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第三章 襲来する物語とハッピーエンド

鉄鼠とゼリーフライ(中編)

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 「ふむ、珠子殿の話から予想した通り、鉄鼠てっそであったか。いや頼豪鼠らいごうねずみと呼んだ方がよいかな」
 「その名は捨てた! 今の俺は鉄鼠てっそ! 万のねずみを従える”あやかし”よ!」

 鉄鼠てっそ、あたしの話を聞いた慈道さんが予想した巨大ネズミの正体。
 それは平安時代の僧『頼豪らいごう』が変化へんげした”あやかし”。
 
 「鉄鼠さん、まっとうなお客としてご来店される気はありませんか? それだったら、上等な料理とお好みの酒をご用意しますよ」

 あたしは鉄鼠さんを説得する。
 
 「嫌だね! ここは上手い酒と料理がたんとある! 俺はこれからも勝手気ままにむさぼり食うさ」

 あたしの説得は失敗に終わった。
 もう、普通にご来店されるならば、お勘定のツケだって考えるのに。

 「ならば、この外道を拙僧が調伏しよう。なに幽世かくりよで何十年か傷を癒せば再び現界げんかいする事もできようて」

 そう言って慈道さんは錫杖を構える。

 「頑張って下さい! カウンターのお酒や割れ物は橙依とーいくんの異空間格納庫ハンマースペースに格納していますので、ドタバタしても大丈夫ですから!」
 「心得た」

 そして慈道さんは流れるような動きで錫杖を突き出す。
 鉄鼠はその爪で応戦する。

 ギギギンという固い物が打ち合う音が室内に響いた。

 「はん! その程度の法力ちからで俺とやり合おうってのか!? 身の程を知れ!」

 あたしの目に映らない速度で鉄鼠の爪が空を切る。

 「ほっ、ほっ、ほいっ!」

 ゴキュ

 錫杖が鉄鼠の脳天に叩き込まれた。
 爪をいなした慈道さんの錫杖が光の弧を描いてカウンター気味に叩き込まれたのだ。

 「うっ、ま! まぐれだっ!? でっ!!」

 鉄鼠は言葉を続ける事は出来なかった。
 続けざまの横薙ぎが側頭を叩いたから。

 「戦闘中におしゃべりとは余裕じゃの。口がなめらかになるのは経を読む時と、旨い料理を食べた時だけでよいのじゃよ」

 普段と変わらない口調で慈道さんは戦闘を、いや調伏を続ける。
 突き、払い、かち上げ、振り下ろし、錫杖が光の軌跡を描くたびに鉄鼠は打ちのめされていく。
 あっ、膝が入った。
 
 「ぐぼっ!」

 その衝撃に鉄鼠は膝をつき、手で体を支える。

 「こう見えてもこの慈道、弘法大師空海様の足元くらいには及ぶと自負しておる。ましては悪行に身を落とした外道なんぞには遅れは取らんよ」

 すごい! 強い! カッコイイ!
 いやー、強いんじゃないかと思っていたけど、想像以上だわ。

 「くっ!」

 形勢不利とみたのか、鉄鼠は出口に向かってダッシュした。

 「ぴぎゃっ!」

 だけど、それは叶わなかった。
 鉄鼠が扉に触れた瞬間、見えない何かに弾き飛ばされる。 

 「あやかし除けの結界符を内側に向けて発動した。お主がここに侵入してからな」

 あっ、あの錫杖で床を叩いた時!
 いやー、さすが、抜け目ないなぁ。

 「さて、おとなしく調伏されるがよい」 
  
 慈道さんは錫杖を構え突きの構えを取る。
 霊力ちから、ううん法力ちからかしら、錫杖に込められたそれは鉄鼠を狙って放たれようとしていた。

 「まだだっ!」

 鉄鼠がそう叫ぶと、その体が無数のネズミに分裂した。

 ちゅちゅー、ちゅちゅー。

 部屋中を黒色と茶色と鼠色の小さい塊が走り回る。

 「ぬう」

 それを見て慈道さんが構えを解いた。

 「これは困った」

 少し考え込むようなポーズで慈道さんが言う。

 「どうしたんです!? 今がチャンスですよ! ネズミさんたちはあたしが捕まえますから!」

 あたしの右手がうなるたびにそこに巻かれたガムテープがネズミをつかまえる。
 そしてそのネズミは檻の中にポイポイっと入れられていく。
 ネズミになっても鉄鼠の妖力は隠せない、あそこらへんのネズミの塊の中のどれかに本体がいるはず。
 それが慈道さんにわからないはずがない。

 「ほら、あそこですよ! あそこに全体攻撃とかでバーンと!」

 ちょろちょろ動くネズミたちをピンポイントで狙うのが難しいのはわかる。
 だったらまとめてやっちゃえばいい。

 「うむ、それなのだが……」
 「どうしましたか!? まさか全体攻撃を持っていないとか!?」
 「いや、有象無象うぞうむぞうを一気にはらう術はある」
 「だったら、それでバーンと!」

