12 / 13
絵描きの怖い話
しおりを挟む
彼は仕事の疲れを癒すため、休暇を取り山の中の別荘に滞在していた。
せいぜい一ヶ月程度しか休めないが、誰ともかかわらずメールも開かずに一人ではねを伸ばそうと決めて、実際にそうしていた。
別荘の近くには湖があり、彼は時々釣り竿を持って湖へと出かける。だが、ほとんど何も釣れない事が多かった。
その日彼は湖畔で趣味の絵を描こうと思い立ち、釣り竿の代わりにスケッチブックと、画材道具を一式持って出た。
景色の良い場所に、アウトドア用の倚子を設置し腰を下ろす。
湖は広く、全景は彼の位置からは見えないが、素晴らしく落ち着く景色であることは確かだった。
しばらくスケッチをしていると、次第に霧がかかりはじめた。
景色が良く見えずに、彼は何度かまばたきを繰り返す。
「……まったく」
描こうと思っていた景色は霧に埋め尽くされ、辺りは幻想的な景色へと変貌していた。
だが、これでは彼の描きたい物が描けない。
仕方なく霧を描き加えていると、どこからともなく霧の隙間を横切る黒い影が現れた。
「なんだあれは……?」
不思議に思ってじっと見ていると、遠くに浮かぶその影は、どうやら小型の船のようだった。
釣りでもしているのかと思ったが違う。
船に乗っている男のような影は、周囲を見回し、船に乗っていた何か大きな荷物を抱え上げた。
袋に詰められたそれはいかにも重そうだったが、人間の姿をした影は湖へと投げ入れた。
「……」
何の音も聞こえなかった。
遠くに浮かぶ人影は、荷物を湖へ棄ててしまうと、再び霧の中に姿を消した。
今のは何だったのだ、と男は思った。
だが、確かめる術はない。
急に怖くなり、画材道具をまとめて小屋へと戻り鍵を閉めた。
しばらく何も考えずにベッドに座り、それからおもむろにスケッチブックを開いた。
部屋の一つに置かれていたキャンバスに、スケッチブックを見ながらすさまじい勢いで絵を描き始めた。
霧の立ち込める湖、遠くに浮かぶ船。湖に何かを棄てる人間の影。
食事も忘れて絵の具を叩きつけるように塗りたくり、絵が完成した時には夜中になっていた。
その夜彼は夢を見た。
彼はボートに乗って霧の中を進んでいる。周囲は霧で何も見えず、湖の中は真っ暗闇だ。彼は不安で仕方がない。船に積んでいるあれを、早く棄ててしまわなければ……。
その重い荷物を引っ張り出して、何とか抱え上げると湖の中へと投げ入れる。
やはり音はしなかった。
これでようやく自由になれた。
あの女から。
目が覚めた時には大量の汗をかいていた。
恐ろしくて手が震えた。
だが、昨日の光景がそんな夢を見せたことは確かだった。
きっとあれは大したものではないのだろう。男が夢の中で想像したようなものではないはずだ。
何とか気持ちを落ち着かせ、男は顔を洗って朝食を取った。
外は晴れていて、昨日の幻想的な光景は跡形もない。
もしかすると霧が見せた幻だったのかもしれないと思った。
夕方から雨になり、室内ですることもない男はラジオを聞きながら昨日の絵の続きを描くことにした。
ふと見ると、男が描いたものと違っている。
船は霧の中へ消えようとしていて、残された荷物が湖へと沈んでいく所が描かれていた。
絵の中の荷物は解け、中から女の腕が伸びているように見えた。
男は咄嗟にキャンバスを床に叩きつけた。
しばらくしてもう一度拾い上げると、近くにあった絵の具で、腕の部分を塗りつぶした。
きっと無意識に描いていたのだろう。
そう思ったが、それにしても気味が悪い。
もうこの絵を描くのは止めようと思った。
翌日も雨だった。
男はうんざりした気持ちで窓の外を眺めた。
湖は相変わらず雨に覆われていて、空はどんよりと曇り、男の気分は沈んでいた。
あれからよく眠れない。
溺れている女の夢ばかり見るのだ。休暇はまだ残っていたが、もう帰りたい気持ちになっていた。
荷物をまとめようとして、部屋の隅に片づけておいたキャンバスを取り上げると、男は悲鳴を上げた。
絵の中の湖に泳ぐ人の姿がある。
頭だけ出してこちらに泳いで来ている姿は、まるで夢の中の女のように見えた。
そんなはずはない。絵の具で塗りつぶしはずだ。それにあれは腕だった。
恐怖に駆られて男はカッターナイフでキャンバスを切り裂いた。
ばかばかしい。
疲れているのだ。
無意識にこんな絵を描いていたのだろう。
少し休めばきっと調子が戻る。少し休んでここを出よう。
男はベッドに体を投げ出して目を閉じた。
雨が酷くなり、次第に風も強くなる。
眠ろうとしていた男の耳に、突如小屋の扉をノックする音が響いた。
どきりとして布団を頭から被る。
ガタガタと扉を揺らすのは、風の音ではない。
男が震えていると、今度は外を歩くような足音がした。
やけに重い足音だ。まるで身体全体を引きずっているような。
「早くどこかへ行ってくれ……」
恐怖に震えながらじっとしているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。不思議な静けさの中で目を覚ました。
嵐は止んだらしい。
風の音も雨の音もしない。
ほっとして身体を起こし、顔を洗って着替えようと思う。
しかし酷い嵐だった。
一体外はどうなっただろうと、小屋の扉を開ける。
外は暗かった。
まだ夜は明けていなかったのだ。
そして男はそれを見た。
まるで絵のような、風景だった。
