神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第二章 遠雷

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 す、と通った鼻梁に切れ長の瞳。薄い口唇。懐かしむように、夢月むげつ殿の内部を見遣る皇帝の姿は、遊嗄ゆうさによく似ている。

の顔に、何か付いているかな?」

 皇帝が灑洛れいらくの視線に気がついて、問い掛けた。

「これは、失礼いたしました……皇太子殿下に、よく似ておいでだと思いましたので、つい、竜顔に魅入ってしまったのです」

 慌てて礼をする灑洛に、皇帝は微苦笑しながら「いや、よい」と許してから思い返すように言う。

「遊嗄は、私の息子の中で、一番、私に似ているかな」

 皇帝には、三人の皇子がいることを、灑洛は、東宮に嫁いでから、鳴鈴めいりんや他の侍女たちに教えて貰って、覚えた。本当ならば、嫁ぐ前に知っておくべきことだったと羞じるばかりだが、致し方ない。

 第一皇子が、皇太子で遊嗄。生母は、貴嬪きひん

 第二皇子が、燕遙えんよう、第三皇子が、凍璃とうり。生母は共に、淑妃だ。

 三人の皇子の中で、遊嗄が一番華やかな容姿をしているので、見た目は、皇帝と遊嗄はよく似ている。だが、灑洛には、二人が身に纏う気は驚くほど異なっているように思える。

 季節でたとえるならば、春風駘蕩しゅんぷうたいとうとした春の雰囲気を感じるのが、遊嗄であり。凍てついた冬の夜空の様な冷ややかな印象を感じるのが、皇帝である。

 皇帝は、名を『黎氷れいひょう』というが、その名の通りの、冷ややかな威厳で、圧倒される。

「陛下は……なにやら、この宮を懐かしげに見回しておられたようですけれど」

 卓子を皇帝に勧め、その向かいに灑洛が座る。侍女達が、衣擦れの音だけをサラサラとのこして、茶の仕度をする。とっておきの茶葉に、色とりどりの菓子。胡麻の香りが香ばしい胡麻酥ごます(胡麻クッキー)、甘い蓮の餡が入った蓮花酥れんかす(蓮の実餡のパイ)、木の実や果物などいずれも頂き物だが素晴らしい品々が並べられる。

「懐かしいな、私も立太子してから、即位までの間は、ここに通うこともあったのだ。それで、昔を懐かしんでいた。主が代わっても、ここは変わらないな。私が通っていた頃と、変わったことと言ったら、調度くらいか」

「こちらも、昔のままですと良いのですが」

 灑洛は皇帝に菓子を勧める。用意された色とりどりの菓子を見て、一瞬、皇帝の表情が翳った。

「私は、外ではものを口に出来ないのだよ」

 苦々しくいう言葉を聞いて、灑洛はハッとした。皇帝は、常に危険にさらされている。食べ物にも毒が入っていることがあって、それは警戒しているはずだ。

「申し訳ありません。お毒味を通さないと、召し上がることが出来ないのでしたね。……わたくしは、まだ、そういうことに慣れなくて」

 目を伏せて灑洛をおもんぱかるように、皇帝が言う。

「いや、折角の菓子だ。あなたが、私に毒を盛るはずもないだろう……ひとつ、渡しなさい」

 灑洛には、そのつもりはなくても、もしかしたら、侍女の中に―――皇太子や皇帝の命を狙うものが紛れ込んでいるのかも知れないと言うこと。

 それは、今まで考えなければならなかったのに、ちゃんと考えて居なかった。

「では、陛下。わたくしがお毒味を致します」

「そんなことをさせたら、遊嗄に恨まれるよ。そのままで良いから渡しなさい」

 苦笑交じりに言う皇帝の言葉を無視して、灑洛は、蓮花酥れんかすを一口、二口含んでしっかりと味わう。味には問題はない。身体にも異常はない。驚いて目を見開いている皇帝の、唖然とした顔を見て、灑洛は笑ってしまった。

(この皇帝陛下も、こんなお表情かおをなさることがあるのね)

