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第三章 襲来する物語とハッピーエンド

豆腐小僧とむすびとうふ(前編)

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 まずい……
 まずいといっても料理がマズイのではない。
 まずいのは、あたしの目の前の体重計。

 ピピッ

 数字は5Xkgを示している。
 おかしい……これはきっと体重計の故障に違いない。
 そうよ! きっとそうよ! 
 そしてあたしは体重計に10kgの米袋を乗せる。

 ピピピッ 

 数字はぴったり10kgを示す。
 もうだめ! この世の終わり! 
 こうなったらダイエットしかないわ! 
 スイーツも、揚げ物も、ドカ盛ご飯も……さらば! また会う日まで!
 そしてこんにちは! 豆腐さん! 
 高タンパク、低脂肪、低炭水化物、煮てよし! 焼いてよし! 揚げてダメ!
 いやいや、衣のない素揚げなら……ラードとかじゃなく植物油なら……
 うん、大丈夫よね!

 ジュ―

 なので、今日のまかないは『あられ豆腐』。
 江戸時代のグルメ本、豆腐百珍のひとつ。
 日本のご先祖様は200年以上前からグルメだったのです。
 あまりに好評だったので、続編も刊行されました。
 さらに別素材のバリエーション『甘藷百珍かんしょひゃくちん』とか『蒟蒻百珍こんにゃくひゃくちん』『鯛百珍料理秘密箱たいひゃくちんりょうりひみつばこ』とかが刊行される始末。
 おかげで、当時のレシビを元に現代風のアレンジも出来るってわけ。
 この『あられ豆腐』は豆腐百珍の中で『好みの味付けで食べる』と書いてあるけど、あたし流は塩レモン。
 塩味と酸味が揚げた豆腐にピッタリ!
 しかも、低炭水化物! 
 そしてビタミンCも摂れる!
 くぅ、これで日本酒があれば!
 でも、我慢我慢。
 たとえ、目の前に豆腐のおかわりが見えても我慢!
 低炭水化物の豆腐であっても摂りすぎは厳禁!

 あれ? あんな所に豆腐なんて置いたっけ?
 えっ、ダイエット1日目にして食べ物の幻覚が見えるの!?
 
 ひょこ

 その豆腐の横から笠が見える、それがひょこひょこ動く。
 あっ、笠がふえた。
 ふたつの笠があたしの前でひょこひょこ動く。
 そしてテーブルのしたからふたつの少年が顔を出した。

 「ばぁ!」
 「ばばぁ!」

 ひとつの顔は紫の瞳を持つここの住人、紫君しーくん
 そしてもうひとつは、丸い福助のような愛嬌のある顔。

 「こんにちは、紫君しーくんとそのお友達」

 あたしはにこやかに微笑みながら言う。
 
 「ん、もう、そこは『うひゃぁぁあ』ておどろく所でしょ、珠子おねえちゃん」

 あざとく頬をふくらませて紫君しーくんが抗議する。

 「ごめんごめん、うひゃぁぁあぁああぁあ」

 あたしはわざとらしく驚いた。

 「もういいよ、それよりお願いがあるんだ。いいよね」
 「もう、紫君しーくんはいつも一方的なんだから。まあ、でも可愛いからいいよー。そのお願いって何かな?」

 きっと断ったら『いいよ』というまで腕に抱き着かれてお願いされちゃうんだろうな。
 それはそれでいいけど、次回にしよっと。 

 「よかった、ほら」

 そう言って紫君しーくんはその肘で隣の子を軽く突く。

 「ボクの名は豆腐小僧です。珠子さんに頼みがあってきました」   
 
 豆腐小僧、それは豆腐を持った少年の”あやかし”。
 ”あやかし”界のマスコット。
 能力は特にない。
 人畜無害どころか、化かしたり驚かしたりもしない。
 ただ、可愛い。
 紫君しーくんのあざとい可愛さとは違う、純朴な感じの可愛さ。

 「それで、あたしに頼みってなーに? 料理関係なら何とか助けになると思うけど……」

 きっと料理関係だと思う。
 というか、あたしが頼まれるのも、解決できるのも、それしかない。

 「あのね『豆腐百珍』の内のひとつの作り方を教えて欲しいの』

 ほら、やっぱり。

 「いいわよ、何かしら? 一番美味しいのなら絶品の『湯やっこ』、つまり湯豆腐がおススメね」

 湯やっこは簡単で美味しい。
 懐にも贅肉ぜいにくにもやさしい。

 「ううん、教えて欲しいのは尋常品の『むすびとうふ』」
 「あしたまでにお願いします!」

 えっ!?

