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・第11島へ
祖父との出会い
しおりを挟むあの日から、セリムの一日は一変した。
朝、部屋の鍵が使用人によって開かれると、食事探しから始まり、夜は使い古されたソファで眠る。
そんな毎日でも稽古はなくならなかった。
優しかった剣士のスキルを持った退役軍人ではなく、見たことのない若い男だった。
「そんなことでへこたれていたら、軍人としてやっていけませんよ!」
「坊っちゃんには厳しく教えるように言われていますからね。普通の人間の何倍も努力せねばならんのです!」
「今日はここまでにしておきますが、明日はこんなものでは済みませんよ」
子供には重い模擬剣を持たされ、素振りの回数は増えた。
少しでも体感がぶれると屋敷の周りを走らされた。
あとから噂で聞いた話だが、父は弟にも剣聖のスキルが発現しなければ、セリムに剣聖スキルを持っていると偽らせるつもりだったという。
この常軌を逸した訓練は、そのためのものだったのだろう。
今ならわかる。そんなことをしても、剣聖には近づくこともできないということに。
その日も、ドロドロに汚れた服のまま廊下を歩いていると、向かいから使用人が歩いてきた。
「ほら、セリム坊っちゃんよ」
「ああ、外れのほうの」
「やめなさいよ、聞こえるわよ」
本邸の使用人たちは、毎日セリムの顔を見るとヒソヒソ話をするようになった。
「剣聖の息子でも剣聖スキルがあるとは限らないんだな」
「まぁ、あたしたちには、スキルなんて無縁の代物よね」
「でも、坊っちゃんは悪いことをなさらないのにかわいそう」
「侯爵家では剣聖スキルを持たないことが既に罪なんだよ」
最初は何で自分がこんな目に合うのかと思うこともあった。
しかし、母が心労で領地へ戻り、部屋を出てこれなくなったと聞いてからは、自分が生まれてきたばかりに迷惑をかけて申し訳なく思った。
セリムを産んでしまったせいで、そんな目にあった母のことを思えば、こんなことはまだマシだとさえ思えた。
どうにか、自分がこの家に役立てることを証明しなければ、母は、侯爵家は……という使命感だけで日々を過ごしていた。
「それにあれでしょ。今日のシオン坊っちゃんの鑑定で、剣聖スキルが出るかもって」
「あーあ、俺もシオン坊っちゃんに付きたかったなー」
「でも、セリム坊っちゃん付きなら、何もしなくてもいいし、楽じゃない?」
「それもそうだな、ハハハ」
今日は弟の5歳の誕生日のようだ。
夜、タウンハウスのホールでは、この日のために、領地から帰ってきた弟シオンの5歳の誕生日パーティーが開かれていた。
セリムはというと、縁起が悪いと、湯浴みを終えたあと、いつものように小さな書斎に閉じ込められた。
使用人はほとんどホールに駆り出されていった。
セリムは、いつもより静かな部屋の窓から、階下の明かりを眺めた。
あの明かりの中に、3年前まで自分も居たのに。そんな思いが過ぎった。
その時、わぁああ、という声と拍手が鳴り響いた。きっと、弟に剣聖のスキルが発現したのだろう。
悔しい思いもあるが、心のどこかで安堵した自分がいた。
これでコルマール侯爵家は無事存続できる。
もう、自分がとれると思えないような責任を負わされることもない。
そろそろと小さな窓から離れて、いつも眠っているソファに横になると、昼間の疲れも相まって、セリムはすぐに眠りについた。
そして、弟に剣聖のスキルがあるとわかった翌日から、セリムは誰からも声をかけられなくなったのである。
祖父と出会ったのは、誰にも声をかけられなくなって幾日か経ってからのこと。
なにせ、誰もセリムに声をかけないし、部屋の中にばかりいると、段々何日経ったかわからなくなっていた。
