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第一章 はじまりの物語とハッピーエンド

ようかいさんと黄金餅(前編)

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 最近の『酒処 七王子』は当初の閑散とした状況から少しずつ改善している。
 常連さんも増えたし、噂を聞きつけてやってくる”あやかし”もいる。
 
 「御免」

 でも……今日来たお年寄りの方はちょっと雰囲気が違ったのです。
 江戸時代の小袖に羽織、足袋たび草鞋わらじとお侍さんのような出で立ちでした。
 髷を結ってないのはご隠居だからかな。

 「藍蘭らんらんさん、あの人……」
 「あらま、珍しい」

 妖怪には妖力がある、慈道さんのような人間には霊力がある。
 でも、それを両方持っている”あやかし”を見たのは初めてだ。

 「妖力と霊力って共存しましたっけ?」
 「うーん普通はしないはずなんだけど。人間が妖怪化した時は霊力が反転して妖力になっちゃうからね」
 「英霊とか神霊でしょうか」

 歴史の中で偉業を残した人物は英霊となる事がある。
 さらに奉られると神霊、やがては神にまでなるスゴイ人もいる。
 でも、たとえ悪霊となったとしても霊力と妖力は共存しない。
 悪霊となって奉られた後に神霊に変わる事があるくらいだ。
 例えば、天神様、菅原道真すがわらのみちざね公とかがそう。
 妖力と霊力は似て異なるものなのよね。

 「うーん、そこまで強そうにも見えないけどね」
 「そーですよね。まぁ珍しいお客様って事で、あ、オーダーを取ってきますね」

 あたしは初めてのお客さんに近づく。

 「いらっしゃいませ、ご注文は何になさいますか」
 「ふむ、近所を散策している時に見たのじゃが、鰯の丸干しと麦飯と香の物をを頂けるのかの」
 「はいっ、ありがとうございます」

 あたしは昼間に自家製干物を作っている。
 干物ネットで干していたのを見られたのだろう。
 魚は一夜干しでも味はぐっと変わる。
 さばきたてとはまた違う旨みが生まれるの。
 あれを見て来店してくれたのか、嬉しいな。

 「はいっ、お待たせしました」

 ジジジと音を立てて、鰯の丸干しが香ばしい匂いを立てる。

 「ほう、これは良さそうじゃ。さてお味は」

 そういってお客様はガブリと頭から鰯にかぶりつく。

 「うむ、うまい」

 淡々と箸を進めているが、その顔がほころんでいるのはわかる。

 「ふむ、麦飯もふっくらと柔らかく、香の物も良い塩梅じゃな」
 「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」

 あたしはそう言って台所に引っ込んだ。

 「良い飯じゃ、今日は少し贅沢でもしてみようかの。おい中汲なかぐみをくれんか」
 「はいはーい」

 あたしが台所で調理をしていると、カウンターからお客様と藍蘭らんらんさんのそんなやり取りが聞こえた。
 ん……中汲み!?

 「藍蘭らんらんさん! だめですそれ!」

 手遅れだった。
 あたしが台所から出てお客様を見た時、すでに日本酒ががれ、それをお客様は飲み干している所だった。

 「これは諸白もろはくではないか! 儂は中汲みと言ったはずだぞ!」

 あちゃー
 
 「えっ!? ちゃんとこれ”中汲み”って書いてあるわよ」

 藍蘭らんらんさんが瓶のラベルを指差して言う。

 「違うと言ったら違う! 儂の舌の方が正しい」

 ふたりの言い分はどっちも合っている。
 だけど違うの、時代が。

 「申し訳ありませんお客様。すぐに中汲みを持ってまいります」

 あたしは席に行き、頭を下げた。

 「ちょっと、珠子ちゃん。あたしが間違っているって言うの!?」
 「いーから、いーから、今はあたしに任せて」

 あたしは藍蘭らんらんさんを押しながらカウンターの中に入る。
 日本酒の棚を見ると、あった! 濁り酒! 
 しかも時間が経っているので、白い部分と透明な部分が分離している、よかった。
 あたしはそーっと濁り酒の瓶を取り出し、その上澄みの部分をこれまたそーっと徳利とっくりそそぐ。

 「珠子ちゃん、それ濁り酒よ。いいの、混ぜないで?」
 「いいんですよ藍ちゃんさん、これでいいんです」

 そしてあたしはその徳利を持ってお客様の席に向かう。

 「先ほどは失礼いたしました。こちらが中汲みになります」
 
 そう言ってあたしは徳利のお酒を猪口ちょこぐ。

 「うむ、うまい」
 
 よかった、気に入ってもらえたみたい。

 「娘よ」
 「はい、なんでしょう」
 「ここはお主が切り盛りしておるのかの?」
 「いいえ、あたしは雇われの身です」
 「そうか、辛いものよの、理解の無い上司に雇われるのは」
 「そうでもないですよ、みんないい人です」
 「そうか……」

 そう言ってお客様はしんみりと香の物を肴にお酒をちびちびと飲み続けた。

 「馳走になったな」

 お客様はそう言って席を立った。

 「あの、よろしければお名前を教えて頂けないでしょうか」
 
 あたしの問いにお客様は少し困った顔をして、

 「名乗るほどの者ではないよ。ただの”ようかい”とでも名乗っておこうかの」

 その答えにあたしはピンときた。
 あー、この人だったら妖力と霊力を持ち合わせてもおかしくないわ。

 「はいさん。またのお越しをお待ちしております」

 怪異かいいというあたしの呼び方にお客様は少しニヤリとした。 

 「ふふふ、さかしい娘じゃ、じゃがそれも良い。また来よう、うまかった」

 料理人にとって最高の賛辞を残して、ようかいさんは立ち去って行った。

◇◇◇◇
 
 「で、珠子ちゃん、さっきのアタシの何が悪かったのかしら?」
 「ああ、藍ちゃんさんは悪くありませんよ。ちょっとすれ違いがあっただけです」
 「すれ違いって?」
 「時代による中汲みの意味の違いですよ」

