神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第二章 遠雷

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遊嗄ゆうささまが、私を皇太子妃にすると言ってから……、ねい家での、私の扱いは目に見えて変わったのだったわ……)

 昨晩の疲れが身体に重く残るようで、全身が酷く気怠い。

 灑洛れいらくは、華臥かが殿の欄干に半身を預けながら、風華ふうか池を渡る風の、水を含んでひんやりした空気を楽しんで居た。

 昨晩の疲れ―――は、まだ、身体の最奥さいおうに、甘い違和感と、火照りの残滓が残っているようで、冷たい風が心地よい。

「妃殿下。そのようなところにおいでになりますと、お体を冷やしますから」

 鳴鈴めいりんが困ったような声をして、灑洛に訴えた。

「解ったわ。そろそろ、夢月むげつ殿へ戻るわ。このところ、日が高くなるまで、華臥殿ここにいるのも、考えものかしら……」

 夢月殿は、皇太子妃に与えられる殿舎である。東宮の東に位置して、風華ふうか池を挟んで華臥かが殿の斜向かいになる。

 夜は華臥かが殿で過ごし、そのまま、遊嗄と共に朝餉を採って、執務に向かう遊嗄の見送りはするものの、どうしても、疲れ果てて、そのあと、ひるまでは、寝転がって過ごすことが多い。

 華臥かが殿から見える風華ふうか池は、一面に蓮が咲くはずだが、朝早く咲く蓮を、灑洛は見たことがない。

「入宮した頃、遊嗄様……皇太子殿下は、わたくしに『一緒に蓮の花を見よう』なんて仰有ったのに、いつも、眠ってしまうから、見られないわ」

 けど、遊嗄にそんなことを言ったら、喜んで、ゆるゆると蓮の花が咲くまで、牀褥しょうじょく(ベッド)の上で戯れるに決まっている。

「少し、滋養を付けた方がよろしゅう御座いましょうか。それならば、東宮付の膳部ぜんぶに言って、なにか、精の付くものでも用意させましょうか?」

「まだ、慣れないだけよ」

 灑洛はそう言って、鳴鈴が『精の付くもの』などを用意するのを止めさせた。

 鳴鈴に手を引いて貰い、蓮と百合が刺繍された空色の上衣は侍女に抱えさせて、夢月むげつ殿へと向かう。最初のうちは輿を用意して貰ったのは、やり過ぎだったとは思うが、もの慣れない頃は、枕から頭を上げるのも難しくて、遊嗄の見送りさえ出来なかった。

 肌から口づけの痕が消えないように―――とは遊嗄が、初夜の閨で交わした誓いだが、婚礼の夜から二月経っても、その誓いは破られたことはない。

 月のものや、忌みごとがあって、同衾を控えなければならない時以外は、遊嗄は灑洛を求めた。毎晩に近いようなやりとりの中で、灑洛は、最初の時よりも遊嗄の身体に馴染んでいることが嬉しくもあったし、明け方近くまで求められるのは、節度を過ぎているとは思うものの、嫌ではないし、むしろ満たされた気持ちになる。

 その道・・・・の指南書などよりも、もっと深い交わり。

 おもいだすだけで、頬が赤らんでしまい、火照ってしまうので、風華ふうか池わたりの風の冷ややかさが有り難い。

 陽差しが強い。目を細めた所に、傘が差し出される。白い肌が焼けないように、陽の熱にやられて霍乱かくらんを起こさないように。

 胸元に影が落ちたのを見て、灑洛はそこに、今朝遊嗄が付けたばかりの口づけの痕を見つけた。

(痕を残すのがお好きなのかしら……)

 灑洛には、いまのところ公務らしい公務はないので良いが、人前に出る機会がある時は、見える場所には痕を付けないようにお願いしなくてはならない。

 ただでさえ、衣装は胸元、豊かな谷間が見えるほどに肌を露出した作りになっているのだから、胸元には控えて貰わなければならないだろう。

(万が一、貴嬪きひんにでも見られたら、はしたない娘だと思われてしまうわ……)