 「だいじょうぶだよ! 珠子おねえちゃんなら簡単だよね!」  
 「う、うーん、作れない事はないけど……」 

 キラキラした目で紫君しーくんがあたしをみるけど、あたしの声は浮かない。 

 「たぶん……君たちじゃ、正攻法じゃ無理じゃないかな?」
 「「えー!?」」

 あたしの自信なさげな声に、ふたりは驚きの声を上げた。

◇◇◇◇

 「なんです? 騒々しい」

 少年たちの声を聞いたのか、蒼明そうめいさんが自室から出てきた。

 「きいて、蒼明そうめいおにいちゃん。珠子おねえちゃんがボクたちには”むすびとうふ”は作れないっていうんだよ」

 頬をふくらませながら紫君しーくんが言う。

 「ふん、情けない。唯一の取り柄の料理ですら、このざまですか」クイッ

 相変わらず蒼明そうめいさんはあたしへのあたりがキツイ。

 「そうは言っても”むすびとうふ”は別格なんですよ」

 あたしは冷蔵庫の扉を開けて豆腐を取り出す。
 そして冷凍庫の扉を閉める。

 「”むすびとうふ”ですか、確か豆腐百珍のひとつですね」

 そう言って蒼明そうめいさんはスマホを取り出し検索する。
 きっと作り方を検索しているんだろうなぁ。

 「ふむ、豆腐百珍に書かれている”むすびとうふ”の作り方はこうあります。『細く切った豆腐を酢水に浸け、いかようにも結ぶべし。水に浸けて酢を抜き好みの味付けで食べる』。レシピ通りに作ればいいのです。この私がやってみせましょう」クイッ

 蒼明そうめいは酢水を用意して細長く切った豆腐を浸ける。
 浸けること10分。
 そしてそれを取り出して結ぶ。

 ボロッ

 崩れた。

 「おや?」

 蒼明そうめいさんは再びスマホを取り出し、検索する。

 「ふむふむ、わかりました」クイッ

 蒼明そうめいさんはスマホをしまうと、ボウルに湯を注いだ。 
 
 「現代の再現レシピですと、お湯の中で箸を使って結ぶのがコツとあります。豆腐百珍の原本は説明不足という話もありますしね。これで上手くいくはず……」

 ボロッ

 「ぬぬぅ!?」

 蒼明そうめいさんは目の前の失敗と、スマホの中の理想とを交互に見つめている。

 「レシピ通りにやればいいはずです! レシピ通りに!」

 そして再びチャレンジするが、やっぱり失敗。

 「蒼明そうめいおにいちゃん、ダメなの?」
 「うまくいかないみたいですね」

 紫君しーくんと豆腐小僧くんも崩れていく豆腐を見て溜息をついた。

 「あたしがやってみましょう。やり方は蒼明そうめいさんの方法で間違えていませんよ」

 あたしは別のボウルを取り出し、同じように湯を入れ、酢水から豆腐を移す。
 そして、その中で箸を使って豆腐をそーっと結ぶ、そーっと。
 結び方は、一番単純なひと結び。
 よかった、何とかうまくできた。

 「できたー!」
 「すごいです!」
 「ぬぬぅ!?」

 出来上がった”むすびとうふ”を見て、三人が声を上げる。

 「おねえちゃん、もういちどやって」
 「い、いいわよ」

 あたしは細切り豆腐をもう一本ボウルに入れてむす……

 ボロッ

 「あっ、くずれたー」
 「くずれちゃいましたね」

 豆腐は無惨にも崩れ去った。

 「しっぱい、しっぱい。もう一度」

 再びあたしは豆腐をボウルに入れ……ボロッ
 
 「またくずれちゃった」
 「くずれてしまいました」

 ぐぬぬ、もう一度
 またまた、あたしは豆腐をボウルに入れむす……べたー!

 「できたー!」
 「やっとできました」
 「とまあ”むすびとうふ”は真っ当に作ろうとしたら、えらく苦労するのです。蒼明そうめいさん」

 これだけ挑戦して上手く出来たのは2本だけ。
 崩れた豆腐は豆腐ハンバーグとか飛竜頭ひりゅうず、別名がんもどきに再利用できるけど、少し効率が悪い。
 そして……

 「できなーい」
 「できません……」
 「あの、珠子さんにできた事が私に……ぐぬぬ」

 この”むすびとうふ”を正攻法で実現するには一定以上の器用さが必要なの。
 出来ない人は相当練習しないとダメ。
 一生出来ない人だっていてもおかしくない。
 そんな繊細な料理なのです。
 
 「なるほど、この料理が難易度が高いことは理解しました」クイッ

 蒼明そうめいさんは7本目の失敗で諦めたのか、箸を置いた。
  
 「ですが、あなたならこのふたりが”むすびとうふ”を作れるようにしてくれますよね」クイッ
 
 うわー、むちゃぶり。
 器用度が一朝一夕に伸びるはずないじゃないですか。
 ちょっと練習すれば彫刻や絵の腕前が一気に伸びるなんて無理!