 ひょっとしてBurnバーンと!なのかな?
 ボヤを起こすのは少し困るな。

 「いや、そうではない……拙僧は殺生はできんのだ。罪の無いねずみを巻き込むわけにはいかぬ」

 あっ、そっか、ネズミさんも命だからね。

 「だったら”あやかし”だけに効く範囲攻撃で! 具体的にはありがたいお経とか!」

 馬の耳に念仏、ネズミさんの耳にお経。
 これなら”あやかし”だけを攻撃する事が出来る。

 「ううむ、それなんだが……ノウマクサンマンダバサラ……ウンタラカンタラ」

 お寺にお参りした時に何度か聞いた事のある言葉が聞こえて来る。
 だけど、ネズミの塊はぴくりともしない。

 「はん! 俺に真言なんて効くかよ! これでも元はそりゃもうありがたい高僧、頼豪らいごう様だぜ!」

 有象無象の中ののネズミさんが人語を発する。
 あー、お経が効かないタイプのあやかしなのかー。

 「普通の”あやかし”ならこれで調伏出来るのじゃが、こやつだけは直接法力ちからを叩き込まねばならぬ。そして」

 フンッと裂帛れっぱくの気合で振り下ろされた錫杖は、ネズミさんの手前で止まる。

 「この通り。”あやかし”に操られているとはいえ、罪のないねずみたてにされるとな、にっちもさっちもいかぬ」

 そう言って慈道さんはかぶりを振る。

 「だったら! 普通のネズミさんたちをあたしが全部捕まえてみせます! ちょっと待ってて下さいねー!」

 あたしは、ネズミの塊に突っ込み、ネズミさんたちを檻にどんどん入れていく。
 
 「ふむ、それもだと思うたが……」

 慈道さんの視線がちょいとドアの外に向かう。

 「残念だったな! 時間切れだぜ! あばよー!」

 ドアがバタンと開くと、そこからネズミが大量に逃げ出していく。
 そして数秒でその喧騒は終わった。

 「ふむ、やはりねずみかじられておったか」

 少し遅れてドアの外に出た慈道さんが持っているのは、ボロボロになった符。
 慈道さんの言う通り、その符には歯のようなものでかじられた跡があった。
 きっと鉄鼠に操られたネズミさんが齧ったのね。

 「えー、それじゃぁ、鉄鼠は慈道さんの手に負えないって事ですか?」
 
 それは困る。
 あんな食材泥棒が入り浸るのは良くない。
 ネズミが入りまくる飲食店になるのもまずい。

 「対策が無いわけではない。ほら、ねずみけのありがたーい符じゃ。これを貼れば鉄鼠は近づかなくなるであろう」

 そう言って慈道さんは一枚のお札をひらひらとさせる。

 「ありがとうございます! これで万事解決です!」

 そうよね、退治する必要はないわよね。
 あの鉄鼠がこの『酒処 七王子』に寄り付かなくなればいいんですから。
 あたしは喜びながらお札を受け取ろうとする。

 すかっ

 あれ?

 あたしは小躍りでお札を受け取ろうとする。

 すかっ、すかっ


 「……ええと、慈道さん?」
 「珠子殿、これは符なんじゃよ」

 にこやかに笑いながら慈道さんが言う。 
 ほほう、そうきましたか。

 「い、いかほど?」
 「た、たこほど」

 慈道さんの手が八を作る。
 八万円! たかっ!

 「なあに、これからねずみの害にわぬのなら安いもんじゃろう」
 
 ぐぬぬ、この破戒僧め。
 まあ、経費で落とせば……いいかな?
 飲食店がゴキブリホイホイを経費で買うようなものよね。
 うん! 経費! 経費!

 「しょ、しょうがないわねぇ」

 あたしはいやらしく笑いながら、そのお札に手を伸ばす。

 「そうじゃのぉ、しょうがないよのぉ」
 
 慈道さんも満面のわざとらしい笑みでそれに応える。

 「待て、女中」

 店の入り口から声が聞こえた。
 その声にあたしの体が硬直する。

 「黄貴こうき様!? なんでここに!?」

 お供の鳥居様を連れて現れたのは黄貴こうき様だった。
 相変わらず臣下集めに留守にする事が多いのに、なんでこのタイミングで!?