 カウンターの中であたしと藍蘭らんらんさんはさっきのさんについて会話をしていた。

 「中汲みの意味は時代によって違うのです。この瓶のラベルに”中汲み”って書いてありますよね」
 「ええ」
 「日本酒の作り方はご存知ですか?」
 「ざっくりとは知っているわ」

 よかった、それなら説明しやすい。
 
 「日本酒は最後にもろみ圧搾あっさくして、酒と酒粕さけかすに分離するんですけど、絞り出た最初の部分を『あらばしり』中間を『中汲み』最後を『責め』というのです」
 「へー、そうなのね。ちょっと刺激的」

 中の部分だから『中汲み』、これが現代の意味。

 「でも、江戸時代だと『中汲み』は濁り酒の上澄みの部分を指すのです」
 「へえー、じゃあ諸白もろはくって?」
 「あれは清酒の事ですね。江戸時時代ですと高級品でした」 
 「そーいう事だったのね。だからアタシの出した中汲みは諸白っていわれちゃったのか」
 「そーです。あれは江戸時代では諸白になります」
 
 あのようかいさんは贅沢をちょっと嫌っていたみたい。
 だから諸白を出されて怒ったのだ。

 「それに珠子ちゃん、あの”あやかし”の正体に気付いていたみたいだけど、誰なの?」
 「ちょっと考えれば簡単ですよ。あの人は江戸時代から明治時代に生きた英霊さんです」
 「英霊? 妖力を持っているのに?」
 「ようかいさんが妖力を持っているのは、あの人が人でありながらになったからです」
 
 そう、それしか理由は考えられない。
 不思議な事もあるものね。

 「人でありながら妖怪って!? そんなの無理よ! だって人は妖怪になる事はあっても、妖怪は人にはなれないわ!」

 そう、人は妖怪になる事は出来る。
 例えば恋に狂って鬼になったひともいる、大蛇に変容したひともいる。
 だけど、その人たちは人をやめて妖怪になったのだ。
 妖怪は人間になれない、いやなったという話をあたしは知らない。

 「あの人だけは特別なのです。おそらく、世界にたったひとりしかいないでしょう」
 「それでもおかしいのよ。妖怪になってもおかしくないような生き様と死に様を迎えたなら、死後に悪霊になるわ。でも、あの”あやかし”は英霊として正気を保っていたじゃない」
 「あの人は恨みを残して死んだ訳ではありません。普通の人として穏やかな死を迎えました」
 
 あたしの言葉に藍蘭らんらんさんはちょっと考え込む。
 そして、手をポンと打った。

 「ああ、わかった! あの人ね!」
 「そうです、あの人は鳥居耀蔵とりいようぞう、遠山の金さんのライバルキャラにして、かつて”ようかい”と称された偉人です」

 鳥居耀蔵、江戸時代後期の南町奉行で、天保の改革を実行した老中『水野忠邦みずのただくに』の部下のひとり。
 ”ようかい”のあだ名は彼がかつて”甲斐守”の官位を持っていたから。
 耀蔵ようぞうの”よう”と甲斐守の”かい”、合わせて”ようかい”、江戸の人々からそう言われていたのだ。
 その後、水野忠邦の失脚時に上司である水野忠邦を裏切り、さらにその後、水野忠邦の復帰に伴い裏切者として断罪され、四国の丸亀藩のお預けの身、つまり幽閉になった。
 
 「でも意外だわ、明治時代まで生き残ってたなんて」
 「そうですね。明治政府から恩赦おんしゃが出て、晩年は東京で穏やかに過ごしたらしいですよ」

 あの勝海舟にも会ったという逸話が残っている。 

 「だから人でありながら”ようかい”になり、そして死後は悪霊となる事なく英霊として存在できたのね。まあ、どっちも力は弱そうだけど」
 
 鳥居耀蔵は知名度はそれなりだけど、最後に負ける悪役のイメージが高い。
 そして”ようかい”としても逸話があるわけじゃない。

 「で、最後に怪異って珠子ちゃんが言ったのは?」
 「ああ、あれも”ようかい”と同じですよ。甲斐の”かい”と鳥居の”い”で”怪異かいい”というわけです」

 ちょっとかまかけの意味もある。 
 それが見事に当たって、あたしは確信を得たのだ。

 「ほほう、妖力を持った英霊か。珍しいな」

 あたしたちの背後に何かが現れた。

 「はひっ!?」
 「あら兄さん」

 現れたのは黄貴こうき様、相変わらず神出鬼没だ。

 「黄貴こうき様、どうしてここに!?」

 この長男は色々な所に出没している。
 町に店に、時には地方にも行っているらしい。
 たまに地方銘菓のお土産をくれる。
 ありがとうございます、梅が枝餅うめがえもちおいしかったです。

 「ふむ、女中よ」
 「はい、なんでしょう」
 「あの”ようかい”とやらを部下にしたい、協力せよ!」
 「はい!?」



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