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63.わたくしは、まず、寝ておくことにした

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 五の宮さまの動きは、ピタリと止まっていた。

 たしかに、あんな頭の痛くなるような恋文を見せられたら、仕方がないのでしょう。私だってそれは理解致しますわ。

「いや、意外なことだな」

 五の宮さまは、ぽつりと呟かれる。

「えっ?」

 おもわず、わたくし、聞き返してしまって、慌てて口元を押さえる。

「あの東宮殿下は……、とても怜悧な方だから、こんな風に、親しげな文を書かれるのが意外だ。それと……おや、もう一枚ある」

 そこに記されているのは、有名な漢詩。


    かぜ蕭々しょうしょうとして易水えきすい寒し
    壮士そうし、ひとたび去ってた還らず


 これは『史記しき』に出てくる漢詩だ。

 秦の始皇帝を殺そうとした暗殺者、荊軻けいかが詠んだもので、今から暗殺するのに、二度と戻らない誓いとなって居る。

 そうこれは、詩なのだ。

「これは……、荊軻ですな。また、流麗な手で……。どうでしょう高紀子姫、今晩、私がこの文をお借りすることは出来ますかな? 是非、臨書したいのですよ」

 五の宮さまの朗らかな声を聞いて、わたくしは、香散見かざみさんに聞く。

『うん。あんた、これでいいわ』

 香散見さんがそう仰有るので、私は躊躇いなく、申し上げました。

「はい、主が、是非、御覧下さいませと、申しております」

「それは良かった!」

 五の宮さまは、近くの女房に命じて、文を渡した。おそらく、自室まで持って行くのだろう。

「それにしても、東宮殿下のお文を拝見することが出来るとは、思いませんでしたよ」

 上機嫌に五の宮さまが言う。

 わたくしは、どうせ、潜入仕事をするのは、わたくしだと気付いておりましたので、女房の消えていく方角を、気配で探っておりました。

 母屋を挟んだ東の対。

 その一室に、女房が入って行くのが見えた。

 潜入するなら、きっと、夜中、になるわね。気を付けないと。

 お庭には、きっと見回りの方が沢山いるだろうし、対と対とを結ぶ打ち橋(板を渡すだけの仮の橋。邸の母屋と対屋は、こういう橋で渡すことが多い)がはず取れてしまえば、どうしようもないのですけれど……。

 ここは、上手くいくように祈るしかない。

 そして、わたくしたちは五の宮さまの御前を失礼して、宛がわれた部屋へ戻った。

 真夜中が勝負!

 わたくしは、まず、寝ておくことにした。






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