 「顛末てんまつ藍蘭らんらんから聞いた。この坊主の手を借りるまでもない、我が何とかしよう」

 そう言って黄貴こうき様は自信たっぷりに笑ったのです。
 フハハハハハと。 

◇◇◇◇

 「それで、どうなさるのです? 慈道さんは『気が変わったらまた連絡してくれ』って帰っちゃっいましたけど」

 あたしは店舗を念入りに掃除しながら質問する。
 あれだけネズミさんが駆け回ったなら徹底的に消毒しなくっちゃ。
 ”あやかし”のお客さんは食中毒にかかるとは思えないけど、飲食店の基礎として清潔は保たなくっちゃ。

 「決まっておろう、あやつを捕らえて説得する『我の臣下になれ』とな」

 うわー、いつもと同じで何も考えていない。

 「あやつの事はちゃんと調べたぞ。あやつ”頼豪”は平安時代に白河天皇の『成功すれば何でも褒美を取らす』というのを信じて皇子誕生の祈祷きとうを実行し、見事成功した。にも関わらず褒美を授からなかった怨みで妖怪化したと聞く」
 「左様です。この『画図百鬼夜行がずひゃっきやこう』にも描かれております」

 鳥居様が取り出したのは古い江戸時代の本。
 あたしも現代語訳を読んだ事はある。
 話の経緯を考えると、あの鉄鼠が悪いとは思えないのよね。
 紅葉さんや清姫さんといった女子会のみんなに通じるからかしら。
 相手が誠実で裏切らなかったら彼女たちも”あやかし”にならなかった。 
 きっと頼豪さんも同じじゃないかしら。

 「そうおっしゃいますけど、鉄鼠を捕らえるのはどうします? また無数のネズミに分裂したらどうしましょうか?」

 ネズミ用の罠で普通のネズミを捕まえる事は出来ても、等身大のネズミを捕まえる罠は無い。
 ましてや”あやかし”を捕らえる罠なんてあたしは知らない。
 
 「そこは心配いらぬ。説得や捕獲は女中の領分でもないしな。女中はあやつをもてなす料理でも準備しておればよい」

 うーん、この根拠のない自信はどこから来るのだろう。
 でも、こう自信たっぷりに言われると少し信じてみたくなる。
 だったら!

 「わかりました! 料理ならお任せ下さい!」
 
 あたしは、あたしの本分に全力を尽くすしかないわね! 

◇◇◇◇

 のそり

 店の片隅の影が大きさを増す。
 その正体は言わずもがな鉄鼠だ。

 「今日はあのクソ坊主はいないようだな」

 あたしたちの姿を見て鉄鼠が言う。

 「ここは我の城ぞ。客人としてでなければ”あやかし”でないあやつが居る方がおかしい」
 「そうか、なら、今日も好きなように喰い散らかしてもらうぜ!」

 鉄鼠の妖気が肥大する。

 「その前に問おう。我の臣下になる気はないか? 今なら我が建国する国の国教主席の座を用意しよう。立ち話も何だから、そこで座って話そうではないか」

 ”国教主席”その言葉の前に鉄鼠の目が輝き、表情が緩む。
 なんだか幸せな妄想をしているみたい。

 「いやいやいやいや、だまされんぞ!」

 そして頭を振って再び険しい顔になる。 

 「そんな甘い誘いに騙されるとで思うてか! 俺は二度と約束という言葉を信じんぞ!」

 そう言って鉄鼠がこっちに襲い掛かって来る。
 交渉決裂!
 黄貴こうき様、やっぱり何も考えてないじゃないですかー!
 いつもと同じく、金と地位を餌にしているだけじゃないですかー!
 そんな餌に釣られるのはあたしくらいですって!

 「仕方ない、まずは我の力量を見せつけるとしよう」

 黄貴こうき様は一歩前に踏み出すと、襲い来る鉄鼠に立ち向かう。
 
 ギギン! ギギン!

 鉄鼠の爪と固い何かが打ち合う音が響く。
 うおー、迅い! 鋭い! 強い!  
 戦う黄貴こうき様の姿を見るのは初めてだけど、こんなに強かったんだ。
 あの慈道さんの流れる動きの強さとは違う、素早いシャープな強さだ。
 
 何合か打ち合うと妖力ちからの差が歴然に現れた。
 黄貴こうき様が圧倒的に優勢。
 さすが八岐大蛇ヤマタノオロチの嫡男! 

 「再び問おう、気高き我の臣下になる気になったか?」

 余裕の表情で再び勧誘する黄貴こうき様。

 「ふん! そんな戯言は俺を捕まえてからほざくんだな!」
 
 あっ、こいつまた逃げる気だ!
 鉄鼠の体が前回のように無数のネズミに分裂し店内を駆け回る。
 それでも黄貴こうき様の余裕の表情は変わらない。
 自信たっぷりに腕組みしている。

 「鳥居……やれ」
 「はっ」

 そう言った黄貴こうき様の陰から部下の鳥居様が現れる。
 鳥居様、その正体は江戸時代に生きた『鳥居耀蔵とりいようぞう』。
 英霊と“ようかい”の属性を持つ稀有な方なのです。
 
 鳥居様はつかつかと歩くと、その横を駆け抜けるネズミの一匹をむんずと掴んだ。

 「へっ?」
 「へっ!?」
 
 そのネズミもあたしも呆気にとられた顔をする。

 「よくやった、鳥居」
 「この程度、造作もありませぬ」

 黄貴こうき様の指がそのネズミに触れると、それは縄で縛られた鉄鼠の姿に変化した。

 「さて、立ち話も何だから、そこで座って話そうではないか」

 そう言って黄貴こうき様は自信たっぷりに椅子に座ったのです。

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