 後宮第一位の妃嬪ひひんであるだけでなく、遊嗄の生母でもある祁貴嬪には、悪く思われたくはない。それに、遊嗄も、生母と妃である灑洛が仲違いするようなことになるのは、望まないことだろう。

 夢月むげつ殿へ戻ると、疲れてしまって、灑洛は、池を見下ろすことの出来る窓際に置かれたちながいすに身を横たえるようにして座る。そこへ、鳴鈴が茶を持ってきた。蓮の実が入った薬草茶だ。どくだみなど匂いが強い薬草が入っているので、癖があるが、蓮の実のおかげで少し甘みが出て飲みやすくなる。

 身体に良いものだから、と遊嗄に勧められて飲んでいる。

「遊嗄さまも、心配性なのだわ」

 一緒に居る時は、階段さえ灑洛には降りさせない。抱えて遊嗄が運ぶのだ。

 重くはないだろうかとか、腰や腕に負担が掛かるのではないかと心配してしまうが、遊嗄は、気にもしない。それどころか、

「愛しい妻女つまを運ぶのは、夫の役目でしょう?」

 と言って憚らない。最初のうちこそ抵抗したが、今では諦めた。

「そういえば妃殿下。蓮と言えば、皇宮の花園にも池があって、あそこも蓮が見事だと言うことですよ。なんでも、あそこは、夜に咲く睡蓮だとか」

「まあ、それは珍しいこと……」

「ええ、西域からの献上の品だと聞きましたから、とても貴重なものなのだと思います。殿下とご一緒に見物に行かれては如何ですか?」

 鳴鈴が、にこやかに告げる。

「お忙しい殿下を、花見に連れ出すわけには……」

 なんとなく、花見がしたいとねだるのも気が引ける。勿論、遊嗄は優しいから、灑洛が望めば、どんなものでも与えるだろう。だから、度を超すのが怖いのかも知れない。

「蓮は、三日しか咲かないから……今年は無理だわ。殿下は、お忙しいのよ。今日も、沢山のご公務がおありだわ」

 東宮への戻りも遅い。灑洛を召さない時には、夜明け近くまで明かりが付いており、実務をこなしているのだと、東宮付の武官から聞いた。

「そうですか。残念ですわね。折角、花園へ行けると思いましたのに」

 鳴鈴が肩を落とした時、窓の外から、まろい声が聞こえてきた。

「遊嗄は、そんなに忙しいのかな? 可愛い妃が蓮の見物に行きたいというのを無碍にするような狭量な男だったかな」

 窓から身を乗り出してみると、そこには、皇帝の姿があった。とっさに、「皇帝陛下に拝礼いたします」と告げてから拝礼する。

 なぜ、こんな所に……皇太子妃の宮に、皇帝がいるのだろうかと、灑洛は思ったが、口にはしなかった。

「楽に。……丁度、君に渡すものがあってね。今日は、天気も良いことだから、散策がてら、ここまできたのだよ」

 皇帝は、ふ、と表情を和らげる。氷のような美貌が、ふんわりとした笑みを浮かべると、存外、優しげに見える。

「まあ、そうでしたか。……どうぞ、お入り下さいませ」

 慌てて入り口から窓下まで周り、一度拱手して礼をとってから、皇帝を部屋へと案内した。

 夢月むげつ殿の侍女たちは、突然の皇帝の来訪に驚いていたが、てきぱきと仕度を調えて、皇帝が部屋へ入った時は、茶と茶菓子の用意まで完璧に調っていた。

「あなたの部屋は、書物が多いね。それに、墨の香りがする」

 部屋を見回しながら、皇帝が言う。懐かしそうに見える横顔に、灑洛は思わず視線が釘付けになって仕舞った。

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