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第五章 後宮からの逃走
3.鬼の君は伊勢でお魚を捕っていた
しおりを挟む「小鬼、あなた、自分の主の所在が解らなくて、どうするの?」
私は声を潜めて、小鬼に聞く。
「ですから、山科の桜に、近況を書いておけば」
「それで、あなたは、また、山科に返事を取りに来るの? じゃあ、鬼の君は、山科にお住まいなのね?」
「いいえ、山科ではなかったと思います……たしか、洛中に協力者が居るというお話しでしたけど、私には、その協力者を教えて下さらないのです。全く!」
小鬼の瞳が、うるっと潤った。
「あーっ、ちょっと、泣かないでよ、小鬼……」
「だって、私だって、あんまり、主に会えないのですよ! 伊勢に居たときだって……」
「ああ、あなた、お魚捕るの苦手だったのですって?」
「いいえ! 私は、はっきり言ったら、その辺の漁師顔負けに魚を捕ることが出来ました! でも、私の主は、……苦手な異母姉のお世話を、私一人に押しつけたんですっ!」
さめざめと泣き始めた小鬼に、私は、ちょっとおろおろする。
これは……多分、早蕨と中将にはあんまり聞かせたくない話、よね。
「早蕨、中将……ちょっと、小鬼が混乱して居るみたいだから、二人にしてくれないかしら?」
「わかりましたわ、私たち、色々準備もしておきますわね」
「準備って?」
私は不思議に思って聞いた。なにか、準備って必要だったっけ?
「今から源大臣家、そこから鷹峯院、そして、また、御所へ戻るのですよ? そうなったら、もう、色々と仕度をしておかないと、いけませんわ」
「だから、仕度って何よ……」
「まさか、手ぶらでお邸に伺うわけにも参りませんから、こちらからは、差し上げるものなんかも用意しておきませんと……、幸い、中将は源大臣家にも詳しいし、鷹峯院にも詳しいですからね。
いろいろと教えて頂いて、頑張りますわよ。姫さまに恥はかかせませんから」
「ありがとう、頼もしいわ」
「ええ、それでは」と早蕨と中将が下がる。
さて、小鬼だけど。
私はあんまり詳しくないけど、鬼の君が二条廃帝で、伊勢にお住まいの異母姉さまというのだったら、それは、伊勢に斎宮としておわすかたじゃなかったかしらね。
伊勢神宮には、斎宮という、高貴な女性を置くのが決まりで……。
この斎宮という方は、内親王様だとか、身分の高い方が就任されるのだ。
潔斎に三年も掛けて送り出されるという、神聖な方で、帝が代替わりする度に、斎宮も代替わりする。先帝(二条廃帝)の御代では、在位期間が三年もなかったから、伊勢の斎宮さまは、潔斎して伊勢へ向かわれたけど、仕方がないので、今上帝の斎宮がおいでになるまで、代理の斎宮としてお仕えしているという話ではなかったかな。
今上帝、斎宮さまを派遣していないけど……。(それはそれでいいんだろうか)
「えーと、小鬼、人払いしたから……大丈夫?」
「ああ、済みません。伊勢での暮らしが、ちょっと、精神的にキツかったので……、取り乱しました」
「そ、そうなの………?」
「ええ……流石に、鷹峯院の姫君だけありまして……、私は、もう、生きた心地が……。思い出しただけで、この八年、ほんとうに、辛くて……」
「えーと、もう、伊勢には行かないのでしょうから……元気を出して? それにしても、あなたの主は、なんだか、自由な方よね?」
「それはもう!」
「それで、一つ確認したいのだけど……あなたの主って、二条廃帝と呼ばれる方で……間違いない、のよね?」
一瞬、小鬼の動きが止まって、それから観念したように「はい」と小さく呟いた。
「登華殿の女御様の件を、お調べになっておいで……かしら?」
「はい……。我が主は、ご自身の身の潔白を証明する為……」
「それは、もちろん、解ります……でも、八年も前に自死された……亡霊が現れて、真実を語り出せば、世は乱れると思います……、それは、如何なさるつもりなのです?」
小鬼には押し黙った。
私は、多分、残酷な事を言って居るのだとは思うけど、続けなければならない……と思った。
「私が、必要なことは調べます。けれど……鬼の君……二条廃帝には、どうぞ、世を乱すような、お振る舞いをなさらぬようにと……申し上げて下さいませ」
「それは、……桜の枝に付けて下さい。きっと、何れ、主の使いがやってきます」
「鷹峯院の所へ行くのは、心配だけど……私は、あなたに、私でなく鬼の君のお側で、かの方を守って欲しいとも思うのだけど……」
「それは、ご案じなさいませぬよう。主は、ああ見えて、軟弱な性質ではないのです。……あなたのイメージだと、おそらく、なよなよして、高御座の帳の向こうにおられるだけとお思いでしょうけど」
「お魚を捕っていらしたと聞きました」
「魚取りとか、馬で駆けたりとか、鷹狩りだとか……アクティブなんですよ、私の主……。その上、足取りも軽くって、従者の私がっ! 従者の私がっ! 捕まえられないんですっ!」
なんだか、見かけによらず泣き上戸だったので、なんか、辛いことが、たんまりあったんだろうなあと、私は思って、顔を拭くのに手布を渡してあげたら、膝に縋り付かれてしまった。
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