伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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03.李将軍

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 ゆう帝国の皇帝は、大陸全土を統一したことから、唯一『皇帝』を名乗る。

 大陸統一を果たした初代の皇帝が、各地への往来の便を良くする為に、道路を整備し、それと同時に主要都市との『帝華路ていかろ』(皇帝専用道路)を作った。琇華しゅうかは、現在、この『帝華路』で、游帝国の首都であるしん都に向かっている。

 帝華路は、広々としていて小石一つ雑草一つ見当たらなかった。その為に、馬車を高速で走らせることが出来る。近隣の住民達がこの整備のえきを課せられている。それは、堋《ほう》国内でも同じことだった。

 馬車の窓から流れる景色を見ていた琇華は、堋《ほう》国首都の湖都れいとでは見たこともない、山が見えるのに驚いた。堋《ほう》国は、大陸の中心地である。黄金宮は、湖都の中心にある小高い丘の上に建っているので街全体を一望できるが、見回せど平地が続くばかりで、山の稜線りょうせんがうっすらと見えたときには、感動して思わず声を上げてしまった。

 目に飛び込んでくる物すべてが、新しい物ばかりで、毎日驚いてばかりだ。

 退屈を紛らわす為に……と本や絵巻などを持ってきたが、そんなものを見ているよりも、外を見ていた方がずっと楽しい。

(馬車だから、ゆっくり見物できないのが玉に瑕だけど……)

 琇華がそう思っていると、急に、場所の速度がゆっくりになった。後ろから付いてきた護衛官がすかさず、馬で駆け寄ってくる。護衛官として付いてくるのは、齢六十をすぎた老将軍で、名を、剛督ごうとく。琇華が幼い頃から、警護に駆けつけてくれた笑顔の優しい将軍だった。今回の結婚でも、游帝国との折衝に尽力してくれたという。

「何事があった!」

「これは、李将軍」と馭者ぎょしゃが答える。一度、馬車が止まった。

「実は、馬が、大分疲れているようでして……次の街で交換した方が良いかと」

「しかし、今日は、游帝国側の都市、巴州はしゅうに入る予定だ。ここで、休むわけには行かぬが……」

 老将軍が、渋い声を出して思案しているのを聞いて「李将軍」と琇華は窓から呼びかけた。

「おお、姫さま……窓からお顔を見せるなど、淑女のなさることではございませぬ。どうぞ、帳を降ろして下さいませ……。して、このじじいに何のご用でしょう」

 笑うと目が細くなる老将軍は、若い頃からの各地を転戦して戦に明け暮れていたと言い、顔は浅黒く、皮膚は脂っ気を失って蜥蜴とかげの肌のように、かさついている。地声が既に大声な上に、だみ声だから馭者達が震え上がっているのが目に見えるようだった。

「馬が可哀想だわ。……なんなら、妾は、どなたかの馬を借りて巴州はしゅうに入っても良いから、馬は休ませてあげて頂戴。ずっと、湖都れいとから重い馬車を引っ張って走ってきたのよ。疲れ果てていることだと思うわ」

「姫さま、自ら馬に乗るなどおやめ下さいませ」

「いいえ、大丈夫よ。それが嫌なら、次の街で休みましょう。……游帝国のお迎えの方々には遅れてしまって申し訳ないけれど……、普通に旅をしていても、天候や体調で日程通りに行かないことはあるわ。
 だから、遅れることも、多少は想定していると思うの」

「ですが……」と言って、老将軍は口ごもった。

「どうしても、お待たせしないというのならば、馬を貸して頂戴。荷物は、あとで届けてくれれば良いわ」

 今にも馬車の外へ出ようとした琇華に「お待ち下さい、姫さま!」と李将軍が呼びかけた。

「凄い声ね。そんなに大きな声を出さなくても妾は聞こえているわよ?」

 びりびりと耳の奥が痺れるような大音声の直撃を受けた琇華は、耳を抑えながら、李将軍に言う。

「いえ、やはり、馬に乗るのはやめましょう。……使者をやりますので、我々は、この先の、三冰さんひの街で休むことに致しましょう。姫さまもお疲れのことですし、その方がよろしゅう御座いましょう」

 豪快に笑った李将軍に「あら、妾は疲れていないわよ」と言うが、老将軍は「いいえ、なのです。それゆえ、道中大事を取ってお休みする―――これならば、皇帝陛下も、納得して下さることでしょう」と告げる。

「言い訳が必要と言うことなのね。わかったわ、妾の我が儘の為に、休むから遅れたと言えば、角が立たないのね」

「皇帝陛下も、愛しい姫さまの我が儘でしたら、快く聞いて下さいますよ」

 愛しい、と言われて、琇華は顔がポッと赤くなるのを感じていた。指先で頬を触れてみると、そこがじんわり熱い。

(愛しいだなんて……)

 あの、美しい皇帝に、『愛しい黄金姫』などと囁かれたら、どうなってしまうだろう……と琇華は思う。想像しただけで、腰が抜けそうになるのに、間近で、生身の皇帝を目の当たりにしたとき、正気で居られる自信が、琇華にはない。

「おやおや、姫さまも、皇帝陛下が気に入ったご様子ですな」

「ええ。だって、初恋なのですもの」

「おお、それは良かった。相思相愛。美男美女の夫婦とは、羨ましいことですな。あとは、お子様に恵まれれば、本当に言うことはないものです」

 お子様……。その言葉を、琇華は噛みしめた。

 きっと、生まれ育った実家のような、暖かな家族を作るのだ。琇華は、期待に胸を弾ませていた。

 やがてゆっくりと馬車が走り出す。先ほどと違って、ゆっくりとした歩みだった。三冰さんひの街が、どういう場所か解らなかったが、人々は忙しなく歩き回っているし、そのおかげで、あちこちから様々な声が折り重なって聞こえて来る。


「あんた、その饅頭、この間より小さくなったよ!」

「おい、じいさん、アブネェなあっ!」

「美味しい魚の干物はいらんかい?」

 街に活気が溢れているのは良いことだ。市井のひとたちの、日常に触れることもなかった琇華は、それがとても嬉しかった。
 


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