書斎にある、ちょっと難しそうな本を、自分が読めることに気づいたセリムは、ひたすら窓からの陽射しを頼りに、その日も読書に励んでいた。
夢中になって読書していたせいで、昼前頃にガシャンと大きな音がして、突然扉が開いた時にはに飛び上がってしまった。
「おまえは……セリムか?」
セリムは一瞬、目の前の壮年男性が誰か分からなかったが、年格好から祖父であると判断した。
「お祖父様……ですか」
物心つく頃には戦争で祖父はいなかったので、初めて出会ったも同然だった。
祖父シリルは黒髪で大柄な、ひげの生えた強面の男だった。
また右目に眼帯をしているのが、強面に拍車をかけていた。
父と同じ黒髪で大柄な男を見て、セリムは知らず知らずのうちに恐怖で震えた。
「なんでここにいる」
「お、お父様が……ここにいろって」
父の話題を出すと、祖父は大きなため息をついた。
「何を読んでいるんだ」
ちょうど、セリムは書斎にあった『人体の構造と機能』という学術本を読んでいる途中であった。
勝手に読んでいたことを咎められると思ったセリムは後ろ手に本を隠し、謝った。
「……ごめんなさい」
祖父はつかつかとセリムに近づいて、隠していた本を取り上げて眺めた。
「おまえ、これが読めるのか」
怒られると思ったのに、質問が飛んできて、セリムは上目遣いに祖父の顔を見上げた。
どうやら、怒られることはなさそうだ。
「難しかったけど、あれらの本で調べながらなら、少しずつ読めました」
窓際に置いた辞書や図鑑を指差すと、祖父はひげを触りながら何やら思案し始めた。
セリムは、稽古がなくなって空いた時間に本を読むようになり、読書に魅了された。
何より知ることが楽しく、難しい本でも、どうすれば読めるかもわかっていた。
なので、ここから追い出されて、読書ができなくなったらどうしようか、と気を揉んだが、それは杞憂に終わった。
「……わしと一緒にくるか?ここより沢山の本もあるし、広い部屋で暮らせるぞ」
沢山の本と広い部屋。セリムは一瞬笑顔になったが、すぐに俯いた。
「でも……お父様が何ていうか……」
あの日の、自分をきつく睨みつけてきた父が思い出されたのだ。
「こんな狭い部屋に子供を押し込めるようなやつの言う事なぞ、気にせんでいい」
父のことを気にしなくていい。そんなことを言う大人は初めてだった。
「おい、ドニ。アランに言っておけ。セリムはうちで育てる」
祖父に連れられたセリムは、執事室にいた。
まだ30代半ばの執事ドニが座っていた執事室は、セリムが過ごしていた祖父の書斎より大きくて、立派な部屋だった。
「シリル様!そんな勝手な……」
ドニは、大きな声で祖父を非難した。
立ち上がり机の前に出てくると、祖父に詰め寄ろうとしたが、祖父に睨みつけられて立ちすくんだ。
「お前は見てみぬふりをしていたのだろう。とやかく言える立場か?」
ドニは祖父から目をそらした。
「あと、私は前領主だ。退いたとはいえ、お前に反対されるいわれはない。お前も分をわきまえるように」
「わ……かりました」
執事も前当主には逆らえないようだ。祖父はセリムの方を振り返ると、しゃがんでニッコリと笑った。
「よし、セリム。今すぐ、帰ろう。その本はあっちにもあるから置いてきなさい」
「はい。お祖父様」
セリムは祖父と手を繋ぎ、タウンハウスを脱出した。
領地は王都から南へ馬車で1日ほどの場所にある。
祖父がいつも暮らしている領地の別邸では、大きな部屋にふかふかのベッド、1日食事は3回。おやつも出てきた。
聞いたら答えてくれる使用人。
久しぶりに大人に頼れることに、セリムはとても安心したのであった。
「セリムっっ」
そんな過去の夢は、誰かが自分を呼ぶ声で終わりを告げた。
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