神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

文字の大きさ
15 / 74
第二章 遠雷

5

しおりを挟む

 皇帝の仰せの通り、花園にて幻灯げんとうを飛ばすことになった。

 皇帝が皇太子夫妻を招いたという形で、花園の四阿あずまやには、酒と料理まで用意されており、急な思いつきの為に侍官たちが苦労したのかと思うと、灑洛れいらくは申し訳ない気持ちになった。

 遊嗄ゆうさと並んで、四阿に設えられた席に着き、皇帝の到着を待ちながら、不安な気持ちでいた。

「やっぱり、我が儘なことを言うのは良くなかったかしら」

 灑洛は心配して、鳴鈴めいりんに言う。

 今宵は、唐突な席だったので、夕方に着替えたが、大分思案した。思案した結果、皇帝から賜った、亡き母、娥婉がえんのものだったという、うすものの上衣に、深衣しんい襦裙じゅくん被帛ひはくも上衣の軽やかさを殺さないように、と軽やかな装いにした。その分、肌が外の空気と近い様な気がして、少し、灑洛は落ち着かない。

いん太監たいかん、今宵の仕度は、大変だったのではないかしら……」

 側に控えていた尹太監に問い掛けると、彼はにんまりと笑って拱手した。

「いいえ、妃殿下」

 もちろん、迷惑だったと言わないのは解っている。それも顔に出ていたので、尹太監は満面の笑みを浮かべながら、灑洛に言った。

「短い時間で、皇太子殿下や妃殿下に喜んで頂けるように趣向を凝らすのは、確かに大変なことではありますが……そもそも、皇帝陛下は、思いつきで、小さな宴を催すことを度々なさる方でございますので、彼らは、慣れております。それよりも、妃殿下が、いま、彼らのことを気遣って下さったことのほうが珍しく、彼らにとっては嬉しいことでしょう。
 高貴な方々は、下々の者に気を掛けてくださることなどありません。我々は、いわば『使い捨て』のような存在なのです」

 使い捨て、という言葉が胸に刺さった。

「誰だって、そうだわ……役目が終われば、用はないのよ」

 それは灑洛にも言えることだ。今は、遊嗄の愛情を一身に受けているが、これが離れれば、灑洛は飾りの妃になるだろう。もし、遊嗄が別の女を愛して、その女が、灑洛を追い出そうと画策したら……殺されることもあるのだ。そして、愛情の離れた遊嗄が、守ってくれるとは限らない。

「悲しいことを言わないでおくれ、灑洛。……私は、絶対に、あなたを裏切ることはないからね」

 遊嗄に手を取られて、灑洛は微苦笑した。夢のようなことだと、知って居るからだ。口づけを受けながら、そのお伽噺のような夢に溺れたくなるほど、今が幸せで怖くなる。

 口づけが深くなったころ、尹太監が、こほん、と咳払いをした。

「……高貴な方が、おいでです」

 慌てて居住まいを正し、皇帝の到着を待つ。ふと見遣れば、遊嗄の口唇は、灑洛の唇から移った紅の色が淡く載っている。何をしていたのか、一目瞭然で解るのが恥ずかしい。

「皇帝陛下のお成りです」

 太監に告げられて、遊嗄と灑洛は立ち上がり、「皇帝陛下に拝謁いたします」と伏して拝謁した。

「よい、楽に……」

 と告げた皇帝の美貌に、驚きの色が載る。「父の退散も待てぬのか。口唇を乱しては、灑洛も恥ずかしがるだろうに」

 口づけのことを言われているのだと思うと恥ずかしくて顔も上げられなくなるが、遊嗄はお構いなしに、ぬけぬけと答える。

「これも、皇太子の務めの一つでございます」

「灑洛が恥ずかしがっている。顔も青ざめて気の毒なほどだ……少し控えなさい」

「私も、常に、こんな四阿で灑洛に触れることはありません」

「ならばよいが……酒色に溺れたなどと言う噂でも立てば、如何に皇太子のそなたと雖も、無事ではいられぬ。そうなれば、妃一人守るのも難しくなろう。それは、肝に銘じておくように」

 皇帝はそれだけを言って、席に着いた。

 傍らの女官が、皇帝の杯に酒を注ぐ。この酒は、既に毒味済みのもののようだった。

「夫婦仲の良いことは喜ばしいが……灑洛は、そなたにねだりごとの一つも出来ぬらしいぞ」

「え?」

 遊嗄が灑洛を見る。その美貌には、ありありと『戸惑い』のいろが浮かんでいた。

「なにか、欲しいものでもあったのかい? ……かんざしかな、それとも、指輪か……衣装だろうか。あなたのほしいものならば、何でも取り寄せるよ。遠慮などしないで、何でも言っておくれ?」

 遊嗄は灑洛の腰を引き寄せて言った。灑洛は、慌てて、「違います」と否定する。

「違うのです……あの、蓮の花を、二人で見物したかったのです……でも、お忙しいと思いましたし」

「蓮の花? それだけ?」

 拍子抜けしたように、遊嗄が聞く。灑洛は、ゆっくりと頷いた。髪に付けた金歩揺きんほようが、サラリ、と揺れる。

「……蓮は、三日しか咲きませんし、朝早い内しか見ることは出来ません。……ですから、見られる時期も限られていますし」

「そんなささやかな願い事ならば、いくらでも言ってくれれば良かったのに」

 遊嗄は灑洛を抱きしめかねない勢いだったので、灑洛は、慌てて、「でも、今から見ることが出来れば、私は嬉しいですわ」と遊嗄に告げる。

「本当に?」

「ええ……」

 そとこに、尹太監が、咳払いをして、遊嗄に皇帝の御前であると合図をする。

「太監。そろそろ、幻灯を飛ばしてくれ」

「畏まりました、陛下」

 命じられた宦官たちが一斉に拱手して、四阿から離れる。花園の池の畔にたち、なにやら両手で抱えなければならないほどの大くて白いものを持っているようだった。

「あれは、紙を貼って作った幻灯だよ。……急あつらえだが、ひととき、目を楽しませてくれる。中に蝋燭が入っていてね。中の空気が暖められて、ふんわりと空を彩る」

 皇帝の言葉通り、宦官たちの手によって幻灯に火が入れられる。ぼうっとした暖かみのある色合いの明かりに内側から照らされた幻灯は、様々な趣向が凝らしてあるようだった。

 影絵になっているもの、透かしが入っているもの、押し花が貼り付けたものなどがあって、ふんわりと空に向かって昇っていくさまは、たとえようもなく美しかった。

(なんて美しいのかしら……)

 幻灯はどこへ流れていくものか、皇城の空をゆうらりと漂いながら、風に身を任せてどこかへ向かっている。運命に身を委ねるしかない幻灯の美しさは、どこか、残酷なようでもある。

「天界のような光景ですね」

 遊嗄が、皇帝に呼びかける。皇帝の秀麗な横顔は、天へ昇っていく幻灯を見つめながら、憂いに翳るようだった。

ちんには、魂が空へ帰っていくようにも見える」

 低い美声で呟かれた言葉に、灑洛は、胸騒ぎのようなものを覚えた。

「父上は、あの中に、どなたかの魂をさがしているのですか?」

 遊嗄の問い掛けに皇帝は一度顔を巡らせたが、「どうだろうな」とはぐらかすように答えて、それきり黙ってしまった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...