫びがも邸中にこだましましたわよ。
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