 「珠子おねーちゃん、なんとかしてくれるよね」
 「おねがいします、たすけてください」

 ふたりがあたしに向かって上目使いにお願いする。
 もう、そんなあざとい顔されちゃぁ、たまらないわね!

 「はっきり言って、蒼明そうめいさんのリクエストは無茶振りです。ですが! それにお応えしてみましょう! 料理の世界は芸術の世界と似ているようで違うのです!」

 自信たっぷりのあたしの声にふたりの顔がパァーっと明るくなる。
 
 「”むすびとうふ”真っ当に作ろうとしたら無理ですが……」
 「真っ当じゃない、裏技があるのですね」クイッ
 「正解です! それでは、これからそれをお見せしましょう!」

 そう言ってあたしは冷凍庫からカチコチになった豆腐を取り出した。

 「まずは!」
 「「まずは!?」」

 ふたりが期待に満ちた目であたしを見る。

 「この豆腐が溶けるまで、失敗した豆腐の残りで”湯やっこ”でも食べながら待ちましょうか」

 ふたりは盛大にずっこけた。
 うーん、あざとい。

◇◇◇◇
  
 ととととととと、豆腐が鍋の中で音を立てる。

 「はい”湯やっこ”のできあがり、かんたーん。タレは豆腐百珍の通り醤油と鰹だしに刻みネギと大根おろしを加えたものです」
 
 あたしは今にも浮かび上がりそうな豆腐をすくい、みんなに配る。

 「はふはふ、おいしーい」
 「おいしいです」

 紫君しーくんも豆腐小僧くんも熱々の豆腐をふーふーしながら食べている。

 「良い味です。さすが豆腐百珍に絶品としてしるされている。だけのことはあります」

 蒼明そうめいさんにも好評です。
 
 「湯豆腐にはポン酢もいいですけど、この大根おろしのタレもいいですよね」

 このタレの中の大根おろしが消化を助けてくれて、ボリュームのある湯豆腐がいくらでもあたしの胃に入っていく。

 「ところで、どうして”むすびとうふ”を作ろうとしたの? あれは味は普通よ」

 ”むすびとうふ”は結んだ豆腐を吸い物に入れるのが一般的だ。
 だけど、食感が劇的に良くなるわけでもなく、味は普通なの。

 「それは……とあるおばあさんとに”むすびとうふ”をたべさせたいのです」

 少し下を向いて豆腐小僧くんは言う。

 「何か訳ありですか」
 
 あたしと同じくその雰囲気に何か感じ取る所があったのだろう、蒼明そうめいさんが尋ねる。

 「とくにわけはありません。ただ……いじめられていたボクを助けてくれたお礼がしたいのです」
 「そのおばあさんはね、病院に入院しているの。ボクはたまに霊を送りに病院に行くんだけど、そこで豆腐小僧と会ってこの話を聞いたんだよ」

 そういえば紫君しーくんのお母さんは鎮魂の巫女だったっけ。
 以前あたしは紫君しーくんがこの辺りの霊をに送ったのを見たことがある。
 ちなみに送る燈火ともしびは人の精気だ、主にあたしの。 
 紫君しーくんに精気を吸われると、ちょっと……いやかなり疲れるのよねぇ。
 今でも何日かに1回吸われているけど。

 「そのおばあちゃんがね。『病院のごはんはおいしくないねぇ』って言ったのを聞いて、豆腐小僧はね『じゃあ退院するまでおいしい豆腐料理を届けます』って約束をしたんだよ」

 紫君しーくんが説明を聞いてあたしは思い出す、友人のアスカから聞いたことを。
 病院のご飯はマズイ。
 その理由は、胃腸の負担を減らし、服薬との兼ね合いを考えられた食事は味が薄く、さらに自分の体調の影響もあるからだと。
 
 「ですが、ボクが知っている豆腐料理は『豆腐百珍』だけです。それを作って届けていたのですが……」
 「おばあちゃんがね、気づいちゃったんだ。『ボクたちがもってきている料理って豆腐百珍ね。小さいのに物知りね』って」
 「ボクはおばあさんに『豆腐百珍を最後の一品まで届ける』って約束したのです。そして、おばあさんの入院は長引いて、ついに……」
 「最後のひとつになっちゃったんだ。それが”むすびとうふ”なのね」

 あたしの問いにふたりがうなづく。

 「いい話じゃないですか。珠子さん、この子たちの願いを叶えて下さい。あなたの取り柄はそれだけなのですから」クイッ

 蒼明そうめいさんの言い方にはひっかかる所はあるけど、この話を聞いたからにはあたしも全力を出すわ!

 「ええ! まかせてちょうだい! 裏技から、超裏技まであたしが伝授してあげる!」
 
 そんな自信たっぷりなあたしの前で紫君しーくんと豆腐小僧くんはパチパチをあざとく手を叩いたのです。

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