「毒は入っていないようですわ……、どうぞ、陛下。なんだか、食べかけのものをお渡しするようで心苦しゅうございますけれど」

 自分のかじった食べ物を、食べて貰うということはなかった。灑洛の場合、目の前で、毒味が食べると言うこともなかったので、こういうことに慣れていない。

 灑洛が、掌の上にのせて捧げた蓮花酥れんかすを皇帝が手に取る。その瞬間、男の手にしては、酷く冷たい指先が、灑洛の掌にふれた。

(冷たいお顔立ち………だけではなくて、随分、冷たい指先なのね)

 遊嗄の指先は、もっと、熱かった。熱くて、甘いしびれを残すような指だ。

「では、頂こう。……蓮花酥れんかすも、懐かしいね。良く、姉上と、食べた」

 皇帝は、遠い目をしながら、蓮花酥れんかすを口に含む。その様子が変わらないことに安堵しながら、灑洛は、この皇帝が、ここに居るのに、ひどく遠い所にいるような心地になった。

「―――他の者には価値がないだろうが……、あなたにとっては、価値のあるものだろうと思って、持ってきたものがある」

 皇帝は侍官じかんに目配せした。恭しく、側に控えていた侍官は、宝玉で彩られた黄金の箱を捧げ持つ。捧げ持つことが出来るので、重くはないのだろうが、灑洛の肩幅よりは広く、深さもある箱だった。

 蓋を開けて、中から皇帝が取り出したのは、美しい上衣だった。

 かささぎの影が織り出された、後ろが透けて見えるほどのうすもので、ほんのりと蒼色が付けられている。金糸銀糸で、銀漢あまのがわが描かれている。

「これは、姉上が七月七日の節句の時に来ていた衣装だ。……こちらにはかんざしや腕輪もある。これらを、あなたに与えよう」

 箱から取り出した釵の類いは、公主が身に付けていたものに相応しく、きらきらしいものばかりであった。灑洛は「皇恩こうおんに感謝いたします」と一度礼をしてから、受け取る。

「なんて美しい……」

 灑洛も手にとって、うっとりと見とれるほどである。

「姉上は、降嫁される時に、あまりにも高価な衣装や持ち物の類いを、お持ちにならなかった。姉上は公主府こうしゅふにおいでだったが、そこに置かれたままだったよ。ねい家も、名家なのだから、持って行けば良かったのに、そういう線引きをなさる方だった」

「そうだったのですか……わたくしは、あまりにも幼い頃に母上を亡くしましたから、あまり、母のことを覚えておりませんの。賜りましたこの装束で、母の姿を偲ぶことが出来ますわ。有り難うございます」

 心から、灑洛は礼をする。

「いや、良い。……前にも言ったが、私は、今まで、あまりにあなたに対して疎遠だったのだ。この世に叔父が生きているというのに、あなたは、濘家でも、心細い思いをしていたと言うし、私を頼りがいのない叔父だと思って居たことだろう。幼いあなたに、余計な苦労をさせた分を、取り戻させておくれ」

「そんな……勿体ない言葉です」

 恐縮して言う灑洛に微笑を贈った皇帝の表情から、す、と笑みが消えた。

 氷のような―――とはこの皇帝の美貌を讃えるときに使われる言葉だが、氷ではなかった。一切の表情が消え失せたかのような、『無』の表情がそこにあった。

「陛下……?」

「あ……? ああ、一瞬、眩暈がしてね。ああ、大事ない……遊嗄とは、大分仲良くやっているようだね」

 美しい顔に浮かんだ表情は、微笑のようでもあったが、口元にかすかな侮蔑を感じた。

 その理由について、灑洛は思い当たる節があった。胸元! ここに、真紅の花弁の痕跡がある。

(遊嗄さまが、痕をお付けになるから……っ!)

 顔から火が出るような思いで、顔を伏せた灑洛は、これ以上ない羞恥に身を焼いていた。折角、亡母ゆかりの品を持ってきてくださったというのに、灑洛を、はしたないと思ったに違いない。

「いや、そなたに非はない。……それに、夫婦仲の良いことは、国にとっても喜ばしいことだ。さて、灑洛。あなたは、なにか悩み事があるようだけれど……、あなたの夫は、昨夜も、片時も放さなかったと見えるのに、その時に夫に相談することは出来ないのかい?」

「で、出来ませんわ……。だって、指南書には、ねやでは、お仕えする殿下や陛下に対して、お願い事をしてはいけないと書いてありましたもの」

 困り果てた表情で言う灑洛を見て、皇帝は、ぷっ、と小さく吹き出した。
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