せいぜい一ヶ月程度しか休めないが、誰ともかかわらずメールも開かずに一人ではねを伸ばそうと決めて、実際にそうしていた。
別荘の近くには湖があり、彼は時々釣り竿を持って湖へと出かける。だが、ほとんど何も釣れない事が多かった。
その日彼は湖畔で趣味の絵を描こうと思い立ち、釣り竿の代わりにスケッチブックと、画材道具を一式持って出た。
景色の良い場所に、アウトドア用の倚子を設置し腰を下ろす。
湖は広く、全景は彼の位置からは見えないが、素晴らしく落ち着く景色であることは確かだった。
しばらくスケッチをしていると、次第に霧がかかりはじめた。
景色が良く見えずに、彼は何度かまばたきを繰り返す。
「……まったく」
描こうと思っていた景色は霧に埋め尽くされ、辺りは幻想的な景色へと変貌していた。
だが、これでは彼の描きたい物が描けない。
仕方なく霧を描き加えていると、どこからともなく霧の隙間を横切る黒い影が現れた。
「なんだあれは……?」
不思議に思ってじっと見ていると、遠くに浮かぶその影は、どうやら小型の船のようだった。
釣りでもしているのかと思ったが違う。
船に乗っている男のような影は、周囲を見回し、船に乗っていた何か大きな荷物を抱え上げた。
袋に詰められたそれはいかにも重そうだったが、人間の姿をした影は湖へと投げ入れた。
「……」
何の音も聞こえなかった。
遠くに浮かぶ人影は、荷物を湖へ棄ててしまうと、再び霧の中に姿を消した。
今のは何だったのだ、と男は思った。
だが、確かめる術はない。
急に怖くなり、画材道具をまとめて小屋へと戻り鍵を閉めた。
しばらく何も考えずにベッドに座り、それからおもむろにスケッチブックを開いた。
部屋の一つに置かれていたキャンバスに、スケッチブックを見ながらすさまじい勢いで絵を描き始めた。
霧の立ち込める湖、遠くに浮かぶ船。湖に何かを棄てる人間の影。
食事も忘れて絵の具を叩きつけるように塗りたくり、絵が完成した時には夜中になっていた。
その夜彼は夢を見た。
彼はボートに乗って霧の中を進んでいる。周囲は霧で何も見えず、湖の中は真っ暗闇だ。彼は不安で仕方がない。船に積んでいるあれを、早く棄ててしまわなければ……。
その重い荷物を引っ張り出して、何とか抱え上げると湖の中へと投げ入れる。
やはり音はしなかった。
これでようやく自由になれた。
あの女から。
目が覚めた時には大量の汗をかいていた。
恐ろしくて手が震えた。
だが、昨日の光景がそんな夢を見せたことは確かだった。
きっとあれは大したものではないのだろう。男が夢の中で想像したようなものではないはずだ。
何とか気持ちを落ち着かせ、男は顔を洗って朝食を取った。
外は晴れていて、昨日の幻想的な光景は跡形もない。
もしかすると霧が見せた幻だったのかもしれないと思った。
夕方から雨になり、室内ですることもない男はラジオを聞きながら昨日の絵の続きを描くことにした。
ふと見ると、男が描いたものと違っている。
船は霧の中へ消えようとしていて、残された荷物が湖へと沈んでいく所が描かれていた。
絵の中の荷物は解け、中から女の腕が伸びているように見えた。
男は咄嗟にキャンバスを床に叩きつけた。
しばらくしてもう一度拾い上げると、近くにあった絵の具で、腕の部分を塗りつぶした。
きっと無意識に描いていたのだろう。
そう思ったが、それにしても気味が悪い。
もうこの絵を描くのは止めようと思った。
翌日も雨だった。
男はうんざりした気持ちで窓の外を眺めた。
湖は相変わらず雨に覆われていて、空はどんよりと曇り、男の気分は沈んでいた。
あれからよく眠れない。
溺れている女の夢ばかり見るのだ。休暇はまだ残っていたが、もう帰りたい気持ちになっていた。
荷物をまとめようとして、部屋の隅に片づけておいたキャンバスを取り上げると、男は悲鳴を上げた。
絵の中の湖に泳ぐ人の姿がある。
頭だけ出してこちらに泳いで来ている姿は、まるで夢の中の女のように見えた。
そんなはずはない。絵の具で塗りつぶしはずだ。それにあれは腕だった。
恐怖に駆られて男はカッターナイフでキャンバスを切り裂いた。
ばかばかしい。
疲れているのだ。
無意識にこんな絵を描いていたのだろう。
少し休めばきっと調子が戻る。少し休んでここを出よう。
男はベッドに体を投げ出して目を閉じた。
雨が酷くなり、次第に風も強くなる。
眠ろうとしていた男の耳に、突如小屋の扉をノックする音が響いた。
どきりとして布団を頭から被る。
ガタガタと扉を揺らすのは、風の音ではない。
男が震えていると、今度は外を歩くような足音がした。
やけに重い足音だ。まるで身体全体を引きずっているような。
「早くどこかへ行ってくれ……」
恐怖に震えながらじっとしているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。不思議な静けさの中で目を覚ました。
嵐は止んだらしい。
風の音も雨の音もしない。
ほっとして身体を起こし、顔を洗って着替えようと思う。
しかし酷い嵐だった。
一体外はどうなっただろうと、小屋の扉を開ける。
外は暗かった。
まだ夜は明けていなかったのだ。
そして男はそれを見た。
まるで絵のような、風景だった。
0
あなたにおすすめの小説
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる